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第八章 恩師を知る者(2)

 研究所の待合室は、すっかり廃墟と化し見る影も無かった。そんな中、ヴェルナーたち三人は先ほど自分たちを襲った男がいなくなった事に安堵し、簡単な応急手当てを済ます。

 ヴェルナーには大きな外傷は無かったが、首を絞められたせいで、首元にあざが残ってしまった。頭も少しくらくらする。アイリの方も気が動転しているようだが、目立った外傷もない。一番重症なのは、ヴェルナーを庇って破片を浴びたパヴコヴィックだった。


「とりあえずはこれで大丈夫です。あとで母に見てもらってください。」


 手持ちの包帯で簡単に応急処置を済ませたアイリに、パヴコヴィックは笑いかけた。


「すまんね、お嬢さん。青年も巻き込んでしまった。」

「あんたが謝る必要なんかねぇだろ。むしろあんたがいなかったら俺たちは殺されてた。…ありがとう。」


 ヴェルナーが頭を下げると、パヴコヴィックはなんだか複雑な顔をして黙り込んでしまった。


「…あの男、消えちまったけど。死んだかな?」


 ふと、疑問を口にすると、パヴコヴィックは顔を上げて弱弱しく答える。


「いや、死んではいない。おそらく転移術を使って逃げたのだろう。」

「…転移術なんてのもあるのかよ…。」


 ヴェルナーはぞっとして肩をすくめた。先ほどのランドルフが使っていた妙な術を思い出す。記述術は軍が使用する治癒術くらいしか知らなかった、あんな恐ろしい事が出来るとは想像したことも無かった。つくづくこの世界は未知で溢れている。だが、ヴェルナーにとって気がかりなのは、そんな記述術の脅威ではなかった。


「あいつ、一体何者だったんだ?どうして俺と……サイフォスを知ってたんだ?」


 自分の名を知られていた事にも動揺したが、まさかサイフォスの名をここで聞くとは思わなかった。行方を捜してから数年、一度もその名を聞く事は無かったというのに、ここにきて自分の目的に一歩近づける手掛かりを発見するとは。だが、その手掛かりはあまりにも吃驚きっきょうで、そして衝撃的だった。せっかく手に入れたサイフォスの情報だというのに素直に喜ぶ事が出来ない。そんな思いをぶつけるように、ヴェルナーはパヴコヴィックに問い詰めると、少年は気まずそうに目を伏せたまま黙り込んでしまった。


「頼む、知ってる事があれば教えてくれよ。」

「それは……。」


 言い淀むパヴコヴィックに自然と責め立てるような姿勢になってしまう。だがそれを制止したのは、隣にいたアイリだった。


「ヴェルナー、今はやめましょう。とにかくここを出て、博士をちゃんと治療してあげるのが先決だわ。あんたもボロボロじゃない。」

「……わかった。すみませんでした、博士。立てますか?」


 ヴェルナーは深く息を吐いて、パヴコヴィックの身体を支える。そうして三人は出口を探すべく歩き出した。


 裏手にある非常口から研究所の外へ出ると、そこにはすでに脱出を計っていた研究所の職員、そしてバズたちの姿があった。職員たちはヴェルナーの背に背負われたパヴコヴィックの姿を見ると、途端に悲鳴をあげ狼狽し始めた。


「大丈夫。命に別条はありません。母さん、治療をお願い。」


 アイリが場を落ち着かせるために告げると、すぐさまカテラと、そして治癒術に覚えのある研究員たちがパヴコヴィックの治療に取り掛かる。


「とにかく安静に出来る場所に連れていった方がいいな。」


 ヴェルナーの問いに答えたのは、受付にいた女性だった。あの後、隙を見て逃げ出していたらしい。


「博士の御自宅が町の外れにあります。ですが、先ほどの駐屯兵がかぎつけているやも…。」


 確かに、あのランドルフという男は、パヴコヴィックの手によって撃退されたが、最初に追い出した駐屯兵たちはまだこの辺りにいるかもしれない。もし奴らがパヴコヴィックの自宅を嗅ぎつけて待ち伏せされていたら危険だ。どうするべきか迷っていると、意識を取り戻していたパヴコヴィックが静かに告げた。


「私の家に行ってくれ、おそらく軍の連中はこれまい。」

「博士……!意識が…。」


 目を潤ませる部下たちに、パヴコヴィックは優しく微笑みかけた。


「軍が来れないってどういう事だ?」

「私の家には記述術で結界が張ってある。ランドルフがいれば危なかったが、奴らだけでは私の家そのものすら見つける事は出来んよ。」


 そう言って、無理に立ち上がろうとする。近くにいた研究員がその身体を支えようとするのをそっと制した。


「君たちはいったん帰宅してくれ。研究所の修復は後日でいい。あの状態じゃしばらく閉鎖だ、お前たちは休みを取ってくれ。」


 パヴコヴィックは部下たちに指示すると、ヴェルナーに向き直った。


「青年、私を家まで連れて行ってくれないか?」

「俺が、ですか?」

「ああ、お嬢さんの件の連絡もうやむやになったままだし、それに…聞きたい事もあるのだろう?」


 その言葉に、ヴェルナーはドキリとした。ふらついた足取りで歩いて行くパヴコヴィックの後を追い身体を支える。ヴェルナーの後ろには、アイリ、カテラ、バズ、そしてイアーナがついて来た。


                  ◆

 町の郊外にある山のふもとに、パヴコヴィックの家は存在した。一見何の変哲もない家だが、カテラが家の周囲を見回してぽつりと呟いた。


「「守護」「不可視」「妨害」「反射」……。様々な「記述」が組み合わされて出来た結界だわ。これほどのものが作れるなんて。」

「そうなの?私には見えないからよくわからないわ。」


 アイリだけではなく、博士を除いてカテラ以外は誰も見えていない。ヴェルナーも周りに漂っているであろう「記述」は全く感知できなかった。だが、目に見えなくともそこには確実に物体に作用する何かがあるのだ。先ほどの研究所での騒動を思い出して、ヴェルナーはまた恐ろしくなった。

 パヴコヴィックは複雑な動作で扉を開くと、皆に入るように促した。


 家の中は、研究所で見たパヴコヴィックの研究室とさほど変わらなかった。辺り一面、書物と紙束で埋め尽くされている。かろうじて、リビングの奥にあるキッチンが生活感を醸し出していた。


「まず、少し休ませてくれ。君たちも、手狭だが好きなようにくつろいでくれて構わない。」


 一応客間はあちらだ、とパヴコヴィックはリビングの奥に続く廊下を指した。自身はリビングの隣に続く扉へと向かっていく。おそらく寝室なのだろう。


「博士、でしたらもう少し治療をしておいた方がよろしいですわ。」


 扉へ向かうパヴコヴィックをカテラが呼びとめると、パヴコヴィックも申し訳なさそうに、「頼む。」とだけ返した。さらにイアーナがその背中に声をかけた。


「なら、私お茶でもいれますね。台所勝手に使っても構いませんか?」

「ああ、構わん。好きに使ってくれ。」


 家主の許しをもらうと、イアーナはパタパタとキッチンに向かっていった。そしてアイリも手伝うと言って、イアーナの後を追う。パヴコヴィックとカテラが寝室に消えると、リビングにはヴェルナーとバズが残された。


 途端にヴェルナーの中で緊張の糸が音を立てて切れた。耐えきれず傍のソファにドサッと倒れ込む。その衝撃で床に散らばっていた紙片の幾つかが宙を舞った。


「おい、大丈夫か?ヴェルナー。」


 心配そうに覗きこんでくるバズに、力なく笑顔を向けた。


「ははは、色んな事がありすぎて、疲れちまった。」


 ヴェルナーはバズに、研究所で起こった出来事をかいつまんで話した。話し終わると、ヴェルナーの話を黙って聞いていたバズは、信じられないという顔でこちらを見ていた。


「……えっと、つまり、あの大男はあの博士と同じ記述術の使い手で、なぜかヴェルナーの事を知っていて、その上サイフォスの事まで知っていた、って事か?」

「そうだな。俺の事はヨドにいた仲間から聞いたらしい。サイフォスの事は元から知っていたみたいだけど。」


 バズはソファの傍に胡坐をかいて、難しい顔をして腕を組んだ。


「でも、あの大男って博士の知り合いだったんだろ?なら博士が何か知ってるんじゃないか?」

「知ってると思うけど……、いや、そういう事じゃないんだ。」


 ヴェルナー一人では到底処理しきれない思考が頭の中を駆け巡る。ヴェルナーは、また耐えきれなくなって力無い雄叫びをあげた。突然の事に隣にいたバズもびくっとする。


「な、なんだよ。どうしたんだよ、ヴェルナー?」

「どうしたもこうしたもない。数年間かけて探して、やっと見つけたサイフォスの手がかりがあれってどういう事だよ畜生!」


 ヴェルナーの中で怒りに似たような感情が湧き出ては消えを繰り返す。サイフォスを探す、その為にここまで来たのに、立ちはだかったのは異形の力を持つ謎の男。そしてその男から命を狙われるという事態、しかもそれがサイフォスの関係者だからという理由。一体自分はこれからどうするべきなのか、誰にこの理不尽な思いをぶつければいいのか。煮え切らないまま、ソファに突っ伏して動けなくなってしまう。バズもどう言葉をかけてよいのかわからないのだろう。


「なーに、腐ってんのよ。あんたらしくない。」


 と、そんなヴェルナーの頭上から呆れた様な声が降ってきた。

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