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第三章 名誉首席(3)

 盗賊三十二名は厳重に拘束され、この辺りを統括している町の駐屯兵団に身柄を空け渡す事となった。追われていた馬車の乗客の一人がこの近辺の町の出身と聞き、ヴェルナーはその乗客を伴って駐屯兵を呼びに行った。彼らが戻ってくる間、アイリたちは盗賊を監視しつつ手持無沙汰に待っていることしか出来なかった。

 追われていた乗客たちは、助かったことが奇跡であるかのように、アイリたちに何度も何度も感謝の意を述べていた。本当ならば、善良な市民を守れた事に誇りを持つべきところなのだろう。しかし、アイリは暗い気分のままその言葉たちをどこか靄のかかった世界の中で聞いていた。今は、バズが彼らの相手をしている。感謝されて嬉しいのか、バズは相変わらずあの屈託のない笑顔で、乗客たちと談笑していた。一方のアイリはというと、一団から少し離れた岩陰にうずくまり、先ほどの戦闘の事をずっと考えていた。


「お疲れ様。アイリ」


 すると、頭上から温かい聞きなれた声が降ってきた。


「母さん……」アイリが呟くと、カテラは紅茶の入ったアルミ製のコップを差し出した。

 小さく礼を言うと、アイリはそのカップに口を付ける。


「すごくかっこよかったわよ、アイリ」

「……そんなことないわ」

「そんなことあるの。ちゃんと訓練しないと、ああいう戦い方は出来ないのよ」


 カテラはそう言ってくれるが、アイリにとって不毛な戦いでしかなかった。兵のくせに人を殺す事を避けた事も、それを指摘された事も、唯々、未熟な自分が露呈するだけだった。


「……あら、アイリ。あなた腕怪我してるわよ」


 そう言われて、自分の腕を見ると、確かに服がぱっくりと裂けておりその内側から、やや深めの切り傷が覗いていた。


「大したことないわ。もう血は止まってるみたいだし」

「だめよ、痕が残ったらどうするの。女の子は肌を大事にしなさい」


 カテラは懐から手のひらサイズの小さな小箱を取り出した。蓋を空けると、そこには何も入っていない。―――いや、入っていないのではなく、見えないのだ。アイリには母のように「記述」を感知する力は無い。カテラは小箱の中に指を入れそっとつまむ動作をする。おそらくその指先には治癒術に必要な「記述」があるのだろう。服の袖をまくったアイリの腕をそっとつかむと、傷口にその指先につまんだ見えない何かを押しあてた。

 しばらくすると、傷口がジワリと熱くなり、傷の下から新しい皮膚が盛り上がってくるような感触を味わった。そのもどかしさに、アイリは身をすくめたが、やがて治まると傷は跡形もなく消えていた。


「はい、終わり。どう、痛みは無い?」

「ええ、無いわ。ありがとう、母さん」


 治癒系の記述術を習得したカテラは、軍役時代、衛生兵の団長として戦争に従軍していた。それはつまり、アイリのこの傷よりもずっとずっと重い傷も、こうやって治してきたという事だ。それこそ生死にかかわるような傷や病を、懸命に戦う兵士たちのために―――。


「ねえ、母さん」


 少し逡巡した後、アイリはカテラに尋ねてみた。カテラは「何?」と穏やかな瞳でアイリが話すのを待っている。


「母さんは、人を殺した事ある?」

「……いいえ、無いわ。私は衛生兵だもの」

「―――そう、だよね」

「でも、あなたのお父さんが目の前で人を殺したところは見た事あるわ」

「―――!?」


 突然、死んだ父の姿が脳裏に浮かんだ。優しかった父、どんな時でも笑顔を絶やさなかった父。そんな彼でも人を手にかけた事があるのか。―――当然だ。父は立派な軍人で、戦地にも赴いていたから。


「でも、私はお父さんを軽蔑したりしなかったわ。あの人は軍人で敵を倒すことが仕事だもの」

「……母さんはそれで納得できたの?」

「勿論よ。それにあの人が何人殺そうとも、あの人が優しくて素敵な人だったのは変わりないもの」


 こちらが恥ずかしくなるほど、誇らしげに父を語る母親。その姿には一遍の迷いが無かった。すると、カテラはアイリの頬にすっと手を添えた。


「アイリ。確かに人の命を奪うって事はとんでもない事よ。でも、あなたは軍人で、そうやって人を守ることが使命なの。軍の名を背負う以上、そこから目をそむけてはだめなのよ」


 力強く諭すように、カテラはアイリに言葉を向ける。カテラは、それに、と続けてこう言った。


「たとえあなたが、何百人という敵を殺したような大罪兵でも、私はあなたを嫌いになったりしないわ。あなたが優しい子っていうこと、お母さんちゃんとわかってるから」


 そう語りかける声も、頬に触れる手もどこまでも優しい。あえて言わずとも、アイリが何を悩んで、どんな答えを欲しているのか、カテラはすぐに見抜いてしまう。子供のころから、抜けているようでどこか聡い母は、いつだってアイリの味方だった。アイリはぐっと涙を堪えるように俯いた。と、視界の隅に何やら小さな人影が見えて、そっと顔を上げる。そこには、十歳くらいの男の子と女の子が立っていた。おそらく馬車に乗り合わせていた子供たちだろう、何か言いたげにアイリを見つめていた。


「どうかしたの?」アイリが尋ねると、意を決したように、男の子の方がアイリに話しかけてきた。


「おねぇちゃん、うまにのってわるいやつやっつけたんだよね?」


「え?ええ、まあ」突然の事にキョトンとしていると、男の子は、ぱあっと顔を輝かせてこう続けた。


「すごい!かっこよかった!おねぇちゃん、『せいぎのきしさま』だ!」

「せいぎのきしさま!」


 つられて女の子もはしゃぎだす。『きしさま』と何度も嬉しそうに叫ぶ子供の姿を見て、アイリは目尻を下げた。目の前で笑う女の子の頭に優しく手を乗せ、高らかに宣言する。


「そうよ。私は皆を守る正義の騎士よ、悪い奴は皆私がやっつけちゃうから」


 それを聞いてまた、子供たちは笑った。無邪気な笑顔に、アイリの顔もまた、同じようにほころんでいた。



 しばらくして、近隣の町から駐屯兵を連れてきたヴェルナーが戻ってきた。少し不機嫌そうな顔をした駐屯兵たちは、木に縛り付けられていた盗賊を一瞥すると事務的に彼らを護送車に乗せ始める。


「では、彼らの身柄はこちらで預からせていただきます」


 あくまで淡々と述べる駐屯兵たちだったが、最後に腑に落ちないという顔でこちらに質問を投げかける。


「ところで…、盗賊を捕まえたのは、あなたたちでしたか。見たところ軍部の方のようですが。所属はどちらで?」


 その質問は、軍服を纏っているヴェルナーとアイリに向けられたものだ。その言葉の端々から冷ややかな空気がひしひしと伝わってくる。駐屯兵たちが妙に不機嫌そうなのはこの為だったか、とアイリは内心毒づいた。本来は駐屯兵たちの管轄であるこの場所で、余所者が手柄を取ってしまった形になるのだから。

 しかし、アイリは正直に言ってしまってよいものか悩んでいた。なにせ自分は今休暇をもらって個人で旅をしているのだ。任務に関係なく、武力を行使してしまった事で、公務違反になる可能性は十分にある。

 答えられず、黙り込んだアイリの代わりに口を開いたのはヴェルナーだった。


「我々は、現在とある要人の護衛の任を受けています。その要人の身に危険が迫ったため、やむなくその盗賊を制圧しました」

「護衛の任?……その要人というのは?」

「極秘ですので、お答えできかねます」

「では目的地はどこだ?」

「それもお答えできません」


 はぐらかされているようで、気分を害したのか、駐屯兵はさらに険しい顔でヴェルナーを睨みつける。しかし、口八丁で誤魔化そうとしている感はあるが、決して嘘は言っていない。反論の隙を与える間もなくヴェルナーは畳みかける。


「承認が必要ならば、ここより北西に位置するグリアモという町の駐屯兵団にお尋ねください。ローラント=セルシム少佐が我々の身の上を保障してくれるはずです。ヴェルナー=ライトロウ中尉の名を出せば承諾してくれるでしょう」


 ―――えっ。

 アイリは思わずヴェルナーの顔を凝視した。今、何と言った?ヴェルナー=ライトロウ?ライトロウ?そんな、まさか。何故その名前がこんなところで―――。

 その瞬間アイリの中に忌々しい記憶と呼び起こしてはいけない憎悪がよみがえった。だめだ、思い出してはいけない。もう吹っ切れたのだ、蒸し返す事など、無い。

 内なる感情と戦っているアイリを尻目に、なんとか駐屯兵たちを説得したヴェルナーは、深く息を吐くとこちらを振り返った。


「はー、なんとか終わった。さて、ちょっと予定狂っちまったけど、先を急ぐか。―――ん?アイリ、どうかしたか?」


 ただならぬ様子で身体を震わせるアイリを不審に思ったのか、ヴェルナーが顔を覗きこんできた。思わず後ずさると、さらに怪訝な顔をされる。


「……何でも、……ない!」


 努めて平静を装うとしたが、口に出た言葉は、全くその意を介してはいなかった。アイリは佇む男を背に、馬車へと駆けだした。

 往来の馬車がアイリたちの来た道を進んでゆく。馬車の窓から、先ほどの子供たちがこちらへ手を振っていた。


「きしさま!またね!」


 明るい声をアイリは、どこか遠い世界で聞いている。


「『きしさま』だってよ。随分懐かれてんじゃん」


 また半分からかうように話しかけてくるヴェルナーに、アイリは一切言葉を返す事も無く黙り込む。ヴェルナーも、さすがにアイリの様子がおかしい事に気付いたのか、それっきり何も言ってはこなかった。

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