第十一章 近づく戦線(3)
一通り手合わせを終えると、カインは肩で息をしながら地面に寝転がった。まだ半時もやっていないのだが、すっかりばててしまったようだ。
「やっぱりきついよ…、俺体力無いなぁ。」
「体力無いのもそうだが、お前の場合は余計な力が入りすぎてるんだよ。あと軸が安定してない。それじゃ剣を振ってるんじゃなくて、剣に振られてるって感じだ。」
ヴェルナーの指摘に、カインは子供のように頬を膨らませた。ヴェルナーはそれを見て吹き出してしまう。
屋敷に缶詰状態になって気分もめいっている中、カインに剣を教えるというのは、思いのほか気分転換になっている。いや、むしろ最近の楽しみの一つかもしれない。精神は子供といえ、身体は大人なカインなので、教えたことはどんどん吸収しものにしていく。教える側にしてみればこれほどやりがいのある生徒もいなかった。
しばらくへたっていたカインは、半身を起すと無邪気な目でヴェルナーを見た。
「ねぇ、兄ちゃんがそんなに強いのって軍人だからなの?」
「まあ、そうだな。軍人として訓練受けてたし。」
「やっぱり強くなりたかったから軍人になったの?」
顔が曇ったのが自分でもわかった。数日前までヴェルナーはその事で随分と悩んでいたのだから無理は無い。アイリに叱られて少しは気落ちの整理が付いたつもりだったが、情けの無い事に、まだ自分の中で答えを見つけだせてはいなかった。
「…強くなりたかったわけじゃない。ただ、目標とする人がいただけだ。」
その人も、本当に見つかるかわからない。だが、それが今ヴェルナーに出せる最良の答えだ。
「…なら、俺も強くなれる?」
カインは深刻そうな声で話しだした。
「強くなって姉ちゃん守りたい。…俺は姉ちゃん悲しませてばかりだから……。」
さっきまでの高揚が嘘のように暗い顔をするカインは、年相応の男性の姿をしていた。ヴェルナーは虚をつかれて、目の前にいる男を見る。
「本当は知ってるんだ。俺は脳の障害でこんな風になってしまった。姉ちゃんも本当は姉ちゃんじゃない。大人であろうとしても、わからない事が多すぎて何もできない。」
まるで何十年もの間苦悩に苛まれた様な顔は、剣を振って喜んでいた無邪気な笑顔からは到底想像が出来なかった。
「だから俺たくさん勉強して、早く知能を戻したいと思ってるんだ。それから身体も鍛えて、姉ちゃんを守れるようになりたい。姉ちゃんの負担を少しでも減らしてあげたいんだ。」
「なるほどな、それで剣の稽古を付けてくれなんて言ったのか。」
どうやらカインはヴェルナーが思っているほど、子供ではないらしい。彼なりに精神と肉体のギャップを抱え、そしてそれを支えようとしている周りの人間に迷惑をかけまいと苦しんでいたのかもしれない。
「カイン。失ったものを元に戻すのは難しいんだ。俺はお前の事故の事も脳の障害の事もよく知らないけど、そんな必死に大人になろうとしたって、すぐには無理だろうよ。」
「でも―――」
「姉ちゃん喜ばせたいのはわかるけど、お前は今をしっかり生きるべきだと思うぞ。五年前のカインに戻るんじゃなくて、今ここに生きる五歳のカインと向き合うべきだ。大事なのは過去じゃない、大事なのは―――。」
つい最近アイリに同じような事を言われた事に気づいてはっとした。受け売りの説教をしてしまった事に、少し気恥ずかしくなる。ヴェルナーは咳払いをすると、恥ずかしさを吹き飛ばすように勢いよく立ち上がった。
「―――よし、休憩終わり!さあ、もう一本いくぞ。」
ヴェルナーが言うと、カインは少し複雑そうな顔をした。
「―――あのさ、ヴェルナー兄ちゃん。」
「どうした?まだ休み足りないってのか?」
「……ううん、違うよ。なんでもない、再開しよう!」
カインは再び子供の顔になり、転がっていた木刀を手に取った。だが、その表情の裏に隠れた感情を拭いきれてはいない。それは罪悪感の様な自責の念の様な、いずれにしてもカインにしかわからない事で、ヴェルナーにそれを推し量る事は出来なかった。
◆
メリノの前線基地は、これ以上ないほどの緊迫感に包まれていた。オルセン帝国軍第一連隊長アーロン=ドメルト少将はただでさえ厳つい顔を何倍にも増して険しくしている。それというのも、先遣部隊による戦況報告の内容が実に芳しくなかったからだ。
「兵力三万…、しかも例の兵器を引っ提げ尋常でないスピードで進行しているだと…?」
現在先遣部隊は目標確認地点から徐々に後退し、敵兵の遅滞を試みているはずだが、これだけの戦力差では追い込まれるのも時間の問題だ。そうなれば、次にイシル軍が目指すのは前衛基地のメリノという事になる。
「敵はどのルートで進軍している?ウルク川はどこを渡ったんだ?」
メテルリオンとメリノの中間地点には北から南に流れるウルク川が存在する。ウルク川を渡れるのは、北方峡谷の橋、中央部の比較的緩やかな平地の橋、そして南方の湿地帯の橋、この三か所だけだ。
「進軍ルートは北の北方峡谷からやな。先遣は中央の橋の破壊に成功したみたいや。北と南の橋は存命やけど、南は天候が崩れると川の氾濫がきついわ、周りが湿原で進みにくいわで、おそらく敵さんは避けたんやろ。ただ、一部の部隊は浅瀬を渡って中央部から入り込んでるらしい。挟み撃ちになったら勝ち目は無いな。」
ドメルトとは対照的に、まるで緊張感の無いハッカライネンの言葉に奥歯を噛んだ。だが、この男の軽薄な態度は今に始まった事ではなく、いちいち目くじらを立てるのも余計な体力を消耗するだけだ。
「早急に本隊を出動させねばなるまい。明日中に準備を整え―――」
「まあちょっと待ちぃな。」
力むドメルトの肩にハッカライネンの肉付きの良い手がぽんと置かれた。その気さくさは逆にドメルトの頭に血を昇らせた。
「お前は状況が理解できておらんのか!今本隊を出さんでどうする!奴らがメリノに到着してしまってからでは―――」
「メリノに到着したらあかん事でもあるんか?」
その返しにドメルトは戦慄する。まるで親戚が久しぶりに家を訪問しに来るかのような口ぶりだ。
「お前、自分が何を言っているのかわかってるのか!?」
「わかってるつもりや。…俺はな、イシルの兵器に対抗するためにはメリノで奴らを迎え撃つ必要があると思ってるんや。」
途端にハッカライネンの顔つきが変わった。先ほどの飄々享楽とした男の姿が消えさる。
「お前さんはあの兵器を間近で見たことないんやろ?あれは、凶器や。あれを受けた人間は、塵も残さず灰になる、死体も残らん。」
十五年前の戦争でオルセン軍に多大な損害をもたらしたのが、イシルの兵器。大砲とは比べ物にならない威力の砲撃を猟銃の速度で撃ちだし、歩兵並みの速度で戦場を駆けると聞いた。あの戦争の時、ドメルトは後方の支援部隊に従事していた。だがら、メテルリオンでの前線の様子を知らない。
「あれを生身の人間が受けるのは無謀や。せやからどうしても強固な盾がいる。あの殺傷力に耐えうるだけの強力な盾が。」
「それがメリノの城壁。…お前は篭城戦をやる気か…!?」
目の前の男は意味深に目を反らした。
「危険だ!もしそれでメリノが陥落したらどうする!?前衛基地を奪われれば大変な事になるぞ!」
「後衛地のインサルーナもまた、囚人を隔離する監獄都市や。街の防衛やったらメリノにも劣らん。それに、奴らにとってはイシルの本拠点からかなり遠ざかることになる。その危険を冒してまでこのオルセンに踏み込む度胸があるのかも見物や。」
それはまるで相手を賭けの対象に選び、さも高みの見物を決め込んで娯楽に浸るかのような言い草だった。我知らず、ドメルトはハッカライネンの胸倉を掴んでいた。
「それではメリノの多くの住人が危険にさらされる事になる!敵占領下の市民たちがどうなるかわかっているだろうが!」
敵兵の手に落ちれば、女子供は凌辱され、刃向うものは容赦なく殺される。
「今の時代、街一つ犯しつくす様な過度な暴虐は世間の批判を浴びる。イシルのえらいさんやってそれはようわかってるはずや。
それに、俺らの役目は市民の尊厳を守ることやない。皇帝に勝利と安寧を捧げること。市民の命を守るのはその過程というだけや。」
「―――!?」
言葉が出ない。ドメルトはもう長い間ハッカライネンという男と付き合いがあるが、未だに彼の見解を見誤っていたらしい。任務のためであれば、どんな犠牲も厭わない。究極の合理主義者、それがティルム=ハッカライネンという男だった。
「それに、俺は篭城戦をやるやなんて、一言も言うてないで?」
「なに……?」
ハッカライネンの口から、イシルを迎撃する策が紡がれる。ドメルトはまるで腹部を鋭利な刃物で切り裂かれた様な、とてつもない苦渋が腹の底から押し寄せてくるのがわかった。額に汗を浮かべ、痛みに耐える。悔しい事に、ハッカライネンに反論出来る程の策が存在しなかった。
「とにかくこれはあくまで俺個人の意見や。我々オルセン前衛第一旅団は、メリノに総力を集め、向かってくるイシル軍本隊を迎撃する。それが、今俺らが立てられる最良の策や。どう思う?第一連隊長及び前衛第一旅団団長アーロン=ドメルト少将閣下?」
「…メリノ東部五百メートル地点に前線を引け。東方面に迎撃態勢を敷く。」
この判断が、吉と出るか凶と出るか、ドメルト自身もわからなかった。




