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第二十六章 王の願い、語られる頃(8)

 ◆

「あれが例のジュンア家の―――」

「称号は剥奪されていませんでしたの?」

「ライム家と婚姻関係を結ぶ事にしたらしい。近々婚約が――」

「――ではあの女性が」


 あちらこちらから囁き声がする。貴族というものは実にゴシップに敏感だ。しかもそれがセンセーショナルであればある程、躍起になってその真相を追いかける。鋭意ある狩人の様にどこまでも地の果てまで追いかけて、飢えた獣の様に獲物を骨の髄までむしゃぶりつくす。

 今のアイリは彼らの目の前に置かれた極上の獲物だ。


 没落貴族、ジュンア家の一人娘。軍事裁判で有罪判決を言い渡されながらも、ライム家の庇護によって免罪とされ、その見返りにその身を捧げた娘。


 元々ジュンアとライムの婚約は口約束でありつつも他の貴族からも公認であった事だが、その顛末が実に突飛であったことから、ジュンア家――いや、アイリ=ジュンアは瞬く間に貴族たちの注目の的となった。

 目の前をゆくライムの後を粛々とついて歩くだけで、奇異の視線がアイリを射す。好奇心、嘲笑、疑惑。アイリを嬲る幾数もの視線、ただそれだけで、アイリはここに来た事を後悔した。元々着飾る事や取り繕う事が大の苦手だったアイリはこう言った催しにも積極的ではなかった。そのつけが今回ってきているのだろうか?場馴れしていればもう少し上手く立ちまわれたのかもしれないが、今更嘆いてももう遅い。アイリはひたすらに耐えた、それしかアイリが己を守る術が無いのだ。


「随分蒼い顔をしているな?公衆の面前で恥をさらす事だけはするなよ」

「……」

「まあ、上手く倒れたらそれはそれで可憐な娘を演出できるかもしれないな。気の優しい者であれば同情を引けるかも知れないぞ?」


 ライムの囁きは皮肉と嘲りの入り混じったもので実に不愉快だ。だが、今のアイリには言い返すことなどできない。自分を保つだけで精一杯の状況でいつもの様に反抗的にはなれなかった。

 アイリはぐっと唇をかむ。ライムに弱った姿など見せたくない、気丈にならなければ、そう自分に言い聞かせながら全身に力を込める。


「心配に及ばずとも、あなたの顔に泥を塗るような事はしないわ。あなたこそ、早くお目当ての方々へ顔を出しに行ったらどう?ぐずぐずしているとせっかく仲良くなれる機会を逃してしまうわよ?」

「…相変わらず口の減らない女だ」


 憎たらしい笑いを浮かべたライムは、突然アイリの腰を引き寄せてその目元に唇を落とした。驚いてアイリは抵抗も出来ずに固まる、あっさりと拘束を解いたライムは「勝手にしろ」と言い残してアイリの元を離れていった。


 途端にアイリの身体は骨を失くしたようにぐにゃりと歪んだ。寸でのところで踏みとどまり近くの壁に寄り掛かって息をついた。

 アイリは化粧が崩れるのも構わず、ライムに口づけられた箇所を手で拭う。隣で話をしていた二人組の男性に変な目で見られたが、そんな事には目もくれず一心不乱に痕跡を消す。

 愛情なんかない、ただ己の所有物であるという事を示したかっただけの行為だろう。アイリも怒りや気恥ずかしさより嫌悪感が溢れ出てくるあたり、相当あの男を嫌っているのだなと実感した。

 あまりに擦りすぎて顔がひりひりと痛んだので、アイリはようやく我に返って落ち着きを取り戻した。何をやっているんだろう。少しからかわれたくらいで、不安定になる自分にも嫌悪した。


 壁に寄りかかりながらホールを見渡す。貴族の屋敷の中でも別格に広いこの屋敷は、ダンスホールも破格の広さだ。ジュンアやライム家の屋敷にもダンスホールと銘打った部屋があるが、大きさはこれの十分の一程度だろう。何百人という招待客を収容できるこの部屋はさすが皇族主催のパーティと言ったところか。

 すれ違う人々は皆楽しそうにパーティに参加しているが、これだけの人数では誰がどこにいるのかもわからない。知り合いを探すのも一苦労だ。


(……会えるわけ、ないか)


 たとえあの男がこの会場にいたとしても、探すのは困難だろう。まして偶然出会うなんて事はきっとない。

 結局、ライムに従って舞踏会へ参加する事になってしまった。今となってはアイリのプライドとか、ひょっとしたらヴェルナーともう一度話せるかもという小さな願望とか、そんなものはどうでもよかった。

 でも少しだけ、せめて遠くから姿だけでも見れたらいいなと思っていた。兵器収容所で看病してくれた事、パヴコヴィックに診察を依頼してくれた事、アイリはまだ何も返せていない。


 やっぱり浅ましい。そんな天の神様に采配を委ねようなんて考え方はずるい。

 一番憎いのはライムじゃない、何も決断できずに流れに身をゆだねている事しか出来ない自分だ。



 ◆

「将校、名は何と言う?」


 皇帝の静かな問いかけに、呪縛の解かれたヴェルナーは慌てて膝をついて頭を垂れた。その不慣れな動作に、皇帝はくくと顔を歪めて笑う。


「よい。ここは公的な場ではないのだから、貴公が頭を下げる必要などない」

「しかし……!」

「構わん、顔を上げよ。いいから貴公の名を申してみよ」


 ヴェルナーはぎこちなく動く人形の様にゆっくりと立ち上がった。


「オルセン帝国陸軍第一連隊長補佐官、ヴェルナー=ライトロウ大尉と申します」

「ヴェルナー……〝ワーナード″か?」


 皇帝の目が意外そうに丸くなった。見知らぬ名を呼ばれヴェルナーはきょとんとしていると、皇帝は首を振って思慮深い笑いを浮かべる。


「…いや気にするな。私の独り言だ」


 だが、皇帝はそれからもしきりに「そうか、そうか」と頷いていた。まるで懐かしい者を愛しむように。


「その名は両親が付けてくれたものか?」

「……いいえ、違います。この名前は自分の恩師から貰ったものです」

「……そうか、恩師か。さぞ聡明なお方だったのだろうな」


 ヴェルナーという名に何か意味でもあるのだろうか?確かサイフォスは古い英雄の名だと言っていたが、詳しい事は教えてはくれなかった。

 ヴェルナーは目の前に立つ絶対的権力者を見つめた。蜃気楼の様に幻惑で非現実的な存在。だが、君主である事よりそちらの方がよほどヴェルナーの興味を引いた。

 遠くから聴こえる管弦の音色が、ヴェルナーの意識を現実に引き戻す。これが幻でないという事を示している。


 ふと、ヴェルナーは今日ここに来た本来の目的を思い出した。あまりに予想外の登場だったため、頭が真っ白になっていたのだ。


(そうだ……!皇帝に謁見……!)


 自分は皇帝の真意を聞くためにここに来た。そして、その皇帝は今ここにいる。これはまたとないチャンスだ。


「あの……!陛下、お聞きしたい事があります」

「何かな?」


 肝心の上官がいないが仕方ない。探している猶予もないだろう。踏んだ場数も少なく、目上の者との駆け引きに疎いヴェルナーがたった一人で皇帝陛下という大きな壁に挑んでいく。


「陛下は、先の暴動についてどう思われているのですか?」


 単刀直入にヴェルナーは切り出した。取り成す術など知らない、だから真っ向から仕掛けるしかない。皇帝陛下は少し眉をひそめ、光り輝く月を見上げた。その表情は悲しんでいる様にも見えた。


「…民の意思を尊重し、彼らを導いて行くのは上に立つ者の使命だ。だが、近年の情勢では、その上に立つ者存在が不要になっているのではないかと思っている。それゆえの民の訴えがあの暴動であるなら、余はそれを受け入れるべきなのだろうと思っている」


 ヴェルナーは目を見開いた。その言葉は皇帝が自ら退位の意思がある事を表明した事の証明だった。皇帝は帝位を放棄しその全権を国民に譲渡する意思がある。こんな非公式な場でなければ、間違いなく国内全土に衝撃をもたらすであろう発言。


「定められた運命というものは実に厄介なものだ。だが、それが私の役目だというなら最期までそれを全うするしかない。私が民の不興を買った愚王だと記されているなら、私は甘んじてそれを受け入れる。その道しかないのだから」


 だが、次の発言にヴェルナーは別の意味で目を丸くした。定められた運命?愚王だと『記されている』?何気ない比喩的な言い回しの様に聞こえるが、ヴェルナーにはそれが含みのある言い方に聴こえた。まるで王である事を誰かに決定づけられたような、そして退位する事がまるで誰かの意思に基づいている様な―――


「陛下、もしかしてあなたは御存じなのですか?この世界が「記述」によって描きだされた世界だと―――」


 王として生まれた事も、自身が皇帝の不要を感じて退位する事も全てが誰かに決められた運命だと知っているなら、その言葉も頷ける。

 皇帝は予想だにしない質問に驚愕した。その顔が心当たりがあるという事を如実に語っている。ヴェルナーは確信する、皇帝はこの世界の真の姿を知っている。


 その時、突如ヴェルナーの全身に緊張が走った。眼前の殺意、見れば皇帝陛下の手に握られていた上等の杖の切っ先がヴェルナーの喉元に突き付けられている。あまりのさっきの鋭さに反応が出来なかった。


「……何故君がその事を知っている?それは皇族の中でも歴代の皇帝しか知らされていない極秘事項だ」


 皇帝の瞳は疑惑と敵意の色に染まっていた。余計な事を口走ってしまったのだと気づいた時にはもう手遅れだ。

 皇帝が殺意を抱くのも無理はない。それまで代々受け継がれてきた王家の秘密を今日偶然出会った名も知らぬ青年が知っているなど不審極まりない。


 先ほどの穏やかな空気から一変し、皇帝は歴戦の老兵の様な見るもの全てを射殺してしまいそうな雰囲気に変わった。仮にも現役の軍人である自分が反応できなかった初動の牽制といい、やはりこの皇帝はただものではない。いや、皇帝と言うものはこういうものか、例え老いた者であろうが国を統べる権力者がなよっちいわけが無いのだ。


「答えよ。何故知っている?お前は何者か?」


 ヴェルナーは思わず後ずさるが、皇帝は杖を突き付けたままゆっくりと同じ距離を詰めてくる。ヴェルナーの背にバルコニーの手すりがぶつかった。これ以上、逃げられない。

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