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第十一章 近づく戦線(1)

 シュトラウツァでカテラが旅を続けたいと申し出た時、ヴェルナーの心に宿ったのは安堵と罪悪感だった。

 旅を続けるのはカテラの意思だと自分を納得させた。たとえこの先何か間違いが起ころうとも、それはヴェルナーのせいではないのだと。そう思うだけで心が少し軽くなった。

 そして同時に、自分の浅ましさがひどく憎かった。結局自分は責任から逃れたいだけだ。現実から目を背けようとしているだけだ。

 本当に愚劣で醜悪な男だと思う。その認識は今でも変わらない。でも、そんな男でも信じてくれる人間がいる、少なくとも彼女はそう答えてくれた。


 手のひらの鏡に映る自分の虚像と対峙する。昨晩、アイリに手渡された鏡だ。


『シュトラウツァを出る時に博士にもらったの。記述術を反射する鏡なんだって。博士は本当はあんたに渡したかったんだと思うから、持っていて。』


 おそらく今後ランドルフの様な記述師に出会った時のための保険として、パヴコヴィックが用意してくれたものだ。そういえば、ずいぶん世話になったのにパヴコヴィックと碌に話をしないまま別れてしまった。

 次に会うときは必ずお礼を言おう。そして聞けずじまいだった話の続きを聞きたい。


 そう決意した時、その鏡の奥でもごもごと布団が蠢いた。


「ふあぁ、あ、おはようヴェルナー。」


 振り返ると、惰眠から覚めたバズが眠たい目をこすりながら上半身を起こしていた。続いてきょろきょろと辺りを見回す。


「あれ?ここどこ?」

「…イアーナの屋敷の客間だよ。お前よくあれから起きなかったな…。」


 ここに到着した直後に倒れるように意識を失ってから、この少年はピクリとも起きなかった。それだけ疲れが溜っていたという事か。


 ヴェルナーは未だ焦点の合わないバズに近づくと、不意に問いかけた。


「お前はもう吹っ切れたのか?」


 バズの目が点になる。質問の意味が理解できなかったらしい。


「シュトラウツァでえらく取り乱してただろうが。あと、ゼノでの女の子の事も。」


 するとバズはいたたまれなさそうに頭を掻いた。


「……完全に吹っ切れたわけじゃないけど…まあ、それなりに…。」


 何とも頼り無い答えに、ヴェルナーは苦笑した。そして、バズの背を思いっきり叩いた。


「痛い!…って、何すんだよ!」

「しっかりしろよ。」


 ―――俺も、お前も。心の中でそう呟くと、ヴェルナーは身支度を済ませさっさと部屋を後にした。

 扉を閉めてバズの喚き声を遮断すると、なんだか可笑しくなって、ヴェルナーは笑いが止まらなくなった。


 ◆

「連隊の進軍に同行する…か。」


 朝食後、昨日聞きそびれた今後の方針について説明を受けたヴェルナーは、苦い顔で呟いた。


「何か意見はある?」

「…いや、安全面で考えるならおそらく最善策だな、ただ…」


 ヴェルナーは腰かけていた椅子にもたれかかると、考慮すべき問題点を口にする。


「まずイアーナが連隊に打診する前に、彼らが俺たちの事をどこまで承知しているか確認したほうがいい。ヨドでの捕縛命令がまだ生きているなら、イアーナが犯罪者と関わりを持っていると疑われる可能性がある。…むしろ打診してもこちらに利益が無い。思い切って潜り込むのはどうだ?」


 我ながら無謀な策だとは思うが、わざわざ本部の連中にヴェルナーたちの事を知らせて捕らえられるくらいなら、黙秘したほうが危険が少ないというものだ。案の定、アイリなどは眉間にしわを寄せて唸った。


「…ばれたら軍法会議どころじゃないと思うけど。」

「ばれなきゃいいだろ、ばれなきゃ。」


 大体ヨドでライムを振り切って逃げた時点で、ヴェルナーたちは本部の意思に背いているのだ。すでに渡り始めている綱を今更降りる術はない。渡り始めたら渡り切るしかないのだ。

 今度は確認を込めてイアーナに向き直る。


「連隊はいつ到着する予定だ?」

「報告によれば明後日の午後よ。おそらくこちらにも顔を出しに来るはず。」

「なら、連隊の応対はイアーナに任せるしかないな。頼めるか?」


 イアーナは本来部外者だ。巻き込む事には抵抗があったが、イアーナは気にした風も無く、「任せて。」と胸を張って答えた。




 予定通り、その二日後に二人の将校がイアーナの屋敷を訪れた。第一連隊隊長アーロン=ドメルト少将、第三連隊隊長ティルム=ハッカライネン少将。いずれも、式典で何度か見かけた顔だが、直接言葉を交わした事は無い。彼らはオズに先導され、先日ヴェルナーたちも通された応接室へ消えていく。その様子をヴェルナーとアイリは二階の階段の踊り場から窺っていた。


「あの二人と面識はあるのか?」


 有数の軍人貴族であり、近衛兵の一員でもあるアイリに尋ねると、彼女は首を縦に振った。


「第一連隊長は顔を知っている程度だけど、第三連隊のハッカライネン少将とは一度社交場でお会いしたことがあるわ。南方領の出身らしくて独特の雰囲気を持つ方で、温和と言うか気さくと言うか、いい意味で連隊を束ねる隊長に見えないのよね。」


 アイリは極力音をたてないように階段を下り応接室へと近づいていく。ヴェルナーもその後に続いた。打ち合わせ通り、オズは応接室の扉を数センチ開けた状態で出入り口付近に立っている。ヴェルナーたちはそこから応接室の様子を覗き見る。中央のソファには、表情の硬いイアーナと、二人の軍人が向かい合わせに座っていた。


「お初にお目にかかります。議長代理殿。此度はメリノでの基地運営の許可を頂けたことまことに感謝いたします。」


 言葉を発したのは第一連隊長ドメルト少将だ。こちらから顔は見えないが深みのある低音にがっしりとした背中は、さすがの貫録を思わせる。対して隣に座る第三連隊長ハッカライネン少将は、ドメルトに比べれば背も低く中年らしい体格をしている。時折垣間見える横顔は確かに、アイリの話の通り軍の将校とは思えない人のよさそうな顔つきだった。


「こちらこそ、誉れ高いオルセン軍連隊の方々と共に戦える事を光栄に思います。この街において不都合がありましたら、お申し付けください。」


 イアーナの形式ばった応対に、ハッカライネンは豪快に笑った。


「いやあ、若いのに随分しっかりしたお嬢さんや。しばらく邪魔になるで、堪忍な。」


 独特の南部訛りに軽薄に見える言動。隣のドメルトは苦い顔をしているが、ハッカライネンもまた軍の主幹である連隊を束ねる隊長だ。

 一説によれば、十五年前の戦争でイシルのオルセン領土侵攻を食い止めたのは、ハッカライネンが講じた策によるものだったといわれている。イシルが西へと侵攻しているその隙に、彼は隣国ガフラス連合王国の外交官を懐柔し、戦線禁止区域となっていた南部の海上を一時的にオルセン軍の軍艦が通行する許可を得る事に成功した。南部から不意打ちで攻められたイシルは、急遽西のオルセン帝国への侵攻を中断し、それが結果として両国の停戦に繋がったという。その実績は間違いなく本物だった。

 軍将校の模範ともいえるドメルトと、模範外の振る舞いに掴みどころないハッカライネン。対照的ともいえる二人の軍人に対峙したイアーナだったが、彼女もまた議長代理などという厄介な役どころを背負った肝の据わった女性のようだ。ひるむことなく堂々と彼らと渡り歩いている。


「今後のイシルとの戦況はどのようにお考えですか?」

「我々は数日の後に先遣部隊を東へと派遣する予定だ。なにぶんイシルの国勢と戦力についての情報が心もとない。」

「…シュトラウツァの方にもあんだけ派手に乗り込んで来よったからなぁ。なんにせよ、まずは情報収集や。」


 ヴェルナーは部屋の中から微かに聞こえる三人の会話に耳をそばだてた。どうも本格的に戦闘に入るのはまだ先のことのようだ。


 その後も、とりとめの無い会話が続いていく。めぼしい情報が得られないためか、アイリの顔からも少し緊張が薄れているようだ。


「特に問題は無いみたいね。やっぱり本隊出動の知らせを待って、こっそり同行したほうがいいかしら。」


 アイリが小声で呟いたので、ヴェルナーも無言で首肯した。三人も別段揉めることなくすんなりと会話を終わらせたようだ。

 だが、最後の最後でハッカライネンがヴェルナーたちにとって、最悪の展開を突き付ける事になる。


「そういや、最後に一つだけ。戦いと直接関係ない事なんやけど…。一応議長代理のお嬢さんに伝えとかなあかん事があってな。」


 そう言ってハッカライネンは二枚の用紙をイアーナに手渡す。ヴェルナーたちの方からその内容は見えなかったが、その用紙に目を通したイアーナの顔が凍りついたのが確かに見えた。


「本部の軍法議会が今別件で謀反者をおっとってなぁ。それがその二人で、逮捕命令もでとるんやけど。なんでもそいつらメテルリオンに向かってるらしくてな、もしかしたらここメリノにも現れるかもしれん。」


 ヴェルナーとアイリはお互い顔を合わせた。アイリの顔は最悪の事態を想像して相当に青い顔になっている。おそらくヴェルナーも同じ顔をしているだろう。そして、次のドメルトの言葉で、その最悪の事態は確定的なものとなった。


「オルセン軍反逆の罪人、ヴェルナー=ライトロウ中尉とアイリ=ジュンア中尉。同名を見かけた折には我々にご連絡いただきたい。出来れば市民たちにもご協力願えますかな?」


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