第十三章 そして最果てへ(5)
瓦礫に埋もれた避難路を茫然と見ていたヴェルナーにすぐさま竜巻が襲いかかった。直撃を避けるため、大きく横に飛ぶ。間一髪でこれを避けた。ヴェルナーが先刻まで立っていた場所の通りの石畳が無残にはがされていく。
冷や汗をかきながらも、ヴェルナーはつぶさに竜巻の正体を観察した。小規模ながら破壊力があり、意思ある生き物のように動き回る。天災では毛頭ありえない。その事実を示すように、竜巻が徐々にやみ始め、その中心から小柄な影が姿を見せた。
「ヴェルナー=ライトロウ。」
少女に名を呼ばれた。聞いた事のあるはずのその声は、ヴェルナーが知る少女のものではなく、何か得体のしれない未知の生物のものだった。
竜巻の中心から現れた黒髪の少女は全身を赤い血に染め、虚ろな目でこちらを見ている。
「お前……レインだよな……?」
問いかけても返答は無い。まるで意思を持たない人形のように、ただそこに立っているだけの存在。それが不意にこちらを向いた。
「私のすべきことは、―――」
「……?」
ヴェルナーは少女からおぞましい程の殺気が膨れ上がるのを感じた。全身がやばい、と警鐘を鳴らす。
「私のすべきことは、オルセン兵を殺す事……!」
次の瞬間、少女の周囲に集束した凶悪な風が巨大なかまいたちとなってヴェルナーを襲った。とっさに両腕で庇うも、そんなささやかな抵抗では意味が無い事は明白だ。悲鳴を上げる間もなく、ヴェルナーの身体は無残にも切り刻まれ、血だらけで地面に倒れ伏す―――かに思えた。
突風に全身を切り刻まれる寸前、何か光の靄が視界を包んだ。その眩しさに目がくらむ。しかし、その靄が消え視界が元に戻った時、ヴェルナーは全くの無傷でそこに立っていた。
(……?なんだ?なんともない―――?)
ヴェルナーは自身の身に何が起こったのかわからず停滞する。人形のように表情の無かったレインでさえ、虚をつかれたように目を見開いていた。
その時、ヴェルナーの懐からパキリと何かが割れる音が聴こえた。服の襟から銀色の破片がパラパラとこぼれおちる。慌てて手を入れると鋭い痛みが走った。構わず手に触れたものを取りだしてみる。
それは無残にひびの入った手鏡だった。アイリがパヴコヴィックから手渡され、ヴェルナーがアイリから貰った鏡だ。
―――一度だけ「記述」を無効化できる
そうだ、確かアイリがそう言っていた。これはパヴコヴィックが作った、記述の攻撃から身を守るための宝具だ。
(これが助けてくれたのか?)
バラバラに砕けた鏡を見つめ、敵が目の前にいる事も忘れ、遠い地の博士の姿を思い浮かべる。
「……あ、ああ。」
ふと、前方を見つめると、何やら少女の様子がおかしい。能面のような表情から、この世の終わりの様な絶望に満ちた苦悶の表情で、頭を抱えていた。少女の頬に細い指がこれ以上ないほど食い込んでいる。突然の動揺にうろたえたのはヴェルナーの方だった。
「おい、お前どうした?」
「いや……、私またやったんだ……!いや、いやあああ!!」
涙をボロボロと流しながら、絶叫し蹲る。どうしてやればいいのか分からず、逡巡していると、背後で一際大きな銃声が鳴り響いた。
条件反射で銃声のした方を見やる。立て続けに鳴る大砲と小銃の音は本格的な交戦が始まった事を意味していた。
そしてほどなくして馬の足音が近づいて来る。どうやら後方の竜巻の様子を見に来た騎馬兵の様だ。
このままではまずい。騎兵に見つかってしまう。ヴェルナーは少女の腕を掴み、傍の建物へ隠そうとするが、
「おい、早く動け!兵が来る―――」
言いかけて言葉を失った。少女はまたしても人形の様な無表情で、ピクリとも動かなくなっていた。寸前まで流していた涙の跡が静かに乾いていく。
「私は―――」
「おい、何してるんだ……?早く―――」
「私は私の私が私に私を私で私と私か―――」
聞き取れるか否かの小さな声で、ブツブツとつぶやいている。その様子はもはや正気ではなく、ヴェルナーは背筋に悪寒が走った。
これは、何だ―――?
砲撃の音が鳴り響く中で、ヴェルナーは異形の物を見るかのように少女を凝視する。その身体からすべらかな風の巡りが湧きあがるのを見た時、ヴェルナーは掴んでいた細い腕を離し反射的に飛びのいた。
蹄鉄の音がすぐそこまで迫っている。それなのに、ヴェルナーは目の前にいる何かから目が反らせなかった。ゆっくりと少女が立ち上がる。ここに来た時と同じ虚ろな目で、ヴェルナーを―――いや、ヴェルナーの後方を見つめていた。
「おい!お前たち!一体こんなところで何をしている!」
「―――!逃げろ!!!」
ヴェルナーはとっさに近づいて来た騎兵に向かって叫んだ。同時に少女の身体から尋常ならざる風圧が膨れ上がる。先刻ヴェルナーが受けたあのかまいたちだ。
後ろの騎兵に気を取られたせいで、逃げるのが半歩遅れた。もうヴェルナーを守ってくれる鏡はない。受ければ今度こそ、八つ裂きだ。
ヴェルナー!!
眼前に風の刃が迫り、眼球に届かんとした瞬間、身体が大きく真横に引っ張られた。ヴェルナーは地面を二転三転する。遠くで騎兵たちの断末魔が聴こえた様な気がしたが、音が遮断されるように辺りがシンと静まりかえった。
「……アイリ?」
ヴェルナーに覆いかぶさる体勢で、アイリが大きく肩を上下させていた。アイリの肩越しには、崩れかかった天井が見えた。
「ヴェルナー、無事?」
傍には心配そうに覗きこむカテラもいた。改めて周りを見渡す。ここは、先刻アイリとカテラを押し込んだ建物の中だった。
「はい、大丈夫です。アイリ、お前が助けてくれたのか?」
息を切らしたアイリの身体をどけると、服についた泥を軽く落とす。おそらく、ヴェルナーが再びかまいたちに襲われるところを間一髪でアイリが建物に引き込んだのだろう。下手をすれば自分も巻き込まれてしまうのに、それでも身を呈してヴェルナーを助けた。
アイリの身体はまだ震えていた。俯いたまま荒く息をしている。
「……おい、アイリ?大丈夫―――っ!」
「この馬鹿!!」
顔を覗きこんだら勢い飛び付かれた。そのままバランスを崩して、アイリに押し倒される格好に戻ってしまう。
「あんた一人で、あんなのに立ち向かって……!心配させないでよ!」
アイリはヒステリックになってヴェルナーの胸を叩いた。怒りに満ちた顔には、うっすらと涙が滲んでいる。
「メリノの時だってそうよ!いつも一人で何とかしようとするから!」
「……ごめん。」
「ごめんじゃないわよ!あんた全然……わかってない……!!」
アイリの涙腺はとうとう決壊し、大粒の涙がこぼれた。こうなってしまっては、ヴェルナーは二の句が継げない。泣くなとも言えず、ただアイリの背中をさすってやることしか出来ない。
外はすっかりと静まり返っていた。レインはあのまま騎兵を殺し別の場所へ移動してしまったのだろうか。気がかりだったが、今自分たちに彼女を追うだけの気力が無い。
「……それにしても、よく無事だったわね。」
アイリが少し落ち着いて来ると、カテラがぼそりと呟いた。ヴェルナーはそこで自分が右手にずっと握りしめていた物を思い出す。
「そうだ、これです。」
「これは何?……鏡、割れてるけれど?」
「パヴコヴィック博士から譲り受けたんです。記述の攻撃を一度だけ無効化してくれるって。」
そう言って、大きくひびの入った鏡をカテラに差し出した。カテラはそれを興味深そうに見つめる。
「反射の『記述』かしら?それにしては複雑で……。」
手にとって確かめるカテラの横で、落ち着きを取り戻したアイリが告げる。
「でも、さっきこれが光る瞬間見てたけど、ヴェルナーをあの風から守ったっていうより、あの子の正気を取り戻させたっていう風に見えたけど?」
この鏡に守られてたと思っていたヴェルナーは、その言葉に目を丸くした。アイリいわく、鏡はレインを光に包み、正気に戻ったレインが風を寸でのところで止めたらしい。
と、アイリとカテラの間に重苦しい沈黙が降り、二人揃って黙り込んでしまった。どうしたのかと思ったが、それも当然のことだ。
レイン。さっきのは間違いなく、ここまで一緒について来た少女だった。少し落ち着いて来ると徐々にその現実と衝撃が圧し掛かってくる。三人は押し黙ったまま一言もしゃべらなかったが、ヴェルナーはふと大事な何かを忘れている様な気がして、思考を巡らせた。
突然襲いかかったレイン、街の入り口からの竜巻、レインの血の跡―――。
「!?アイリ、カテラさん。早く馬車に戻りましょう。」
「え、……ああ、そうだった!兵站部隊が大変な事になってるかも。」
一連の出来事で兵站部隊の事がすっかり頭から飛んでいた。もし、レインがあの場からここまで竜巻を起こしてきたのなら、今頃兵站部隊は大惨事になっているに違いない。
だがヴェルナーの一番の懸念はあの血だった。かすり傷とは到底思えない程の血量、あれほどの血を流してあそこまで動けるはずはないから、おそらく返り血だ。そして彼女の一番近くにいたのはおそらく―――
想像しただけで汗がどっと噴き出した。ヴェルナーは建物を抜け出すと、背中を押されるように駆けだした。
もし、最悪の想定が当たっているなら、友の命が危ない。
◆
彼女は私に話しかける。甘美な音色で。
「あなたは私の可愛い人形」
その一声一声が耳から脳に浸食し、私の思考を奪ってゆく。
「あなたには期待しているわ、だってあなたは―――」
細い指が私を撫でる。皮膚から彼女の冷たい指先の感触が伝わる。
「私の最高傑作なんだもの。」
蜂蜜色の蟲惑の瞳が、私に微笑みかけてくる。私はそれを何の情調も無く見つめていた。
彼女が私の唇を指でなぞった。
「さあ、言ってごらんなさい。あなたは何をしなければならないの?」
頭の中の記憶の引き出しが、カタと音を立てて動いた。私の中にある小さな引き出し、そこには決して忘れる事が出来ず、そして抗えない強い何かを有している記憶がしまってある。
私のすべきことは、
無意識に口を開いた。彼女は我が子を添い撫でる母の様な表情で私を見る。
私のすべきことは、メテルリオンヘ向かう事。
「そうよ。そして、あなたはそこで何をしなければならないの?」
じわじわと言葉を溶かしこんでいく。私はそれに従い、自分の使命を口にした。
「そう、それでいいの。あなたがそれを実行する合図はわかっているわね?」
そしてまた、私は命令に従い口を開く。
私が命令を実行する、その合図は―――
銃声だ。聞き間違いの無い鈍い音に、バズははっと顔を上げた。イシル軍の攻撃が始まったのだと、直感が伝えていた。
「交戦が始まったんだ……。」
瞬時にヴェルナーたちの様子が気がかりになった。戦禍に巻き込まれていなければいいのだが。
いてもたっても居られず、右往左往していると、レインが隣で不安そうに俯いていた。
「レイン、大丈夫か?今の銃声、多分敵の襲撃だと思うけど……。」
心配するなと慰めてやりたかったが、バズ自身も外の様子がわからず困惑している。
「ここは後方だから、戦火にさらされる事はない。ここにいれば安全だから。」
「……。」
「レイン?」
よほど怯えているのだろうか、レインは俯いたままピクリとも動かなかった。その様子にバズはそわそわと落ち着かない。バズはなけなしの知恵と意地を振り絞って、レインを必死で励ました。
「だ、大丈夫だよ。オルセンの兵がきっとイシルを追い返すから。だから―――」
その先をバズは言う事が出来なかった。なぜなら、それまで人形の如く沈黙していたレインが、バズに抱きついたからだ。
突然の抱擁に、バズは驚きで言葉が出ず、石のように固まる。至近距離に映る少女の姿に情けなく喉を鳴らした。
「あ、あの……、レイン?どうし―――」
「ごめんなさい。」
動転するバズの耳元で、少女のか細い悲しげな謝罪が聴こえた。
何の事かと聞き返そうとした時、乾いた音と共に腹部に重い衝撃が襲った。
―――え?
何かが深く入り込む異物感。恐る恐る視線を落とすと、そこには少女の手に握られた小型拳銃が見えた。それはバズが腰に吊っていたものだ。旅に出る前、バルドに餞別として借りた小さな拳銃。その銃口は、バズの身体に押し付けられてあり、先端からは仄かに煙が上がっていた。
不思議と痛みは感じなかった。ただ、自分の身体から嘘のように流れ出る血の海と、目の前に広がる少女の黒髪がやけに鮮明に目に焼きついた。
「ごめん……なさい……!!」
少女は自分の服に血が滲むのも構わずバズを強く抱きしめると、再び泣きそうな声でそう言った。次の瞬間、少女の周囲に幾羽もの白い鳥が出現し、少女とバズを中心にとてつもない嵐を巻き起こした。
それからの事はよく覚えていない。ただ意識が朦朧とする中で、馬車が壊れ、あちこちで悲鳴が上がった。
バズを撃った少女は、最後にバズに泣き顔でもう一度謝った。そして彼女は鳥の軍勢を引きつれて、何処かへ消えていった。
第十三章完。
いよいよ彼らの旅も佳境を迎えます。
最後までどうぞお付き合いください。
あ、物語はまだまだ続きます。




