第十一章 近づく戦線(5)
ヴェルナーが客間から退出すると、扉の前に体を縮こませて俯くカインの姿があった。まるで悪戯がばれて叱られに来た子供のようだ。
「カイン。」
「ヴェルナー兄ちゃん、ごめんなさい。」
消え入りそうな声で、確かにそう聞こえた。何故か、ヴェルナーは胸を締め付けられるような切ない気持ちになる。
「俺、この間兄ちゃんたちが話していた事聞いちゃったんだ。兄ちゃんが軍に指名手配されている事も、メテルリオンに渡りたいけどそれが出来ない事も。」
「…あの時の物音はお前だったのか。」
三日前、連隊長が屋敷を訪れた日、部屋の外でかすかな物音を聞いたのを思い出した。
あの時扉の向こうにいたのはカインだった。
「あの話を聞いた後、姉ちゃんも兄ちゃんたちがここにいる事は誰にも言っちゃだめよ、って言ってた。凄く辛そうな顔してた…。」
言葉尻が揺れている。大の男がまるで少年のようにぽろぽろと涙をこぼした。
「…俺、最初は兄ちゃんたちが許せなかったんだ。姉ちゃんがこんな辛い顔してるのは兄ちゃんのせいだって。だからきっとこの人たちは悪い人なんだって。
それで確かめようと思って、兄ちゃんたちに近づいたんだ。もし本当に悪い奴だったら、俺が懲らしめてやるんだって。…でも違った、ヴェルナー兄ちゃんはいつだって優しかった。兄ちゃんだけじゃない、アイリお姉ちゃんだってバズ兄ちゃんだって、カテラおばちゃんだって、皆俺が本当の家族の様に接してくれた。だから―――」
「カイン、もういいよ。」
ヴェルナーはカインの肩をぽんと叩いた。カインはカインなりにけじめをつけたかったのかもしれない。だから必死で考えて、考えて、辿りついた答えがオルドに協力を求める事だったのだろう。
「…姉ちゃんには言わないで。誰にも言わないって約束破っちゃった。」
多分ばれてると思うけど。カインは小さな声で付け加えた。
「わかったよ、カイン。俺も礼を言うよ、ありがとうな。」
少なくとも、これでメテルリオンへの道は繋がった。この大きな少年はその道を開いてくれたのだ。
ならば応えなくてはいけない。その先へと進むための活路を。たとえどんな事があったとしても。
◆
「随分古臭い街だ。」
夜の帳の向こうにうっすらと見える石の城壁、およそ高低差の無い見晴らしのいい平原にぽつりと佇むその姿は、中世時代の蜃気楼のようで少し薄気味悪かった。
「隊長、この辺り一帯に伏兵の影は見当たりません。」
「了解。だが気を抜くんじゃねえぞ。ここはもう敵地だ。いつオルセンの兵どもが襲いかかってくるかわからんからな。」
見周りの報告に来た若い兵に告げると、エルノーは上着のポケットから巻煙草を一本取り出し、近くのたき火で火を付けた。
今日は歩き通しで疲れた。しかもただ歩いているだけでなく、時々ちらちらと姿を現す敵兵と交戦しながら進んできたものだから、倍疲れた。
交戦した敵は小隊、おそらく偵察に来た先遣部隊だろう。数で敵わないという事は承知しているのか、全面戦闘はせず小競り合いをしては撤退しの繰り返しだった。
素直に撤退すればいいものを一々こちらにちょっかいをかけてくる。まるで顔に群がる小蝿のようなうっとうしさだった。
(ありゃあ、遅滞行動だ。俺らをおびき寄せてるな。)
国境を過ぎて半日も歩かぬうちにオルセン軍と交戦状態に入ってから、すぐにエルノーはそのことに気が付いた。敵は勝つ気を見せない。撃ち合っている最中も目視で見えるのは前衛の少数部隊のみ、後続するはずの本隊の影も形も見当たらなかった。
エルノーは当初罠であることを考慮し、進軍を見合わせるつもりでいた。敵の懐に入り込むのは相当のリスクを伴う。だが、そのオルセンの行動に一体何を仕掛けてくるのかという期待が、エルノーの中で湧きあがったのだ。どうせ引き返しても碌な成果を上げられないのでは、議会も納得しない。ならばいっそ罠にはまって、敵将の首の一つや二つぶんどってから帰った方が有意義というものだ。
エルノーは遠くに見える、荘厳な石の壁を見やる。おそらく要地となるのは、あの城郭の街だ。敵が迎撃を行うならそこで間違いないだろう。
中世期、オルセン帝国が成立し絶頂期にあったころ、この大陸一帯には少数民族の自治国家が存在していた。オルセンはそれを濁流のうねりと共に飲みほし占領下においていく。イシルの部族もあるいはそのうちの一つだったのだろう。その戦いの砦として作られたのが、あのメリノの要塞だ。矢雨の猛襲に耐え、槍兵の歩みを阻む強固な壁は、まさにオルセンの盾と言ってもよかった。
だが、それも帝国最盛期が終わるまでの話だ。オルセンとイシルの隣国であるガフラスにて起こった産業革命の波はものの見事に、世界経済をひっくり返した。ガフラスの世界的優位は、オルセンの権威を地の底に叩きつけるには十分だったのだろう。それだけにとどまらず、ガフラスの所有する圧倒的な生産力は軍事にも多大な影響を与えた。それまで未熟だった重火器は目を見張るほどの改良と生産速度が展開され、もはや中世期のものとは一線を期した。貴族だけでなく市民も武器を取り戦うようになった。ここ数十年で戦争は恐ろしいほどに肥大化していた。
進化する戦争の中で、過去の栄光は醜悪な遺物となっていった。あの城壁もその一つだ。貫通力のある大砲が幅を利かせている現代で、石の城壁に意味はない。だが、それでも侵攻する側にとってあの威圧感は脅威だ。
(対抗する気か、オーリクに。)
エルノーは自陣後方に居座る巨大な鉄塊を見つめた。石壁は勿論の事、鉄の壁であっても容赦なく粉砕するほどの威力、通常の砲の二倍はあろうかという射程、騎兵とはいかずとも人間の速度と同等の機動力。
イシルの殺戮兵器、『オーリク』はかつての戦場でも多くのオルセン兵を屠ってきた。
(これにどう太刀打ちするのか、敵将校のお手並み拝見といこうじゃないか。)
あえて真っ向勝負を挑んできた彼らを愚かは思わない。こちらも誘われているとわかって敵領土の奥地まで踏み込んできたのだから。
決戦は明日、イシルの攻が打ち砕くか、オルセンの守が踏みとどまるか。結末は一つだ。
第十一章完
次回、戦闘開始!




