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第九章 真実は虚無(3)

 執務室に通されたヴェルナーはソファに腰かけ、落ち着かない様子で辺りを見渡していた。すると、一人の女性兵が銀のカップに入ったコーヒーをヴェルナーに差し出した。


「どうぞ。」

「あ、ありがとうございます。…えっと、」

「マリア=カリアスです。階級はあなたと同じ中尉、よろしく、ライトロウ中尉。」


 素っ気ない態度だったが、その冷たさが似合うような落ち着きのある女性だった。同階級なら年齢もそれほど離れていないはずなのだが、幾分か上にも見える。


「砲撃があったのに、ここの兵たちは随分落ち着いているんだな。対応も早いし。」


 ヴェルナーがまず疑問に思ったことを口にすると、カリアスは機械的に答えた。


「先日、兵士の一人が北海に軍艦らしき影を見たと報告したの。私たちは万一に備え準備していただけ。別段おかしなことでもないわ。」


 だが、それだけの不確定な情報だけでここまで的確かつ俊敏な対応が出来るというのは口で言うほど簡単ではない。それだけ、ここの団長が優秀な人間であるということだ。


「全てあの団長の采配か、頭上がらないな。」

「当然よ。あの方は私たちを真摯に導いてくれる。尊敬できる上官だわ。」


 カリアスの言葉には迷いがない。それだけ、あの団長を信頼しているということなのだろう。だからこそ、ノルキースのような人材がこんなところに派遣されていることが不可解でならない。


「なあ、あの人貴族だよな?なんでこんなところで駐屯兵団の団長なんかやってんだ?」

「……それは…。」


 カリアスが何かためらいがちに口を開こうとしたとき、執務室の扉が開いた。そこに立っていたのは話の渦中の人物、ノルキースだった。


「待たせてすまんな。」

「いえ、お忙しいところ申し訳ありません。」


 ノルキースは向かいのソファに座ると、腕を組み目の前のヴェルナーを見据えた。


「さて、君の知りたい情報を教える前に、まず私の方から質問させてもらおうか。」

「え?はい、なんでしょうか?」

「君が今抱えている任務とは何だ?それに関わりのあることだからこそ、わざわざここまで足を運んできたのだろう?」


 ヴェルナーの心臓がはねた。軍人の端くれとして戦況を知りたかっただけだ、と解釈してくれればそれでよかったのに、やはりこの男は鋭い。


「……極秘任務ですので。」

「確か君はグリアモから来たと言ったな?グリアモの駐屯兵団長はローラント=セルシム少佐だったな。彼の指示か?」

「……。」

「私は君の直属の上官ではない。本来なら私に強要できる権限は無いが、場合が場合だ。君だってより正確な情報が欲しいだろう?」


 こう言われてしまえば、ヴェルナーには逃げ場がない。観念して話すか―――、そう心の中で逡巡していると、


「…カリアス中尉、悪いが下がってくれ。」

「はっ。」


 ヴェルナーの心中を読んだか、ノルキースはカリアスを下がらせる。改めて、ヴェルナーはノルキースと対峙する。これ以上ごまかすことはヴェルナーには出来なかった。


「自分たちはメテルリオンを目指しています。」

「メテルリオン?それはどうしてまた。」

「トランベルの貴族、カテラ=ジュンア氏の依頼です。自分は彼女の護衛として同行しています。」


 ヴェルナーは何故カテラがメテルリオンを目指していたのかをかいつまんで説明した。ノルキースは表情を一切変えることなくヴェルナーの話を聞いている。


「シュトラウツァに立ち寄ったのも、メテルリオンへと向かうためか?」


 キルシュからメテルリオンまでの岐路にシュトラウツァは無い。本来なら立ち寄る必要もない町になぜやってきたのか、ノルキースの質問、もとい尋問は続いていく。


「…いえ、同行者の一人が研究所のパヴコヴィック博士に別件で用があったからです。」

「博士にか、何の用だ。」

「それは自分の任務には関係の無い事です。自分の口からは言えません。」


 ここばかりはヴェルナーも断固拒否した。アイリの事まで話すことは出来ない。彼女まで巻き込む必要は無いのだ。まして彼女が先日、研究所でノルキースの同行者であるランドルフを刺した人間だとばれるわけにはいかない。幸いにもノルキースはこの件に関してはそれ以上追及しなかった。


「では、何故メテルリオンヘ行くことが極秘任務となる。確かにあそこは好んでいく場所ではないが、別段おかしなことは無かろう?」

「―――妨害があったからです。」

「妨害?どこからだ。」

「…オルセン軍本部です。」


 ここにきてようやくノルキースの表情が動いた。軍本部からの妨害という言葉にただならぬ気配を感じ取ったのだ。


「東の大陸へ渡る前に、ヨドにて本部からの捕縛命令を受けた兵に捕らえられました。ヨドの同期の兵によると、本部中枢部隊に所属する大尉と、自分は面識が無いのですが彼に同行する軍人とは到底思えない妙な男の命だったそうです。」

「妙な男…、まさか軍事顧問か?」


 軍事顧問、という聞き慣れない単語にヴェルナーは目を丸くした。


「私にも覚えがある。つい先日この駐屯兵団にも、本部から派遣された軍事顧問を名乗る妙な男がやってきた。研究所のパヴコヴィック博士の元へ案内しろと命令してきた。奴の話では、自分の他にも数人が軍本部に雇われて派遣されているらしいと。」


 その男とは、間違いなくランドルフの事だろう。研究所であった記述術を使う凶暴な男。だとすれば、ヨドでギルバートが口にしていた妙な男というのがイザイア。本部に雇われた軍事顧問であり、サイフォスを知っており、ヴェルナーを殺そうとした者たちだ。


 ヴェルナーは我知らず頭を抱えていた。何故本部から雇われた軍事顧問がヴェルナーの命を狙うのか、それを指示していたのは誰か、考えれば考えるほど深みにはまりそうになる。


「…話を元に戻そうか。つまり君が知りたいのはメテルリオンヘ向かうに当たっての、今後のイシルとの戦況、という事で間違いないか?」


 それはずばりヴェルナーの望むべき情報だった。戦争が始まった以上、この先東へと渡ってどこまで進む事が出来るのか、それを知りたかった。だが、ノルキースが次に発したのは最も的確かつ残酷な忠告だった。


「悪い事は言わん。東へ向かうのはやめておけ。イシルは完全に戦争を始める気だ。どういう意図で北海から侵攻してきたのかは知らんが、戦争が本格化すれば陸部からも侵攻が始まる。そうすればメテルリオンなど真っ先に戦場だ。」


 ある程度は予想していた、だが、実際に言葉として突き付けられた時、その現実が重くのしかかる。


「帝都に戻れんというなら、キルシュへ戻れ。あそこには東部本隊があるし、本部からの追手も掛からない。」


 だが、キルシュへ戻っても、まだ始まってもいない戦争がいつ終わるかわからないこの状況では、動きようがない。近衛師団の病の事もあるのだ。立ち止まってもいられない。何より、サイフォスの手がかりを掴みかけている今、おめおめと帰れるわけが無かった。


「引き返すつもりはありません。」

「…何故だ。依頼者もろとも死ぬつもりか。」

「そんな事はさせません!」


 知らぬ間に白くなるほど強く拳を握りしめていた。額から一筋の汗が滑り落ちる。

 後で思えば、この時のヴェルナーはどこか意地になっていた。本部の追手の事、ランドルフたちの事、そして戦争。それらがヴェルナーたちの行く手を遮る。そして今度は、ノルキースまでもが行くのをやめろと告げてくる。それが無性に腹立たしい、逃げたくない。それはどこか、反抗期の子供が抱える様な苛立ちにも、見えない何かに追い立てられるような強い焦燥感にも似ていた。


「オルセン軍本部にも目を付けられているんだろう?下手をすれば軍人生命を絶たれる事になるぞ。」

「…構いません。これは自分が望んだ旅でもあるんです。そのためなら地位も惜しくはありません。」


 だが、その答えはノルキースの態度を一変させた。表面上ではわからなかったが、明らかに纏う空気を変えたノルキースは、ヴェルナー冷ややかな言葉を浴びせた。


「…お前は将校失格だ。」

「えっ…。」


 そのたった一言に、ヴェルナーは言葉が出なくなった。


「お前は自分しか見えてない。お前はいつか周りの人間を殺す。周りが見えない人間ほど将校としてたちの悪い者は無い。」


 呆然とするヴェルナーをノルキースはさらに追い立てる。


「お前は何のために将校になった?」

「―――何のため?」

「戦うためか?のし上がるためか?人を守るためか?認めてもらうためか?」

「…俺が…将校になったのは…。」


 戦うためではない。のし上がりたいなんて考えた事も無い。人を守る―――?守りたいと思う人間はいるが、そのために軍人になったわけではない。


 認めてもらう。―――そうだ、認めてもらいたかった、あの人に。


 ヴェルナーはサイフォスに認めてもらいたかった。彼を探して、彼に報いる事が出来れば、それが叶うのだと思っている。―――でもそれだけだ。たったそれだけの理由で、自分はここまでやってきた。自分には、それしかない。

 ヴェルナーが黙り込んでいると、ノルキースはひどく失望したような顔をした。


「やはり、私の想像通りだった…。そうやっていつまでも、見えもしない恩師の影ばかり追って、この先、生きていくつもりなのか?」

「―――!待ってくれ!恩師って……、サイフォスの事を知ってるのか!?」


 ヴェルナーがサイフォスを探すために入隊した事は、ごくわずかな人間しか知らないはずだ。ついこの間会ったばかりで、今日初めてまともに会話したノルキースが何故知っているのか。


「お前を軍学校に入学させたハルトマンとは古い友人でな。お前の事も何度か耳にした事がある。お前がサイフォスを探している事も、そのために近衛師団の入団を蹴った事もな。」


 だから、最初に出会った時ヴェルナーの名を聞いて反応したのか。彼は最初からヴェルナーの事を知っていたのだ。


「ハルトマンは黙っておくつもりだったらしいが、お前が幻想に惑わされているのなら、ここで目を覚まさせておいてやった方がいい。」


 そしてノルキースはヴェルナーが最も恐れていた事を口にした。


「ヴェルナー=ライトロウ、お前が探しているサイフォスという軍人はこの世のどこにも存在しない。」

「!!」

「ハルトマンは、お前に出会ってから少しずつここ数十年の軍籍名簿を調べていたそうだ。だが、そのどこにも、サイフォス=ライトロウという名は見つからなかった。」


「嘘だ!!」ヴェルナーは金切り声をあげた。


「嘘じゃない!在役者、退役者、殉死者。どの欄にもそんな名前は無かった。お前が探しているのは幻なんだ!」


 全身の血が沸騰しそうだった。呼吸が出来ない、苦しい。ヴェルナーは目の前にいる男に怒りの感情をぶつけた。もはや彼が上位階級の人間であるということは頭から消えていた。


「あんたに何がわかる!俺とサイフォスの事何も知らない部外者のくせに勝手な事言うな!」

「そうだ、私はお前たちの事など何も知らない!だが、この事でハルトマンがどれだけ苦悩していたのか、お前にわかるのか!?」

「なにを―――、」

「どうしてハルトマンがこの事をお前に黙っていたのかわからんのか!サイフォスという軍人が、本当はどこにもいないなどと知れば、お前が絶望するかもしれないと、そう思ったからだろうが!」


 ―――息を飲んだ。まるで冷や水を浴びたように熱かった全身が冷めていく。

 どうして今まで気が付かなかったのだろう。自分を拾ってくれたハルトマンは、軍本部の少将であり、長年軍学校の学長を務めてきた人間だ。軍人一人の行方なんていくらでも探す手段がある。にもかかわらず、一度としてヴェルナーにその知らせをくれる事は無かった。彼は知っていたのだ、サイフォス=ライトロウという軍人はこの世に存在しないという事を。それを知ってもなお、恩師を探すと張り切っていたヴェルナーを黙って眺めていた事の罪悪感、傷つけたくないという想い。自分は一体どれだけ守られ、自由にさせてもらってきたのか。


 ―――あんただって私の気持ちわからないじゃない!


 ああ、そうだ。彼女だってそうだ。自分が愚かだったせいで、傷ついた犠牲者だ。


 永遠の様な時間の末、ノルキースは「時間だ。」と言って、立ち上がった。未だに真っ青な顔で項垂れているヴェルナーにはもう興味は無いという様に。


「…もう一度忠告しておく。メテルリオンに向かうのはやめておけ。これ以上、無駄な犠牲者を出すな。」


 俯いたままで、ノルキースが退室していくのを感じていた。執務室に一人残されたヴェルナーは、何もかもが耐えきれず、咆哮と共に机を殴打した。


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