第十三章 そして最果てへ(4)
ああ、またこの夢だ。
熱い、息苦しい。地獄の中をぬう生々しい夢。もう何度この夢を見続ければ気が済むのだろうか。
轟く銃声、硝煙の臭い、砂埃の味、血の色。もう幾度となく五感が感じたものだ。そしてアイリはまた、瓦礫の傍で蹲り、動けずにいた。
「……絶対に……助けてやるからな……!」
そしてまた、声が聴こえる。アイリの目の前に立つ男の声だ。
これも幾度となく見た光景だ。この後、男は目の前に立ちふさがる白帯を纏った少女と戦う。
そう、少女だ。髪の長い、宝石のような蒼い目をした少女と―――。
「くそっ!あいつが待ってるんだ!お前を助けたいって……!離せ……、離せ!!」
もがく度に手足を絡め捕られ、白い波の底に沈んでいく。男の背後に、きらりと光る刃が迫る。そして―――、
「―――――――!!!」
馬車に突貫で取り付けた狭い寝床の上で、アイリは飛び起きた。滝のように汗が流れ、心臓がバクバクと脈を打っている。
周りはまだ暗かった。外から巡回の兵士の囁き声が聴こえる。
「……どうしたの?アイリ?」
隣の布団からもごもごと声がした。
「大丈夫よ、母さん。ごめんなさい、起こしてしまって。」
「いいのよ。……まだ夜明け前だから、もう少し休みなさい……。」
カテラはまた眠りに身をゆだねてしまった。その穏やかな寝息とは対照的に、アイリは息苦しさを緩和するように吐息を漏らす。
また夢を見た。イアーナの屋敷に滞在し始めた夜から、毎日のように見続けている夢。戦場で動けないアイリと、アイリの前で死に至る男の夢。
これまでも、アイリはこの不気味な夢に辟易していた。この夢を見る時、アイリはいつもひどくうなされていた。起き上がると、いつも動悸がして、息が付けなくなった。
それでも夢は夢だと自覚する事が出来た。これは現実ではない、どんなに生々しい物であっても、実際に起こることなどあり得ないのだと、どこかで楽観していた。
だが、それは間違いであると思い知らされた。アイリは恐る恐る隣を見る。カテラとは反対側に、毛布に包まって眠る少女がいた。
小柄な体、長い黒髪、浅黒い肌。そして、宝石のような蒼い瞳―――。
初めて見た時すぐに分かった。レインは、アイリが見る悪夢の中の少女そのものだった。
夜が明けて馬車が動き出すと、アイリは馬車の小窓から外の様子を窺った。行進する兵士たちの行列の向こうに影が見える。アイリは最初、それを遺跡だと認識した。
「あれが、メテルリオンよ。」
同じく小窓から外を見つめていたカテラが遠い目をして呟いた。
「オルセン王家の聖地、始まりの場所、そして、戦火に焙られた廃墟の街―――。」
「……聖地?始まりの場所って?」
メテルリオンの事をよく知らないバズが尋ねた。
「メテルリオンは初代皇帝ヴァルハルムス一世の生誕の地とも言われているからよ。皇帝陛下は、当時の民族紛争から逃れ、西へと移動しながら仲間を集めたの。そして、現在の帝都トランベルに拠点を置いたといわれているわ。」
カテラの説明にバズやレインも、へぇと感嘆の声を上げた。
ここにはかつてヴァルハルムスを讃える聖堂があり、皇帝崇拝の巡礼地として観光名所にもなっていた。だが、近年は皇帝の権力も縮小し巡礼を行うものも大幅に減った。そして極め付けが十五年前のイシルとの戦闘だった。
近づいて来るメテルリオンの街並みは、もう街と呼べるものではなかった。地盤は大きく陥没し、あちらこちらに瓦礫が散乱している。それは廃墟というにふさわしかった。
「ついに、ここまで来たんだ。」
口に出すつもりではなかったが、無意識に言葉になってしまったようで、カテラも「そうね。」と感傷に浸っている様だった。
「それで、カテラさん。ペンダントに何か変化はありますか?」
メテルリオンの入口に差し掛かったところで、ヴェルナーが尋ねる。カテラは懐にしまっていたペンダントを取りだすと、慎重に確認した。
「……いいえ、まだ何も。そもそもペンダントを持って行けって。具体的にどこへ持っていけばいいのかしら?」
「街の内部に手がかりがあるかもしれません。進軍が止まったら隙を見て外に出てみましょう。」
一同は険しい顔で頷いた。次に、バズがレインに問いかける。
「レイン、お前はどうする?何か思い出せそうか?」
レインは力なく首を振った。何の変哲もない少女の動作であったが、アイリは夢の中の少女の姿を重ねてしまい、警戒心を解く事が出来ない。警戒心を解く事が出来ない故に、どうしても彼女に辛く当ってしまう。
「思い出せないのなら、あなたはここにいなさい。ふらふらされても迷惑よ。」
「アイリ……!そんな言い方ないだろ!」
「でも事実よ。私たちは兵に見つからないように動かなければいけないんだから。」
そしてまた、アイリとバズはいがみ合った。こんな事で仲たがいをしている場合ではないのはアイリもわかっている。でも怖いのだ。もしこのレインがあの夢の少女なら、もし本当にあんな事が起こったら―――。
すると横からヴェルナーが口を挟んだ。
「……まあ、確かにアイリの言う事は正しいな。」
「ヴェルナー!」
「見つかるリスクは極力避けるべきだ。あまり大人数で行動しない方がいい。……そこでだが、」
ヴェルナーはバズとレインの方を向くと、こう続けた。
「街の奥へ侵入するのは、俺とアイリとカテラさん。バズ、お前はレインと馬車で待機してろ。」
「へっ?」
「どちらにせよ、馬車を無人にしておくわけにはいかないだろ?荷物番ついでにレインが思い出すの待っててやれ。」
ヴェルナーはバズの肩を叩き目くばせした。バズはまだ不服そうではあったが、やがてコクリと頷いた。
程なくして馬車が停止した。アイリは外套を羽織ると、周りに人がいないのを見計らって、馬車を降りる。
「……気を付けて下さいね。」
馬車の奥から声がした。アイリは目を丸くする。レインは心配そうに、本当に心配そうに、アイリの身を案じていた。アイリはただ、頭を下げる事しか出来なかった。
心優しい少女だと思う。だからこそ余計に腹が立つ。少女ではなく、自分に。
「レインと何かあったか?」
「……何もないわ、何も。」
少なくとも今は、レインを疎む理由などありはしないのだ。
メテルリオンは廃墟の街だった。動物の気配がしない。銃火と軍靴に踏み荒らされた大地には雑草すら生えてこない。もう何十年も時が止まったままの様な、埃っぽい臭いが充満した空間だった。建物という建物は、そのほとんどが倒壊している。屋根が残っている物など数えるほどしかない。だが、内部に入ってみると、埃を被っていたり焼け焦げたりした家具や日用品が残っており、そこに人が住んでいた事を物語っていた。荒らされてめちゃくちゃになった内装を見て、アイリはため息をついた。破壊された屋根から太陽の光が差し込み、宙に舞う埃がチラチラと舞っていた。
「戦火にさらされただけじゃないわね。」
室内をよく見ると、金目の物が一切見当たらない。食べ物も壊滅的に腐っている物を除いて跡形も無く消えていた。
「野生の動物か、あるいは野盗が棲みついてたんだろうな。」
ヴェルナーはベッドのシーツだったものを引っぺがして呻いた。その下から、腐った肉と果物が隠されていた。おそらく、盗賊が食料に隠しておいたもので、当人たちは何らかの理由でここを放棄したのだろう。
「人がいた形跡がある割に、死体が一体も見当たらないけど、軍部が回収したのかしら?」
「多分そうね。戦闘が一時休戦になった後、オルセン軍が後始末に来てたから。」
カテラの言う事が本当だとすると、この街のめぼしい物はオルセン軍が回収してしまった可能性がある。
アイリたちは比較的状態のよさそうな建物を何件か調べたが、結局何の手がかりも見つけられなかった。気がつくと街の中心部付近にまで辿りついてしまったようだ。建物の向こうに、先端の尖った一際目立つ建物が目に入った。おそらく街の中央に位置している、皇帝崇拝の総本山である、グラエナ聖堂だ。ここは現在でも数人の教会関係者が時折訪れては、建物の管理をしているという。周りがこのような廃墟では訪れる者もいないだろうが。
「これ以上は進まない方がいいな。中心部は本隊の兵が待機してるはずだ。」
「そうね、あまり近づかない方がいいかも―――。」
言い終える前に、アイリは背後からおぞましいほどの殺気を感じた。とっさに振りかえると、後ろをついてきていたカテラの背後に近づく影が見えた。その手に握られているのは、銀に光るサーベルが―――、
「母さん!」
間一髪でカテラと影の間に割って入った。キンッとサーベルとサーベルがかち合う音が響く。黒の外套の奥にある二つの異なる色の瞳が、険しく細められたのが見えた。
アイリは相手の力を受け流ながら何度か切り結ぶと、カテラを庇いつつ距離を取った。
「このっ……、がっ!?」
アイリの相手に夢中になっていた男は、背後から忍び寄ったヴェルナーに背中を強蹴され、勢いよく前につんのめった。すかさず、男の腕を後ろ手に組ませて押さえつける。
「危なかったな。大丈夫か、二人とも。」
「うん、何とか……。」
アイリとカテラが頷くと、一同はヴェルナーが取り押さえた男を凝視する。ヴェルナーが男の外套のフードを取ると、そこからまだ若い男がこちらを鋭い目で睨んでいた。
茶色と金色のオッドアイに好戦的な顔立ち。盗賊の類かとも思われたが、外套からちらりと見える赤い軍服を見て、その正体を聞きだすまでも無かった。
「イシルの兵だな?」
ヴェルナーが確認すると、男は苛立たしげに睨み返した。憎悪の宿る二色の瞳が鋭く細められる。
「糞っ!隠れてこそこそ動いてるから盗賊かと思ったら、同業かよ。」
男は苦々しく悪態をついた。アイリは拘束され身動きの取れない男の元へ慎重に近づくと、その顔を覗きこむ。よく見ると、兵は重くは無いがあちこちに傷を負っていて、頬も薄汚れていた。
「あなた、イシルの敗残兵?」
「……ああ、そうだ。メリノでは世話になったな。」
「偵察?お仲間がこの近くに潜んでいるのかしら?」
「さあ、それはどうかな?」
肯定とも否定とも取れない含み笑いに、アイリは険しい顔をする。もし、イシルがこの街に潜んでいるというなら、迂闊に行動ができない。それどころか、街の中心部に待機しているオルセン兵にも危険が及ぶ事になる。
「メテルリオンの先遣調査ならすでに完了しているはず。本隊がそこまで踏み込んでいるという事は、イシルはこの街にはいないんだろ?」
「……。」
「黙っていても結構だが。オルセンがメテルリオンに入ったのを見て、動向を探りに来たか?」
度重なる質問にも、拘束された兵は答えようとしなかった。埒が明かないと判断したのか、ヴェルナーはあっさりと兵を解放する。ヴェルナーの思わぬ行動に、アイリは思わず声を上げた。だが、兵もすぐに逃げようとしなかった。彼自身も解放されるとは思っていなかったからだ。
「……何だよ、自由にしちまっていいのか?」
「俺たちは軍人だが正規の従軍兵じゃないからな。こっちも色々訳ありなんだ。」
「へぇ……。」
自由になった兵は、立ち上がると興味深そうにヴェルナーを見た。ヴェルナーは焦るでも怯えるでもなく、悠然とその視線を受け止めている。一方のアイリは気が気でなく、いつこの男が反撃を企ててもいいように、カテラを背に庇い剣の柄に手をかけていた。
しばし時が停滞する。ここは戦場で、戦争の真っただ中にある敵国の兵士との対面だ。普通なら穏便に済むはずが無い。だが、不思議な事にヴェルナーもイシルの兵も殺気を帯びていなかった。武器にも手をかける様子も無い。やがて男は息をついて、やれやれと肩をすくめた。
「非正規の軍人が何しにここに来たのかは知らないが、とっととここを離れた方がいいぞ。ここはもう間もなく惨状になる。」
「なんですって……。」
男の予言にアイリは血の気が引いた。背後に庇うようにしていたカテラと目を合わせる。
「イシルが奇襲でも仕掛けるってのか?」
「……まあその通りなんだが、そんな生半可なもんじゃない。それは―――」
その時、辺り一帯に轟音が轟いた。思わず悲鳴を上げて、音の先を探る。
それほど遠くない平地から放たれた砲撃の音色。街の外からだ。街の中心地から慌ただしい叫び声が聞こえ始める。
「おいおい、予定と違うじゃねぇか……。オルセンはまだ街の外へ動いちゃいねぇだろ。」
「……まさか、オルセン軍が街を出た瞬間に一網打尽にするとか、そういう腹か?」
ヴェルナーが睨むと、男は口が滑ったとでもいう様に目を反らした。
「ちょっとヴェルナー!悠長に構えてないで、一旦馬車に戻りましょう。イシルが奇襲を仕掛けてきたなら、兵站部隊にも襲撃してくるかも。」
目の前で苦い顔をしているイシル兵はこの際さておいて、中心部のオルセン兵が動き出したのなら、アイリたちの身も危ない。
「ああ。」
ヴェルナーが歯切れの悪い返答をした瞬間、第二破の衝撃がアイリたちを襲った。
それはメテルリオンの入口、アイリたちの馬車が停まっている方で、銃声の響く中心部とは正反対の方角だった。
「今度はなんだよ!?」
目も眩むほどの突風がアイリたちのいる通りを駆け抜ける。砂埃が引き寄せられるように舞いあがるのを目で追うと、その先に巨大な竜巻が姿を現した。
「おいおい、まさかあいつじゃねぇだろうな!?」
「あなた、あれが何か知ってるの!?」
イシル兵の叫びにアイリは風に負けないよう大声で尋ねた。イシル兵は辟易して舌打ちをすると、一目散に逃げ出した。
「あ、ちょっと!待ちなさいよ!」
「俺はこんなところで死ぬのはごめんだね!お前らも悪い事言わんから早く逃げろよ。」
忠告だけ残し、恐るべき速さでその場を後にしたイシル兵。追討する事も叶わず、後にはアイリたちだけが残された。だが、アイリたちも呆けている場合ではない。竜巻は徐々に速度を上げ、こちらへと接近していた。
「やばいな……。」
前方には竜巻、後方では銃撃戦。行く手を塞がれてしまった。建物の中に避難するのが最善だが、この規模の竜巻では朽ちた建物が耐えられる保証が無い。
「外にいるよりはましでしょ、とにかく中に―――!?」
アイリがカテラを連れて近くの建物に逃げ込もうとした時、突然竜巻が意思ある生物の如く不自然に向きを変えた。通りをわずかに逸れるかと思われた竜巻は、何かに引き寄せられるように、アイリたちの居る方向に修正したのだ。
「……っ!?二人とも入れ!早く!」
ヴェルナーに急かされて、アイリはカテラを引っ張り近くの建物に飛び込む。ヴェルナーもその後ろに続いたが、寸前でかしましい音と共に入口が崩れた。竜巻で巻きあがった瓦礫が入口を塞いでしまった。
―――ヴェルナーは!?
近くに長身の姿が見えない。反射的に体を起こし、外に出ようとするのをカテラが引きとめた。
「アイリ!よしなさい!」
「でも母さん!あいつが……!」
瓦礫に塞がれた扉に手をかけようとした瞬間、更なる突風がガタガタと建物を揺らした。かろうじて残っていた窓ガラスに新しいひびが入る。恐ろしい風力が建物全体を吹き飛ばそうとした時、ふいに風がやんだ。
何が起こったのだろうか、ヴェルナーは無事だろうか。アイリは恐る恐る窓の外の通りを覗きこんだ。そこに立っていたのは―――。




