第八章 恩師を知る者(3)
見上げると、そこにはお茶のトレイを手にしたアイリが突っ立っていた。アイリはソファの傍にヴェルナーとバズの分の茶を置くとその場に座り込む。
「あんたが、今まで恩人を必死に探してた事はわかってる。そのために色んな苦労もしてきたんでしょ?確かに初めて手にした手がかりがあれじゃ、がっかりするのもわかるけど。でも手がかりは手がかりよ。少なくともサイフォスって人がどんな人間と通じていたかがわかったじゃない。」
「お前な、人事だと思って。」
「人事だもの、しょうがないじゃない。」
悪びれもなく言うアイリに、ヴェルナーはむっとした。だが、アイリは続ける。
「でも人事だからこそわかる事もあるわ。ヴェルナー、あんたはサイフォスのなにが知りたいの?彼が偉大な軍人だったって事?誰からも尊敬される人間だったって事?」
「……何が言いたいんだよ?」
思わず起き上がってアイリを睨みつけた。だがアイリは臆することなくまっすぐとヴェルナーを見据えた。
「言っとくけど、人ってそんないい面ばかりじゃないでしょ。いい一面もあれば、悪い一面もある。それはあんたが探してるサイフォスだってきっと同じ。あんたがその人を知ろうとすればするほど、その人のいい面だけじゃなく、悪い面だって見えてくるの。」
「―――!」
「だから今回の事だって、どうしようもないって片づけないで、ちゃんと向き合うべきだと思う。サイフォスに関わる事なら尚更、あんた自身が受け入れるべき事なんじゃないの?」
アイリの鋭い、だが力強い叱咤にヴェルナーはしばらく何一つ言い返す事も出来ず項垂れていたが、やがて深いため息をついた。
「―――そうだな、俺が悪かった。」
「えっ!?」
素直に頭を下げたヴェルナーにあろうことか、アイリは飛び上がる勢いで驚いた。隣にいたバズも鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「なんで、驚くんだよ。」
「……いや、だって。てっきり「お前には関係ない!」とか「お前に言われたくない!」とか怒鳴られるかと…。」
そう言われて、ヴェルナーはさらにがっくりと肩を落とした。自分は一体彼らにどういう人間だと思われていたのか。
「あのな、俺は自分に非があると思ったら素直に謝るし、指摘された事はちゃんと受け止める主義なんだよ。」
「あ、そうなんだ。」
けろっとした様子で、アイリはヴェルナーに笑いかける。
「私の父さんもよく言ってたわ。人のアドバイスは素直に聞ける人間になりなさいって。」
「その割には、長い事根に持ってたり、すぐ暴言吐いたりするんだよな。」
「……そういうあんたは、いつも一言多いのね。最近ちょっとわかってきたわ。」
せっかく和解しかけたというのに、再び剣呑な雰囲気に戻りかけたので、慌ててバズが止めに入った。
「ま、まあ、とにかく!サイフォスの事はこれから調べていけばわかってくる事だろ?まだそいつに名前を聞いただけだし、続けていけばもっと違う話が聞けるかもしれないじゃん。」
必死で取り繕うバズを見て、ヴェルナーもアイリも吹き出した。
「それもそうだな。あんな奴の言葉を鵜呑みにする必要もないし。」
「そうそう、もしかしたらこの先、もっといい話が聞けるかもしれないわよ。」
先ほどの鬱々(うつうつ)とした気分が嘘のように、ヴェルナーは二人に向かって晴れやかに笑っていた。
◆
それから数日の間、ヴェルナーたちはパヴコヴィックの家に厄介になった。町の中には、まだ駐屯兵がパヴコヴィックを探している可能性もあるし、何より彼に訊きたい事が山ほどある。
滞在して三日目の夕刻、食事を終えた後、アイリとバズとイアーナは町の偵察も兼ねて外出していった。イアーナも成り行きでここまでついてきてしまったが、
「博士の事も心配だし、ここまで来たらしばらくあなたたちと一緒にいるわ。故郷の方にも当分留守にするって伝えてあるから。」
と随分あっけらかんとして、一行に馴染んでしまった。
ヴェルナーも外出に誘われたが、パヴコヴィックに訊きたい事があったので家に残る事にした。連日治癒術を使ったせいで、少し疲れ気味のカテラは早々に客間に退散してしまっている。カテラの治癒術で、すっかり傷も癒えたパヴコヴィックは、リビングに散らばっていた書類を整理しながら、
「すまんが先に書斎に行っていてくれないか?私もすぐに行く。」
とこちらも見ずにそう告げた。
書斎も相変わらずの混沌だった。パヴコヴィックを待っている間、ヴェルナーは手持無沙汰に辺りを見渡す。すると、執務台の上に書物に交じって置かれていた、小さな肖像額が目についた。少し気になって覗いてみると、そこにはある家族の肖像画が入れられていた。映っていたのは若い夫婦と、そして小さな子供。女の子だろうか、リボンを付けた可愛らしい少女は、父親に抱っこされて嬉しそうに笑っている。絵に描いた様な仲睦まじい家族の姿に、自然と顔が綻ぶ。だが同時に、その肖像に妙な違和感を覚えた。
なぜ、こんなものがパヴコヴィックの机の上に―――?見たところパヴコヴィックの姿が見当たらない。どうして自身が映っていない家族の肖像を大切に飾っているのか。
「その肖像画が気になるかね?」
突然後ろから声がして、ヴェルナーは慌てて振り返った。顔色もすっかり良くなったパヴコヴィックは、初めて出会った時のような不敵な笑みを浮かべていた。
「すみません、勝手に。」
「構わんよ。……それは私の妻と娘だ。」
「へ?」
少年の口から発せられた言葉に目を丸くしてしまう。もう一度手に持った肖像画を凝視した。額に入った家族の肖像、女性が妻で幼い子供が娘だとしたら、パヴコヴィックは―――
「それは三十年ほど前に、描いてもらった家族の肖像だ。娘を抱いているのが当時の私だ。」
「えっと、……しかし、ここに写っている男性はどう見ても成人じゃ……。」
だが、良く見るとその男性の顔は、どこか目の前の少年の面影を背負っていた。頭が混乱しているヴェルナーを余所に、パヴコヴィックは執務台の椅子に腰かけると静かに語り出した。
「私はこんな姿をしているが、今年で五十八になる。」
「五十八!?」
確かに出会ったときから、どことなく大人びた少年だと思っていたが、まさかそんなに年配だったとは。だが、その姿は若作りと呼ぶにはあまりにも若すぎる。それはあまりにも異常で、奇怪だ。
「今から二十年ほど前の話になる。私はある者の記述術によって、身体の成長と老化が逆行する呪いをかけられた。」
「成長と老化の逆行……?」
「そうだ。本来人間は年月が経つにつれて、身体が成長し、そして老化しやがて死んでいく。だが、私は逆にその呪いをかけられた日を境に、身体が年年若返っていくのだ。二十年前に身体が逆行し始め、今ではこんな少年の姿に戻ってしまった。」
「そんな……。」
ヴェルナーは唖然として、返す言葉も無かった。年を重ねるごとに少しずつ若返ってゆく男、そんな信じられない存在が今自分の目の前にいる。
「一体誰が、そんな事を?」
「……私をこの姿に変えたのは、イザイアという記述師だ。先日我々を襲った、ランドルフの同胞だ。」
「イザイア……。」
そういえば、あの男も言っていた、ヨドでイザイアがヴェルナーを発見したと。
「私はとある理由から彼らの不興を買ってしまった。その報復として私は、奴らに呪いをかけられたのだ。」
「……その理由とあいつらの正体について、お聞きすることは出来ますか?」
ヴェルナーはまっすぐな目でパヴコヴィックに向き合った。目の前の少年の姿をした尊老は、ただ黙ってその視線を受け止めていたが、やがて静かに目を伏せ口を開いた。
「君はサイフォスという者を探しているのか?」
質問に質問で返されて、ヴェルナーは一瞬口ごもるが、すぐに「はい。」と答えた。
「サイフォスという名は私も聞いた事がない。だが、ランドルフがその名を口にし、その縁者である君を殺そうとしたという事は、奴らにとってそのサイフォスと君が邪魔な存在であるという事だ。そして、君がサイフォスを探す上で、必ず彼らが障害となるという事でもある。」
「……。」
「あの者たちは、本来我々が知るべきではない存在だ。そして、それを知ってしまったが故に、私は彼らに報復されこのような姿になった。……言いたい事はわかるか。」
ヴェルナーは素直に首肯する。つまり、ヴェルナーが引き続きサイフォスを探すのなら、必ずあの者たちにぶち当たる。それは、目の前にいるパヴコヴィックのように知るべきでない事を知り、同じように報復を受ける危険があるという事だ。だから、パヴコヴィックも容易には口に出来ない。知らない方がいい、関わらない方がいい。パヴコヴィックは直接口にせずとも、その全身でそう語りかけてくる。だが、ヴェルナーにもまた、自身の中に蔓延る意地があった。
「―――俺はもう十年近く、サイフォスの行方を追って来ました。どんな事でもいい、サイフォスに近づくためならなんだって知りたい。たとえそれが知るべきことではなかったとしても、あの人に関わる事を俺は全て知りたいです。」
視線をそらすことなく、まっすぐな思いを伝えた。パヴコヴィックもまた、その思いに応えるように、重厚な笑みを浮かべる。
「……わかった。お前に話そう、だが全てをすぐに話す事は出来ん。これは、もしかしたら君が今まで培ってきたこの世界の概念を大幅に覆す事になるやもしれん。」
「どういう事ですか?」
「奴らの正体を語るという事は、君自身だけでなく、この国を…いや、この世界の根本をも揺るがす事になるからだ。」
―――世界、何やら突然大規模な話になってしまい、ヴェルナーも少したじろいだ。一体この男は何を知っているというのか、そして、今から自分に何を語ろうとしているのか。
緊迫した面持ちで、パヴコヴィックの一声を待っていた時、書斎の扉がノックされた。
「入れ。」パヴコヴィックが、扉の外の人間に呼び掛けると、そこに立っていたのは、顔を真っ青にしたイアーナだった。
「イアーナ、どうかしたのか。」
「博士、それにヴェルナーも。大変なんです。」
イアーナは全身を震わせ、息も絶え絶えにそう告げた。尋常じゃない様子に、パヴコヴィックも険しい表情を見せる。
「何かあったのかね?」
「はい、今。バズとアイリと町の方に出ていて、噂話が聞こえたんですけど……、今日の夕刻頃、シュトラウツァ北部の沿岸で、軍艦の砲撃があったって……!」
「―――なんだって!?」
ヴェルナーは思わず声を張り上げた。苦しそうに息をするイアーナは尚も続ける。
「シュトラウツァの方にも砲撃の音が聞こえたらしくて、もう町じゅう大騒ぎになってて……。」
突然の事態にヴェルナーも只息を飲むしかなかった。だが、その背後でパヴコヴィックは冷静に告げる。
「……イシルの軍勢か。あるいは別の……。どちらにせよ、厄介な事になりそうだ。」
数時間後、その言葉の通り、オルセン帝国連隊及び全地域の駐屯兵団に戦時通告が下された。オルセン帝国のタアル海海域に不正侵攻し、シュトラウツァ北部のレートン海岸を砲撃したのは、イシル共和国軍の戦艦十隻。これは、イシル共和国からオルセン帝国に対する事実上の宣戦布告だった。
記述暦一八〇八年秋、およそ十五年ぶりとなるイシル共和国との戦争、通称第三次イシル独立戦争の幕開けであった。
第八章完
今回少し短かったですが、徐々にきな臭くなってきた感が否めません。
ちなみにパヴコヴィックですが、自分はどうも外見年齢と精神年齢が一致しないキャラクターに惹かれる様で、そういう意味ではパヴコヴィックは非常に自分の趣味が投影されているキャラと言えます。
あと、パヴコヴィックって打つのがかなり面倒なので、早くファーストネームに切り替えたいのですが、現段階で一向に目処が立っていません(泣)多分最後までこのままかも。(辞書に登録すればいいじゃん、というツッコミは無しで)




