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第二十六章 王の願い、語られる頃(9)

 後から考えれば言い訳などいくらでもあった。それこそ(巻き込む様で気は進まないが)パヴコヴィックの名を出して、彼が独自に調査した事を聞いたとでも言えば良かったのだ。だが、皇帝に責められ錯乱状態に陥っていた根が律義なヴェルナーにはそんな機転が利く訳もなく、正直に己の事情を吐露してしまったのだった。


記述者テクスターに会った事があるんです!」


 全身ががくがくと震えそうになる中で、ヴェルナーは絞る様に叫んだ。詰め寄っていた皇帝陛下も記述者テクスターという言葉に興味を引いたのか眉を寄せる。


記述者テクスターとはなんだ?」

「この世界の全ての「記述」を書いた人間、この世界の創造主です。先ほど言っていた自分に名前を与えてくれた恩師、サイフォス=ライトロウという男がこの世界を描いた記述者テクスターです」

「創造主……まさか賢者と会ったのか?」

「賢者……?」


 今度はヴェルナーが思わぬ言葉に目を丸くさせた。皇帝は音も無く杖を下げた。喉元に突き付けられていた圧力が消え、ヴェルナーはがくりと膝をつきそうになって何とか堪える。たった思い出したように息を吐いた。先ほどまでまともに呼吸をしていなかったかもしれない。心臓はどくどくと脈打ち、全身から汗が噴き出していた。


「歴代皇帝に受継がれてきた伝承だ。この世界の成り立ちを語ったのは、帝位につく前の初代皇帝が流浪の旅の道中で出会った浮世離れした男だったという。初代皇帝はその者の事を後に賢者と称し後続の者に語り継いだ。……お前の言う男が世界の創造主なら、話に聞く賢者の様な人物だったのだろう」


 賢者。かつての初代皇帝が出会った男、それがサイフォスである確証はないが、しかしよく考えればそれを示すに値する人間は彼以外にいない気がした。彼は世界を創造する者、時間軸を飛び越えてこの世界に具現化できる者だ。


「その者に直接聞いたのか?」

「―――いいえ、二年前自分は死の際に立った時、何故かこの世界の記述書を所蔵する書架という所に飛ばされました。そこにいた司書と名乗る女性に聞いたのです」


 皇帝は眉唾物のヴェルナーの話をただ黙って聞いていた。驚く事も否定する事も相槌を打つ事も無く、ただ静かにヴェルナーを見据えている。それはヴェルナーが嘘偽りない言葉を述べているのか品定めをしているかのようだった。


「その記述者テクスターは今どこにいる?」

「それは―――」


 わからないと答えかけてヴェルナーは自身の心臓辺りを見下ろした。サイフォスは答えない。思念はまだうっすらと感じ取れるのに、その存在はどこまでも稀薄で捉えどころが無い。


「わかりません。自分も、もうずっと探しているんですが……」

「―――そうか」


 皇帝はあっさりと引き下がった。先ほどまでの殺気が嘘の様に、目の前の男は元の余裕ある威厳を湛えた絶対権力者の姿に変貌を遂げていた。


「自分の話しを信じて下さるのですか……?」


 ヴェルナーにも予想外の引きだった。皇帝の、世界の秘密を知っていた者に対して些か呆気ないものの様に思えた。


「貴公の言葉に嘘は見えない。……何より、貴公に名付けられたその名が、その者が真の創造主であるという何よりの証だ」

「名前……?」


 やはりヴェルナーという名に何か意味があるのだろうか?

 尋ねようとしたが、皇帝はそれよりも早く、ヴェルナーに問いかけた。


「私からも尋ねたい。ヴェルナー、貴公は先の事件をどう思っておる?軍の立場としてではなく、オルセンの民の一人としてその意思を知りたい」

「―――!」


 まっすぐな眼差しだった。ヴェルナーはまた固まって動けなくなる。


「あれは起こるべくして起こった事か?圧政に苦しみ請願を行った者たち、殺されたアーベント、それらを止められなかった皇帝。責め立てられるべきは誰だ?」

「そんなの決められません、誰かなんて―――」


 本音を言うと、ヴェルナーは反政府組織の方に同情的だ。だが、アーベントが殺害され世間に波紋が広がっている現状を見れば、どちらかが善でどちらかが悪であるか、そんな単純な話で無い事はもうわかっていた。

 だが、間違いなく言える事は一つある。今、オルセンは変革の時に来ている。皇帝自身が言うとおり、もうオルセンは皇帝と言う軸を必要としない世の中になりつつあるのかもしれない。モーゼンテルの事件はその引き金に過ぎない、あれは起こるべくして起こった事件だ。

 それこそ、皇帝の前ではっきりと口に出すわけにはいかないではないか。皇帝が悪い、皇帝はもう必要のない存在などと張本人の前で言える人間がどこにいる。


 ヴェルナーは言葉が出ないまま立ち尽くした。もっとうまく立ち回りたいのに、それが出来ない。やがて返答に諦めた皇帝が月を見上げ静かに続けた。


「いつから、この世界はこんな風になってしまったのだろうな」

「えっ―――」


 その呟きは消え入りそうな程小さく、蒸した夜の風に飛ばされそうだった。それでもその僅かな断片がヴェルナーの耳を掠める。力ない王の声が鼓膜に響く。


「今更何を言っても言い訳にしかならんだろうが、余はこの国の平和を望んでいた。イシルとの戦いも心苦しくはあったが、オルセンの民を守るためには仕方ないと苦渋の決断をした。やがて余が死んでも、余の息子や孫が帝位を受け継いでくれる事を望んでいた。どんな形であっても、彼らに平穏な世界を受継がせてやりたかった」


 皇帝の瞳が寂しげに細められた。その横顔にざわめく何か感じてヴェルナーは胸を抑える。

 その時浮かんできたのは、歪な文字で書かれたあの一文。


『お前たちの幸福な未来が永劫続く事を願って』


 先代バルド=グロックがバズとバルドに残したあの言葉。


(同じなのかもしれない、皇帝も)


 己の子孫に未来を繋ぐ事、穏やかに生きて欲しいと願う事。


「陛下……、自分は碌な人生を歩んできませんでした。本音を言うと自分はこの国は間違っていると思います。地位を振りかざす貴族もそれが理路整然とまかり通っている世界は淘汰されるべきだと思っています。

 でも、自分はその全ての責任があなたにあるとは思いません。あなたは皇帝である以前に一人の人間だ。たった一人の人間が国の全てを変えることなど出来るはずが無いんです」


 そんな事が出来るのは神だけだとドメルトは笑って言った。或いは記述者テクスターでもそれは出来ないとサイフォスは忠告した。皇帝は人だ、他の者と同じ願いを持つ只の人間なのだ。


「だが、どうあがいてもこの国の歪みはこの国の長の責任だ。ヴェルナー、例え余一人にその非が無くともその全ての責任が皇帝にのしかかってくる。……それが一国の長になる者の運命だ」

「違う!そんなのは間違っている。あなた一人が罪を被ったってそれは根本的な解決にならない!俺たちが見たいのは皇帝のいない国じゃない、ただ当たり前に大切な者の未来が受継がれていくそんな世界でいいんだ!」


 曇っていた皇帝の顔に月の光が一層濃く差した。その姿は雷に打たれたかのように衝撃を与えられているようだ。だが、ヴェルナーは気づかない。

 銀の髪の青年は、ただ、己の純粋な願いだけを吐露している。


「力が足りないというならお貸しします。皇帝だというなら、少しは俺たちを頼って下さい、民を……見捨てないでください」


 ヴェルナーは深く頭を下げた。数秒の沈黙、その後に皇帝は、―――笑った。


「……貴公も同じなのだな」

「えっ?」


 虚をつかれたヴェルナーは弾かれた様に王を見た。彼は慈しみ深い表情を湛え、ヴェルナーに語りかけていた。


「ありがとう、貴公に話を聞けて良かった。礼を言う」

「は、はあ……」


 何かわからぬまま皇帝に礼を言われ、ヴェルナーはしおしおと脱力した。と、同時に先ほどから随分と無礼な物言いになっていた事に気が付き、一気に顔が青ざめる。


「も、申し訳ありません!」


 再びヴェルナーが地面に額を擦りつけんばかりに深く頭を下げたのを見て、皇帝は何故か愉快そうに笑った。


「構わん、民の本音が聞けただけでも嬉しい。礼儀などとるに足らん事だ」


 そう言って、皇帝はまた豪快に笑う。その姿が今まで感じていた王の威圧感とはかけ離れていてヴェルナーは呆気にとられてしまった。


 その時ホールから流れていた管弦の音色が一際大きく響き渡り、一拍遅れて盛大な拍手が起こった。ダンスの時間が終わったのだ。


「こんな所にいらしたのですか」


 入れ替わりに固い声が割って入ってくる。ヴェルナーが皇帝の背後を覗くと、上等な燕尾服に身を包んだ初老の男性が立っていた。


「お時間です、ホールへお戻りください」

「うむ、参ろうか」


 その男に急かされるように、皇帝は杖を使ってゆっくりと身体を回転させ、ヴェルナーの元から遠ざかって行こうとする。迎えに来た男は一瞬怪訝な顔でヴェルナーを見据えたが、すぐに何も見なかったかのように皇帝を先導した。


「……ヴェルナー=ライトロウ」


 去り際に、皇帝はもう一度振り返った。そのまま去っていくものかと思っていたヴェルナーは驚いて飛び上がりそうになった。


「―――はい」

「ヴェルナー、賢者に輝かしき名を与えられた者。この国の為に力を貸すという言葉に偽りはないな?」

 皇帝は念を押した、ヴェルナーも力強く頷く。己の言葉に偽りない事を伝えた。

「貴公の様な者がオルセンの民で良かった。……おかげで決心がついたよ」

「決心……?」

「私とてこのまま引き下がるのは口惜しい。私一人ならともかくオルセンの民全ての未来を奪う事はしたくないものだ」


 その言葉の意味がわからぬまま茫然としているヴェルナーを置いて、満足げに笑った皇帝は今度こそ、その背をこちらに向けゆっくりと去っていった。

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