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第二十六章 王の願い、語られる頃(10)

 ◆

 ダンスの時間が始まっても、アイリは壁から一ミリたりとも動かなかった。途中何人かの男性が誘いに来たが(アイリの顔と噂を知らない新参の者たちだ)、丁重に断った。

 ライムも戻ってこない。戻ってこられたところであの男と踊る気なんて起きないし、ほっとかれた方がよほど気が楽だ。

 華やかなドレスがクルクルと舞う様を遠巻きに眺めながら、本日何度目かのため息をつくと、


「あれ…?アイリさん、アイリさんですよね!?」


 場違いな甲高い舌っ足らずの声に名を呼ばれた。すると、人ごみをかき分けてアイリより幾分か年の若い可憐な少女が姿を見せた。


「あなた……ひょっとしてエリス?」

「はい!お久しぶりです、アイリさん!お元気でしたか?」


 まるで子犬の様に落ち着きなくパタパタとアイリにじゃれついて来る女性、エリスはアイリの御近所さんでアイリより五歳年下の幼馴染だった。幼い頃は毎日のように一緒に遊んで、まるで本当の姉妹の様に思っていたものだが、アイリが軍学校に入学してからはとんと会えなくなってしまっていた。最後に会ったのは軍に入隊する前だからもう四年近くになるわけだが、相変わらずあどけない少女の素振りでエリスははしゃいでいる。


「お一人…なわけありませんわよね。婚約者殿はいらっしゃらないのですか?」


 エリスは無邪気な口調でアイリが触れて欲しくない事を聞いて来た。昔から天真爛漫で明るいのはいいのだか、幾分相手の心境を察するには鈍いところがある。


「挨拶周りに言ってるわ。どうせどこぞのご婦人とダンスに興じてるんじゃないかしら?」

「まあ!婚約者を置いてですか!?薄情な方ですわね!」


 エリスは可愛らしい唇を歪めて、ここにいないアイリの婚約者に不平を言った。当のアイリにしてみれば、ライムが社交のために誰と踊ろうが嫉妬心の欠片もわかないのが本音なのだが、エリスの持論によれば婚約者というものは常に寄り添い、お互いに操を立てるべきもの、らしい。


「アイリさん、よろしいんですの?ずっと結婚はしたくないっておっしゃってたじゃありませんか。それがよりによってそんな相手を顧みないお方と―――」

「いいのいいの、私は気にしてないから」


 アイリ以上に怒りに身を震わせ腕組みをしているエリス。年頃の娘に成長したが、未だ乙女らしい純粋な心を持っているのだ。

 だが、純粋故感情の起伏の激しい彼女は気持ちの切り替えもまた早い。突然思い出したようにアイリにキラキラとした目を向けてきた。


「婚約者と言えば!聞いて下さいアイリさん!私さっき素敵な殿方見つけちゃったんです!」

「へ?素敵な殿方!?」


 突然振られた話題に、アイリは少し及び腰になる。一方のエリスはそのくりっとした瞳をますます潤ませて、夢見るように虚空を見つめた。


「先ほど友人と見つけたのですけれど、凄く素敵な方で思わず見惚れてましたの!」

「へ、へえ…どんな人?」


 純粋故に惚れっぽい性格でもあるエリスは、昔から度々このような恋愛事の話を振ってくる。その七割方が一目ぼれした名も知らぬ男性の話、後の三割が必死にアタックして何とか文通までこぎ着けた男性の話と最終的に玉砕した話だ。

 正直この流れはもう何度やったかもわからない位馴染みのパターンなので聞くのもうんざりなのだが、エリス自身は決して悪い子ではないのでアイリも断れずついつい聞いてしまうのだった。


「外で見かけて暗闇でわかりづらかったですけれど、あの服は軍服でしたからきっと軍部の方ですわ」

「軍人……?」

「ええ!それがまた今まで出会った方とはちょっと雰囲気が違うというか、着崩した軍服とか手袋口にくわえてる仕草とか、なんだかもう全部野性的でかっこ良かったというか、もうとにかく堪らなかったんです!」


 鼻息荒く解説する友人にアイリは、引き気味に相槌を打った。そういえばまだ幼い頃、共に市場へ遊びに出掛けた時、エリスは偶然見かけた少し柄の悪そうな庶民の男の子に一目ぼれし、こっそり恋文をしたためていた事を思い出した。それから少し経って、両親に内緒でこっそりお付き合いしていた相手も、なんだかそんな感じだった気がする。

 軍人と聞いて、またややこしい人に目を付けたものだと一瞬ひやりとしたが、何だいつも通りか、とアイリは半分安堵、半分うんざりして話を聞いていた。嬉々として語る友人は、もうそれはそれは満足そうで、彼女のお眼鏡にかなう相手が見つかったのならそれでいいか、となんとなく納得し始めた時、


「ですけど、その方が何より素敵だったのは月の光を浴びて白銀に輝く髪と瞳なんです!暗闇でも綺麗に映える…そう、あの美しい銀の色…」


 アイリの表情が固まった。そんな事は露知らず、友人はひたすらに目を潤ませて力説する。


「あの瞳に見つめられたら…私、もう何もかも捨ててこの身を捧げてしまうかもしれない……!」


 それは何とも情熱的で甘美な響きだったが、アイリの耳には微塵も届いていなかった。

 銀髪の男性なんてこの世にごまんといる。この舞踏会は大勢の人間が集まる場所だ、外見が似た様な人間が数人いてもおかしくない。なのに、アイリの脳裏にはある人物の姿が浮かんでいる。闇の中でも溶け込まない輝く様な銀色、乱暴に見えてどこまでも澄んだ瞳。


 アイリは、知っている―――


「はっ――、こうしては居られません!私これからあの方を探しに行きますわ!確か表側のバルコニーにいたから、まだそこに――」

「やめておきなさい」


 息まくエリスをアイリは冷たい声で遮った。いつもなら適当に相槌を打って、適当に応援されるのが常だったエリスは、思わぬ否定の言葉に愛らしい表情を文字通り凍らせた。


「ど、どうしてですの…?」

「あなたその人の事何も知らないんでしょ?見てくれだけで判断したら痛い目見るわよ、いい加減その惚れっぽい癖直しなさい」

「でっ…ですから、今から行ってその人ともっとお近づきになろうと―――」

「駄目!!」


 突然大声を出したせいで、周りの客が一斉にこちらを向いた。アイリは我に返って、口を噤む。こんな公衆の面前で取り乱して声を荒げるなんてはしたない。


「ごめん……エリス」

「いえ…私は……」


 怒鳴られたエリスもいつもと様子の違うアイリに戸惑っている様だった。どう返してよいのかわからず、お互い黙りこむ。気まずい空気が二人を包む中、二人の周囲は打って変わってどよめきが起こった。


「……何かしら?」


 周囲の異変にアイリも周りを見渡す。ひそひそと囁かれる声に耳を傾けると、


「陛下だ…陛下がいらしたらしいぞ」「どこですの?ここからでは見えませんわ」「ほら、向こうの入口…!」「待って、今壇上に上がられる」


 口々に語られる言葉の断片を紡いで、アイリはホールで何が起こっているのかを察知した。


 皇帝が姿を見せた。

 多くの貴族たちが集結するこの舞踏会に、ここしばらく姿を見せていなかった皇帝が―――


「アイリさん……、陛下って…」

「……」


 エリスが呆けているアイリの服の袖をつまんだ。だが、アイリはエリスの事など構う余裕などなく、人ごみの奥に見える皇帝の姿を探した。


 皇帝に謁見を申し入れるため、必ず第一連隊長が姿を見せる。

 ライムは昨夜そう断言していた。そして、第一連隊長と共に補佐官であるヴェルナーも参列すると。


(本当に……皇帝が……)


 その時突然、アイリの身体は冷気に晒された様にがくがくと震えだした。ホールは人口密度や巨大なシャンデリアの灯で蒸し暑いほどなのに、全身を冷水に浸した時の如く血の気がさっと引いて行くのを感じていた。


「アイリさん!?どうしたんですか!?」


 エリスの呼びかけがこだまする。

 アイリにもわからない。だが、突然堰を切った様に全身に寒気が帯び、それと同時に目が眩みホールの映像がぶれた。

 映し出されたのは別のどこかの映像、アイリは突然現れたここではない光景に息を飲んだ。


(これは、何―――?)


 豪華絢爛なダンスホールと大勢いた招待客は消え、アイリの目の前に広がるのは誰もいない虚構の空間。近くに光源は無く、はるか天井にある天窓から細々と陽光が降り注ぎ、空間を薄暗く照らしている。かろうじて見える足元には真っ赤な絨毯。よく見るとアイリの足元から前後にまっすぐとのびている。絨毯はアイリの五メートル程先にぼんやりと見える、円形の高座に続いていた。


 アイリはじっと目を凝らす。暗闇の中で徐々に目が慣れてくると、その高座の頂点に小さな椅子と垂れ幕がかかっているのが見えた。

 アイリはその椅子を凝視した。そこには小さな形状の何かが無造作に置かれているが、陽光の届かない薄暗いこの場所では何があるのかわからない。


 アイリはその高座へ一歩近づいた。何故だろう、その一歩を踏みしめるだけ恐ろしいほどの抵抗を感じる。


 行ってはいけない、見てはいけない。


 そんな警告が心の奥でならされる。だが、アイリはそこにあるものが何かを確認しなければいけない、そんな気がするのだ。


 ゆっくりと近づいて行く。慎重に近づいているためか、数メートルという距離が異様に長い、時間をかければかけるだけ、目は暗闇に慣れていき、そこにある謎の影の形が鮮明に映し出されていく。

 アイリは三段になっている高座の一番低い段の手前で足を止めた。もうその影は目と鼻の先だ。

 心臓が高鳴る、喉がカラカラだ。


 その時、雲の陰りが晴れたのか天窓の陽光が僅かに強くなった。陽光が増した分だけアイリのもとに光が降りる。

 そして、アイリはその目の前に鎮座するものの正体を見た。



 朽ち果てた皇帝の亡骸が、そこにあった。



「―――!!!」

「アイリさん!!」


 自身の悲鳴は聴こえなかった。それより前に耳元にエリスが名を呼ぶ声がして、アイリの意識は現実に引き上げられた。

 目の前に映っていたのは、薄暗い玉座でも王の遺体でもなく、心配そうに顔を覗き込むエリスとそれを何事かと遠巻きに眺める舞踏会の招待客。

 そこは、先ほどと同じ喧騒に包まれたダンスホールの中だった。耳にざわざわというざわめき声が戻ってくると同時に、アイリは思い出したように息を吸った。


「大丈夫ですか!?アイリさん、顔真っ青ですよ!?」

「エリス……、ごめん私いったいどうしたの?」

「急に目を見開いたまま動かなくなったんですよ。呼びかけても返事は無いし、一体どうしたのかと……!」


 どうも僅かな時間アイリは立ったまま意識を飛ばしていたらしい。人形のように動かなくなり、エリスが呼びかけても応答が無かったそうだ。

 周囲に立っていた客もエリスの叫び声を何事かとこちらを覗きこんできた。だが、その異変はアイリの周辺のごく一部にしか伝わっておらず、ホール全体は変わらずどよめきに包まれていて、アイリの方など見向きもしていなかった。


「エリス、今何が―――」


 エリスに状況を聞こうとした時、ダンスホールに備え付けられていた壇上からカツッと鋭い音が響いた。アイリはエリスに寄りかかったままその音の先を見る。


 皇帝が、その姿を現した。


 ホールが一瞬にして静まり返る。皆、前に現れた国の絶対権力者の姿に釘付けとなった。アイリに肩を貸しているエリスもその姿に圧倒され、息をのむ。

 只一人、アイリだけはその老齢の男の姿に違う恐怖を抱いた。少し持ち直したばかりのアイリは再びがくがくと震えだす。

 アイリがつい先ほど見た謎のビジョン、玉座の上で物言わぬ死体となったその小さな姿と目の前に君臨する君主の姿が重なる。


「……っ、ごめんエリス。私外にいるわ」

「えっ…アイリさん!」


 エリスが止めようと手を伸ばすがそれを振り切って人ごみを縫って駆けだした。怖い、今皇帝の姿を見てしまえば、さっき見たビジョンが本当に目の前に繰り広げられるような気がしてしまう。


 やがて、壇上に上がった皇帝が静かに口を開いた。その一言一句を聞き洩らすまいとする参列者たち、女が一人出ていった事など誰ひとり気に留めぬまま、皇帝の演説が始まった。

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