第三章 名誉首席(2)
昼食を食べ終えた後、馬車に繋がれていたシャロにも餌と水を与えた。帝都からここまで共に旅をしてきた愛馬は、アイリが鼻筋を撫でてやると嬉しそうに目を細めた。アイリが旅の道連れとして選んだ友。危険が伴うであろう今回の旅に、嫌だという態度をすることもなくついてきてくれた。もう一度馬車に繋ぎなおしている際、そんな友に向けて、アイリは強い意思で囁く。
「シャロ、必ず……、必ずソラトたちを助けようね」
その囁きは、誰に伝わるでもなく、自分とそしてシャロにだけ聴こえた。シャロの顔にそっと額を当てて目を閉じる。アイリの想いを受け止めるように、シャロもそっと頭を垂れ目を閉じた。
「餌やり終わったのか?」
しばらくそうしていると、気だるげな声が聞こえてきた。そっと目を開けると、ヴェルナーが面倒くさそうな顔でこちらに近づいて来る。
「終わったわよ」
「ふーん…」
何やら興味深くシャロを観察しているヴェルナーを訝しげな目で見た。
「そんなにシャロが珍しいの?」
「ああ、白馬なんて間近で見るの初めてだ。さすが貴族の馬は違うな」
ヴェルナーは感嘆の声を上げて、シャロの背中を優しく撫でる。
「子供の頃からの友達なの。この子が小さいころからいつも一緒よ」
「ふーん……」
また軽く息を漏らすヴェルナーだったが、今度はシャロではなくアイリの方を凝視した。思わずアイリはたじろぐ。
「な、何?」
「……いや、お前お嬢様なんだよな?なんかカテラさんとかなり印象が違うというか」
「……それどういう意味よ」
もの言いたげな目で睨んでやると、ヴェルナーは小さく笑った。
「旺盛というか、快活というか…。いや、やっぱり跳ねっ返りか」
「悪かったわね!お嬢様らしくなくて!」
意地を張って怒るが、アイリはこれまでも何度か同じような指摘を受けていた。幼い頃は、外で遊んで泥だらけになる事も多かったし、はしゃぎまわっては怪我をしていた。教育係には、もっと母のように貴婦人たる風情を身につけなさいと怒られたが、それでもアイリは奔放に生きる事が大好きだったのだ。当の母もそんな娘を見て、「きっとお父さんに似たのね」と笑っていたので、それほど気にすることも無かった。大人になって少しは成長したと思ったが、やはり人間そう変わる事は無いらしい。
少しへそを曲げると、ヴェルナーも「悪かった、悪かった」と軽い調子で謝ってくる。
「とにかく、行くぞ。急がないといけねぇんだからな、俺たちは」
「……そうね、急がなきゃね」
そう言って馬車へと戻ろうとしたその時、異変は起こった。
「なっ!おい、なんだありゃあ!」
最初に異変に気付いたのは御者だった。御者がさした方向に目を向けると、街道の前方から、巨大な土煙が巻きあがりこちらへ向かってくる。
「あれは……、馬車か?」
ヴェルナーが目を凝らしながら呟いた。確かに土煙の根元の部分、うっすらと滲む街道上に、アイリたちのと同じくらいの大きさの馬車が見える。最初は霞んで良く見えなかったが、馬車は全力疾走しているようで、みるみるこちらに近づいてきた。しかし、馬車一台の全力疾走にしては、土煙の量が尋常ではない。そうこうしているうちに、アイリたちの馬車が目視できるところまでやってきた。前方の御者は、アイリたちに気づくと、金切り声をあげて叫んだ。
「逃げろ!盗賊の集団だ!」
そう叫んだ御者の後ろでは、確かに土煙に紛れて何かがこちらに近づいて来る者の影が見える。それもかなりの数だ。
確認するが早いか、ヴェルナーがアイリたちの馬車の御者に指示を飛ばす。
「おっさん!馬車をそこの岩陰に隠せ!そっちもだ!」
逃げてきた方の馬車にも指示をする。慌てて御者は、馬を転換させ崖のように切り立った岩へと進路を変える。すると、すでに馬車に乗り込んでいたバズとカテラが何事かと顔を出した。
「ヴェルナー!?なんだよこの騒ぎは!」
「盗賊だ。しかもかなり数が多い。バズ出るぞ!」
「ちょっと待って!迎え撃つ気なの!?」
驚愕するアイリにヴェルナーは早口でのべる。
「あの速さじゃ、積み荷抱えた馬車では逃げても追いつかれる。ここ一帯は大きな森も無いから隠れようもない。なら戦うしかないだろ」
すぐさまヴェルナーは馬車の荷台から、自分のライフルとサーベルと取り出し戦闘準備を始めた。
「カテラさんは、馬車の中にいて下さい」
指示されたカテラは、険しい顔で頷き馬車へと引っ込んだ。慌ててアイリもシャロの元へ向かい、先ほど取り付けた轡を外した。シャロの脇腹をポンポンと叩くと、勢いを付けてシャロにまたがる。手綱を取って、駆けだすと、迎え撃つような形で銃を持ったヴェルナーと槍を構えたバズが立っていた。アイリが横に陣取ると、隣から口笛が鳴った。
「さすが、近衛の騎士様。風格が違うな」
茶化すように笑うヴェルナーに鋭い視線を送った。ヴェルナーの背後でも、バズが「すっげぇ!」と目を輝かせながらアイリを見つめている。こんな状況なのに緊迫した様子がちっとも垣間見られない。
「ふざけてないで、どうするか考えてるの?こっちは実質三人しかいないのに」
目視で確認できる敵は、馬や馬車に乗りこちらへ迫っている。天蓋無しのシンプルな箱型に、六、七人が乗り込んでいた。同じ形状の馬車が四台、加えて騎馬が三頭、人数はざっと三十人前後、手にしている武器は、サーベルや斧。銃器を持っているのは数人か。いずれにせよ数では圧倒的にこちらが不利だ。
「馬車馬が八頭、単騎乗りが三頭。計十一頭か。なんとかいけそうだな」
ヴェルナーはライフルの肩ひもをはずし、弾を装填する。その瞳は楽しげにぎらついていた。
「アイリ。俺がまず馬車を止めるから、お前は奴らの足が鈍った頃合いを見て一気に攻め込んで翻弄しろ。バズ、その後俺とお前で残りを手当たり次第に清掃、わかったな」
了解、と楽しそうに返事をするバズ。不敵に笑う二人はこの状況を嬉々として楽しんでいるようだ。
「それじゃあ、先制攻撃といきますか」
そう言うと、ヴェルナーはライフルを構える。敵の距離はおおよそで三百メートル。軍支給の最新式ライフルなら余裕で届く。標準を合わせると、ヴェルナーはゆっくりと引き金を引いた。
ダァン、と広大な平野に銃声がこだまする。正面から迫ってきていた馬車馬の一頭が、身体を大きくよろめかせ倒れた。連結していたもう一方の馬も、相棒が突然倒れた事でバランスを崩してたたらを踏む。馬車に乗っていた人間たちは、突然の攻撃に対処できず馬車上で大きく転倒し、数人は地面に転げ落ちた。
ヴェルナーはすぐに次弾を装填すると、今度は別の馬車の馬を撃った。先ほどと同じ光景がそちらでも繰り広げられる。それにしても恐ろしい精密射撃だ。的確に馬だけを狙っている。
射撃は四度繰り返された。各馬車の片方の馬だけを綺麗に撃ち抜かれた盗賊たちは、成すすべなく馬車を乗り捨てる。距離は既に百メートルまで迫っていた。
アイリは、鋭く息を吐くと、シャロの手綱を力強く引いた。それに呼応するかのごとく、シャロが前方へと駆けだした。落馬しないよう両腿で身体を支え、両脇に携えたサーベルを同時に引き抜く。眼前には、仲間の馬車が破壊されて一瞬隙を見せた騎馬の姿が合った。馬上の男は、突如前に躍り出たアイリの姿を認識し、戦闘態勢に入るも時すでに遅く、サーベルを抜き去ったアイリは、目にもとまらぬ速さで二頭の間をすり抜け、すれ違いざまに、男の胸元を一閃した。
二人分の悲鳴が耳を掠め、それぞれの馬から男が転がり落ちるのを視界の隅で確認すると、すぐさま残りの騎馬の元へと向かう。騎馬の姿を視界に捕らえたが、鈍い銃声と共に、男の身体が馬から滑り落ちた。―――ヴェルナーだ。
これで騎馬は全員片付いた。後は、馬車を壊されて右往左往している残党のみ。アイリは、ためらうことなく残党の中へと突っ込んだ。襲いかかってくる白馬に恐れおののく盗賊たち。馬はその速さで突っ込むだけで人間に脅威を与えるのだ。一瞥でまず銃を持っている奴から叩く。なるだけ命はとらぬように、肩を薙ぐ程度にとどめた。
別の馬車の方でも怒号が聞こえた。ヴェルナーとバズが動き出したのだろう。昨晩奇襲をかけたアイリをあっけなく返り討ちにしたヴェルナーの戦闘能力は間違いなく本物だった。それだけでなく、バズも眼帯のハンデをものともせず、身の丈程の槍を巧みに操って盗賊たちを伸していた。一般市民のはずだが兵士と比べても不遜ない。確かに近衛兵は実戦経験のあまり無い部署で、アイリ自身も出動したのは数えるほどしかないが、そうでなくとも彼らの戦い慣れは凄まじかった。
―――いけない、集中集中。二人の方に意識が向いてしまっていたのを慌ててただす。アイリは逃げまどう賊を威嚇で散らし、立ち向かってきた者はサーベルで腕や足を切り付け動けなくする。
ある程度盗賊たちを戦闘不能にし、息をつくと、
「―――っ、この野郎が!」
苦しそうに濁った声が、アイリの耳に響き振り返ると、眼前に宙に舞う大斧が見えた。倒した盗賊の一人が、最後の力を振り絞ってアイリに投げつけたのだ。
―――しまった!とっさにシャロを方向転換させようとするが、すでに斧はアイリの頭部を割らんと眼前に迫っていた。
ガツン!と斧がぶち当たる音に反射的に目を閉じてしまった。自分の頭に無残に突き刺さった斧を想像してしまったが、何故か痛みは一切ない。恐る恐る顔を上げると、眼前には高く蹴り上げられた長い足と、あさっての方向へと飛んでいく斧が見えた。
アイリに向かっていた斧を蹴り上げたヴェルナーは、すぐさま体勢を立て直すと、右手に持っていた小型拳銃を斧を放った男に向けて引き金を引いた。ガンッという衝撃と共に、眉間に穴を空けた男は、そのままバタリと地面に倒れ込み絶命した。
「……敵に情けなんかかけるな」
それだけ告げると、ヴェルナーは他にも動ける者が残っていないか確認するため離れて行ってしまった。
情けなんかかけるな。それは極力殺さずに捕縛しようとしたアイリに対しての戒めの言葉だ。その言葉がアイリの胸に重く圧し掛かり、頭の中をぐるぐると駆け廻った。
ヴェルナーに助けられたのだと気付いたのはそれから少し後の事だった。




