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第五章 波乱の雨音(1)

 卒業式典の前夜、ヴェルナーは学長室に呼び出された。明日の式典の打ち合わせの件だろうか。名誉首席に選ばれたヴェルナーは授与式で式辞を述べる予定になっていた。面倒な役回りになってしまったものだ、と同学の貴族たちに聞かれたら目くじらを立てられそうなことを考えながら、学び舎の廊下を歩く。最上階の一角にある学長室に辿り着くと、一息呼吸を置いて扉をノックした。


「ヴェルナー=ライトロウ、参りました。」


 入れ、という声が中から聞こえたのを確認すると扉を開け入室する。

 正面の執務台の傍に厳格な風貌の男が立っていた。トランベル国立士官養成学校学校長、ライリー=ハルトマン少将である。ヴェルナーがハルトマンに敬礼すると、ハルトマンは後ろ手に手を組みその鋭い双眸を細めた。


「すまんな、忙しい時間帯に。」

「いえ、お気遣いなく。」


 時間は夕刻を少し過ぎたところ、皆夕食を済ませ明日の式典に備えて身支度を整えている所である。まもなくこの学び舎を卒業し、晴れて士官として正式に軍に召集される身となる士官候補生たち。明日の訪れを粛々と待ち望んでいた。


「ご用件とは?明日の式典の事でしょうか?」


 ヴェルナーが尋ねると、ハルトマンはいいや、と首を横に振る。


「ライトロウ、明日晴れて正式な士官として軍役に着くお前に一足早く令状が届いている。」

「令状ですか?」


 ハルトマンは、執務台の引き出しから折りたたまれた一枚の用紙をヴェルナーに差し出した。断りを入れて、内容を拝見する。その内容にヴェルナーは少し驚いたように目を見開いた。


「近衛師団……ですか。」

「そうだ。これは大っぴらに公表していないから、一部の生徒しか知られてはいないのだが、この学校で毎年名誉主席に選ばれた者は、近衛師団への即時入隊を許可される。」


 近衛師団といえば、皇帝陛下の側近となりその身辺警護や式典業務をこなす、軍の中でもエリート中のエリートだ。軍人であれば、誰もが憧れる輝かしい名誉、本来は士官であっても何年かの下積みを経て、輝かしい実績を持ったごく一部の人間だけがその門を叩くことができる。しかし、士官学校で名誉首席となった場合、卒業直後から近衛師団への入団を許されその責務に従事することができるというのだ。


「歴代の名誉主席は皆喜んで拝命した。お前はどうする?」


 ハルトマンがヴェルナーに問いかける。それに対し、ヴェルナーは質問で返した。


「お尋ねしたいのですが、そのような言い方をされるという事は、この辞令は強制ではないという事ですか?」


 ヴェルナーの質問に対し、ハルトマンは静かに首肯した。


「ああ、これは強制ではない。あくまでも名誉首席となったお前に、特例で近衛師団の入学許可を与える、というだけだ。」

「でしたら、……この辞令は辞退させていただきます。」


 ヴェルナーの即答に、ハルトマンは驚くかと思ったが、意外にもその反応はあっけらかんとしたものだった。


「そうか。……一応辞退の理由だけ聞いておこうか。」

「自分が軍門を叩いたのは、別の目的があるからです。その目的に近衛師団の称号は必要ない、というよりむしろ障害になるからです。」


 包み隠さない言い方に、ハルトマンは思わず苦笑を洩らした。


「陛下をお守りする尊い責務を障害というのか。」

「あっ!いえ、勿論、陛下をお守りする事は軍人として重要な任務というか、その、……失言でした。」


 こんなことを公の場でのたまえば、不敬で軍どころか社会的にも追放されそうだ。しかし、なぜかハルトマンは気にした風もなく、ヴェルナーに笑い掛ける。


「……まだ、サイフォス=ライトロウを探しているのか?」


 その質問に、ヴェルナーの肩がわずかに跳ねた。その反応を図星と取ったか、ハルトマンは続けて語る。


「元々お前はそのつもりでここに来たのだからな。七年前の事は忘れられん。薄汚い少年が本部に何しに来たかと思えば、『軍に入れろ』などと喚き散らすものだから。あの時の門番の顔も相当な呆け顔だったぞ。」

「あの時は大変なご迷惑をおかけしました……。」


 思い出したくもない黒歴史を掘り返されて、ヴェルナーの顔が羞恥に染まる。

 七年前、恩師―――サイフォスがヴェルナーの元から消えて、二年が経過した頃、幼かったヴェルナーは軍人になるという一世一代の決意をした。しかし、貧民街育ちでサイフォスに出会うまでは帝都の常識を何一つ持ち合わせていなかった少年は、どうすれば軍人になれるか、その根本的な事がわからなかった。そこで帝都を巡回していた憲兵を尾行して彼らやその仲間がたくさん集まっている所、オルセン軍の本部へと忍び込もうとした。当然あっけなく捕らえられたヴェルナーは、不届き者として危うく撃ち殺されてしまうところだった。それを助けたのが、目の前にいるハルトマンだったのである。


「後二年待って士官学校に入れ、と忠告した時は、よもやお前が名誉首席にまでなるとは思っていなかったがな。」

「本当に、学長には頭が上がりませんよ。入学の手続きとか、学費の免除とか、感謝してもしきれません。」


 身元もあやふやで、頼れる身内もおらず、資金だってろくになかったヴェルナーがこの学校に通えたのは間違いなく、今目の前にいるこの男のおかげなのだ。以前、何故自分にそこまで尽力してくれるのかと尋ねた事がある。その時ハルトマンは何の迷いもなくこう答えた。


「軍人を志す者は等しくその機会を与えられるべきだからな。」


 その言葉の通り、ハルトマンがヴェルナーに提供してくれたのは、あくまで士官学校への入学の切符だけだ。入学後のヴェルナーの学務に関してハルトマンは一切関与していない。他の学生と同様、一生徒としてヴェルナーを扱った。生まれも育ちも関係ない。ただ軍人でありたいという意思を尊重してくれる。ハルトマンこそ上に立つにふさわしいとヴェルナーは思っている。


「しかし、こういうのも何だが、もったいないと思うぞ。誰もが入団できるわけではないというに。」


 この辺りはハルトマンの本音に一番近い部分だろうと思う。だがヴェルナーはそれでも意思を曲げなかった。


「俺の目標はあくまでもサイフォスを探し、彼の辿った道を模索することです。それに……。」

「それに?」

「……それに、近衛師団といえば貴族出身のエリート集団でしょう。そんなところに、俺のような平民出身の成り上がりが入ったところで輪を乱すだけです。」


 それを聞いて、今度こそハルトマンは大声で笑い出した。


「お前が体裁を気にするようになるとは……!随分と丸くなったもんだな。」

「成長したと言って下さいよ。無駄に五年間しごかれたわけじゃありませんから。……そういうわけなんで、その貴重な席は貴族のどなたかにでも譲ってあげて下さい。」


 腹を抱えて笑うハルトマンをヴェルナーは苦笑いで見つめた。やがて落ち着いたハルトマンは改めてヴェルナーに告げる。


「では、ヴェルナー=ライトロウ。この奨令は辞退するという事で上には伝えておこう。もう下がりなさい。明日の式典楽しみにしているぞ。」

「承知致しました。では失礼いたします。」


 退出の許可を得たヴェルナーは、もう一度ハルトマンに一礼すると、静かに部屋を出て行った。


     ◆

 バズが眠りについた後も、ヴェルナーは結局部屋に戻ることなく明け方まで営業していた酒場で一晩飲み明かした。なんとなく、宿屋に戻る気になれなかったのだ。人がまばらに寄り集まった酒場で、ヴェルナーは昔の事を考える。


 あの時、式典の前夜にハルトマンに近衛師団への入団を勧められた時、ヴェルナーはサイフォスを探す目的のために誘いを断った。ハルトマンの軽い口調や断った時のあっさりした態度をみて、自分の決断がそれほどまでに軍部に波紋を呼ぶなどとは思いもよらなかった。式典の時もそうだ。ヴェルナーは式辞を述べながらも、どこか心の中で怠惰と慢心を抱えていた。その隣で、敗北に打ちひしがれたアイリが佇んでいたなどと考えた事もなかった。


 本日何度目かのため息をついた。激情に顔を滲ませたアイリの顔が今でもはっきりと浮かんでくる。アイリがヴェルナーに向けた感情はつまるところ唯の八つ当たりだ。ヴェルナーにそんな意図はなかったし、仮にヴェルナーがあの誘いを受けたとしたら、アイリは今頃近衛師団にはいない。それはそれで、アイリにとって怨むべき結果となっていただろう。どうしたとしても、両者の間の確執は生まれていたのだ。ヴェルナーが責められるいわれは無い。かといって、アイリの感情をただの八つ当たりだと一蹴することもヴェルナーには出来なかった。それが出来たら、簡単に解決することなのだが、どうしてもアイリが流した涙がそうさせてはくれない。自分の身勝手さと詰めの甘さが呼び起こした涙でなければ、これほどまでに心苦しい思いをすることも無かっただろうに。


 酒場の窓から外を見ると、東の空がうっすらと朱を帯びてきた。結局二日続きで徹夜になってしまったが、昨晩と違い今日は睡魔に襲われることは無かった。

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