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第十三章 そして最果てへ(3)

 日が落ちて、今日最後の物資支給を終えた後、兵站部隊は小川で野営をする事になった。ここは随分と見晴らしの良い平原だった。バズは、平原の中央で円陣を組んで野営をしているオルセン本隊をぼんやりと眺めながら、その先を見つめる。耳に入った噂によると、メテルリオンまでにはあと二日程かかるらしい。

 遠いグリアモの地から旅を続けてもうすぐ一カ月が経とうとしていた。様々な出会いに予期せぬ開戦、怒れる事も怯える事もあった。でもその旅はもうすぐ終わりを迎える。最果ての地メテルリオン、そしてその向こうに控えるのは、イシル―――。

 この先に何が待ち構えているのか、バズは知りたい様な知りたくない様な、そんな葛藤を抱えていた。


(駄目だな、まだ俺は弱い。)


 いつまでもこのままではバルドや『バルドグロック』の仲間たちに顔向けが出来ない。もっと強くなりたい。


『―――このままでいいのか?』


 不意に男の言葉がよみがえった。闇の底からバズを引き上げてくれたパヴコヴィックの声が。


「……いいわけないだろ。」

「何がよくないの?」


 返事が返ってきた事に驚いて振り返ると、そこに少女が立っていた。


「レイン、おい、出歩いたらダメだろ。」

「大丈夫よ。暗いからすぐには見つからないし。」


 そして、そのままバズの隣に腰を下ろしてしまった。しばらく、レインは無言で遠くに見える野営の火を見つめていた。暗闇の中で、わずかな光を受けたレインの蒼の瞳がきらきらと輝いた。その瞳がなんだか泣いている様に見えて、バズは落ち着かなくなる。


「……ごめんなさい。」

 

 ぽつりと零れたレインの言葉に、バズは目を見開く。


「バズたちは大事な用事があってここに来たんでしょ?それなのに私が邪魔しちゃったみたいで……、アイリさんも怒ってるよね。」

「……アイリは怒ってるわけじゃないと思う。いい奴だし。」


 出会ったばかりならそうは思わなかった。でも、今はアイリも立派な仲間だ。真意は分からなくとも断言できる。信じられる。


「レイン……。ゼノでの事、聞いてもいいかな?」


 レインははっとこちらを向いた。レインが目覚めてから、バズが切りだそうとして切り出せなかった事だ。ゼノの暴漢に襲われて、バズは意識を手放し、レインは姿を消した。バズを襲った連中はおそらく死んだ。レインがいなくなった後も、あの時の事が胸のつっかえになって湧きあがってくる事があった。


「心配したんだ。あんな別れ方をした後だったから、お前が無事なのかもわからなかったし。」

「うん……、ごめんなさい。」


 聞きたいのは謝罪ではない。それでも、追及することなくバズは待った。やがて、レインは重い口を開いて話し始める。


「覚えてないの……。」

「……?どういう事だ?」

「バズが襲われた時、バズを助けてって無我夢中で思った。そうしたら頭の中が真っ白になって、それからの事全く覚えていないの。何故か頭がぼうっとして、何をしていたかも思いだせない。でも、私があそこで何をしでかしたのか、わかってるわ。」


 レインの大きな瞳が、誤魔化さないで欲しいと懇願するようにこちらを向いた。


「私、あの人たちを殺したんでしょう?」


 バズは頷く事も首を振る事も出来ぬまま固まった。あの時連中を葬ったのは間違いなくレインだ。だが、それを当人に肯定させることは酷だ。何も言えぬまま口ごもっていると、レインはまた苦しそうに吐露する。


「私あれが初めてではないの。……前に、どうして故郷を追い出されたかって訊いたわよね?」

「……ああ。」

「私、幼い頃自分の生まれ育った村で、同い年の子に意地悪された事があったの。私は両親を早くに亡くして、親戚の家に預けられていたんだけど、上手くいってなくていつも塞ぎこんでいたから。きっと根暗でつまらない子だと思われていたんでしょうね。

 でもそれは本当に他愛の無い子供のする事だったわ。ただ、一度母にもらった大切な人形を取られた事があって、返して、返してって何度も言ったわ。それでもその子は返してくれなかった。そうしたらね、急に自分の中で熱い何かが湧きでてきて、そこから先の事何も覚えていないの。そしてね、気が付いたら私―――」


 レインは両腕で自分の肩を抱きしめた。がくがくと震える肩を抑え込むように。


「周りの子たちが皆血まみれで倒れてた。子供たちだけじゃない、その周りにあった家の人たちも家ごと全て、ズタズタに切り裂かれてた……。竜巻が起こったみたいに、私だけを残して、皆死んでしまった……!

 村の人たちは私を責めた。『お前がうちの子を殺したんだろ』『お前は化け物だ』って。親戚の伯父さんも伯母さんも私を庇ってはくれなかった。

 ……私は村で罰を受けるか、村を出ていくか選びなさいと言われた。それで私は村を出ていく方を選んだの。」


 バズは言葉が出ぬまま、レインの過去を聞いていた。レインの過去は断じて甘いものではない。凄惨で苦く、思い出すのも辛いだろう事なのに、当のレインの顔は決して悲観にくれたものではなかった。己の選んだ道を後悔と懺悔と共に進んでいくと決めた、惚れ惚れするほど強い女の顔だった。


「だからゼノでの事、隠さなくてもいいよ。私、受け入れる覚悟は出来てるから。」


 レインはにこやかに笑おうとするが、その揺るぎない意思を宿すはず瞳が、今日この一瞬だけ、揺らいだ。


「でも、ごめんなさい。メテルリオンを目指してる理由はわからないの。言えないんじゃなくて、わからない。ゼノでの事があった後、しばらく記憶が無かったの。気が付いたら私、誰もいない平原にいた。どうやってそこまで行ったのかもわからない。ただ、一つだけ覚えている事があった。……メテルリオンに行く。それだけしか、私が思い出せる事は無かった。」


 レインは昼間見せていた無邪気な笑顔が嘘のように、思い詰めた顔でこちらを見た。その目には珠の涙が浮かんでいた。


「わからないの……!でもどうしても、どうしてもメテルリオンに行かなきゃって……!ごめんなさい……、説明できなくて……ごめんなさい。」


 先ほどとは打って変わって、泣き崩れる少女を前に、バズは思いもよらない程当惑していた。


 記憶の欠落、自分の事が自分でもわからない。人を殺めたという事実を受け入れる事が出来ても、その自覚が無いという恐怖が少女を苛んでいた。

 バズにはその恐怖がわからない。ただひどく安心した。不安を抱えていたのは自分だけではない事、あの時経験した出来事が幻ではない事、もう一度彼女と共有できる事。それが何より嬉しかった、愛おしく思った。

 無意識にバズは少女の身体を強く抱きしめていた。温かな感触が、夢ではないのだとはっきり告げている。


「約束するよ。レインは俺が命をかけても守る。だから、メテルリオンヘ行こう、一緒に。」


 レインの身体がびくりと震えた。そして、小さな嗚咽と共に涙がバズの肩を濡らした。

 強くなろう。今はせめて、この少女を守れるように。それだけで構わないから。

 小さな体を抱いて、バズは平原の夜空に誓った。


 ◆

「やるねぇ、この色男。」


 泣きやんだレインが馬車に戻った後、入れ違いでヴェルナーがにやにや笑いながらやってきた。


「み、見てたのか……?」


 冷や汗を一筋垂らして、ヴェルナーを凝視すると、ヴェルナーは返事をする代わりに口笛を吹いて目を細めた。気恥ずかしさに目をそらそうとすると、眼前に小瓶が差し出された。


「ほれ、飲め飲め。」

「……これって、配給の酒じゃん。ばれたらまずいんじゃ……。」

「俺らだって従軍兵だろ。ほれ乾杯。」


 ヴェルナーはバズに無理やり酒瓶を持たせ、自分の酒瓶を打ち鳴らした。そして、瓶に口を付けて一気にあおる。

 バズも渋々、コルクを抜いて一口飲んだものの、思いのほか上等な蒸留酒の味に後ろめたさなどあっという間に吹っ飛んでしまった。


「そういえば、お前と酒飲むのも久しぶりだな。グリアモにいた頃は毎日のように酒盛りしてたのに。」


 しみじみとするヴェルナーに、そうだったっけ、と素っ気なく返答した。だが、そう言われれば、この旅が始まってから酒を飲むどころか、ヴェルナーと碌に語り合う時間も無かった気がする。


「でも良かったよ。お前最近憑き物憑いてるみたいに暗かったから、……ちょっとはましになったな。」

「そんなに暗かったのかよ、俺。」

「まあ、これで彼女の事までないがしろにしてたら、ぶん殴ってやるところだったけどな。」

「もう殴るのは勘弁してくれよ……。」


 力ないバズに、ヴェルナーは心底嬉しそうに笑った。なんだかんだで、心配してくれていた事に感謝する。


「そういえば、ヴェルナーも変な時期あったよな。」


 お返しとばかりにバズが意地悪く言うと、ヴェルナーは苦い顔で笑った。


「……いつの話だよ?」

「ゼノで俺がレインと別れた後。それから戦争始まって、シュトラウツァを出た辺り?」

「あの時はお前もへこんでたじゃねーか!」


 バシッと背中を叩かれてせき込んだ。やり返してやろうかとも思ったが、ふと気づいてやめる。


 ―――『お前も』って事はやっぱり何かあったんだな。


 あの時ヴェルナーは何事も無いように取り繕っていたが、やはりどこか様子がおかしかった気がする。長年の付き合いからか、男同士に通ずる勘なのか。でもバズはバズで人の事を気にしている余裕も無く、ゆっくり話しこむ事も無いまま、ヴェルナーはふっきれた。

 それはメリノについてからしばらく経った頃、そして完全に元に戻ったのはメリノでの戦いがあった後のことだった。


「でも、俺は旅ができてよかったと思ってるよ。グリアモで言っただろ、世界を見る事が俺やお前のためにもなるって。」

「そうだったな……。」

「そりゃ、知りたい事も知りたくない事も沢山あったけど、おかげでやりたい事もできた。」

「やりたい事?」


 バズが頭に疑問符を浮かべると、ヴェルナーは酒を一気に飲み干した。


「そう、今後の目標。」

「目標って何だ?」

「……秘密だ。」


 ヴェルナーは得意げににやりと笑った。それは今まで見た事の無い、不安も焦燥も一切が取り払われた様なさっぱりとした笑みだった。思えばヴェルナーは恩師を探すために軍人になったのであったか。それが彼の指針であり原動力であると、でも、今は違うのだろうか。

 なんとなく、そんな気がする。ヴェルナーは新しい意思を見つけたのだと感じる。それは友として嬉しい物の様で、一人置いていかれる様な焦燥を孕む物の様だった。バズの心境など露知らず、ヴェルナーは新たな希望に目を輝かせていた。バズは何故か彼を直視できなかった。



 それからしばらく他愛の無い事をと話した。グリアモの事、旅が始まってからの思い出。話していなかった事を沢山話した。ヴェルナーと酒を飲んで語り合うのは純粋に楽しい。ヴェルナーには素っ気なく返答したが、こうして話をするのは何年ぶりかの様な気持だった。


 だが、愉しさもつかの間の事、話題は自然と夕闇の向こうにあるメテルリオンになってしまう。


「メテルリオンで戦いになるのかな。」

「さあな、少なくともオルセンはやる気だ。イシルの方はどうか知らねえけど。」


 バズはこの先で起こりうるかもしれない戦闘を想像して黙り込んでしまった。飛び交う銃弾、硝煙を巻き上げる大砲、倒れる兵、考えるだけで背筋が凍る。


「まだ戦争が怖いか?」

「……。」


 バズは答えられなかった。だが、バズの心境を察したのかヴェルナーはわざと明るい声で続ける。


「まあ、イシルは切り札を一つ失ったんだ。よほど好戦的な奴が指揮官じゃない限り、一旦後退して体勢を立て直すと思うがな。」

「……そんなのわからないだろ?確かにオーリクはイシルにとって重要かもしれないけど、イシルの強さはそれだけじゃない。」

「確かに屈強な民族だって聞いてるが、俺も詳しく知らな―――」


 ヴェルナーの言葉が不自然に途切れた。俯いて空になった酒瓶を玩んでいたバズは、不意に顔を上げる。

 見上げた先には驚愕するヴェルナーが、信じられないという顔でバズを凝視していた。ただならぬ様子に、けだるげになっていたバズも仰天して慌てふためく。


「え、な、なんだよ?」

「……お前、どうして―――」


 よく見ると、ヴェルナーは顔から暗がりでもわかるほど顔を青ざめさせており、唇もわなわなと震えていた。その様子は明らかに異常だった。

 バズが何かおかしなことを言ったのだろうか。考え込んでいると、ヴェルナーが短く息をついて、脱力した。


「……なんでもない。俺もう馬車に戻るわ。」

「ちょっと待てよ、なんだったんだよ!」

「なんでもない、忘れてくれ。」


 そして逃げるようにヴェルナーはその場を去った。状況が理解できぬまま、バズは一人星空の下に取り残された。

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