第五章 波乱の雨音(5)
天井に近い小さな窓から雨音が聞こえてきた。日も暮れはじめ、牢の中には外光を灯さないどんよりとした空気が充満していた。そんな気の滅入るような場所で、目の前の男、ジャスティン=オルドは、ただ一人ふてぶてしい笑みを湛えてこちらを見下ろしている。隣にいたバズはオルドを一瞥し、ヴェルナーに問いかけてきた。
「えっと……、こいつ誰だっけ?」
自分を知らない、無礼な物言いに感じたのか、オルドはピクッとこめかみをひきつらせたが、かまわずヴェルナーが説明する。
「ジャスティン=オルド。武器売買を生業にしているオルド商の息子。出発前に、グリアモであった捕り物で俺がお縄にした奴だよ。」
「えっ、まじ?」
「ついでに言うなら、カテラさんが帝都からグリアモに来るまでの道中、彼女の護衛を引き受けていた連中のリーダーだ。」
つまり、カテラの旅の詳細を知っていて、軍にもゆかりがあり、しかもヴェルナーに私怨を持つ存在。まさに先ほど論議していた犯人像にぴったりと合致する。
「まさかジュンアさんの護衛をお前が引き継いでくれてたとはなぁ。いや、正直あのおばさんに頼まれて金もらったのはいいが、メテルリオンまでの護衛とか面倒くさくて仕方がなかったんだよな。」
「本部に俺たちの事を告げ口したのはお前か?」
悪びれた風に軽口を叩くオルドを無視して、ヴェルナーは直球で尋ねる。それに対し、オルドはにやにやと笑った。
「いやだな、俺は『お仲間』があのおばさんを知らないかって聞いてきたから素直に答えただけだよ。……ああ、もしかしたら誰かに連れられているかも、とも言ったっけ?」
そう言って、おどけた声で笑うオルド。そういえば、こいつが釈放されたのは、本部がグリアモ駐屯兵団に打診したおかげだった。もしあの時点で本部がカテラの行方を追っていたのだとしたら、同時期に帝都を離れたであろうオルドに事情を聴いたとしても不思議ではない。一晩駐屯地で拘束されていたのなら、カテラが自分たちの代わりに駐屯兵を雇うことも耳に入っていただろう。あの捕り物はともかく、この男に関してはあまりに小物過ぎて失念していた。
「ヨドでぶらぶらしていて、いきなり軍から知らせが来たときは何事かと思ったけど、正直ラッキーだったよ。お前のその無様な姿が見られただけでも、足を運んだ甲斐があったってもんだ。」
グリアモで昏倒させられた意趣返しが出来て、オルドはご満悦の様子だ。それを見たバズが、苛立った様子でオルドをにらみつける。
「なんかよくわかんねぇけど、とことん性根の腐った奴だな。グリアモの町めちゃくちゃにしといて、言う事はそれだけかよ。」
吐き捨てるように言うバズにも、オルドはまた嘲笑を浮かべた。
「はん!町で暴れたくらいでなんだってんだ。お前、そこの糞軍人のお仲間かなんか知らんが、牢内で大口叩いてもむなしいだけだぜ。」
貶されて、すぐさま食ってかかるバズに、薄笑いを浮かべるオルド。二人が格子を挟んで火花を散らしている様を見ながら、ヴェルナーはふと気がついた。
―――そうか、オルドはバズとは面識がないのか。
だとすると、今回バズが旅に同行していたことも知らなかったという事か。オルドが本部に密告したのは、あくまでもヴェルナーの存在のみ。そしてヴェルナーがバズを誘わなければ、実際この旅はヴェルナーとカテラの二人旅であったという事で―――、
「―――!?」
そこまで考えて、ヴェルナーはとんでもない事に気付いた。口論になっていた二人の間に割って入る。
「待て、オルド。お前、本部には俺たちの事をなんて報告したんだ?」
「は?なんだよ。いきなり。」
「いいから答えろ!正確に!」
ヴェルナーの勢いに気圧されたのか、オルドは一瞬息詰まると素直に答えた。
「俺が本部に言ったのは、カテラ=ジュンアっていうおばさんがメテルリオンってとこ目指して旅をしようとしている事、その護衛を頼まれた事、俺が捕まった後代わりに別の護衛を雇ったかもしれない事。それだけだよ。」
「その護衛がグリアモの駐屯兵だという事は?」
「俺はあえて言わなかったけど、多分わかってたと思うぜ。なんせ、俺を駐屯兵団から釈放させたのはあいつらなんだから。」
オルドの証言を慎重にまとめる。すっかり黙りこくってしまったヴェルナーに、オルドも興が削がれたのか、
「……なんか、もうどうでもいいや。俺はもう帰るぜ。せいぜい監獄生活楽しめよ。」
捨て台詞を吐いて来た道を引き返す。同行しようとした看守に、「ついて来るな。」と命令すると、そのまま一人で出口へと向かった。その背中に、ヴェルナーはもう一度問いかける。
「オルド、最後にもう一つ聞きたい。」
「あ?なんだよ?」
「お前は、アイリと面識はあるか?」
投げかけられた質問に、わけがわからないという口調で答える。
「アイリ?誰だそれ?ははっ。」
馬鹿にした笑い声だけを残して、オルドの姿はすっかり見えなくなってしまった。しばらく考え込んだまま動かないヴェルナーにバズが恐る恐る声を掛けた。
「なあ、ヴェルナー。一体どうしたんだ?さっきの質問なんだったんだ?アイリって?」
先ほどからじっと黙って行く末を見ていた御者の男も不安げにヴェルナーを凝視する。
両者に問いかけるように、ヴェルナーはゆっくりと口を開いた。
「バズ、お前は今日初めてオルドに会ったんだよな?」
確認の意味を込めてバズに聞くと、バズも「ああ。」と答えた。
「という事は、だ。オルドは、カテラさんの同行者にお前がいた事は知らなかった。あいつが把握していたのは俺だけ。つまり、本部に密告したっていうのも、俺のことだけだ。」
「そうなるな。」
「勿論、同行者が俺一人ではないという可能性も本部は配慮していたはずだ。だが、俺たちが実質何人で旅をしていたか、そして誰が同行していたかは蓋を開けるまでわからなかったはずだ。」
「それは、そうでしょうなぁ。だからこそ検問で捕まった時、我々を問答無用で拘束したんでしょうし。」
問題の意図が汲めず、御者も難しい顔をして唸った。
「そうだ。わからないからこそ、奴らは、護衛の任を仰せつかったであろう俺を捕らえ、同行者のバズを捕らえ、さらには馬車を運転していた御者のおっさんまで捕らえた。―――なら、なんでアイリはここにいない?」
そこで初めて両者の顔が、驚きの表情を浮かべた。確かに、カテラ以外の全員を捕縛するというならアイリだけ外されているのはおかしい。
「アイリが途中からの合流者だったからとか?」
「合流する時期は関係ない。検問に引っかかった段階で、あの馬車に乗っていたのなら、最初から乗っているバズと同じく、あいつも「同行者」だ。」
誰が、いつその旅路に加わったのかなど、情報の無い本部の人間がわかるはずもない。バズがここに捕らえられているなら、アイリも同じく捕らえられていなければおかしい。
「彼女が、近衛師団の人間で、かつカテラ殿の身内だとわかっていたからではないかね。」
「現に正規の軍人の俺が、こうして掴まっているんだ。いくら近衛師団の貴族だからって、その同格の娘だけ見逃すなんて爪の甘い事をする軍本部じゃないはずだ。それに、アイリが即座にカテラの身内だとわかったのは、あの時指揮を執っていたのが、あいつの婚約者だったからだろう。そうじゃなければ、ヨドの駐屯兵だけでは判別できない。最初からアイリが行動を共にしているという前提で、あの男が派遣されていたのだとしたら、辻褄が合う。」
段々と事に異常さに気付き始めてきた三人。ヴェルナーはこの一連の出来事の違和感を徐々に突き止めつつあった。
「しかも、あの大尉、アイリの姿を確認した時、カテラさんも一緒かと言った。あいつはカテラさんとアイリが共に行動していた事を予想していたんだ。」
「そんな……。」
「そもそもの発端から考えて、俺たちが今ここにいるのは、俺たちがカテラさんに依頼を受けたからだ。カテラさんが旅を始めなければ、俺たちは旅をすることも無かったし、ヨドに足を踏み入れることも無かった。つまり、軍が最初に見つけようとしたのは、―――カテラさんだ。」
どうやら自分たちは、とんでもない思い違いをしていたのかもしれない。牢に入れられたのがヴェルナーたちである事にばかり気を取られていたが、本当に捕縛されているのは―――、
「奴らが捕らえたかったのは俺たちじゃない。標的は、カテラさんとアイリだ。」
窓の外で雷鳴が轟く。ガラスを打ち付ける雨音が、二人の危険を知らせていた。




