第十二章 メリノ攻防戦(3)
【数分前 イシル司令部隊】
「騎兵第二部隊を側面の茂みに回せ。オーリクを奪還する。」
劣勢に立たされたエルノーの道はもはや一つしかない。前衛にこれほどの被害が出てはもはや撤退もやむ負えまい。だが、どうしても避けなければいけない事が一つある。
オーリクがオルセンの手に落ちる事。
もし、オーリクがオルセンの手に渡れば、イシルは最大の切り札を失うどころか、逆にオルセンの戦力を増強させる結果にもなりかねない。最悪の展開だ。それだけはどんな犠牲を払ってでも回避しなければならない。
「騎兵部隊は側面からオーリクに群がっている歩兵を強襲しろ。全て倒す必要は無い、散らすだけでいい。歩兵が下がった瞬間を狙って、お前らがオーリクに搭乗しオーリクを引け。」
エルノーは隣に控えていた若い兵たちを見た。オーリク操作の予備隊だ。
「隊長。オーリクを奪還するなら、そのまま陣地に突っ込んでしまえば―――」
「馬鹿者!そんなことできるか!」
そもそも、オルセンの奇襲が何故敗戦の原因になったのか。それはオーリクの改進を止められた事だけではない。最初の一斉射撃で、歩兵部隊の三割以上が戦闘不能になった事が何よりの痛手なのだ。
オーリクは現段階で最強の兵器だ。だが、最強の兵器だけでは勝てない。統率された人間の集団による強力な一打。それこそがこの時代の戦争で必要なものだ。
「いいか!オーリクだけでは我々は勝てない。だがオーリクが無ければ我々は敗北する。だから奪い返せ、死んでも奪い返せ!」
激昂と共に、兵たちが動き出す。
もし、このエルノーの執念を理解できる人間がオルセン側にいなければ、イシルはオーリク奪取に成功し、戦争に負けても、勝負には勝ったと喜んだろう。
もし、オルセン側にハッカライネンがいなければ、エルノーがオーリクを奪取するために特攻を仕掛ける事を見越してオルセンの歩兵を引かせることも無く、兵たちは騎兵に強襲され、オルセンは甚大な被害を被っただろう。
もし、もう一人、今日飛び入りで戦場に紛れこみ、初めて前線を指揮した名もなき将校がいなければ、イシルの騎兵は茂みから飛び出した瞬間、絶妙なタイミングで放たれた砲撃に全滅することなく、奇襲は成功しただろう。
目と耳を疑った。エルノーの目の前で、完全に虚を突いたはずの騎兵の部隊に六発の砲弾が降り注ぎ、爆散した。
それは、戦闘中盤一発も撃ってこなかった、城壁上部敵左翼の砲撃だった。
【オルセン司令部】
目と耳を疑った。ドメルトは突然左方の茂みから現れた騎兵が、姿を見せた瞬間に砲撃を浴びたのを確かに見た。
隣にいたハッカライネンと目を合わせる。彼も自分と同じ顔をしていた。このハッカライネンでさえ、襲歩で特攻する騎兵を止める事は不可能と判断し、歩兵を引かせたのだ。あの兵器を奪い返されるのは不本意だが、それがイシルの落とし所であれば止む負えまいと。
「今撃ったのは左だな?あそこの指揮官は誰だ?」
「確かうちの隊の中佐や。ベテランで頼りになるのは確かやけど……。」
ハッカライネンも戸惑ったように、口をパクパクと動かしていた。ドメルトは懐から遠視鏡を取りだすと、城壁の左方を見やる。そこに映ったのは若い兵士ばかりで、老年の兵の姿などどこにもない。ただ、一つ奇妙なものを見つけた。
「あいつは……!?」
兵たちの中心にいる人物、銀髪の長身の男。自分の隊員でもハッカライネンの隊員でも無いはずの謎の男に、ドメルトは見覚えがあった。
【オルセン軍左翼 城壁上】
「あ、当たった……?」
大砲を撃った兵が信じられないという声で呟いた。
『指示した通りの方向と射角で、指示したタイミングで撃て』
ヴェルナーはそうとしか言わなかった。だが、彼らの弾頭は的確に左から湧き出てきた敵騎兵を撃ちとった。本来単発の大砲が騎兵を、しかも全力疾走の馬を狙う事など不可能だ。今、間違いなく敵騎兵を迎撃した。襲い来る敵に容赦の無いカウンターを食らわせた。
自分たちが何を成し遂げたのかを理解するのに、兵たちは数秒を要した。そして、一斉に歓喜の声が轟いた。
イシルの敵兵は今度こそ撤退していく。バラバラに散開し、戦意を失くして消えていく。オルセンの塹壕の前には、彼らが奪還できなかったあの兵器が取り残されている。ヴェルナーはそれを遠視鏡で眺めながら、ほっと息をついた。
―――勝った。オルセン軍の完全勝利だ。
ふっと笑みがこぼれた時、ヴェルナーの周りにわっと人だかりが出来た。それは頬を紅潮させ興奮冷めやらぬ兵士たちだった。
「ありがとうございます!あなたのおかげです!」
「あなたがいなかったら、俺たちは何もできなかった…!ありがとう…ございました!」
四方八方から謝礼の言葉が飛んできた。手を掴まれてブンブンと振られるが、その腕の主の姿は他の兵で見えない。ヴェルナーはそれを成すがままに受け止めた。
「あの、あなたは将校殿とお見受けしましたが、お名前は何とおっしゃるのですか?」
「えっ、いや、俺は―――。」
名を口走りかけた瞬間、後方で低いうめき声が聞こえた。見ると、気を失っていた本来の指揮官が意識を取り戻そうとしていた。
(まずい…!)
若い兵はともかく、この老兵にいいわけなど通じないだろう。ヴェルナーは兵の囲いから無理やり抜け出すと、急いで城壁に足をかけた。
「あ!あの待って下さい!」
「悪い、じゃあな。出来たら俺の事は内緒にしておいてくれ!」
捨て台詞だけ遺して、ヴェルナーは城壁を飛び降りた。地面に柔らかく着地すると、一目散に逃げ出した。
城壁の下でも、勝利を喜ぶ兵たちの声がそこらじゅうでなっていた。そして、自分が何を成したかをヴェルナーは唐突に実感した。
急いで逃げていたはずなのに、気づくと足は止まり、全身ががくがくと震えだした。怖いのではない、緊張が解けたわけでもない。
ヴェルナーは感激にうち震えていた。今日初めて、軍人として何かを達成した。部下に頼られ、命を下し、結果を出した。
―――サイフォス、やっとわかったよ。俺がここに在るべき意味が。
軍人とは何か、士官とは何か、上に立つ者とは、人を使う立場とは―――。軍人になったのはサイフォスを探すため。地位や名声を得たいわけでも、人の上に立ちたいわけでもない。たとえヴェルナーがそう思っていても、自分と、仲間と、市民と、そして敵の命を背負わなくてはならない。
シュトラウツァでノルキースに叱咤された事。ヴェルナーが心のどこかで考えるのを放棄していた事。
ヴェルナーは理解した。自分が何をすべきなのか、何が出来るのか、何がしたいのか―――。
この日、ヴェルナーの中に初めて、その明確な答えが浮かび始めた。
街の歓声は、いつまでもいつまでも心の中に響いていた。
◆
イシルの追撃令が下されたのは、戦いから一夜明けた後、出発はその次の明朝であった。まだ塹壕の断片は残っているものの、死体の処理や瓦礫の撤去を終えたメリノの東部門に一万を超える兵が集結していた。その様は圧巻で、メリノの街に残っていたわずかな住人も彼らの出立を一目見に顔を出していた。
その参列の後方に、ヴェルナーたちが紛れこむ馬車が止まっていた。オルド商私有の兵站の荷馬車の一つだった。
「カインツァベルにはもう別れを言ってきたのか?」
馬車に乗り込もうとしていたヴェルナーに声をかけてきたのは、所有者であるオルドだった。ヴェルナーは羽織っていた外套から顔をのぞかせると、相変わらず能面の様な男を見やった。
「ええ、昨晩。今朝は早いので声をかけず出てきました。」
「そうか……、あいつ寂しがっていただろう。」
「まあ……結構。」
ヴェルナーは、昨晩明朝ここを絶つ事を聞いた時のカインの顔を思い出して破顔した。寂しいけど、それを押し殺して涙を堪えていた、そんな顔を。
正直、自分にそんな顔をしてくれる人が出来た事が嬉しかった。またいつかここに戻ってきたい、次に会った時カインがどれほど強くなっているのか見てみたい。
「イアーナとカインの事よろしくお願いします。」
「無論、お前に言われずともわかっている。」
そのぶっきらぼうな物言いが、何故かひどく安心できた。
出発までまだ少し時間がある。オルドは兵の凱旋を一目見に集まってきた市民たちを眺めながらぽつりと呟いた。
「……オーリクを奪った事が吉と出るか、凶と出るか。」
「オーリク?」
ヴェルナーが首を傾げると、オルドは意外そうに細い目を開いた。
「そうか……、オルセンの兵はあの兵器の名を知らんのか。オーリクは今回イシルが主力として使用した新型兵器の名だ。オーリクとはイシル族で古来より崇拝されている戦神の名前だそうだ。」
「あの兵器、そんな名前だったのか……。」
奪うだけ奪っておいて、あの巨大な兵器の事を全く知らなかった。
「よく御存じですね?」
「私は武器商だからな。敵国の兵器にも熟知しているのは当然だ。」
「そういうもんですか……。吉と出るか凶と出るか、というのは?」
オルドの無表情にわずかに苦渋が滲んだ。真意の計りきれない表情は、徒にヴェルナーの不安を煽る。
「オーリクを手に出来た事は、オルセンにとって功労であり、イシルにとって痛手だ。……だが、今回あの男はあえてオーリクをイシルの手に返そうとしたのではないかと私は思っている。」
「あの男?誰の事です?」
オルドがヴェルナーの質問の答えを述べようとしたその時、背後から金属を踏みしめる、軍靴特有の足音が近づいて来た。―――兵士だ。
「中に入れ、早く!」
オルドが、ヴェルナーを無理やり馬車に押し込めた。その時、ヴェルナーにしか聞こえない微かな声で彼の最後の忠告を受け取った。
「あいてっ!」
「わっ!びっくりした。」
いきなり馬車に乗り込んだヴェルナーに、すでに馬車で一息ついていたアイリ、バズ、カテラの三人が目を丸くした。何事かと尋ねようとした三人だったが、馬車のすぐ傍で何やら不穏な会話が聴こえて来たので、皆一斉に口を噤んだ。
『これはオルド殿、会うのは久しぶりやな。』
『お久しぶりです。ハッカライネン殿。連隊長殿がこんな後方に何用ですかな?』
『いや、なんや、今回の従軍にオルド殿がわざわざ出資してくれる言いはるから、お礼を言いになあ。』
『それは光栄です。ですが私はオルセンの武器商として務めを果たしているまでの事。』
『……相変わらず詭弁がうまいな。金さえ積まれれば、敵国とも商売する男のくせに。……何を企んでるんや?こん中、ほんまに兵站物資か?』
ヴェルナーたちは息を殺していた。剣呑な雰囲気が、馬車の中にまで吹き込んでくるようだ。
『……あなたこそ、随分頭の回る策略家のようですが、あまり入れ込みすぎると自分の首を絞める事にもなりかねませんよ?それと、この馬車は我々オルド商の人間しか開封出来ない規約である事をお忘れなきよう。心配せずとも物資と管理係の従業員しかおりませんよ。……おい、もう準備は整ったんだろう?馬車を出せ。』
直後、ヴェルナーたちの馬車がゆっくりと動き出した。車輪が石垣を擦る音に耳を覆われ、二人の男の会話は徐々に遠ざかる。
「……やばかった、もし中覗き込まれてたら俺たち終わってた……。」
「あんたはともかく、私とヴェルナーは顔見られたら一発でアウトだわ……。」
「ほんとに……、オルドさんには感謝しなくてはならないわね。」
三人が冷や汗をかいて安堵している中、ヴェルナーは眉間にしわを寄せ、オルドの忠告を思い出した。
『―――気を付けろ。』
果たしてそれがオルドの杞憂なのか、それは定かではない。
『ハッカライネンには、気を付けろ。』
第十二章完。
自分は少々軍事史に興味があるだけの素人ですが、戦略や心理描写を描く楽しさを味わう一方で難しさに悶絶していました。まだまだ課題は多いですね、精進します。
次回は、いよいよ目的地メテルリオンヘ。




