第十二章 メリノ攻防戦(2)
【同時刻 メリノ東】
「なんだこれ…!!」
建物の屋上から戦場の光景を目の当たりにしたヴェルナーは、思わず息をのんだ。
目の前に広がるのは、地面一帯に広がる塹壕、そしてそこを駆け回るオルセン兵たち。彼らに翻弄される赤い服のイシル兵。
そして激戦の中心にあるのは、大砲に似た巨大な兵器。その兵器の上にはぐったりとしたイシル兵が全身血だらけで横たわっている。鮮やかな赤色の軍服が、どす黒い血の色に染まっているのが鮮明に見えた。
彼らだけではない。歩兵同士の撃ちあいが始まり、あちらこちらで血にまみれた死体が転がっている。イシル兵もオルセン兵も同等に、人形のように転がっていた。
ヴェルナーは反射的に目をそらそうとして踏みとどまった。
自分は軍人だ。戦に目を背けてどうする―――?
初めて見る、本当の戦場。グリアモで日夜繰り広げられていた、他愛のない喧嘩とはまるで違う。大きなうねりと躍動が空間を支配し、そこにいる生き物を容赦なく生死の境へ叩き込む。
―――これが、戦争なのだ。
気が付けば瞬きすることも忘れていた。目が涙を欲しちりちりと痛み、ヴェルナーは慌てて我に返る。そんなヴェルナーの耳に轟音が響いた。音の方に目を向ける。城壁の上から白煙が立ち上っていた。
「大砲だ……。」
かつてヴェルナーが軍学校にいたころ、毎日のように触れていた大砲。あれと同じものが今、本当の戦場で使われている。敵兵を殺している。
だが、妙なことに白煙は右翼の城壁からしか上がっていなかった。左翼の大砲は先ほどから一発も発射されていない。
戦場では敵の後発歩兵部隊を砲弾が圧し返していた。ただし右翼(敵側から見れば左翼)のみだ。このままでは、もう片側の無傷の部隊が側面から回り込まれる。
「何をしてるんだ……?早く撃たねぇと……。」
部外者であるはずのヴェルナーですら、焦燥で汗がにじんだ。だが、待てども待てども、左翼から大砲が発射される気配が無い。司令官はこの異変に気づいていないのか。
最悪の事態が想起されたその時、ヴェルナーの中に一つの選択肢が生まれた。
―――砲兵部隊の元へ行って、現状を確認する。
それは危険を伴う賭けだ。しかし、もし左翼の砲兵部隊に何かの異常事態が発生していたら、それが元で戦況を覆される事になったら―――
『君が勝利に導けばいい。』
ふと脳裏に浮かんだのは、数日前に言葉を交わしたマーク=オルドの言葉だった。
自分に何が出来るかわからない。行ったところで無駄かもしれない。でも―――
ヴェルナーは意を決し屋根を降りた。そして左翼の城壁へとまっすぐに進んでいく。
城壁に近づくにつれ、銃声と怒号が大きくなっていく。傍を血だらけになった仲間を運ぶ兵が通った。
熱い。心臓がこれ以上ないほどに脈を打っている。自身の鼓動にせっつかされる様に、ヴェルナーは一心不乱に走り続けた。
ヴェルナーを不審に思う兵はいなかった。誰もが皆、自分の事で精一杯だったからだ。その事に安堵した。とりあえずは、指名手配犯としてヴェルナーを追随する者はいない。
城壁の真下にくると、地面は破壊された城壁の瓦礫で埋め尽くされていた。壁の向こうは土煙でほとんど見えないが、けたたましいほどの銃声が断続的に響いている。
瓦礫の合間をぬってさらに近づくと、壁の側面に上部へあがる階段が見えた。ここを昇れば上に上がれる。
ヴェルナーは一段飛ばしで階段を駆け上がった。螺旋の階段は永遠の続くかと思うほど長い。途中瓦礫が散乱している箇所もあったが、這い上がって何とか切り抜けた。
最上階へ辿りつき、ヴェルナーは思い切ってその扉を開けた。
最初に目に入ったのは、城壁の外へ向けられた六つの砲門、そしてそれを取り囲む青い顔をした砲兵たち。謎の来訪者が扉を開けたとたん、彼らは一斉にこちらを見た。
「……?あんた誰だ?救援か!?」
兵たちは一瞬の間呆けていたが、一番近くにいた若い兵が我に帰ると、ヴェルナーにすがりついて来た。突然の事にヴェルナーは戸惑う。
「お、おい!一体どう―――」
「指揮官が瓦礫で頭をやられたんだ!俺たちどうしたらいいかわかんねぇよ!?」
兵は泣き叫びヴェルナーに訴える。それを皮切りに残りの兵士たちも、泣きそうな目でヴェルナーを見つめていた。よく見ると、彼らは全員軍支給の軍服ではない若い兵ばかりであった。おそらく、メリノの義兵だ。
ヴェルナーは辺りを見回す。すると、隅に頭から血を流してぐったりとしている老年の将校の姿を発見した。二人の兵がその将校につき添っていたが、どうしていいかわからず、手をこまねいている。ヴェルナーは彼らに近づくと、ピクリとも動かない将校の首に手を当てた。微かだが鼓動が感じられる。
「……大丈夫だ、息はある。ただの脳震盪だ。」
すると、周りの兵たちも安堵の声を洩らした。
と、ヴェルナーは慌てて当初の目的を思い出した。
「そうじゃない!お前ら、なんで大砲撃たねぇんだ!?このままだと、左翼から後方部隊が突っ込んでくるぞ!」
案の定、がらんどうになった左翼の方に、敵勢力が集まり始めている。このまま突撃されれば、危険なのは下方にいるオルセンの歩兵部隊たちなのだ。
「でも……、俺たち、この人が倒れちまってすっかり気が動転してたし……。」
「俺たち今日が初陣で……、実戦経験なんて無いから…、どうしていいかわかんなくて…。」
「だいたい、俺たち正規の軍人じゃないもんなぁ、急に戦えなんて言われてもわかんねぇよ。」
若い兵は口々に弱音を吐露していく。一人が呟く度に周りの兵も「そうだよな。」と呑気に首肯する有様だった。
その瞬間、ヴェルナーの中で何かがぷつりと音をたてて切れた。様子を見に来ただけ、という事もすっかり忘れ、顔面に血を滾らせて大声で怒鳴る。
「馬鹿野郎が!!お前らそれでも兵士か!ここはお前らの持ち場だろうが!命令を待つな!お前らで判断してお前らで動け!!」
今彼らの目には、大変に鬼の形相をした自分が映っているのだろう。兵たちは、小さく悲鳴を上げて、先ほど以上に顔を青くしていた。
「でも…、俺たち……」
「でもも糞もあるか!義勇兵だか何だかしらねぇが、戦場にたった以上同じ兵士だろうが!」
「ひっ……!」
「いいから撃て!敵の足を止めろ!仲間死なせてぇのか!!」
兵たちが全員敬礼したのはほぼ無意識だったに違いない。突然現れた鬼の様な男に叱咤された若い兵たちは、すぐさま砲撃の準備に取り掛かった。
「左翼後方に敵後発部隊が集まってる。そこを狙え。」
「あの…、うまく当てられるか……。」
「当てなくていい!狙われていると思わせればそれでいいんだ!点火準備!」
ヴェルナーの合図と共に、五台の砲門が前方に焦点を合わせた。空気がじれる。沈黙が肌を焼く。兵たちの目が一斉にこちらを向いた。
「……なんだ?」
「う、撃っていいんでしょうか…?」
不安げな瞳がじっとヴェルナーを見つめる。命令を待つなとは言ったが、やはり彼らを束ねる軸は必要だ。それが軍隊というものなのだ。今や、ヴェルナーは兵たちの新たな司令塔だった。不服にも、ヴェルナーは彼らの手綱を掴んでしまったのだ。
―――仕様がない。自分だって指揮は初めてだが、やるしかない。
大きく深呼吸をして、右手を宙にかざす。
「……撃て!」
掛け声と共に手を振り下ろすと、一斉に砲口が火を噴いた。六発の弾頭は塹壕を飛び越え、敵兵のど真ん中に着陸し爆散した。
ドオォン
轟音が地面を揺らした。直撃は六発中四発。だが砲撃を受けたという事実は、敵の足を鈍らせるに十分だ。それ以上先に進む事を断念させる。
その砲撃を行った兵たちは、人事のように今目の前で起こった出来事に感嘆の声を漏らした。中には、自分の手で人を殺したという事に顔をしかめる者もいたが。
何はともあれ、まずは上々。ヴェルナーも小さく拳を握った。
「ぼさっとするな!砲身直せ!」
ヴェルナーの命令に我に返った兵たちは、すぐさま反作用でずれた砲身を戻しにかかった。
その間にも、ヴェルナーは戦場に目を走らせる。砲兵たちの活躍で後発は断てる。イシルはこれ以上前へは進めない。しかし、それで終わりだろうか。
―――考えろ、考えろ、考えろ。俺が敵の将なら、兵をどう動かす?
【同時刻 オルセン司令部隊】
「おお、やっと撃ちよった。」
ハッカライネンの言葉に、ドメルトもほっと胸を撫で下ろした。壁上部に配置した砲兵部隊の内、左翼側の方だけが一時から全く動かない事が気がかりだった。穴である左翼に敵兵が集まりだしたのを確認した時は肝を冷やしたが、それも杞憂に終わったようだ。
続いて二発目、三発目が発射される。集中砲火に遭ったイシル軍後発部隊は徐々に後退し、前衛部隊と分断されていく。
その前衛部隊も今や統率を失くし、散り散りになっていた。塹壕を利用して、奇襲戦法を繰り広げるオルセンに対し、イシルは前進する事も叶わず、成す術無く倒れていった。
「あんな兵器に頼るからだ、馬鹿共が。」
結局イシルの強さを支えていたのは、あの化け物兵器一機だったのだ。
ドメルトは確信する。この戦いはオルセンの勝利に終わる。もう間もなくイシルの将は撤退を命ずるだろう。だが、
「……落とし所やな。」
「落とし所?」
ドメルトが聞き返すと、ハッカライネンはにやりと笑う。
「連中やって国の意地をかけて来とるんや。このまま引き下がって国には帰られへんやろ?―――せやから、落とし所や。……まあ、ほんまは阻止するんが一番ええんやけど、そうするとこっちにも被害が出る。……しもたなぁ、塹壕戦にする代わりに騎兵を用意して無かったんが裏目に出たか。」
ハッカライネンは、悪態をつきながら戦場を指さした。その先に見えたのは、――――
【オルセン軍左翼 城壁上】
「見ろ!後続部隊が引いていく!」
一人の兵が声を上げた。たった今自分たちが砲撃した砲線から明らかに、イシルの軍は後退していた。
「やった!やったぞ!」
兵たちが歓声を上げる中、ヴェルナーは一人難しい顔をして戦場を睨んでいた。
「……ちょっと貸せ。」
ヴェルナーはすぐ近くにいた兵から遠視鏡を奪うと、敵陣の奥地を見た。
後発は下がっている。ばらばらに散開した前衛も動けるものから徐々に後退を始めていた。だが、後退しているのはイシルの兵だけではない。オルセンの兵もまた気が付けば後退を始めていた。
「妙だな……。」
「へっ、何がですか?」
「兵の引きがよすぎる……。それに、兵の数が少ない。」
ヴェルナーはもう一度敵後方を覗き見た。そして敵の兵が少ないと思った要因に気づく。―――騎兵の姿が見当たらないのだ。
ヴェルナーは思考をフル回転させる。消えた騎兵、後退する両軍、残される兵器、そしてその平行線にあるもの―――。
「……。おい、お前ら。」
唸るような声でヴェルナーは兵たちに呼びかけた。兵の肩がびくりと跳ねる。
「今から俺が言う方向と射角に砲身を直せ。」
そして、ヴェルナーは兵たちにその指示を下した。




