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第六章 誓い(4)

 ライムと話がしたいと、猛烈に抗議したアイリに兵が折れて、アイリは最初の部屋と同じような部屋に通された。兵が一礼して部屋を去っていくと、部屋にはアイリだけが残される。通り雨だったらしい、外の雨音はすっかりと止んでいて、澄んだ月明かりがヨドの町を照らしていた。しばらく立ちつくしていると、ノックも無く部屋の扉が開いた。現れた男は、相変わらずいけすかない表情でこちらを見据えている。


「無理言って悪かったわね、ビル。」

「全くだ。こちらも忙しい。用件は手短に頼む。」


 なんともそっけない態度に、アイリは沸々と怒りが沸き起こるのを感じた。こちらの自由を奪っておきながら、その言葉に耳を貸さない。軍人としての冷徹ゆえか、本人の独善的な性格ゆえか、その両者か。いずれにせよこの男は、アイリの意見などまともに聞く気は無いのだろう。だが、アイリも、はいそうですかと引き返すわけにはいかなかった。


「ビル。あなたが上からどんな命令を受けようが、私は東の大陸に渡るわ。これはもう決めた事なの。」

「……何度も言わせるな。お前は近衛の兵士として一刻も早く御前の元に帰還すべきだ。お前はその職務を放棄すると言うのか。」


 先ほどあった時と同じような叱責を返される。だが、アイリも今回は引かなかった。


「ならば、言わせてもらうわ。私が帝都を離れたのには、母を追いかける以外にもう一つ理由がある。それは近衛師団の行く末にも関わる重要な任務よ。」

「ほう、それはなんだ。」


 双眸を細め、蔑むように問うライムにひるむことなく、アイリは続けた。


「今、近衛師団の内部で原因不明の病が蔓延しているわ。この病で、近衛兵の十数名が重体となっている。帝都の医師や記述術を習得した衛生兵にも診察してもらったけれど、原因はわからなかった。」

「……。」

「最後の頼みの綱として、候補に挙がったのが、ここより東の大陸にある記述術の研究施設よ。帝都よりも多くの記述師が在籍し、最先端の記述術を研究している。そこの記述師ならば、病の原因を突き止められるかもしれない。」


 そこでアイリは、近衛師団長に掛け合い、表向きに休暇をもらってその研究施設へと協力を要請するための遠征に向かうことにした。王宮も軍上層部も黙認を決め込んでいる以上、近衛師団内部の人間が直々に、そして隠密に動くしかなかったからだ。だが、自分がこうして身動きが取れない以上、観念してライムにその事情を話し解放してもらうほかない。


「……黙って出て行ったことは謝るわ。でもやむを得ないことだったのよ。なぜなら、―――」

「―――王宮の臣下も軍の上層部も、近衛師団の異変を黙認していたからか?」


 放たれた言葉に、頭が真っ白になった。アイリの目が驚愕に見開かれる。


「あなた、知ってたの!?近衛兵の病気の事、苦しんでる兵がいるのに、上は誰も対処しないってこと!」


 思わず、目の前の男に掴みかかった。怒りで手が震えている。対照的にライムはそれをなすがままに受け止め、冷ややかな目でアイリを見据えた。


「知っていたとも。俺は軍の中枢の人間だぞ。」

「だったら何で!?何で助けてくれないのよ!?病気になった兵が、―――ソラトたちが今どんな思いで助けを待ってると思ってるの!?」


 死にたくないと涙を流したソラト、どうすることも出来なかったアイリ。そんな自分たちの姿を、この男は腹の底で笑って傍観していたというのか。どうしようもない怒りがアイリの全身を支配する。


「やはり、お前が帝都を離れたのはその件だったか。ならば尚更、お前を帝都に戻さねばならん。」

「!?」


 ライムの言葉の節々が、アイリに絶望を叩きつけているようだ。この男は、アイリの目的も、その発端となった事件の真相も知っている。知っているからこそ、アイリの行く手を阻んでいる。眩むほどの怒りが胸を締め付けいく。その熱を振り払うように、アイリは腰に据えたサーベルを抜き放った。


「―――お前は、仲間を見捨てるのか!?軍人としての誇りは、人としての慈悲は無いのか!?」


 サーベルの切っ先を向け、目の前の男に叫ぶ。それでも尚、ライムの表情は揺るがない。それどころか、アイリを馬鹿にしたような表情でこちらを見下ろしている。


「何を言っている?俺は軍の命令に忠実に従ったまでだ。任務を全うする、それが我々軍人の誇りであり、義務だろう。」

「―――っ黙れ!」


 構えたサーベルを思い切りなぎ払う。しかし怒りにまかせた攻撃では、ライムに当たることなくあっさりとかわされた。


「人を守るのが、仲間を守るのが、私たち軍人のなすべき事だ!そのためなら、私はどんな力にだって屈しない。近衛の騎士として私は私の誇りを貫いてみせる!」

「……ふん、なんとも青臭い理想だ。」


 アイリの剣を避けながら、彼女を鼻で笑うライム。怒りと悔しさと悲しさで、気が動転したまま、アイリはサーベルを振り続けた。


「近衛の騎士と言ったな、お前はあんなゴミに譲られた偽りの地位に誇りを持っているのか?」

「えっ?」


 問いかけられた言葉の意味がわからず、アイリは一瞬腕を止めた。呆けたように動かないアイリは隙だらけだったが、ライムは何をするでもなく言葉を続ける。


「お前が近衛師団に入れたのは、あの「ゴミ」が入団を辞退したからだろう?そんなものに自分の命と名誉を掛けているとはな。」

「待ちなさいよ、「ゴミ」って何なの……?」


 自分が馬鹿にされている事はわかっている、それでもアイリがどうしても引っかかるのは、その「ゴミ」という言葉だった。なぜならアイリは知っているからだ。その人物の事を、その男の名を。


「知っているんだろう?ヴェルナー=ライトロウ。お前から名誉首席の座を奪い、あろうことか、近衛師団の誘いまで断った、あの男の正体だよ。」

「……正体?ヴェルナーに何かあるというの?」


 わけのわからない、という顔をすると、ライムは「なんだ、知らなかったのか。」と嘲るように笑う。


「あいつの生まれは帝都の端にある貧民街、いわゆるスラムだ。どういう経緯か知らんが、十三の頃ハルトマン少将に身元を保護されて、その二年後に士官学校へ入学した。」

「貧民街……スラム……?」

「あそこにいる連中が、どんな生活をしているか知っているか?食べるものも住む所も生まれながらに持ち合わせていない。生きるために他人から奪い取ったり、手を汚したり、身体を売ったり、そういう事をして日々を生きている連中だ。」

「―――!?」

「あいつだって、どんな事をして生きてきたかわからんぞ。あいつは貴族はおろか平民ですらない。人間以下の「ゴミ」だって事だ。」


 ライムから知らされたヴェルナーの素性が、アイリの脳内で駆け巡る。突然知らされた事実に、息が苦しくなってせき込んだ。


「みじめだろうな、貴族の令嬢がそんな奴に情けをかけられるのは。」

「……めてよ。」

「お前が近衛師団に入団した時、多くの人間がお前を嘲笑っていたそうじゃないか。それでも近衛師団に誇りなど持てるのか?」

「やめてよ!」


 アイリはたまらず声を張り上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を手で覆う。

 思い出すのは、ゼノの町での夜の出来事だ。アイリの激情を静かに受け止めていたヴェルナー、彼はあの時一体どんな顔をしていただろう。「平民にわかるはずもない」そう告げたヴェルナーの冷たい表情、あの奥にはどんな感情が秘められていたのだろう。


「まぁ、お前はジュンア家の名誉のために、俺と婚姻を結んでいるんだ。いずれ軍を退役することになる。今回の一件でお前が除籍になったとしても、約束は違えないから安心しておけ。お前はジュンア家を守るだけでいい。誰もお前が中枢に入って国を動かすなんて期待しちゃいないんだからな。」

「……。」

「それに、どうせあの男も悪目立ちした以上先はない。出世コースから外れて、万年駐屯兵団の様な地方の雑務に充てられるのがオチだ。そのうち皆奴の事を忘れる、お前が気にする事ではないさ。」


 紡がれるライムの言葉は、その全てが人を卑下するものだ。ヴェルナーも、アイリも、そして自分以外の下級の兵も、ライムにとっては見下すべき存在なのだと。それがひしひしと伝わってくる。その言葉によって、アイリの中に浮かんでくるのは、後悔と屈辱。

 そして、抑えきれないほどの憤怒―――。


「―――だからなんだっていうの?」

「何?」

「あんたと結婚して、ジュンア家の地位を守って、どうしようもないゴミ以下の人間が落ちぶれていくのを笑って見て、それで私が満足するとでも言いたいの?」


 怒りが全身を支配した時、不思議とアイリの中でスッと熱が冷める心地がした。これは、先ほどまでの頭を沸騰させるような猛然とした激しい怒りではない。もっとずっと、身体の奥底から湧き出るような静かなマグマのような怒りだ。

 涙で濡れたアイリの顔が嘲るような微笑を作る。


「―――ちっさい男。」

「なっ!?」

「確かに私はみじめね。こんな器の小さい男が婚約者だなんて。泣けてきちゃうわ。」


 ライムは自分に向けられている言葉の意味が理解できないでいるようだ。その呆けた面を見て、さらに笑いがこみあげてくる。


「確かにあいつは、ヴェルナーは気に食わない。あいつのせいで人生めちゃくちゃになったし、いつも余計な事ばかり言うし、助けられちゃうし、顔怖いし!」


 思い出している途中で、段々腹が立ってきた。


「でも、あいつはあんたみたいに人を蔑にしたりしない!母さんやバズの事大切に考えてた!私が貴族でも、近衛兵でも関係なく接してくれる!家柄だの出世だのと難癖つけてるあんたとは大違いよ!」


 アイリは最後にその呆けた面に指を突き出した。


「私の知ってるヴェルナー=ライトロウは、すっごい嫌味で憎たらしいし、主席の事は今でも根に持ってるけど、私やあんたよりもずっと強くて仲間思いで、軍人として尊敬できるいい男なんだから!」


 アイリの高らかな宣言に、ライムの驚きに染まっていた瞳が、徐々に怒りを帯びてきた。


「この小娘……言わせておけば……!」


 ギリと奥歯を噛む音が響く。禍々しい怒気が恐ろしくないと言えば嘘になるが、この男に一泡吹かせてやったという手ごたえは、アイリの中で憑き物が落ちたように、心を軽くした。―――その時だった。


 背後からガシャンとつんざくような音が聞こえた。一瞬雷鳴かと思ったが、振り返ってその音の正体に気付くと、自然と顔が引きつった。


「げっ……!」

「よお、騎士様。随分元気そうじゃねぇか。」


 割れた窓の縁に足を掛けて立っていたのは、銀の髪と双眸を持つ凶悪な人相の男。銃を片手に構えて、にやにやとこちらを見下ろしている様は、ピンチに駆け付けるヒーローでは到底なく、この世の全てを破壊しにやってきた魔王のようだった。

 突然の侵入者に、アイリもライムも動けなくなったが、扉の向こうが一斉に騒がしくなり、次の瞬間大勢の兵士が傾れ込んできた。


「大尉!なんですか、今の音は―――なっ!?」


 兵士たちは、割れた窓ガラスとそこに佇む男を見てすぐさま銃を構える。だが、それを制したのは意外にもライムだった。「下がれ。」と兵を一蹴すると、その視線をヴェルナーに向ける。


「窓から入室とは、随分行儀がいいな。」

「あいにく、扉から入れなんて教わった事無いもんで。」


 ライムの特上の嫌味にも、ヴェルナーは笑顔で返す。そのまま部屋の中に降りると、まっすぐアイリとライムの間に割って入った。


「あんたこそ結構な言われようだな。ま、口の悪い女の言う事だ、気にすんな。」

「ちょっと!」


 唐突に貶されて、アイリは憤慨する。いきなり現れたと思ったら、一体なんだと言うのだ、この男は。しかし、ヴェルナーは構うことなくライムに話を続ける。


「悪いけど、俺もこいつに言いたいことたくさんあるんで、もう連れてっていいかな、婚約者殿?」

「なんだと?」

「ま、嫌だって言っても連れてくけどっ!」


 言い終わるが早いか、ヴェルナーは銃を天井に向け発砲した。弾が頭上の照明に当たり、周囲が真っ暗になる。突如奪われた視界と降り注ぐガラスの破片で、ライムたちは動けなくなった。アイリも何も見えなくなってあたふたしていると、急に身体がふわりと宙に浮いた。思わず小さな悲鳴を上げる。


「じゃ、悪いけどそういう事で。」


 耳元でいたずらっぽい声がしたかと思うと、視界が目まぐるしく動き、気がついた時には―――窓の外だった。


「―――!ちょっと!ここ四階―――!」


 悲鳴を上げる間もなく、重力直下で落ちていく感覚に思わず目を閉じる。地面にぶつかると思いきや、衝撃はあまりにも軽かった。恐る恐る目を開けてみると、真っ先に目に飛び込んできたのは、ヴェルナーの憎たらしい笑顔だった。


「よし。というわけで、さっさと港に向かうぞ。もう船が出ちまう。」


 アイリを横抱きにしていたヴェルナーは、人一人抱えているとは思えない身のこなしで、その場を去った。


「ちょ、ちょっと!このまま行くの!?というか、船って何!?」


 抱えられた状態のアイリは、驚きと羞恥でバタバタと足を動かした。腕の中で抵抗されて、ヴェルナーがうっとうしそうにアイリを睨む。


「暴れんなって!とにかく、このまま東の大陸まで渡っちまうぞ。バズとカテラさんが準備してくれてるはずだから。」


 カテラの名を聞いて、アイリのパニックが少しおさまった。母の無事に安堵したアイリは、すぐさま思考を切り替える。


「……!そうだ!シャロは!?シャロも連れてかなきゃ!」

「シャロって……、あの馬か?どこにいるんだよ、あんまりぼやぼやしてると追手来ちまうぞ。」


 確かに、来た道の向こうが何やら怒声で騒がしい。あれだけ派手に逃げれば、全兵が出動してきそうだ。アイリは、ヴェルナーに下ろしてもらうと、捕まる前にシャロを繋いでおいた馬小屋へと急いだ。馬小屋は駐屯地の入口付近にある。追手を気にしながら、馬小屋に辿りつくと、そこに変わらぬ場所に繋がれていた白い馬を発見した。


「シャロ……!」


 喜びを込めて愛馬の名を呼ぶと、シャロも嬉しそうにヒヒンと鳴いた。その頬に愛おしげに頬ずりする。


「おい!早くしろ!追手が来たぞ!」


 ヴェルナーの焦る声が聞こえた。すぐにシャロの手綱を引くと、勢いを付けてその背にまたがる。


「乗って!」

「は?」

「いいから乗って!早く!」


 アイリがヴェルナーに手を差し出すと、ヴェルナーはその手を掴んだ。勢いよく引っ張り上げると、ヴェルナーの身体がシャロに乗る。いつもの二倍以上の重さに、シャロは一瞬ふらついたが、すぐに体勢を立てなおす。アイリはその背をゆっくりと撫でた。


「ちょっと重いけど、頑張って。」

「重くて悪かったな。」

「あんたは私にしっかり捕まってなさい。振り落とされても知らないわよ。」


 返事を待つ間もなく、アイリはシャロを走らせた。突然の反動に後ろで「おわっ。」と変な声が聞こえたと思うと、アイリの腰に大きくて筋肉質な腕が回される。


「ちょ、どこ触ってんのよ!?」

「お前が掴まれって言ったんだろ!」


 至近距離で響く声や背中越しに感じる身体の熱に、思わず身を固くする。しかし、その向こうから追手の兵たちの声が聞こえて、すぐにその邪念を振り払った。


「港へ行けばいいのね?」

「ああ、もう船が出るころだ。こりゃぎりぎりかな。」


 軽い調子で答えるヴェルナーに小さく悪態をつくと、アイリはシャロの運転に集中した。

 数分走ったところで、港が見えてきた。波止場には中程度の蒸気船が一台停泊している。そのデッキの上に見慣れた二つの影を見つけた。


「来た!ヴェルナー、急げ!船出すぞ!」


 大声でこちらに呼び掛けるバズの声が聞こえる。船までは後十数メートルだ。しかし、追手の姿も同時に確認できるほど近くなっている。このままでは、出港出来ても奴らに乗りこまれる可能性がある。と、


「アイリ。こいつ脚力には自信あるのか。」


 後ろでヴェルナーが尋ねてきた。こいつとはシャロの事だろう。


「え、うん。帝都の乗馬大会では常にトップだったわよ。って、まさか。」

「そのまさかだよ。おい!バズ!船出せ、今すぐに!」


 その掛け声とともに、いやな予感が当たった事にげんなりする。本当にこの男は無茶ばかりする。でも、そういうのは嫌いじゃない。

 指示を受けたバズは戸惑いながらも、船主に出港の合図を送った。二人を乗せぬまま、船はゆっくりと波止場を離れていく。


「まったく、シャロの負担も考えてよねっ!」


 蛇行する船に向かってシャロを走らせる。目前に波止場の淵が迫った瞬間、シャロの身体を大きく宙に舞いあがらせた。人間では到底なしえない距離を跳躍すると、その身体を今まさに陸から離れんとしていた船の上に着地させた。


 その衝撃にシャロは耐えたが、馬上にいたアイリとヴェルナーはなすすべなく船のデッキに転がり落ちる。全身を打ちつけ痛みにゴホッと空気の塊を吐いたが、身体を仰向けにして、やがて笑い出した。


「あはは、本当に。無茶ばっかり!」

「うるさいな、逃げ切ったんだからなんだっていいだろ。」


 そういうヴェルナーの声もどこか笑いを含んでいた。腹を抱えて笑うアイリの傍に、カテラがゆっくりと腰を下ろす。


「母さん……。」

「アイリ……、無事でよかった。」


 その細い身体にふわりと抱きしめられる。途端に、胸の奥がきゅうと締め付けられて、アイリは涙をボロボロと流した。カテラの身体を抱きしめ返し、アイリは力強く告げる。


「母さん。必ず、必ずメテルリオンまで行こう。私も頑張るから。」


 しとやかに流れた二人分の涙は、一筋の月明かりに照らされ、ゆっくりと船の甲板に染み込んでいった。

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