第四章 風に舞って(2)
橋を渡ってしばらく歩いた小通りに少女が間借りしているという宿屋があった。バズたちが宿泊している所より幾分小さくて質素だ。その一室の扉を開ける。バズも少女の後に続いた。中に入ると、色彩豊かな衣装や装飾品が壁一面に掛けられているのが目に入った。部屋には独特の香りの香が漂っており、途端に異国の世界に迷い込んだような心地がした。
「私、旅の踊り子をしているの。」
少女は添えつけの戸棚から、地に座るための敷物を取り出すと、中央の足の低いテーブルの傍に敷いた。
「ここにどうぞ。着替えたらお茶でも入れるから少し待っててね。」
そう言って部屋の隅に取り付けられたカーテンの裏に身を隠した。姿が見えないとはいえ、カーテンを閉め切っただけなので、服を脱ぐ衣擦れの音が思い切り聞こえてくるのだが、そんなことは気に留めるでもなく鼻歌を歌いながら服を着替え始める。命を救った恩人とはいえ、先ほど出会ったばかりの、しかも名前すら名乗っていない男を目の前にしてこの無防備さは何なのか。逆にいたたまれなくなったバズは、耳に入ってくる衣擦れの音を全力で遮断しつつ、気を紛らわせようと部屋の中を見渡した。
やはり目につくのはきらびやかな衣装の数々だが、よく見ると宿泊宿にしては簡易コンロや食器など日用品が揃っている。そう言えば、間借りをしていると言っていたが、ここにしばらく住んでいるという事なのだろうか。
と、着替えを済ませてカーテンの裏から少女が姿を見せた。先ほどと似たような肩口や裾がざっくり開いたワンピースに目のやり場に困ってしまう。
「そういえば、名前聞いてなかったわ。私はレイン。あなたは?」
「俺はバズ。バズ=グロック。」
「バズ!凄い、強そうな名前!」
レインは流し台でお茶を淹れながら、楽しそうに笑う。
「バズはこの町の人なの?」
「いや、旅の者だ。今日の夕方ここに着いた。」
テーブルに置かれたお茶を頂きながら、バズは簡単に自己紹介をした。その節々で、レインは「凄い、凄い!」と目を輝かせる。特に『バルドグロック』や養母であるバルドのくだりでは、きゃあ、と黄色い声を上げて両足をじたばたと羽ばたかせた。随分大げさな反応をするものだ。
「でも旅の踊り子ってことは、いろんな所を旅してまわってるんだろ?」
「うん。ゼノには一カ月ほど前に来たの。この近くの酒場で舞を踊ってるわ。ここにある衣装とか装飾品は、だいたい店からの借り物。中にはお客さんがプレゼントしてくれた物もあるけど。」
改めて部屋の中に掛けられている色とりどりの衣装に目をみはる。こうやって毎晩違う衣装で着飾って、舞を踊るわけだ。バズもグリアモで一度だけ旅の踊り子を見たことがあるが、それはそれは美しく、異次元の世界から迷い込んできた蝶のようだった。
「お前故郷はどこだ?見たところこのあたりの人間には見えないんだけど。」
レインの褐色の肌や、艶やかな黒髪、そして何よりも目を奪われる宝珠のような青い瞳。いずれもこの国ではあまり見かけないものだ。この町はヨドからも近いから、異国の人間も多く集まってくるのだろうか。
「私の故郷は帝国より西方にあるジスラムという国よ。オルセンとは異なる民族が納めている国。言語や文化もここと大きく違うわ。」
へぇ、とバズは唸った。言葉も文化も違うこんな遠方までこの少女一人で放浪を続けてきた。随分抜けていて無防備なところも多いが、大した度胸だと素直に感心する。
すると、急にレインが手を叩いて立ち上がった。
「そうだ、良かったら私の踊り見に来てよ。」
「へっ!?」
「もうすぐ、店で踊りを披露する時間なの。特等席で見せてあげる!」
そう言うと、バズの手をとり無理やり立たせた。早く早くと、強引に部屋の扉まで誘導する。抵抗する間もなく、バズはレインに連れられ部屋を後にした。
ヴェルナーには日が変わるまでに帰ると言ったのに、どうやらそれは叶わなそうだ。
◆
レインに手を引かれて着いたのは、宿からそう遠くない大きな酒場だった。二人は酒場の裏口から入ると、裏手の洗い場で洗い物をしていた女性に声をかける。
「ユウノさん、こんばんは。」
ユウノと呼ばれた女性は、レインの姿を確認するとにっこりと笑いかけた。
「レインじゃないか。そういや今日はレインの担当だったね。そっちの男は?彼氏かい?」
彼氏と言われて、バズは慌てて首を振る。一方のレインは全く気に留めていないようで、
「さっき知りあった友達よ。踊りを見せてあげようと思って。」
と、無邪気な笑顔で答えた。それはそれで複雑な気分だが、そんなことに構わずレインは、廊下の突き当たりの扉を指さすと、
「向こうがお店よ。カウンターのマスター、髭のおじちゃんね。彼に言って案内してもらって。「レインに連れてこられました」って言えばきっとわかるわ。」
それじゃあ準備があるから、と勝手にまくしたてると、レインはバズを残して控室の方へと消えていった。
「その様子じゃ、レインに無理やり連れてこられたね。」
一部始終を見ていたユウノがバズににやりと笑いかけた。
「まぁ、そんなところです。」
「あの子は何と言うか、自由奔放だからね。そこが魅力でもあるんだけど。」
ユウノは洗い物をいったん中断すると、バズについて来るよう指示した。バズもユウノの後を追い、店へと入る。
従業員の勝手口から店に回ると、煌々とした照明と熱気を孕んだ空気に顔を歪めた。時刻はもうすぐ日付が変わろうという頃だが、店内は酒を片手に談笑する客たちでほぼ満席になっている。テーブルが並ぶ中央には、小さな円状の舞台が備え付けられており、フルートやリュートを持った音楽家たちが、軽やかな楽曲を奏でていた。
ユウノは部屋の隅に備え付けられたお一人様向けのカウンターに向かう。カウンターでは白い髭を生やした老齢の男性が、注文された酒をこしらえているところだった。
「マスター、レインの特等席、この子に座らせてやって。」
ユウノがマスターに呼びかける。マスターは細い眼光をじろりとバズに向けると、しばらく値踏みするような目でバズを見た。なんだか萎縮してしまうバズをよそに、マスターは何も言わずに、カウンターの隅に置かれていた『予約席』の札を引っ込める。ユウノがその席を指さし、「そこ座りな。」と勧めて、自身は店の奥へと戻って行ってしまった。
なされるがままに、示された席に座ると、
「注文は?」と、しわがれた声で呼びかけられた。振り向くとマスターが鋭い目で返事を待っている。
「ええと、じゃあビールで……。」
そう言うと、マスターは何も言わず黙ってビールのジョッキをバズの前に置いた。さらに頼んでもいないキャンディーチーズとビーンズも付けてくれる。
何か言いたげにしていたバズに、「金は要らん。」とぶっきらぼうに告げると、マスターはまた別の作業に戻っていった。目つきも怖くて無愛想だが、案外いい人なのかもしれない。そんなことを考えながらジョッキに口をつけると、中央の舞台が騒がしくなった。店の者らしき若い男が壇上に立つ。
「皆さま、お待たせいたしました。それでは今夜のメインイベント。我が店
の誇る魅惑の踊り子の舞をご覧にいれましょう。」
男が客に向かって告げると、待ってましたと言わんばかりに、テーブルから歓声や口笛が巻き起こった。その熱烈な歓声の渦の中に、煌びやかな刺繍が施された真っ白なドレスを身にまとった女性が現れた。裏手の扉から壇上までの花道をゆっくりと進んでいく。頭にかぶったヴェールで顔は良く見えないが、ドレスから覗く褐色の肌や豊かな黒髪には見覚えがある。―――レインだ。
静かな足取りで壇上へと上がったレインは、緩慢な動作でその場に膝をつきうずくまった。先ほどまでの喧騒が嘘のように、ピンと張りつめた静寂が店内を支配している。息を吸うことすらためらわれるほどの長い沈黙を破ったのは、同じく壇上に上がっていた音楽家が奏でた竪琴の音色だった。
ポロン、という柔らかな音と共に、石のように微動だにしなかったレインの体が跳ねた。腕につけていた輪がその反動でシャラリと鳴く。その合図で、悠々と音を奏で始める竪琴奏者。その音色にフルートの音色も加わった。
音に呼応するようにレインの体が宙に舞う。ステップを踏むと、ドレスの裾が重力に逆らってふわりと浮上した。頭のてっぺんから足の先まで、精密で何一つ無駄がない。その繊細な動きと艶やかさに、ただ息をのむばかりであった。
と、顔を天井に向けたレインは手にしていた花束をその宙に放ち、首に掛けていた小さな笛をピィと鳴らした。花はレインを中心に放射状に舞い、やがて重力に負けて地面に向かって落ちていくと思われた。その時、室内であるはずの酒場に、一陣の風が吹き抜ける。
「えっ……!風?」
バズだけでなく、他の客たちも、この風がどこからきているのかとざわついた。ひゅうと酒場内を駆け抜ける風は、舞台に落ちかけていた花々を掬い取り再び宙に舞い上がらせる。花からは色とりどりの花弁が生まれ、それがまた一つ一つ風に攫われ、きらめくように酒場内を舞った。まるでレインを中心にして花の嵐が吹き荒れているようだった。その嵐に自らも飲まれるが如くクルクルと回るレイン。夢のような光景に誰ともなく感嘆の声が漏れた。バズもまた目の前の光景に口を開けたまま硬直していた。バズの座っている席からは、店全体が一望でき、レインを中心に逆巻く花の渦の全貌が見渡せる。角度も申し分ない。成程、これが『特等席』か。と、バズのすぐ横を何かがかすめるような感覚がした。風かと思ったが、一瞬それが生き物のように感じてその辺りを見つめる。しかし、そこには何の姿もなく、結局バズは諦めて舞台の方へ視線を戻した。
悲しくも優しい音色に合わせて、花を纏い踊るレイン。その碧い瞳がふとこちらを見た気がした。そして、ふっと柔らかく笑う。それは、レインの部屋でバズの話を楽しそうに聞いていた少女の無邪気な笑みではなく、妖艶な花の踊り子の微笑みだった。




