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第九章 真実は虚無(2)

 イアーナからの知らせを聞いたヴェルナーは、すぐさまパヴコヴィックの家を飛び出した。向かう先は、町の中心部、駐屯兵団の兵舎。襲撃に関する有力な情報を集めるには兵団に直接聞いた方が早いと判断したヴェルナーは、大急ぎで兵舎へ向かう。途中、町の様子を横目で見ていると、どうやら噂は本当のようだった。そこらじゅうで、慌てふためく市民たちが忙しなく駆けまわり、中にはパニックになって暴れまわる者もいる始末だ。そんな中、外出の途中だったアイリとバズの姿を発見した。


「ヴェルナー!ちょうどよかった。」


 アイリはヴェルナーを見つけると、救いの神が現れたかのような顔で手招いた。喧騒の広がる路地の隅に蹲っていた二人だったが、アイリはともかくバズの様子がおかしい。バズはこちらを見ようともせず、ただ下を向いて怯えたように蹲っていた。


「おい、バズ。どうしたんだ?」


 ヴェルナーも声をかけてみるが、全く反応が無い。それに答えたのはバズ本人ではなく、隣にいたアイリだった。


「それが、イアーナと三人で出かけている時に、砲撃があったって騒ぎになって、それから怯えたように動かなくなっちゃったのよ。」


 その言葉の通り、壊れた人形のように、ガタガタと震えたままのバズに今度は強い口調で呼びかけた。


「おい!バズ!しっかりしろ!」


 肩を揺らしてみると、ようやくバズの顔が見えた。これ以上ないほど真っ青になっていたが、その口から微かに怯えた様な声が聞こえた。


「……いやだ。…戦争は……もう、死ぬのは…いやだ……。」

「バズ!何言ってんだよ!しっかりしろって!」


 何度も肩をゆすっても返事が無い。どうやらヴェルナーの声がバズには聴こえていないらしい。こんな姿になった友を見たのはヴェルナーも初めての事で、どうしていいかわからずただ必死に呼びかけた。だが、虚空を見つめたバズは、狂ったように拒絶の言葉を発している。


「……いやだ…いやだいやだ…いやだ!!!」

「―――!」


 気が付いた時にはすでにバズの顔を殴っていた後だった。バズの身体が後方に吹っ飛び、アイリが小さな悲鳴を上げる。構わずヴェルナーはバズの胸倉を掴んで起き上がらせる。


「お前!どうしちまったんだよ!俺の言ってる事が聞こえねぇのか!?」


 ヴェルナーの怒鳴り声に、我を忘れていたバズの目がようやくヴェルナーの姿を映した。


「……ヴェルナー…?」


 まだ弱弱しいが、ようやくバズは殴られた痛みと共に意識を取り戻した。その事にヴェルナーは安堵する。


「アイリ、悪いけどこいつ連れて博士の家に戻ってくれ。俺は駐屯兵団に状況を聞きに行って来る。」

「でも…。」

「ちょっと様子見てくるだけだ。すぐ戻る。」

「……わかった。」


 アイリは素直に頷くと、まだ茫然としているバズを引っ張っていく。バズの事はまだ気がかりだったが、今は兵舎に向かうのが先だ。改めてヴェルナーは町の中心部にある駐屯兵の兵舎へと向かうべく、人ごみの中を進んでいく。


 ほどなくして到着した兵舎の前には、大勢の市民が詰めかけていた。皆、噂の真相を追及するために集まった者たちだった。


「さっきの爆発音はなんだったんだ!?俺たちにも説明しろ!」

「イシルが、イシルが攻めてきたの!?ねえ、教えてよ、兵士さん!」


 人々は手当たり次第に兵を捕まえては口々に質問する。彼らを抑えようと数人の兵たちが必死に門を塞ごうとしているが、あまりの勢いに今にも決壊しそうだ。


「みなさん!落ち着いて下さい!現在駐屯兵団が原因の究明に向かっています。どうか落ち着いて。」


 大声で人々に訴えかけている若い兵の姿に見覚えがあった。確か先日町で見かけた伍長だ。

 ヴェルナーもなんとか兵舎に近づこうとするも、民衆の団塊はピクリとも動かない。それでも隙間に身体を無理やりねじ込ませ、何とか最前列まで辿りつくと、同時に兵舎から一人の男が姿を見せた。


「おい、団長だ!」誰かがそう叫んだ。人々は皆一斉にその男、ノルキースの方を見る。


「市民の皆さん。どうか落ち着いて話を聞いていただきたい。」


 よく通る力強い声に、騒がしかった門前が氷を張った様に静まり返った。


「本日午後、北部のレートン海岸にて、艦砲によるものと思われる爆発を確認しました。まだ不確定ですが予想が正しければ、これはイシル軍によるオルセン帝国への侵略行為です。」


 その言葉に、人ごみのあちこちから悲鳴が上がった。イシル軍の侵略行為、それはすなわち戦争の始まりを意味する。パニックが伝染する中、ノルキースは慌てることなく、人々を苛めた。


「落ち着いて下さい。レートン海岸からシュトラウツァまでは十数キロの距離があります。イシル軍がここへ到着するのは、早くても二日後となるでしょう。その間に、あなた方一般市民は出来る限り、南方のキルシュへと避難して頂きたいのです。そのための馬車と避難場所はすでに手配をしています。」

「そんな!この町を置いて逃げろっていうのか!?」


 一人の男が声を張り上げる。それに呼応するように、周りから「そうだ、そうだ。」とどよめきが広がった。


「キルシュの東部本隊にはすでに話を通してあります。イシル軍がシュトラウツァへ到着する前に、東部本隊がこちらへ到着致します。我々駐屯兵団と東部本隊の力を以て、この町を戦火に晒したりなどしない!どうか我々を信じ、あなた方は安全な場所へと避難して頂きたい!」


 ノルキースが頭を下げると、誰もが反論の口を開く事が出来なかった。駐屯兵団団長、それはその町の市民を守る者の中で最も重い責務を背負わねばならない存在だ。ノルキースという男は、今自身の軍人としての威信をかけて、全力でその責務を遂行しようとしている。たった数日、このシュトラウツァという町で過ごしてきたヴェルナーですら圧倒されたのだ。長年ここに住む市民たちに、もはやこれ以上の心付けは存在しない。


「予定していた輸送馬車の準備を始めろ。出発は明朝、子供とお年寄りを優先して案内しろ。残りの兵は武器工具の準備。北部の防護線に展開させろ。」


 ノルキースが指示を飛ばすと、周囲の兵たちが一斉に動き出した。まるで事前に準備していたかのような精錬された動きにヴェルナーは舌を巻く。


「詳しい避難勧告は数時間以内に告知させていただきます。皆さんはどうかそれまで各家庭にて避難の準備を進めていてください。」


 ノルキースは改めて目の前の群衆に呼び掛けると、まだ不安そうな雰囲気ながらも大人しく兵舎の門から離れていった。後に残されたのは、強情な数人の市民とそしてヴェルナーだった。人口密度の薄まった門前で、ノルキースは初めてヴェルナーの存在に気が付いたのか、こちらへと近づいて来た。


「君は先日会った中尉か、まだこの町に留まっていたのか。」


 明らかに邪険を帯びた視線は、ヴェルナーを容赦なく射抜いた。


「…はい。諸事情でしばらく滞在することになりまして……。」


 曖昧に口を濁すものの、この男に通じるとは思えなかった。


「まあいい。で?何か用があってここに来たのではないのか?」

「はい、北部で砲撃があったとの噂を聞きまして、状況を聞きに来たしだいです。」


 といっても、先ほどノルキースが市民たちに告げたのを聞くに、兵団内はそれほど混乱状態になっていないようだ。


「そうか…、では中に入るといい。どこも慌ただしいので大したお構いはできないがな。」


 それだけ言うとノルキースは踵を返し兵舎へと向かい始めた。意外な返答にヴェルナーはしばらくそのまま立ち尽くしていると、


「どうした?来んのか?」

「あ、はい。失礼いたします。」


 ヴェルナーは慌ててノルキースの後を追い兵舎へと入った。


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