第十一章 近づく戦線(4)
稽古に白熱して気が付いたらとっぷり日が暮れていた。その後夕食を済ませ、各人自室で寛いでいると、慌ただしくイアーナが部屋に入ってきた。
「ヴェルナー、その、あなたにお客さんが来てるんだけど…。」
「客…?」
ヴェルナーはベッドから飛び降りると、険しい顔を作った。隣のベッドで本を読んでいたバズも何事かと顔を上げる。
「どういう事だ?俺はここに匿われている人間だぞ。…まさか軍の…!」
「いいえ、違うわ。お父様の知人の方なんだけど、何故かヴェルナーたちがここにいる事を知ってて、話があるから呼んでくれって…。」
どうにも腑に落ちない話だ。だが、ヴェルナーがここにいるとばれている以上、このまま無視して知らぬ存ぜぬを通しても意味がないだろう。ヴェルナーは覚悟してその来客とやらに会う事にした。
「ヴェルナー、行くのか?」
「このまま放っとくわけにもいかないだろ。イアーナにも迷惑になる。」
心配そうに見つめるバズを置いてイアーナと共に階下へ降りた。通されたのはいつもの応接室ではなく、ヴェルナーたちが使っている客間位の大きさの部屋だ。
部屋にいたのは五十代くらいの男性だった。高そうなスーツに撫でつけられた白髪交じりの黒髪。だが、貴族の纏う雰囲気とはどこか異なる性質を持っている。
中産階級、ブルジョワジー。世間ではそう言われる人間がいる。産業革命期に圧倒的な資本で財を成した富豪たちの事だ。貴族たちの間では「成り上がり」と揶揄される中産階級だが、現代オルセン帝国の経済を引っ張り上げているのは誰でもない彼らだ。
貧民街育ちであり十五で軍人の世界に参入したヴェルナーには、当然こんな知り合いはいない。目の前にいるこの男はヴェルナーに何の用があるというのか。
「君がライトロウ中尉か?」
男はゆったりとした声音で話す。まるで抑揚の無い、掴みどころの無い声だった。
「はい。そういうあなたは?見たところ軍の関係者では無いようですが…。」
「ああ、すまんな。私は武器商をしているマーク=オルドというものだ。」
「オルっ……!?」
予想もしなかった名前に息が止まりかけた。現在武器売買の市場で不動の地位に居座るオルド海港商。マーク=オルドと言えば、その現社長だ。だが、ヴェルナーにとってオルドと聞いて脳裏に浮かぶのは、グリアモとヨドで見た下賤な顔。どうしてこの旅にはオルド一家が関わってくるのだろう。何かの陰謀の様に思えて、ヴェルナーは目の前にいる男を疑わしげに見つめるしかなかった。
オルドに座るよう勧められて、警戒しつつ斜め向かいに腰掛ける。
「イアーナ君。すまないが席をはずしてもらえるか?…ああ、それと、カインツァベルにも一応この事を知らせておいてくれ。」
入口付近に立っていたイアーナは、オルドの指示を受け部屋を出ていった。
「カインツァベルって…、カインに何か関係あるのか?」
「無論だ。君の事を教えてくれたのはカインツァベルだからな。」
「なにっ……!?」
予想外の人物の名にヴェルナーは衝撃を隠せなかった。ヴェルナーたちがこの屋敷に滞在しているという事は誰にも漏らしてはいけないと、カインも知っているはずだ。今日共に剣の稽古をしていたカインの顔を思い出し、同時に心臓が引き裂かれるように痛んだ。
(まさか、俺を騙していたのか―――?)
ここ数日のカインとのやり取りが想起される。無邪気に剣を振うその内側で、ヴェルナーを陥れるために策を講じていたとでも言うのか。
だが、その不信は目の前の男によってあっさりと否定された。
「誤解の無いように言っておくと、カインツァベルは君を裏切ったわけではない。そして、私も君を捕らえるためにここに来たのではない。」
「何…?どういう事ですか?」
「君たちが少々困っていると聞いてな。事情を聞けば、どうも私の手でどうにか出来そうな問題であったから君に提案をしにきたまでだ。」
未だに状況を受け止めきれていないヴェルナーに対して、オルドはまるで感情の見えない目をして言い放った。
「メテルリオンに行きたいというなら手を貸してやってもいい。」
不意打ちの提案にヴェルナーは驚愕した。その反応に気づきもしないかのように、オルドは淡々と口を開く。
「君は現在のオルセンとイシルの戦況を知っているか?」
「いえ……、町で流れている以上の事は……。」
知りませんと正直に言うと、オルドは武器商のネットワークでえた、軍の動向についてヴェルナーに教えてくれた。
「後三日もせずに、イシルの軍勢がこの街にやってくる。それもかなりの多勢だ。」
「イシルの軍勢って…、なんで前衛基地に?本隊は?連隊はどうして動かないんだ?」
「私も人伝に聞いた話だ。連隊は進軍を控えここでイシル軍を迎撃するらしい。詳しい理由は私にもわからん。」
オルセンとイシルの戦力差があまりにも大きく篭城戦に持ち込んだ方が勝算が持てるというところだろうか。決して理解できないわけではないが、無謀な作戦である事にかわりは無い。
「司令官は、出兵して基地から離れた場所でイシルを迎え撃つより、ここで腰を据え奴らを迎撃し、その撤退時を追撃する方が有益と判断したのだろう。今旅団を率いているのは第一連隊と第三連隊の隊長だ。彼らも相当の場数を踏んだ将校だ、浅はかな決断はせんだろう。」
気が付けば、オルドの話に聞き入っていた事に自分でも驚いた。いつの間にか、オルドのペースに飲まれていた様だ。姿勢を改めて、ヴェルナーは話を戻す。
「…それで、手を貸してもいいというのはどういう事ですか?」
「なに、メテルリオンヘ行きたいというのなら、私の行商馬車に乗り込めばいい。」
「…行商馬車?」
「品物の内容はオルセン軍への武器と物資。兵站部隊の積み荷だ。もし、オルセンがイシルを迎撃し、逃げるイシルを追撃すると言うなら、私の行商馬車も兵站部隊に加わり、メテルリオンへと向かう手筈になっている。この積み荷を開ける事が出来るのは私の部下だけ、つまり君たちは兵に目を付けられることなく戦場へと向かう事が出来る。」
どうやらオルドは、ヴェルナーたちがメテルリオンに赴くための隠れ蓑を提供してくれるらしい。もしそれが本当に可能であればこれ以上の僥倖は無い。だが、問題はこの男をそこまで手放しに信用していいのかという事。そして懸念はもう一つ。
「あんたはオルセン軍がメリノでの迎撃に成功し、追撃を行うだろうと確信しているのか?」
「君はオルセン軍人のくせに、味方の勝利を確信できないのか?」
「俺は可能性の話をしているだけだ。オルセン軍だって無敗の官軍じゃない。負けることだってあるだろ。」
「ならば君が勝利に導けばいい。…そうだな、ライトロウ君、それが君に協力する条件としようか。」
「!?」
協力する代わりに、それに値する技能と覚悟を見せろ。無言の圧力の中で、ヴェルナーは確かにそう告げられた気がした。
ヴェルナーは口角を歪めると、無理やりに笑顔を取り繕う。だが、
「あんた正気か?事は二カ国間の戦争だぞ。俺一人が尽力した所で何かが変わるという話じゃないだろ。」
「それは、やってみなきゃわからんぞ。人一人の力というのは時にとんでもない奇跡を生みだす事がある。」
「…あんた一体俺に何をさせたい?俺に何を期待しているんだ?」
知らずのうちにヴェルナーは拳を強く握りしめていた。オルドの息子、ジャスティン=オルドはいけすかない奴とは言え、ある意味わかりやすい思考の持ち主だった。だがその父親ときたらどうか。まるで傀儡人形のようで生気が感じられない。それでいて異様な威圧感を醸し出すものだから、対峙している身としては生きた心地がしないのだ。
相変わらず緩慢な動作で動き、ガラス球の様な瞳でヴェルナーを見つめている。
「期待などしておらん。そもそも私とお前は今日初めて出会ったのだ。私は初対面の相手を信用できるほどお人よしじゃない。」
「だったらなんで―――」
「カインツァベルの頼みだったからだ。」
オルドの表情に、初めて人間らしい翳りが映った。
「カインツァベルの父親と私は古い付き合いでな。カインツァベルも幼い頃からもう一人の息子の様に接していた。…あの事故に遭ってからあの子は変わったが、過去の記憶が無い自分に戸惑って焦っているようだったのだ。
そんなカインツァベルが君の事を私に相談してきた。お前の事を剣を教えてくれる優しい師範だと言っていた。そんなお前が困っているから助けてほしいと尋ねてきた。助けぬわけにはいかんだろう。」
そう語るオルドの姿は、相も変わらず人形のように冷たかった。だがヴェルナーにはその人形の奥にとてつもない情愛と慈悲の濁流が見えた。ヴェルナーの上官、グリアモ駐屯兵団団長のセルシムはかつて、何故オルドが不肖の息子を助けているのかわからない、と言っていた。今ならわかる。この男には打算などない、あるのは親としての愛情だけだ。
「―――あんたの言葉を信じていいか?」
「好きにすればいい。私は機会を与えるだけだ。それをどう生かすかは君次第だ。」
「……わかった。」
ヴェルナーはオルドに向けて手を差し出す。オルドもその手を握り返した。冷たい、体温の無い手。だが、手から伝わる感触は、間違いなく生きた人間の証だった。




