第十四章 終わりは始まりにすぎず(2)
二人を乗せて、馬は廃墟の街を駆け抜ける。街は文字通り嵐が通り過ぎた後の様に、荒れ果てた街並みが輪をかけてボロボロになっていた。あちこちに倒壊した建物の瓦礫が乱雑している。小さい物なら馬の跳躍でやり過ごせるが、あまりに大きい物は迂回路を探すほかなかった。
「あまり遠回りしても辿りつけなくなっちゃいそうね。」
手綱を操りながら前方に座るアイリが呟いた。一方のヴェルナーは振り落とされないようにアイリの身体に手をまわしている。そういえば以前シャロに二人乗りした時も同じような事をして怒鳴られたが、場合が場合なのか、今回は何の反応も無く、ヴェルナーが身体を密着させるのを許していた。
相手に反応が無いと、逆に意識してしまうのがヴェルナーの方だ。自分とはまるで違う、一回りもふたまわりも小さな身体。それでいて軍人らしく硬質な筋肉が腕や胴に無駄なくついている。かと思えばきめ細やかな白い肌や細い髪は、育ちの良い繊細な貴族令嬢のものだった。
―――なんだかんだ言っても、女なんだよな。
口にすれば確実に怒鳴られそうな事を頭に過らせつつ、本能的にアイリをまじまじと観察していると、
「ちょっとペース上げるわ。ぼさっとしてると振り落とすわよ。」
少し呆れた様な声音に、ヴェルナーは我に返った。慌てて邪念を振り払うと、アイリにしっかりしがみつく。
「……から、なんで平然と……」
「あ?なんか言ったか?」
アイリが何か呟いた気がしたが、タイミング良く響いた砲音にかき消されヴェルナーの耳には届かなかった。アイリは一度恨みのこもった瞳でこちらを振り返ったが、すぐさま手綱を操り馬のスピードを上げたので、それ以上何も聞けなかった。
大砲の音が近づいて来る。それと共に兵たちの叫び声と悲鳴も聞こえてきた。慌てふためく兵たち、大声で怒鳴る指揮官、誰もこの惨状の全貌を掴み切れていないのだ。同時に辺り一帯が薄暗闇に包まれ視界が悪くなった。まだ、夕暮れの時間にすらなっていないはずなのに、まるで日の落ちた帳の頃の様に暗い。
「硝煙が巻き上げられてるのか。」
「みたいね。あの竜巻、やっぱり普通の竜巻じゃない。本来霧散するはずのものを全部取り込んでる。」
竜巻に絡め取られた煙や砂塵が大きな結界の様に戦場を取り囲んでいた。竜巻から随分離れた場所でもこうだ。おそらくあの中は阿鼻叫喚の地獄へと化している。
「もうすぐ中心部よ。」
アイリが示した先には微かにグラエナ聖堂のシルエットが見えた。その向こうは横断幕のような漆黒の闇が広がっている。あの先が戦場だ。しかし、ヴェルナーがそれよりも警戒したのは、正面に立つ二人の兵士だった。軍服からしてオルセンの兵だろう。その様子は遠目からもわかるほど、明らかに異常をきたしていた。視線を右往左往させ、落ち着きなく歩き回り、何もない空虚に銃口を向け何かを叫んでいる。
おそらく戦場を命からがら抜け出したはいいものの、恐慌状態が極限にまで達したのだろう。あの先で何が起こっているかは想像に難くなかった。
兵の一人がこちらに気づいた。すると言葉になっていない奇声を発し、こちらに銃口を向ける。アイリは銃口の直線上から馬を避けさせたが、ヴェルナーは迷わず腰のホルスターから小銃を引き抜いた。
銃声は一発。弾丸は二人の兵の間の地面に着弾した。突然の発砲にパニックがさらに悪化した兵たちは、乱雑に銃を撃つ。ヴェルナーは小さく舌打ちをした。
「くそっ、馬の上からじゃ上手く狙えねぇ。」
「それ以前にいきなり撃たないでよ!しかも味方の兵よ!」
「話して聞く状態じゃないだろあいつら!待ってろ、銃吹っ飛ばす。」
先ほどの一発で大体の馬上の感覚は掴んだ。今度こそ狙いを定めて、兵たちの持つ銃を狙う。
兵の側面四十五度の角度から、ヴェルナーは銃を撃った。弾は見事兵の銃側面に辺り吹っ飛ばされる。続けてもう一発、今度はもう一人の兵の手の甲に命中した。殺傷力がそれほど強くなかったが、痛みにうろたえ銃を取り落とすには十分の威力だ。
「あんたって、射撃に関してだけ有言実行だから感心するわ……。」
「だけって何だよ。俺はいつでも有言実行だ。」
悪態を付きつつも、蹲った兵たちの脇を駆け抜けてついに煙幕の中へと足を踏み入れる。
入った瞬間、ヴェルナーは思わずむせ返って嗚咽を漏らした。暗闇の結界の中は想像以上の地獄だった。視界が悪いという以前に目が刺激されてまともに開けられない。一息するだけで喉の奥や鼻腔に細かな砂埃や煤が張りつくようだ。
ここまで全力疾走してきた馬もさすがに足を止めて暴れ出す。馬も同じで、本能がここを危険だと察知したのだろう。
「……!お願い!もうちょっと頑張って!」
振り落とされそうになりながらも、アイリは何とか馬を宥めようとしていた。手綱を緩め、首筋を撫でると、ようやく馬の興奮が収まった。だが、恐怖は感じているらしく、それまで以上に鼻息を荒くしながら、忙しなく動いている。
「レインは……どこにいると思う?」
「わかんねぇ……、声も反響しててどっちがどっちだか。」
このまま闇雲に進んでいけば確実に方向感覚が狂いそうだ。だが、この空間を形成しているのがレインであれば、間違いなくその中心に彼女がいるはずだ。
意を決して歩を進めようと決意した瞬間、左から絶叫が聴こえ煙の中から一人の兵が馬の足元すぐ近くに倒れ込んできた。ヴェルナーたちも驚いて顔を青ざめさせる。兵は胴体を大きく損傷し、すでに息絶えているのは明白だった。
直後、兵のすぐ近くの地面が弾けた。銃弾だ。姿は見えないがこのすぐ近くで戦っている人間がいる。
「ここはやばい。急いで移動してくれ。」
アイリは無言で手綱を引き、馬を駆けた。直後、先ほどヴェルナーたちがいた後方から悲鳴と断続的な銃声がこだまする。どこで交戦が行われているか全く見当がつかない。ヴェルナーは銃を構えたまま、五感を研ぎ澄ませ周囲の様子を探る。
ある程度目が慣れてくると、少しずつ周りの様子が見え始めた。地面に横たわる無数の人間の姿が見える。死んでいる者もあれば生きている者もいる。だが、生存者というには生気を感じられず、虚空を見つめて呆けている者や何かをぶつぶつと呟きながら薄ら笑いを浮かべている者など、明らかに精神がやられていた。
そんな死人と半死人たちの間をぬい、馬は竜巻の中心へと進んでいく。ヴェルナーもアイリも言葉を発しなかった。それほどまでに切羽詰まった状況であるという事を肌で感じていた。
五分ほど走りきった時、右耳が奇声を聞きとった。反射的に銃を構え撃った。相手は見えなかった。オルセン兵かもイシル兵かもわからないが、その男は確実にこちらを狙っていた。
「撃ったの!?」
「ああ、こっちを狙ってた。この辺りは兵が密集して―――頭下げろ!」
返事を待つ間もなく、ヴェルナーはアイリの頭上に構え撃った。正面から迫っていた騎兵の頭部を貫通する。アイリは悲鳴を上げ身をすくめながらも、倒れた騎馬を避け馬を高く跳躍させた。
「お前は進む事だけ考えてくれ。敵は俺がやる。」
「わかった!―――って、右!」
アイリの叫び声と同時に、正面右に銃口をスライドさせ相手を見る間もなく撃った。もうオルセンとかイシルとか考えている余裕はない。恐慌状態に陥った兵士は、目に見える動く者全てに襲いかかっているのだ。幸いなのはそんな状況にあっても、馬が襲歩をやめないという事だ。いや、もはや馬自身も恐慌状態にあって、半ばやけで疾走し続けているに近い。それを操っているアイリもまた極限状態に近かった。
進路を阻む兵を容赦なく再起不能にしていくと、やがて暗いはずの視界に一際明るく映る風の塊が見えてきた。
「見えた!あれが嵐の目。」
アイリが嵐の目と呼んだそれは、言葉の通りはるか上空にまで柱の様にそそり立ち、放射線状に空気の膜を張り巡らせていた。成程、これに兵たちは飲み込まれ今の顛末が出来上がったというわけだ。推測が正しければ、あの中心にいるのがレインだろう。迂回しながら、目に近づこうとした時、今日一番の轟音が耳だけでなく体全体に響き渡った。
「……っ!こんな視界で大砲撃つ奴があるか!馬鹿!」
顔も知らぬ愚者を罵倒したところで届くはずもなく、第二投を放つ音が容赦なく響く。
三度目の砲音。今度は近くに被弾した。側面から被弾したと思われる兵たちが倒れ込んできた。
「ひっ……!」
さすがのアイリも頭部や上半身が無残に抉れた死体を目にして、小さな悲鳴を上げる。その僅かな隙が、命取りとなった。
「……アイリ!前!」
ヴェルナーの警告も空しく、ほぼ正面から飛んできた砲弾が馬の数メートル先で爆散した。アイリは考える余裕も無く、馬を右に旋回させ奇跡的に被弾は免れたものの、砲弾によって飛び散った拳大の瓦礫がアイリの頭に直撃した。
「いっ……!――――」
「アイリ!」
ヴェルナーの目の前でアイリの身体がぐらりと揺れた。尚も止まらない馬の振動で、アイリの身体が馬から崩れ落ちる。
―――!!
迷う暇などなかった。ヴェルナーはとっさにアイリの身体を抱き込んで、二人はもろともに馬から転げ落ちた。




