第九章 真実は虚無(1)
「俺を軍に入れろ。」
開口一番、その少年は対峙したライリー=ハルトマンに向かって言い放った。まだあどけなさの残る少年だが、その気配は手負いの獣のような獰猛さを秘めていた。
少し前、ハルトマンの元に連絡が入った。いわく、帝都トランベルの中心にあるオルセン帝国軍本部詰所にて、謎の少年が侵入し暴れているとのことだった。軍の主力である連隊を始め、上層部の重鎮も多数在籍している本部の詰所は、本来なら一般市民は恐れて滅多に近寄らない。しかしその日、詰所に一人の珍客がやってきた。ひとしきり暴れ、兵たちを翻弄した小さな客人は、数人がかりで取り押さえられた。そして現在、武器を持った大の大人数人に羽交い絞めに拘束された少年を見下ろして、ハルトマンはどうしたものかと悩んでいた。
「何とか言えよ!じじい!」
少年が黙ったまま反応の無いハルトマンを罵倒すると、彼を捕らえていた兵の腕がさらにきつく胴体を締め上げた。
「こら餓鬼!少将殿に向かって何て口のきき方だ!」
「ぐっ…いてぇな!離せよ…!!」
拘束されてもなお、もがき続ける少年を見るに、なんとも度胸の据わった奴だと逆に感心した。彼には目の前に突きつけられている銃口が見えていないのだろうか。その威勢のよさに感服したハルトマンは、兵たちに拘束を解くように命じる。少し対等に話をしてみたいと思えたのだ。
「しかし、少将。こいつ子供のくせにとんでもない身体能力でして、見張りも何人か伸されてしまいまして…。」
「ほう!入口で倒れていた奴らは全てお前がやったのか?」
ハルトマンは、ますますこの少年に興味を持った。腰をかがめ顔を覗きこんでみる。その瞳は鋭く荒々しいが、どこまでも透き通っていた。
「悪いかよ。あいつらが先に攻撃してきたんだ。俺は反撃しただけだ!」
「だが、入ってはいけない所に先に入ってきたのは君だ。ここが一般市民は立ち入り禁止だという事は、帝都の人間なら知っているだろう?」
何気なく発言したつもりだったが、少年はぐっと息を詰まらせて黙りこくってしまう。しばらくの沈黙の後、少年はバツが悪そうにぼそりと呟いた。
「…知らなかった。」
「そうなのか?」
「ここに来れば軍人になれる方法がわかると思って、でもここが何なのか俺知らない。」
そういえば、先ほどもこの少年は軍に入れろと言っていた。つまり軍人になりたくて、でも方法がわからないから軍人が大勢召集されている詰所へ来たのか。
「……君は何故軍人になりたいんだ?」
それは純粋な好奇心だった。詰所の存在も知らない少年が何故軍門をくぐりたいと願ったのか。
「探したい奴がいるんだ。」
少年は迷うことなくはっきりとそう言った。
「そいつは軍人で……、俺を助けてくれて、でもどっか行っちまって。だから探してるんだ。」
拙い言葉だったが、ハルトマンは少年が嘘を言っている様には見えなかった。少年の目はどこまでもまっすぐだ。ハルトマンは直感で、この少年なら信じられると思った。
「お前は今いくつだ?」
「へ?……十三…多分。」
ハルトマンは「よろしい。」と言って、立ち上がり少年を見下ろした。
「あと二年待て。そうしたら俺の元に来い。お前の望みを叶えてやる。」
後にハルトマンが学長を務める士官学校にて、前代未聞の名誉首席となる少年との出会いは、ハルトマンにとっても軍人人生を大きく揺るがす物となる。この時ハルトマンは、その事を心のどこかで予期していた。
◆
イシルの戦艦によるレートン海岸への砲撃及び、タアル海の海上封鎖は、すぐさま帝都トランベルの王宮と議会、そして軍本部に伝わった。議会は速急に対イシル対策本部を展開し、イシル側に使節を派遣。休戦協定を破断させたとして、戦艦の即時撤退と協定の再締結を求めるも、共和国側はこれを無視した。この通達を以て、議会はイシルとの再戦を決定。帝都本軍およそ五万、及び全地域の駐屯兵団合わせて八万、計十三万に及ぶ兵士に出動命令が下った。
一気に騒然となった本部の兵舎の中で、ハルトマンもまた、慌ただしく出撃の準備を始める兵たちの間をぬって、早歩きで目的の部屋へと歩を進めていた。
「失礼します。総帥殿はおられるか。」
ノックもそこそこに扉を開けると、そこに立っていたのは、毅然と構える初老の男性、ジョン=バティストであった。彼こそが、このオルセン帝国軍を総括する、総帥である。
「ハルトマン少将か。君も明日出動ではなかったかね?」
「はっ、明朝連隊を連れ、帝都を出発いたします。ですがその前に二三聞きたい事がございまして。」
「何かね?」
バティストはハルトマンに向き合うと、真摯な目でこちらを見返す。その圧に若干気圧されながらも、ハルトマンはこう続けた。
「今回の急襲、イシルの目的はやはり独立の承認と、領地の譲渡に関してなのでしょうか。」
「十五年前と変わっていなければそうだろう。向こうは黙秘を決め込んでいるため、詳しい事はわからないがな。」
イシルの襲撃は今からおよそ九時間前、うららかな午後の事で、彼らの砲撃はまさに青天の霹靂の如し出来事だった。その後、イシルへと表明を求めるも何故かイシルは一切の公言も寄越してはこない。敵側の無言の制圧、戦況の中心に身を置く者にとってこれほど気味が悪い事は無い。
「では、総帥は何故この時期に開戦をとお考えですか。」
この十五年間、オルセン軍は休戦協定下にありつつも、常に隣国イシルの動向に目を光らせていた。だが、イシルではオルセン帝国を痛罵する小規模な抵抗運動こそあったが、再戦の動きというのは取り立てて感じえなかった。何故、彼らは唐突に協定を破り帝国に侵攻してきたのか。
「十年ほど前に共和国の指導者一家が暗殺されて以来、イシルの情勢は不安定だと聞く。一部の急進派が独断で動いたと上層部は見ているがな。」
努めて冷静に言うバティストに、ハルトマンは密かに歯噛みした。何故こんな有事の中で、バティストはこうも平静でいられるのか。上に立つ者の余裕か、あるいは―――、
「総帥、最後にもう一つお聞きしても?」
思い詰めた表情で切り出すハルトマンに、バティストも「何かね?」と促す。ハルトマンは意を決し、目の前の男に問いかけた。
「最近、本部の一部の連隊や将校が妙な動きをしている事に関して、何か御存じでいらっしゃいますか?」
その途端、バティストの目が異様なまでに細められた。ハルトマンを値踏みするような、笑っているような。その表情に思わず背筋が凍りつく。
「妙な動き、というのは?」
「……総帥のあなたならご存知のはずです。皆まで言いますまい。」
ハルトマンの意中にあるのは、先日貴族の婦人を誘拐した不貞者を確保するという理由で、ヨドへ向かったとある将校の一件だ。これは本部に在籍するハルトマンですら、事後に人伝で聞かされた話だった。それだけではない。各個連隊、あるいは将校個人が命を受け極秘に動いていると思われる任が、ここ数日でいくつも浮上してきている。本部内で全体の統率を計っている者の一人として、決して見過ごせない事実だ。少将の自分がこの状態という事は、おそらくこれらの指示を出しているのは、ハルトマンより上層の人間、例えば目の前にいるバティストのような人間という事になる。
「それだけではありません。ここ数日、妙な者たちが軍事顧問として出入りしているようですが、何故彼らについての説明を我々兵士になさらないのです?」
「……あの者たちは、私が招集した正式な軍事顧問だ。身元は私が保証している、兵たちに告げないのも、その必要性を感じないというだけだが。」
「―――しかし!」
「ハルトマン少将、君は明日の出立の準備があるのではないか?こんなところで油を売っていて良いのかね?」
ハルトマンは息を詰まらせた。バティストの言葉に言いようのない圧力を感じ、たまらず後退する。
―――余計な詮索はするなという事か。こうなった以上、ハルトマンもこれ以上進言は出来ない。
「……失礼いたしました。私はこれより明日の出立準備に取り掛かります。」
「ああ、それでよい。検討を祈っておるぞ。」
激励をもらったハルトマンは、腑に落ちぬまま総帥室を後にした。
総帥室を出ると、兵舎の廊下では部下たちが忙しなく動き回っていた。兵の一人がハルトマンの姿を見つけると、こちらに駆けよって敬礼した。
「少将、出立の準備滞りなく整っております。」
「ああ、よろしく頼むぞ。」
兵は威勢のいい返事を返す。戦争と聞いて怖気づいているかと思いきや、むしろ生き生きとしている様だ。
「随分やる気だな。そんなに戦争がしたかったのか?」
やや冗談めかして言ってみると、兵は慌てて首を振った。
「い、いえ、そうではないんです。ただ…、」
「ただ、なんだ?」
「これまで自分がやってきた訓練とか身に付けた知識が活かされると思うと、なんだかわくわくしてしまって…。あ、勿論戦争が起こればいいなんて思っているわけではないのですが。」
落ち着き無く語る兵に笑みがこぼれた。何故笑われているのかわからず兵は戸惑っている。
「…いやあ、すまんすまん。前にもお前みたいな威勢のいい奴がいたな、と思ってな。」
授業で何かを一つ学ぶ度、嬉しそうに語っていた。次はこんなことが知りたい。早く実戦で確かめたい。そう言っていつもはしゃいでいた少年は、今どこで何をしているのだろうか。そう思った瞬間、ハルトマンの心の中に、小さな靄が生まれ小さな傷を付けていく。
「あの…、どうかされましたか?」
無意識に難しい顔になっていたらしい。兵は心配そうに覗きこんできた。慌てて、「気にするな。」と手を振って誤魔化すと、兵もそれ以上追及しなかった。
「ですが東部の方は大丈夫でしょうか。聞いたところによると、襲撃があった地方は兵も手薄だと…。」
「それなら大丈夫だ。あそこには有能な指揮官がいる。」
「有能な指揮官、ですか?」
「ああそうだ。だから心配はいらない。さあ、明日は早い。準備が整い次第、身体を休めるようにな。」
兵を激励すると、ハルトマンは自室へと向かう。忙しなく動く兵たちを眺めながら、ハルトマンは物思いに耽っていた。
「大丈夫さ。あいつなら―――。」
そして、ハルトマンは今遠い地にいるかつての友に想いを馳せる。




