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第九章 真実は虚無(4)

 正気を取り戻したが、今だ頼りないバズを連れてパヴコヴィックの家に戻ってきたアイリは、カテラとイアーナと共にリビングに集まっていた。カテラはひどく落ち込んだような顔をして、頭を抱えながら何度かため息をついていた。一方のイアーナは、カテラほど深刻な様子ではなかったが、落ち着かない様子で難しい顔をしている。


「それで、あの子は大丈夫なのかしら……。」


 カテラは心配そうに奥の客間を見つめた。そこには先ほどアイリが引っ張って連れて帰ってきたバズがいる。何とか調子を取り戻してあげたいと思ったが、アイリたちではヴェルナーのように慰めてやることはできない。そんな中、家主であるパヴコヴィックが、


「私が少年と話してこよう。少し聞きたいこともあるしな。」


 そう言って、客間へと消えた。アイリたちは、ただその結果を大人しく待つしかなかった。


「大丈夫よ。博士ならうまいことやってくれるでしょ。男同士の方が話しやすいこともあるし。」


 問題はバズの事ばかりではない。イシルとの戦争が始まってしまった以上、カテラの目標であるメテルリオンへの旅がより困難になるのは確実だ。カテラ自身にとってはこちらの方が深刻に違いない。


「それより母さん、これからどうするの?戦争が始まったら、旅どころじゃなくなるわよ。」

「そうよね…、東への街道も封鎖されてしまうだろうし、何より危険だわ…。私だけならともかく、あなたたちまで危険にさらすわけには…。」

「私たちの事はいいから。それより母さんがどうしたいかよ。」


 アイリが諭すとカテラはそれっきり黙り込んでしまった。やはりカテラは諦めきれていないのだ。危険だとわかっていても、それでも進みたいと願っている。母が諦めの悪い人だということは娘の自分もよく知っていた。


 すると、様子をうかがっていたイアーナがアイリに尋ねる。


「ねぇ、アイリたちの目的地ってどこなの?」

「えっと、…メテルリオン…なんだけど。」


 本来一般人が近づこうとはしない場所であるため、イアーナにも妙な顔をされるかと思ったが、意外にもイアーナの反応は普通だった。


「メテルリオンか…、確かにここから行くにはかなり危険ね。戦争が始まれば交易もままならなくなるだろうし。」


 さらに、イアーナは思いついたとばかりにこんな提案をしてきた。


「だったら、一度私の住む街に来ない?メテルリオンの少し手前にあるメリノという街なんだけど。」

「メリノ?」

「うん、城郭都市メリノ。私の故郷よ。メリノは東部でもキルシュの次に兵力もあって、防壁も厚い。メテルリオンが壊滅状態の今、オルセン帝国極東の砦はここメリノだと言っていいわ。メリノへ行けば、メテルリオンヘ向かうにしてもある程度の準備が出来る。」


 それは願ってもみない提案だった。メテルリオンの近隣に拠点を置く事が出来れば行動もしやすくなる。だが、それでも避けられない問題がいくつかあった。


「でも、いくらメテルリオンの近くまで行けるといっても、戦争が激化すればそこから先は規制が敷かれて通れなくなるのは一緒でしょ?」

「それも心配無いわ。私の方から軍にかけ合ってメテルリオンヘの通行許可を取ってあげる。」


 それは妙に自信満々な回答だった。だが、一般人が軍にそんなことを申請して許可が下りるなど、常識的考えてまずありえない。アイリもカテラも狼狽した。


「かけ合って、って…そんな簡単に軍が許可してくれるわけ―――」

「出来るわよ、議長代理の頼みなら聞いてくれるわ。」


 議長代理という言葉に、二人は目を丸くした。二人の反応に気づいたイアーナはさらに説明する。


「えっと、実は私の兄がメリノの統括議会の議長なの。でも今は事情があって仕事が出来る状態じゃなくて、だから妹である私と、兄の秘書官が代理で仕事をしてるわけ。」

「……驚いた。あなた結構な有力者じゃない。」


 統括議会と言えば、町の行政を一挙に引き受ける選挙制の政治機関だ。その議長ともなれば、一昔前の一国領主とさほど変わらない影響力を持つ。


「進むための助力なら、多少の配慮も出来るわ。諦めて戻るにしても、メリノなら融通がきく。どう?ここで悩んでいるよりも思い切って来てみない?」


 イアーナはカテラの方を向いた。


「私たちがいく事で、あなたの御迷惑にはならないかしら?」

「迷惑になるのなら初めからこんな提案しませんよ。」


 迷いの無い返答に、カテラもそっとほころんだ。


「わかりました。どうかよろしくお願いします。」


 どうやらカテラは覚悟を決めたようだ。アイリもまた、この身を賭してでも母のために全力を尽くそうと決意する。


 話がまとまったちょうどその時、客間の方からパヴコヴィックとバズが顔を出した。


「バズ、もう平気なの?」


 カテラが心配そうに尋ねると、バズは少し気恥ずかしそうに頭を掻いた。


「…うん。一応。気持ちの整理はつきました。」

「何、もう心配いらん。こいつはそんな(やわ)な奴じゃないさ。なあ?」


 パヴコヴィックは柔らかな笑みを浮かべ、バズの肩を叩いた。一体何の話をしたのかは定かではないが、その様子を見るにどうやらもう問題はないようだ。


「ごめん、アイリも、ここまで運んできてくれてありがとう。」

「いいわよ。そんな事、気にしないで。」

「…ところで、君たち何やら深刻そうに相談していたみたいだが、次の方針は決まったのかね?」


 パヴコヴィックはすべてお見通しといった様に、アイリたちに微笑みかけた。アイリが明日にでもここを離れ、東のメリノへ向かうと話す。


「そうか…、東部はこれから混乱の情勢が続くだろう。くれぐれも気を付けるようにな。何か入用の物があれば言ってくれ。用意しよう。」

「すみません。御厄介になった挙句何から何まで…。」


 カテラが深々と頭を下げた。


「構わんよ。私もしばらく一人だったのでな。こうして家が賑やかなのは久しぶりだった。…こちらこそありがとう。」


 パヴコヴィックはなんだか嬉しそうに、そしてどこか寂しそうにそう言った。そういえば、この少年の姿をした博士は、なぜこの家で一人暮らしをしているのだろう。彼の家族は、親しい者はどこにいるのだろう。だが、それは決してアイリたちのような部外者が聞いてはいけない事だ。


「おっと、そういえば忘れるところだった。」


 パヴコヴィックは続いて、アイリに小さなメモを手渡した。受け取ったメモを一読すると、そこには『イルムヒルデ=ヘイズ』という名と、住所が記されていた。


「帝都に住んでいる例の知り合いだ。私の方から手紙を送っておいたから、お嬢さんは帝都に戻り次第、彼女とコンタクトを取ってくれ。健闘を祈る。」

「はい、ありがとうございます。」


 軍人が嫌いだと、そう言っていたパヴコヴィックがここまでしてくれているのだ。本当にこの人には頭が上がらないな、と心底思う。


「…ところで、あの青年はどこへ行ったのだ?飛び出していったきり姿が見えんのだが?」

「ああ、ヴェルナーなら駐屯兵団に状況を聞きに―――」


 言いかけたところで、玄関の方で物音がした。噂をすれば何とやら、扉が開いて部屋に入ってきたのは、当のヴェルナーだった。―――が、


「おかえり、ヴェルナー。どうだった?」


 イアーナが尋ねるが、ヴェルナーの挙動が一瞬妙にぎこちなかった。そのことに、アイリは違和感を覚える。


「ああ、イシル軍は後二日のうちにも、ここに到着するそうだ。戦時通告も全域に出て本部も動き始めているらしい。」


 だが、話し始めたヴェルナーはいつものヴェルナーだった。アイリの中に漂っていた違和感が霧散する。気のせいだったのだろうか―――?


「それで、カテラさん。今後の予定についてなんですが―――」

「ああ、それならね。さっき三人で相談していたんだけど、イアーナの街に行ってみようと思うの。」

「イアーナの?」


 疑問符を浮かべるヴェルナーに、イアーナが答える。


「私の故郷はここより東部のメリノなの。メテルリオンに行くなら、まずそこを目指したらどうかって。」

「…ということは、カテラさんは旅を続けるつもりなんですね?」


 その質問にカテラは大きく首肯した。それを見たヴェルナーにまた違和感が浮上する。


 ―――ほっとした?


 アイリの純粋な見解はそれだった。ヴェルナーはカテラの決意を聞いて、肩の荷が下りたように安堵したのだ。


「わかりました。なら俺もついていきます。…バズ、お前は大丈夫なのか?」


 ヴェルナーは視線をバズに向ける。


「ああ、大丈夫だよ。ごめん、迷惑かけて。」


 バズが申し訳なさそうに謝罪すると、ヴェルナーも「元気になったならいい。」と言ってはにかんだ。その笑顔をアイリはじっと見つめた。やはりおかしい。一見いつも通りのヴェルナーなのだが、最後に町で見かけたときとどこか違う。だが、何がどう違うのか、アイリ自身にもうまく説明ができなかった。

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