第七章 記述術の権威(3)
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翌朝、イアーナとの待ち合わせ場所に向かうと、イアーナはすでに到着していた。昨日とは違う大きめの白衣に、大きな背嚢を背負っている。イアーナはこちらに気付くと、後ろでポニーテールにした金の髪を揺らしながら、こちらに手を振ってきた。
「おはよう、ヴェルナー。それに皆さんも。」
明るい口調で挨拶をすると、イアーナは距離を詰めてくる。
「いい天気でよかったわ。北部はしょっちゅう天気崩れるって聞いてたから。」
「そうなのか?」
「ええ、冬季は日中雪が降り続くんですって。もう少し北にいけば、もう積り始めているんじゃないかしら?」
行きましょう、と声を掛けられ、ヴェルナー一行も研究所に向かって歩き出す。
「ところで、その後ろに背負ってるバカでかい荷物は何なんだ?」
ヴェルナーがイアーナに尋ねると、彼女は少し得意げに答えた。
「これは、私の研究対象。博士にお見せしようと思って。」
イアーナの荷物は女一人が抱えるにはかなりの大きさだった。見た目ではよくわからないが、重量もそれなりにありそうで、イアーナも若干息を切らしながらそれを運んでいる。
「私考古学者なの。これは私が今解読している石板やその写しとか色々。」
「そんなもん持って来たのか。」
「慣れれば大したことないわ。体力には自信があるし。」
少し肌寒い気候の中で、イアーナだけがうっすらと汗をかいている。
「学者ってのは皆、そんなに熱心なのか?」
「まあね、皆好きで研究やってる人達ばかりだし、これくらい何ともないわ。」
尚もにかっと笑って見せるイアーナになかなか根性があるな、と素直に感心した。
「そういえば、ヴェルナーは?博士に何を聞きに来たの?」
「え、いや、俺は―――」
「用があるのは彼じゃなくて私。ある病の原因について聞きに来たの。」
イアーナの質問に割って入ってきたのはアイリだった。だが、アイリはなんだか不機嫌そうな顔をしている。
「病?どんな病気なの?お医者様では治せないもの?」
「そこまであなたに言う必要は無いわよ。」
若干棘のある言い方をすると、アイリはそっぽを向いてしまった。素っ気なくされたせいか、イアーナも首をかしげたまま黙り込んでしまう。二人の間で、どうしていいのかわからず困惑していたヴェルナーの後ろで、クスリと笑い声が聞こえた。
「……何ですか?」
笑い声の主であるカテラに問いかけると、カテラは少し悪戯な笑みを浮かべ、
「ふふ、アイリったら子どもなんだから。」
意味深な言葉を残しそれっきり黙ってしまう。当のアイリには聞こえていなかったようで、ヴェルナーは何が何だかわからぬまま、研究所の中へ入っていった。
◆
研究所の受付で、アイリはパヴコヴィック博士への面会を申し込む。受付の若い女性は、実に機械的にその面会の手続きを処理した。
「では、パヴコヴィック博士にお伝えしてまいりますので、少々お待ち下さい。」
受付の女性は立ち上がると奥へと引っ込んでしまった。受付前の待合室で腰を下ろし、呼ばれるのを待つ。
「アポなしで来たけど結構通してくれるんだな。」
研究所の事をよく知らなかったバズが、ぼそりと呟いた。
「この研究所には、記述術の研究について助言を乞う研究者や、普通の病院のように問診にくる患者が毎日のように来るからね。研究所と言っても結構オープンなのよ。」
バズの言葉に、イアーナが補足する。要は町の診療所と開示式の学校を一緒くたにまとめたような施設らしい。
「でも、一緒に来てくれてよかったわ。ここはそうでもなさそうだけど、研究所って外部の研究者だと色々厳しい目で見られることも多いから。」
「そういうもんなのか。研究者の世界はよくわからん。」
「そういえば、研究者じゃないなら、ヴェルナーたちって何してる人たちなの?ヴェルナー結構がたい良いし、運送業?それとも軍人とか?」
「……ああ、まあそんなとこかな。」
ヴェルナーは口を濁すが、イアーナは、教えてくれたっていいじゃない、とヴェルナーに笑いかける。バズやカテラもイアーナの話を楽しそうに聞いていた。そんな彼らの様子をアイリは隅のソファからむくれたように見つめていた。
なんだか、気に食わない。さっきもイアーナに冷たい態度をとってしまった。別にイアーナが嫌なわけではない。明るくて人懐っこい良い人だと思う。でも、アイリは近衛師団の意志を背負ってここまで来たのだ。こうしている今も、原因不明の病に苦しんでいるソラトたちのために、一刻も早く博士に会い、その対処法を見つけなければならない。
そんな状況なものだから、アイリにとって初対面の人間と呑気に世間話をしているほど、今は心に余裕などないのだ。
それなのに、あの男ときたらどうだ。突然であった見ず知らずの女性とすっかり打ち解け、楽しそうに会話を弾ませている。ここへは一応カテラの護衛の任務として来ているのに、仕事はどうしたのかと不満ばかりが募る。
船の上で、共に研究所まで来てくれると言ってもらった時は、素直に嬉しかったのに。結局真剣にこの一件を考えていたのは自分だけだったのだろうか。そう思うと、不満や怒りに交じって、切なさがこみ上げてきた。目が熱くなりそうになって、慌てて堪える。
―――いけない、仕事だ。
周りなんて関係ない。元々一人で来ようと思っていたのだ。自分は自分のなすべきことをする。密かに気合を入れなおしたアイリのもとに、面会のお呼びがかかった。
ここからが本番だ。仲間を救うために、変わり者と言われている博士を説得しなければならない。アイリは戦場に向かう兵のごとき形相で、博士のもとへ向かうべく立ち上がった。
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案内された先は、研究棟の最奥、ひときわ大きな一室だった。案内係が、部屋をノックするが、中から返事はない。しかし、彼女はためらいなく部屋を空けた。
「失礼します。パヴコヴィック博士。面会の方をお連れしました。」
中に入ると、そこは、混沌とした本の巣窟だった。壁一面に本棚が取り付けられ、そこには何万という書物が乱雑に立てられている。床も、本棚からあぶれた書物や、紙束で埋め尽くされていて、足の踏み場もない。かろうじて一本の道ができており、アイリたちはその道を通り奥まで進んだ。
突き当りまで進んだ先に、一台の机が見えた。その机の上も書物や紙束やらが積まれており、先が見えなくなっている。と、
「客人か。申し訳ないな、散らかっておって。」
紙束の向こうから、予想外に甲高い声が響いた。一瞬耳を疑ったが、続いて机の向こうから現れた姿に唖然とする。
「えっと……、パヴコヴィック博士……ですか?」
隣にいたイアーナが呆けた様子で目の前の人物に尋ねた。
「いかにも。私がこのシュトラウツァ研究所所長、マルス=パヴコヴィックだ。」
パヴコヴィック博士は、まだ十五歳くらいの若い少年であった。身長はアイリの頭一つ分下、華奢で色白の顔はいかにも深淵の研究者の様相だが、記述術の権威と呼ばれるにはあまりにも若々しい姿だった。
「研究所の所長って……、こんなちびっこが?―――ってぇ!」
「口を慎め、この馬鹿!」
後ろでバズが殴られる音が盛大に響き渡ったが、博士は気を悪くした様子もなく、くくっと笑みを作る。
「よく言われるんだ。気にしてはおらんよ。」
見た目は自分よりも年下なのに、そのしゃべり方や醸し出す雰囲気は老獪な賢人そのものだった。そのギャップにアイリたちは思考が追いつけず、ただ茫然と立ち尽くす。
「さて、申し訳ないが、この後も仕事が詰まっているのでな。早速用件に入っていただきたいのだが。」
博士の言葉に、我に返ったアイリは、まずイアーナに用件を促す。イアーナは、無言で頷くと、背中に背負っていた研究史料をばらばらと取りだした。
「ほう、これは。」
イアーナが取り出した史料を博士は興味深そうに眺めている。
「私はメリノという町で考古学者をしております、イアーナ=シュネイと申します。今私は、これらの石碑や発掘資料から、創世期の記述術について考察を行っております。」
「創世期の記述術?なんだそれ?」
イアーナとパヴコヴィックが史料を眺めている後方で、ヴェルナーやバズがその手元を覗きこんでいる。アイリも身を乗り出して石板や写しの紙面を見るが、良く分からない文字の羅列が書き込まれていた。
「あら、これ「記述」の文字ね。」
ふとカテラが呟く。
「そうなの?母さん。」
「ええ、記述術を扱う者には、この文字が「記述」に見えているのよ。」
「ほう、御婦人は「記述」を見る素質があるのか。」
ふと、紙面を凝視していたパヴコヴィックが、カテラの方を仰ぎ見た。カテラも「ええ。」と返事を返す。
「いかにも。これは、いわゆる「記述」の化石ともいえる代物だ。本来目に見えぬはずの「記述」が、長い年月の末、空気や触媒に溶け込んで物質変化を起こし、目に見える形で結晶化したものだな。」
そう言ってイアーナに確認すると、イアーナも顔を輝かせ熱弁した。
「そうなのです。そしてここには、およそ千五百年前、初めて記述術を使用した者たちの記録が残っています。かつて世界を創造した『創世の賢者』についての記述ですね。」
イアーナは、写しの一つを取り出すと、アイリたちに見えるように掲げた。
「これは、世界で最初に記述術を使用した者の筆跡と言われています。何と書いてあるかというとですね―――、」
イアーナは、その写しに書かれている「記述」の解読を始めた。




