第七章 記述術の権威(1)
三日後の明け方、ヴェルナーたちを乗せた船は港町キルシュへ到着した。この大陸は、西の大陸に比べ寒冷湿潤な気候で、大陸の北部は年中雪に埋もれ作物も育たない不毛な土地だ。だが、そこに住む人々の目は決して荒んではいない。町にはオルセン帝国内だけでなく隣国から集まった商人たちで賑わい、交易が盛んに行われている。彼らは、買い付けを行うと、地方へと行商に向かい、行く先々の町を潤しているのだ。
「すっげぇ人の数だな。それに店も。」
波止場にほど近い商店街を歩いていたバズが、感嘆の声を上げた。数々の精錬された店にヴェルナーも圧倒される。
「グリアモとはまた違った感じだな。あそこは雑多な感じがしたけど、こっちはものすごく整頓されてる気がする。」
建物が全て濃い色の煉瓦で統一されているせいか、町の景観も統一感があり洒落ている。
「帝都の大陸では、多くが帝国中枢からやってくる役人や駐屯兵団が、町の主力をになっているため、どうしても似通った都市になりやすいけど、この大陸のほとんどの町は、その町長や統治者の意向による都市づくりがなされているから、自然と個性も出やすいのよね。」
通り過ぎる店内を覗きながらカテラが説明する。
「ここはオルセンの領土ではあるけれど、帝都と離れているせいか、その威光はほとんど見られないわ。一つの自治都市として成立してしまっているのよ。」
その事実は、昨今の帝国の衰退を如実に表しているものかもしれない、とヴェルナーは感じていた。威光を放つ皇帝、特権を貪る貴族それらはもう過去の遺物となりつつあるのだ。そして彼らの代わりに台頭してきたのが、産業革命を期に資産を増やし続けた商工業者と、彼らの資本を支える大量の労働者たちだ。この街でも労働着を着た者たちが忙しなく行き交っている。決して生活は豊かではないが、自身の務めに誇りを持っている凛とした姿勢の人々だ。
「外観は素敵な町だけど、あんまりいたくないかも。なんか視線が痛いわ。」
そう言って肩をすくめたのはアイリだった。確かに先ほどから道行く人がヴェルナーたちを見据え、怪訝な顔をしている。正確に言うと彼らが見ているのはヴェルナーとアイリだ。二人は見るからに軍人だとわかる服を着ているため、人ごみでも異様に目立つ。
「やっぱり、ここでは軍人はいい顔されないのか。」
「軍人が倦厭されるのはどこもいっしょよ。特にあんた、黒ずくめで人相悪いし。」
「お前だって、見るからに貴族軍人の恰好じゃねぇか、そんなゴテゴテしたの着てるから目立つんだよ。」
無言で火花を散らすヴェルナーとアイリにバズが横やりを入れる。
「二人とも注目度はたいして変わんないじゃん。喧嘩してっと余計目立つぜ。」
「……それあんたには言われたくない。」
アイリは、バズの眼帯と大槍を見て、げんなりと呟いた。軍人二人もそうだが、バズも人目を引くという意味では、かなり貢献している。つまるところ、ヴェルナーたちはかなり目立っているという事だ。
「準備済ませて、とっとと北に向かった方がいいな。あと服も着替えた方がよさそうだ。」
「同感。」
珍しくアイリと意見が一致した。ヴェルナーたちは、北へ向かう馬車を手配するため駅舎へと向かう。
ちょうど、北方面へ向かう乗合馬車の予約が取れたため、ヴェルナーたちはその馬車で、北部の町シュトラウツァへ向かった。キルシュで服を新調したヴェルナーは、とりあえず乗り合わせた乗客に怪訝な顔をされていない事に安堵する。
シュトラウツァは言うなれば北部の辺境地で、観光客や旅人がわざわざ訪れる町ではないという。そのため、乗り合わせた乗客もほとんどが、キルシュから帰郷するシュトラウツァの住人だ。そんな地元の住人に紛れ込んでいるのが、シュトラウツァで行商を行う商人や、記述術研究所に向かう研究者たちである。
「わざわざそんな辺鄙なところにある研究所に足運ぶなんて、研究者ってのは大変だな。」
馬車の中にちらほらとそれらしき人を見て感心してしまう。
「そりゃあ、シュトラウツァの研究所は帝国でも有数の記述専門学術施設だからね。国内中から集まってくるわよ。」
「それなんだけど、なんで帝都じゃなくてこんな辺境に作ったんだ?帝都の方が運営もしやすいだろうに。」
それに、帝都にも記述術を研究する施設というものが少なからずある。にもかかわらず、それらの施設はあまり評価されず、学術の最先端と称されるのは今から向かうシュトラウツァの施設なのだ。
「シュトラウツァの研究所が有名なのは、「記述」の発生点の一つがここシュトラウツァにあるからと言われているわ。」
「「記述」の発生点?」
聞き慣れない言葉にヴェルナーは疑問符を浮かべる。
「「記述」はいわば鉱産資源みたいなものでね、どこにでもあるわけではないし、いいものが取れるわけではないの。軍の記述兵が使用するのは、帝都の近隣にある発生点で取っているのだけど、元々発生点は西よりここ東の大陸の方が多い。だから必然的に「記述」を研究するものは東に寄ってしまうってわけ。特にシュトラウツァは、その資源が潤沢で質も高い。研究者にとってよりよい素材を求めるのは自然なことね。
もう一つの理由は、記述術を体系化させた記述術の権威と呼ばれる人物が、この地に居を構えているから。その人こそが、シュトラウツァ研究所所長である―――」
「マルス=パヴコヴィック博士。あらゆる記述術に精通した、現代記述術の父と言われる人物よ。」
カテラの説明を遮ったのは、まだ若い女性だった。
「あなたたち、旅の人みたいね?もしかして研究所に用?」
後ろで高くまとめた金髪に透き通るような白い肌で、随分と簡素な服装をしているが、その物腰はどことなく高貴な雰囲気を漂わせている。
「そこの御婦人は記述術に詳しそうだけど、記述術に興味でもあるの?」
「興味というわけじゃないが、少し野暮用でな。」
急に馴れ馴れしく話しかけてきた女に警戒して、ヴェルナーはややつっけんどんに答えた。女の方もそれに気付いたのか、困ったような笑顔を見せる。
「あら、ごめんなさい。この馬車、地元の人ばっかりでお仲間がいなくて、ちょっと心細かったのよ。」
照れたように頬を掻く女に、ヴェルナーは尋ねた。
「あんたは、研究者なのか?」
「ええ、私はとある町で「記述」の研究をしている学者なの。ちょっと資料を拝見しにシュトラウツァの研究所を訪ねてきたんだけど……。」
なんだか言いにくそうにしている女に隣に座っていたアイリが身を乗り出してきた。
「あなたも、マルス=パヴコヴィックって人に会いに来たの?」
「ええ。そうなんだけど…。噂ではそのパヴコヴィック博士って相当な変わり者らしくて、正直一人で会いに行くのが怖くて。」
相当な変わり者、という話に、アイリは身を縮めた。アイリもその博士に、近衛兵の謎の病気について聞きに来たのだ。気にならないはずがない。
「えっと、変わり者っていうのは……?」
「私も詳しくは知らないけど、いわく偏屈な爺だとか、部下を振り回す頑固者だとか……、ああ、一番よく聞くのが、大の軍人嫌い!知ってる?オルセン帝国が誇る記述術が、未だ兵器に流用されないのは、博士がその利権を差し押さえているからだって噂。」
途端にアイリの顔が青ざめる。しおしおと項垂れたアイリを見て、女が首をかしげた。
「ん?どうしたの。」
「気にすんな。なんでもねえから。」
慌ててフォローを入れたヴェルナーだったが、さすがに今の情報は捨て置けない。女に聞こえないようにそっとアイリに耳打ちする。
「おい、大丈夫なのかよ。軍人嫌いって。」
「わかんない……。」
完全に気落ちしてしまったアイリに、ヴェルナーは深いため息をついた。せっかく東の大陸まで渡ったというのに、無駄足になるかもしれない。
「―――?とにかくあなたたちも研究所に用事があるのよね?だったら一緒に行かない?」
「え、いや俺たちは……。」
「頼むわ。仲間に言われて一人で来たんだけど、心細いのよ。私はイアーナ=シュネイ。あなたは?」
手を差し伸べてきた女―――イアーナに、ヴェルナーもぎこちなく握手を返す。
「ヴェルナー=ライトロウ。」
「ヴェルナーね、よろしく。」
そう言って、イアーナはにこやかに笑い、ヴェルナーの手をぶんぶんと振り回した。




