第六章 誓い(1)
外は濃い闇が広がっていたが、時折鳴る雷鳴と共に一瞬だけその闇が強烈な光で照らされる。夜の嵐というのは実に不気味なものだ。いつもは夜更け近くまで船の往来があるヨド港も、今夜ばかりはひっそりとしていた。こんな夜に出港する船は、よほどの変わり者か、肝の据わった船乗りの船だけだろう。
数日前ヨドに到着したライムは、あてがわれた執務室で捕らえた逆賊の身元資料に目を通していた。その中の一つに、ライムは先ほどからずっと釘づけになっていた。
「ヴェルナー=ライトロウか。どこかで聞きおぼえがあると思ったら、二年前の例の名誉首席か。」
二年前、名誉主席としてトランベル国立軍事士官養成学校を卒業したにもかかわらず、近衛師団への入団を断った前代未聞の男。当時すでに軍本部で勤務していたライムの耳にもその噂は届いていた。その時は単なる噂話として気に留めていなかったが、まさかこんな所で張本人と対面するとは思いもしなかった。今回ヴェルナーそのものに用があったわけではなかったが、ライムはこの男に少し興味を抱いていた。
「出身は帝都か。入学時の身元責任者は、ライリー=ハルトマン少将?まさかこいつ、孤児か?」
追って書かれた内容を読み進める。そこにはヴェルナーの詳しい出自について書かれていた。およそ自身とは無縁の世界の出来事に、ライムは不快を露わにする。
外で一際大きな雷鳴が轟いた。どこかに落ちたかもしれない。しかし、ライムの意識はすぐに、部屋の入口に向けられた。
「……ノックくらいしていただけますか。」
「雷の音で聴こえなかったのでしょう?」
いつのまにやら扉の前に立っていた男は、悪びれる事もなく、こちらに近づいてきた。男の着ていたローブの裾がずるずると床を這う。
「お二方の確保にご助力いただきまして、ありがとうございます、大尉殿。」
仰々しく頭を下げる男を冷ややかな目で見つめる。この男の素性については、ライムも良く知らない。ただ、彼が外部の人間で、本部より派遣された今回の責任者だという事しか把握していない。アイリとカテラの両名を軍で確保し、邪魔な輩は捕縛せよ、という命を下してきたのもこの男だった。
「私は軍人として、任務を忠実に果たしたまでです。礼を言われる筋合いは無い。」
あくまで責務を果たしただけという事を強調するライムに対し、くつくつと笑う男。中世的な身なりと言い、物腰と言い、捉え所のない男で、あまり深く関わりたくないというのが本音だ。
「しかし、ジュンア中尉はともかく、何故彼女の母親まで拘束しなければならなかったのか。」
任務を受けた時、帝都を飛び出したアイリの件なら、ライムも承知していたのですぐ事にあたれたが、カテラの件はただの旅行だと思っていた。それが、誘拐という形式に代わり、その犯人を捕縛するという名目で軍を動かしたのも、ライムには正直疑念がある。
「カテラ=ジュンア氏の御動向については、我々の個人的な一存でしてね。わけあって、彼女を東の大陸に渡らせるわけにはいかないのですよ。」
『我々』というのは、おそらく軍の事ではない。という事は、軍以外の何らかの組織がカテラの旅を阻むために、軍を動かしたという事か。軍本部さえ動かせる、この男の在籍する組織、これはライムのような一介の将校が立ちゆく領域ではないのかもしれない。
「ともかくも、二人は明日の馬車で帝都まで護送します。ご安心ください。」
「頼りにしておりますよ。」
その笑いに、何か得体のしれないものを感じ、ライムは窓の外へと目を向けた。
と、執務室の扉がノックされた。入るよう促すと、ヨドの駐屯兵の一人が姿を見せる。
「失礼いたします。ライム大尉。」
「どうした?」
用件を聞くと、兵は困った様子でライムに告げた。
「それが、アイリ=ジュンア中尉殿が、大尉に折り入って話があるとのことで。重要な用件だからと、その、我々兵士にも喚いておりまして。」
それを聞いて、ライムは大きくため息をついた。あの娘は一体どこまで手を掛けさせれば気が済むのか。
「……わかった。中尉を第二応接室に通せ。私もすぐに向かう。」
「了解しました。」
兵が敬礼し出ていくと、隣で男が含み笑いをする。
「随分と元気なお嬢さんだ。」
「跳ねっ返りなんですよ、昔から。全く煩わしい。」
ライムは吐き捨てると、婚約者の重要な用件とやらを聞くべく部屋を後にした。部屋には髪の長いローブの男だけが残される。
「全く、面白い世の中ですね。」
誰に言うでもなく、男はまたにやりと口角を上げて笑った。




