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第三章 名誉首席(4)

 結局、日没までに予定していた町に着く事が出来ず、その一つ手前にあるゼノという町で一晩を明かすことになった。昨晩と同じく、宿をとり、夕食を済ませたヴェルナーは早々にベッドに寝転がった。

 今日は一段と騒がしい一日だった。グリアモを出発した朝が随分と昔の事のように感じられる。盗賊の一件もしかり、そして何より今日から同行し始めたあの女軍人の事だ。

 あの後のアイリは、それまでの態度が嘘のように大人しかった。普通なら憎まれ口を叩くような場面でも、押し殺したような声で曖昧に返事をするだけで、こちらを見ようともしなかった。

 なにか悪い事言ったか―――?思い当ることといえば、盗賊との戦いの際に少しきつい事を言ってしまった位だが、あれであそこまでへこむような奴に見えない。現に駐屯兵を連れて戻ってきた時は、行く前よりずっと晴れやかな顔をしていた。

 では何が原因なのだろうか、態度から察するにヴェルナーに何かあるのだろうが、肝心のヴェルナー自身に思い当たる節が無いため、正直八方ふさがりだ。


「―――馬鹿馬鹿しい」


 そもそも、なんであの女のために自分が悶々としなくてはいけないのか。馬鹿馬鹿しい、もう一度心の中でそう呟くと、ヴェルナーは寝返りを打った。するとそこに、洗い場に行っていたバズが、頭をタオルで拭きながら戻ってきた。


「あれ?ヴェルナーもう寝ちまったのか?」


 明りもつけずにベッドに横たわるヴェルナーを見て、意外そうに言った。


「ああ、今日は疲れたからもう寝る」

「なんだ。せっかくだから夜の町を散策しようと思ってたのに」


 バズは隣のベッドに腰を下ろすと、髪を乱暴に拭きながら不貞腐れた。


「行くなら一人で行って来い。明日も早いんだから、あんまり遅くなるなよ」

「……」

「なんだよ、不機嫌そうな顔して」


 バズはしばらく押し黙ったまま硬直していたが、やがて勢いよく立ちあがった。


「そうだな。じゃあ行って来る。日付が変わるまでには戻るよ」


 そう言うと風呂上がりの格好に上着だけ羽織って、財布を持って出ていった。

 バズが出て行ってしばらく、眠るでもなくぼんやりと窓の外を眺めていた。ゼノの町は昨晩泊った村に比べ、日が落ちても通りには人影がちらほらと見える。その影たちが前の通りを何度も行きかう様を、なんとはなしに眺めていた。どれくらいそうしていただろうか、見知った姿が宿から出ていくのを目撃し、ヴェルナーは腰をあげる。


「……アイリか?」


 黒服に身を包んだアイリは、宿屋から通りに出ると、おぼつかない足取りで通りの向うへと消えてゆく。ヴェルナーは慌てて立ちあがると、身支度もそこそこに部屋から飛び出した。


 ◆

 アイリが向かった方向には運河があった。この運河を下っていくと、タアル海に出る事が出来、その入口に第一の目的地ヨドが存在する。運河を一望できる広場に足を運ぶと湿った空気に混じって、ほのかに潮の香りがする。運河には海水が混じっているのだろう。その香りが、アイリたちの目的地が近い事を如実に語っていた。

 ヨドから船に乗って東に渡り、メテルリオンを目指す。メテルリオンこそが母、カテラの目的地であり、アイリの父シーザ=ジュンアの遺言の意味を知るところとなる。もっとも、アイリにはもう一つ果たさなければいけない大切な使命がある。むしろアイリにとってはこちらが本命だ。しかし、今アイリの脳内を占めているのは、母カテラの事でも、大切な使命でもなかった。


 ぐっと手すりに寄りかかり、ゼノの町を見つめる。日が暮れた町は、薄暗くも小さな光が優しく浮かんでいる。目を細めるとその光が滲むように揺らいだ。そうしてゆっくりと目を閉じて、五感に障る何もかもを閉ざそうとした時、


「―――アイリ」


 名を呼ばれた。しかも、今まさに頭の中を駆け巡っていた男の声で、最も聞きたくない男の声で。

 ゆっくりと後ろを振り返る。暗闇の中にあっても、溶け込むことのない銀の髪と瞳。なぜ、この色を忘れていたのか、気づく事が出来なかったのか。


「こんなところでなにしてるんだ」

「別に、あんたに関係ないでしょ」


 歯切れの悪い返答では、ヴェルナーは納得しない。ずかずかとこちらに歩み寄ってきた。


「バズといい、お前といい…、明日も早いんだから早く休めよ」


 頭を掻きむしりながら、面倒くさそうにぼやく。気遣われている事がわからないほど馬鹿ではない。でも今はその一言一言が無性に癇に障った。


「さすが、優等生様は気を使うのがうまいのね。それともただのおせっかいかしら?」

「なに……?」


 銀の双眸が鋭く細められる。何を意図しているかわかっていないようだ。


「……お前、さっきからなんなんだよ。言いたい事があるならはっきり言え」


 その言葉や表情から、苛立ちが垣間見えた。だから、アイリも自分の苛立ちを隠すことなく応えた。


「アイリ=ジュンア」

「……は?」

「アイリ=ジュンア、私の名前よ。覚えてないの?」


 覚えてないも何も、昨日聞いたばかりだと怪訝な顔をするヴェルナーに、今度はより強い口調でこう言った。


「私は覚えてるわ、ヴェルナー=ライトロウ。トランベル国立士官養成学校第五十八期生砲兵科所属、名誉首席総長ヴェルナー=ライトロウ!!」


 突如かつての名籍を呼ばれて、ヴェルナーは目を丸くした。


「お前……、なんでそれ?」

「なんで?そりゃ覚えてるわよ。私も第五十八期の卒業生だったから。もっと正確に言うなら、あなたが名誉首席を授与した時、私も隣にいたからよ!」


 そこでようやくヴェルナーは、はっと息を飲み、そう言えば、と口を濁す。


「カテラさんが言ってたな。娘が俺と同期だったって」

「そこまで聞いてて、言われるまで気づかなかったって事は、私は相当印象に無かったのね。まぁ、私もフルネーム聞くまで忘れてたけど」


 この様子だと、自分が名誉首席であったことさえも忘れていたのではなかろうか。あまりの張りあいの無さに、アイリはむしろ清々しさを覚えた。思わず喉を鳴らして笑ってしまう。


「士官養成学校では、騎兵科、歩兵科、砲兵科、記述兵科の中でも、優良者各科一名ずつに主席の名籍が与えられる。そしてさらにその中でも総合的に秀でたものには、名誉首席の冠と、近衛師団への入団資格が授与される」

「……」

「歴代の名誉首席はそのほとんどが騎兵科の主席だった。その当時、名誉主席に選ばれるのは私だと、周囲の誰もがそう思っていた。……でも、選ばれたのは騎兵科の主席ではなく、砲兵科の主席―――あなただった」


 まっすぐとヴェルナーを見据える。捕らえ所のない瞳が無表情にアイリを見返していた。


「表彰台に立った時愕然とした。あの時の、ヴェルナー=ライトロウという名を聞いた時の瞬間は今でも忘れない。こんなことを言うのも変だけど、あれが私の人生にとって初めての敗北だった」


 ジュンア家の子女として生まれ、軍人として生きる事を生まれた時から定められた。常に軍の頂点に立ち、同胞を先導する立場にある存在、そのアイリの初めての予想外分子。それがこの男、ヴェルナー=ライトロウだった。


「それで、人生を狂わされた俺を逆恨みしてるってわけか?」


 少し棘のある言い方をするヴェルナーにアイリは不敵に笑う。


「いいえ、私が名誉主席に選ばれなかったのは私の力があなたより劣っていたから。私の実力が足りなかったから。つまるところ私のせいよ」


 名誉首席になれなかった事は、実際自分の純粋な力不足だと思っている。それはたった一日であれど、ヴェルナーを見てきてよくわかった。この男を恨んでいい理由にならない。だが、それよりも何よりも、アイリにとって屈辱だったのはその後だ。


「―――何故、近衛師団の入団を断ったの?」


 名誉首席となったこの男は、本来近衛師団に入団し、帝都で皇帝に仕える立場になっていたはずだった。しかし、ヴェルナーはその申し出を蹴った。そして、その代わりにその年近衛師団に入団したのは、


「私はあなたの代わりに近衛師団に入団した。名誉主席が入団を断るなんて前代未聞だって。面目が立たないから、次点で成績が良かった私を近衛師団に入れるって」


 元々騎兵科主席が入団することの多かった近衛師団だ。アイリの入団は上層部でも満場一致で承諾されたそうだ。


「私が今この地位にいるのは、あなたの代わりだからよ。名誉首席でもない私がここにいられるのは、情けをかけられたからよ!」


 ヴェルナーにあたり散らすように叫ぶ。視界がゆらりと滲んだ。頭の中では今日戦いの時にヴェルナーに告げられた言葉が繰り返される。


「情けをかけるなですって……!ふざけないで!あの後、私が周りにどんな目で見られていたかも知らないでしょう!?貴族の出なのに、ジュンア家の人間なのに、近衛師団に入ったのは実力じゃないって、いつもそう言われてたのよ!」


 アイリの近衛師団入団は、上層部の決定事項だ。元々その地位を目指していたアイリだったが、半ば強制されるように入団した。そこに待っていたのは、周りからの辛辣な言葉、軽蔑の眼差し。唯一、アイリを受け入れてくれたのは、アイリ入団から一年後にやってきたソラトだった。だがそのソラトも、今は―――。アイリの瞳から大粒の涙がこぼれた。カテラに慰められた時でさえ流さなかった涙が、よりにもよってこの男の前で。

 泣きじゃくるアイリをヴェルナーはただ黙って見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「悪いが俺には貴族様の面子なんてもんは理解できない」

「……」

「俺が近衛師団の入団を蹴ったのは、そこでは俺の望みを叶えられないと思ったからだ。別に名誉をないがしろにしたわけでも、お前に情けをかけたわけでもない」


 淡々と語るヴェルナーに、アイリは涙でぐちゃぐちゃになった顔をキッと向けた。


「望みってなによ……、そんなので、納得できるわけ無い……!」

「出来ないなら結構だ。恨むなら好きなように恨んでくれて構わない」


 ヴェルナーはそう言って立ち去ろうとする。泣き腫らして頭がうまく回らないアイリは、その背中に無我夢中で怒鳴りつけた。


「わからないわよ!あんたの気持ちなんて!あんただって私の気持ちわからないくせに!あんたみたいな―――、」


 そこまで言いかけて、はっと口を噤んだ。だめだ、これ以上言ってはいけない。それを言ってしまえば、それこそ自分は本当に最低の人間だ。しかし、無情にもアイリの言葉の続きをヴェルナーが代弁した。


「―――俺みたいな平民にわかるはずもないって?」

「―――っ!」


 振り返った男の表情はこれ以上ないほどに冷え切っていた。アイリはこの目を知っている。昨日初めて会った時、夜襲をしかけたアイリを抑え込んで脅した時の、―――あの目だ。射すくめられて、激情に燃えていた身体の芯が急激に冷えていく。ガタガタと震える身体を抱きしめながら、後退する。逃げ出したい、一刻も早くここから―――。

 その時、耳を劈くような轟音が轟き、薄暗かった辺り一面が目も眩むほど明るくなった。


「なんだっ!?」


 耳鳴りのする中で、ヴェルナーの驚愕する声が聞こえる。その音と光に遅れて、とてつもない突風がアイリたちを襲った。身体を持って行かれそうになり、とっさに近くの手すりに掴まる。先ほどまで流していた涙が、熱風で一瞬で蒸発した気がした。

 目を見開くと、アイリたちがいる広場から運河を挟んだ地区で、巨大な火柱が上がっていた。その高さはゆうに百メートルは超えており、先端が見えない位に高いところまで立ち上っている。しかも表面を螺旋状に立ち昇らせており、明らかにただの爆発とは違う異常さを感じる。手すりに乗り出したヴェルナーも、信じられない様子で運河の向うを見つめている。

 突如起こった異変に、アイリたちは全てを忘れ、ただ立ち尽くすばかりだった。

第三章 完結。

徐々に物語が動き始めます。

次章はちょっと別視点からのお話。

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