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第四章 風に舞って(3)

 大喝采の中、レインは客たちに笑顔を向けつつ、店の裏手へと消えていった。未だ興奮冷めやらぬ様子の店内で、バズは注文したビールを一人飲んでいた。店内から聞こえる話では、レインは風を起こす奇跡の踊り子と言われ、ここ一カ月で町中の噂になるほど人気を集めていたらしい。今日たまたま出会った、しかもその出会いが河から落ちたところを助けたというとんでもない出会いを果たした少女が、よもやこんな有名人だとは露知らず。バズはなんだか複雑な気持ちを抱えたまま、ビールを呷った。―――すると、


「お兄さん、一人ぼっちなのね。かわいそうに。」


 からかうような声が聞こえたかと思うと、おもむろにマントを目深に羽織った小柄な影がバズの隣に腰を下ろした。訝しげな目線を送ると、そのフードの奥でいたずらに笑う碧い瞳が見えた。


「レイっ―――むぐっ」

「ちょっと大きい声出さないでよ!」


 思わず声を張り上げたバズの口をレインの手が塞いだ。


「悪い。」


 慌ててまわりを見まわしたが、こちらを気に留めている客はいない。


「まぁ、私の名前まで知ってるお客さんはほとんどいないんだけどさ。マスター、オレンジジュース頂戴。」


 先ほどまで、店の舞台で客の注目を浴びつつけていた少女は、打って変わって地味な格好になり、カウンターでジュースを飲み始める。よく見ると化粧も落とされ、すっかり元の無垢な少女に戻っていた。


「それで、どうだった。」


 夢中でジュースを飲んでいたレインだったが、唐突に目を輝かせてこちらを覗きこんできた。


「どうって、何が?」

「何がじゃないわよ、私の踊り!――あっ、これおいしそう、いただきっ。」


 レインは、バズの前に置かれていたチーズを見ると、目にもとまらぬ速さでかっさらい口に運んだ。


「ええっと、そうだな。綺麗だったよ。風みたいなのも舞ってて凄かった。」


 拙くも率直な感想を述べると、レインも満足したようにぱぁっと顔を輝かせた。


「あの風って、どういう仕掛けになってたんだ?団扇で扇いでたってわけないよな。」


 あの幻想的な風景を作り出していたのが、店員の涙ぐましい努力だったら、それはそれで感涙物だが、そんなわけないでしょ、とレインは口を尖らせた。


「あれは私の記述術!『アイノナ』って言う「記述」を使った風の術よ。」

「記述術……、それって帝都の軍人が使うっていうあの術か。」


 確かカテラが言っていた、「記述」という目に見えない物質を利用して、傷を癒したりする事が出来るのだと。


「別に軍人でなくたって、使える人間は沢山いるわよ。「記述」が見える人間は生まれた時から呼吸をするようにその力と共存してるわ。」


 という事は、レインもカテラと同じく「記述」が見える側の人間なのか。バズのつまみをすっかり我が物として咀嚼するレインは、自慢げに続けた。


「『アイノナ』は私が故郷を出た時からずっと一緒にいる大切な友達なの。ちょっと寂しがり屋で気分屋だけど、とってもいい子たちなのよ。」


 なんだか生き物のような物言いをするレインに、バズは眉を寄せた。確か「記述」とは、帯状の紙で表面に文書が書かれた物体ではなかったか。


「「記述」って生き物なのか?紙みたいなのって聞いたけど。」

「普通のはそうみたいね。でも『アイノナ』はちゃんと意思を持つ、生き物よ。姿は鳥の形をしてる。大きさはこれくらい。」


 レインは手のひら広げると、ハンドボールくらいの大きさを示した。次に胸元から先ほど舞っていた時にも鳴らしていた笛を取り出す。


「これを鳴らすと『アイノナ』たちは近くに寄ってくるの。もちろん見える人にしか見えないけどね。」


 へぇっとバズは呆けたように相槌を打った。昨日まで記述術の存在すら知らなかったバズが、今日で二人目の記述術師に出会った。なんとも数奇な世の中である。しばらくカウンターでビールを飲み続けていたが、バズのビールが無くなった頃合いを見計らって、レインはおもむろに立ち上がった。


「そろそろ帰りましょ。あんまりここにいると、お客さんに気付かれちゃいそう。」


 夜もとっぷりと更けたというのに、酒場にはまだちらほらと客が残っていた。人が多い時は紛れやすかったが、まばらな人数になるとレインに気付く者も現れるかもしれない

 レインはマスターに二人分の代金を支払うと、さっさと出口へ向かっていった。


「おい、この金。」

「私のおごり。助けてくれたお礼!」


 天真爛漫に笑う少女を追って、バズは酒場を後にする。一度カウンターを振り返って、「ごちそうさまでした。」とマスターに呼び掛けると、片目でこちらを一瞥しただけで作業に戻ってしまった。

 熱気のこもった店内から一歩外に出ると、一変して冷えた外気が肌を刺した。思わず身震いして辺りを見回すと、マントを頭から外したレインがじっと空を見上げている。


「今日は満点の星空ね。」


 嬉しそうに笑う横顔が眩しくて、思わず目をそらす。この少女に出会ってからなんだがどぎまぎさせられっぱなしだった。

 すぐに部屋に戻るのかと思いきや、レインは宿屋の反対方向へ歩き出した。バズもそれに着いていく。繁華街から外れた通りは、少し寂しいくらい鬱々として静かだった。しばらくの間、二人とも何も言わず通りを歩いていく。誰ともすれ違うことなく、唯黙々と進んでいくと、突き当りの公園に辿り着いた。


「そういえば、さ。」


 公園のベンチに座り込んだバズは、静かにその沈黙を破る。


「なんであの時、橋の下を覗きこんでたんだ?」


 あの時、とはバズがレインを運河から助けた時のことだ。すると、隣に座ったレインは恥ずかしそうに答えた。


「えっと、魚がいるかな、と思って。」

「魚?そりゃあ、河なんだからいると思うけど。」

「うん、私の故郷漁村だったから。それで見たことある魚いるかなーなんて、思っちゃって……。」


 その言葉尻が少し濁った。傍にあるレインの顔を覗きこむと、その碧い瞳にはわずかに影が差していた。


「……故郷には帰らないのか?」


 恐る恐る聞いてみると、予想に反し、レインはバズに笑顔を見せた。


「帰れないのよ。」

「えっ。」

「私故郷に帰れないの。なんというか……、色々失敗して、居づらくなっちゃったから。」


 故郷に帰れない、レインは何気なく発したが、その一言がバズの心に重くのしかかった。


「失敗って、それで故郷を追い出されたのか?」

「追い出されたんじゃないわ。私が出ていくって決めて出てきたの。」


 あくまでも自分の意思であると強調するレイン、その瞳からは陰りが消え、いつもの鮮やかな輝きが戻っている。


「それに私旅するの好きだし、皆に踊りを見てもらうのって凄く楽しいの。私は故郷を出て良かったと思ってるわ。……でも、それでもたまに思い出すことがあるの。今故郷の皆はどうしてるかなとか、元気に暮らしてるかなとか。」

「それでも……、帰らないのか?」


 震えた声で問いかけるバズに対し、レインは尚も笑顔を見せて首を縦に振った。

 強い少女だと思った。この旅に出ることを決めた時、少し突き放されたぐらいで、ウジウジと悩んでいた自分とは大違いだ。眩しくて、暖かくて、―――そして、妬ましい。


「俺にはわからないよ。」

「そうね、あなたには素敵な故郷があるんですもの。皆あなたの帰りを待って―――」

「違う!そうじゃない!」


 気づけば目の前の少女に怒鳴っていた。突然の事にレインもさすがに目を丸くする。


「俺だって帰れないんだ!生まれた場所には帰れない!」

「えっ。」

「なのになんでお前はそんな風に割り切れるんだ!?どうしてそんな風に笑ってられるんだよ!どうして俺みたいに―――」


 言いかけて、我に返った。知らないうちに立ち上がっていたバズは、空気の抜けた風船のように萎れ、ベンチに腰を下ろす。


「……ごめん。」


 少女に八つ当たりしたことが途端に気恥ずかしくなり、只々頭を垂れるしかなかった。


「辛いのはお前の方なのにな、本当にごめん。」

「……。」


 レインの方を見ることもできず、ひたすら謝罪の言葉を口にした。顔は見えていないが、戸惑ったような気配が横から伝わってきた。その気配を吹き飛ばすようにバズは顔を上げるとレインに向かって微笑みかけた。


「帰ろう。もう遅いし、宿まで送るよ。」


 そう言って立ち上がり、レインの手を取ろうとしたその時、


「レインちゃん、見ぃつけた。」


 ねっとりと笑う男の声がして、その方向に振り向く。カンテラの炎がゆらりと揺らいで、その明りから数人の男たちが現れた。こちらを取り囲むように近づいてくる。握りしめたレインの手が震え、汗ばむ。顔を見ると暗がりでもわかるほどに青ざめている。


「あなたたち……!」

「勝手に店からいなくなっちゃだめじゃん。店の奴らもレインちゃんなら帰ったって突っぱねるし、宿の場所も教えてくれないし。」


 言い方こそ親密だが、その口調にはどこか不快感を伴う。周りでニタニタと笑っている取り巻きを見ても、こいつらはレインにとって有益でない者たちであることは明らかだ。


「こいつらは?」レインを背に隠し、気取られないよう小声で尋ねる。


「お店のお客さん。この辺の元締めなんだけど、最近「踊り子なんかやめてうちに来い」ってしつこくて。」


 つまり、あの酒場で毎晩踊っているレインを見染めて、囲い者にしようとしているちょっと勢力のある組織団体ってことか。少女一人に男数人で群がる様を見て、バズは胸糞が悪くなり連中をにらみつける。と、さっきからレインを馴れ馴れしく呼んでいたリーダー格の男がバズに視線を向けた。


「なんだよ兄ちゃん。俺らその子に話あるから、とっとと消えてくんねぇかな。」

「悪いが、お前らの言う事なんか聞く義理はねぇよ。」


 バズの背中で身を固くして震えている少女をかばいつつ、強気な口調で答えた。こいつらにレインを渡してはいけない。たとえそれが今日初めて出会った女の子だとしても、そんなことしたら男じゃない。しかし―――、

 バズはちらりと周りの様子を窺った。暗がりでよく見えないが、かなりの人数がバズたちを囲んでいる。この人数をレインを連れて切り抜けるのはかなりの骨だ。愛用の槍は今手元にない。バルドに託された拳銃も宿に置いてきてしまった。どうしてこうなる前に、周りの気配に気付けなかったのか。ヴェルナーなら間違いなく拳固で怒ってくるところだ。自分の不甲斐なさに、バズは内心で舌打ちする。


「兄ちゃん、痛い目見ないとわかんねぇかな?」


 じりじりと包囲網が狭まってくる。バズは男たちの持つカンテラの揺れる明りで、少し自分たちの方が暗がりになった瞬間を見計らい、一か八か手薄の個所目がけてレインの手を引き走り出した。

 突発的な行動に、一瞬男たちが鈍るが、すぐさまバズを追ってくる。逃げ足には自信があるが、レインの手を引いた状態ではすぐに追いつかれてしまう。


「この野郎!」


 取り巻きの一人が、バズに向かって棍棒のようなものを振り下ろした。バズはレインの体を突き放し、体をひねってそれを避ける。体勢を低くして、襲ってきた男に足払いを掛けると、バランスを崩して巨体が宙を舞った。すぐさまレインに向かっていた男二人の背後から回し蹴りを食らわせ昏倒させる。衝撃は浅かったが頸椎を強打し、男はその場にうずくまる。倒れる男越しにレインが無事な事を確認すると、


「―――っ!バズ!後ろっ―――」


 大きく目を見開いて叫んだレインにつられて後ろを振り返ると、眼前に月の光を照らしたナイフが迫っていた。


「!!」


 間一髪で避けたが、ナイフはバズの前髪ひと房と、左目の眼帯の紐を切り裂いた。眠る時も外すことのなかった眼帯、その裏から覗いたバズの左目が久方ぶりに外光を浴びた。


「―――!?お前、その目!?」


 見られたと思った瞬間に、バズは驚愕に目を見開いたその男の顔を掴み思い切り地面に叩きつけていた。メリメリと骨が砕けるような音が、耳と腕から同時に伝わってきた。心臓がうるさい、息が思うように出来ない、どうしていいかわからない。続いて向かってきた男の顔をがむしゃらに殴りつける。焦りばかりがバズの体を支配し、すぐに近づいてきたもう一人の男の気配に気づくことができなかった。


「―――バズ!!」


 レインの悲鳴が聞こえたかと思うと、バズの腹部にズンと衝撃が走った。鳩尾に拳を叩きこまれたバズは、体を九の字に歪ませる。がっくりと膝をつき、頬が冷たい石に当たったかと思うと、すぐに四方八方から鈍い痛みが立て続けに襲ってきた。どうやら囲まれて殴る蹴るの暴行を受けているらしい。自分の事なのに、なぜか他人事のようでバズは意識を朦朧とさせながら地面を見つめていた。耳に入るのは、せせら笑う男たちの声。悲鳴にも近い声でバズの名を呼ぶレインの声、その声が何かおどろおどろしいものに変化した瞬間をバズははっきりと聞いた。


「……その人から、バズから離れろ。」


 刹那、バズを囲む男たちの後方から一陣の風が吹き荒れる。酒場の時と同じ、しかしどこか怒気と狂気を孕んだ鋭い風は、男たちを一瞬にして吹き飛ばした。あちらこちらで悲鳴が轟く。吹き飛ばされただけでなく、何か鋭利な刃物で切り裂かれたような痛みに、男たちは恐慌状態に陥った。さらに、一人の男が手に持っていたカンテラが傾き地面に転がると、地面に灯った火の中を、何か見えないものが駆け抜けた。

 そこにいた誰もが、目の前に起こった出来事を理解できなかっただろう。火を帯びたその見えない何かは、たちまち質量を増し、男たちに襲いかかった。最初は一つ、それが徐々に数を増やし、気付いた時には一つの巨大な火柱となり男たちを包囲した。薄暗かった公園が、轟々と燃え立つ火柱に照らされる。その火柱の中から、火に煽られる男たちの悲鳴と肉が焼ける音が鮮明に聞こえた。

 バズは薄れ行く意識の中で、目の前に立つ火柱をただじっと眺めていた。一片の火の粉がバズの倒れていた元に届く。その火の粉の形がなんだか鳥に似ている、などとぼんやり考えながらバズはゆっくりと目を閉じた。

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