第二十六章 王の願い、語られる頃(6)
◆
目が眩む。どこもかしこも華やかな衣装を纏った人間、遠い世界の会話。この空間はそんなもので構成されている。わかってはいたが案の定だ。
ヴェルナーは深いため息をついてとある屋敷の門の前に立ち尽くしていた。馬車を乗りつけた着飾った紳士淑女が、次から次へとその門の中へと吸い込まれてゆく。一人、流れ乗らずただ突っ立っているヴェルナーを彼らは時に怪訝な目で、時に畏怖の目で、そして時に好奇の目で一瞥し、屋敷へと滑りこんでいった。
この時点ですでに、ヴェルナーは踵を返して逃げたくなっていた。胸につけた勲章も重く重く、ヴェルナーの身体を縛り付けていくようだ、息が出来ない程。
「……門に憑く死神とはこう言う奴の事を言うのか?」
険しい顔で耐え忍んでいると、呆れた声がした。顔を上げて周りに視線を這わすと、そこに同じく正装に身を包んだドメルトと、小柄な女性がこちらを覗いている。
「遅いですよ隊長。……というか、門に憑く死神ってなんです?」
「何だ知らんのか?ヨキ=レイハーブンの『華宵の門』。人の集まる夜会の屋敷に門番として紛れ込み、最初に屋敷を出てきた人間の首を刈り取るという殺人鬼だ」
「……部下を殺人鬼扱いしないでください」
どうやら小説か何かの登場人物らしい。何とも不名誉な例えられ方に口を尖らせると、ドメルトの隣にいた女性が、ふふっと微笑を讃えた。
「そちらの方は?」
「ああ、会うのは初めてか。妻のヴェローニカだ」
「初めまして、主人から話は聞いておりますわ」
「初めましてご婦人。ヴェルナー=ライトロウと申します」
濃い色合いの豪華なドレスを着たヴェローニカだが、朗らかな笑みにどこか素朴な印象を与えるヴェルナーにとってはとっつきやすい女性だった。年はドメルトとそれほど離れていないようだが、丸顔のころころした外見はどこか無邪気な少女の面影を残している。
「今日は縁談相手の選別も兼ねていらっしゃるのよね?任せて頂戴、私こう見えて顔は広いから」
だが、胸を張って楽しそうに答えるヴェローニカに、ヴェルナーは一瞬で地の底まで突き落とされた。恨めしげにドメルトに視線を送ると、当の上官はどこ吹く風という様にそれをさっぱりと無視した。その横顔には「腹をくくれ」と書かれている。
やっぱり怒鳴られるの覚悟でボイコットでも決行すべきだったか。
そんな事が頭によぎったが時すでに遅く、平然としているドメルトと妙に張り切っているヴェローニカが門をくぐりぬけていくのを眺め、渋々ヴェルナーもそれに従った。
圧倒されるほど広いダンスホールには数えきれない程の招待客がすでに集まっていた。五百人以上はいるだろう。騒がしくはあるが、窮屈さは感じられない。
皇族主催の恒例の舞踏会。毎年一度春の初めに開かれる貴族の宴。皇族主催と銘打っていはいるが、その敷居はそれほど高くない。参列の条件は、公的に認められた爵位を保持している貴族、少尉以上の階級の軍人、王室議会議員、或いは一部認められた報道関係者。付き人や縁者を追加で招く事は自由で、早い話貴族社会に何のコネも持たない一般庶民以外なら誰でも入れる。勿論、あくまでも皇族主催の会であるから、間違いが起きぬよう身元の確認は入念に行われるものの、審査に通ってしまえばあとは自由にこの宮殿を歩き回れてしまう。
参列者もやはり幅広かった。ロビーからダンスホールに向かう途中、ヴェルナーは参列者の顔を一瞥したが、上等な身なりの上級貴族からややみすぼらしくこの日の為に一張羅を引っ張り出してきた様な末端の貴族まで様々だった。ヴェルナーと同じく正装の軍服に身を纏った者もちらほらと見かけたし、やや質素で浮いた格好で周りを鷹の様に鋭い眼で観察しているのは、おそらく報道関係者だろう。上流階級の人間が多く集まる一大イベントでは、その分ネタも豊富に集まるのだろうか。
だが、参列者の大半は豪華な衣装を纏った貴族たちだ。彼らはすれ違う人々を入念に品定めしては、お眼鏡にかなった相手には積極的に声をかけていく。
彼らにとって舞踏会は、ただダンスを舞い豪勢な料理に舌鼓を打つための場所ではない。今後の自分或いは家系にとって有益となる交友関係を開拓する事、ここはその絶好の舞台なのだ。だからこそ彼らは日夜夜会を絶やさない、特に皇族主催とあれば並みいる権力者を含め幅広い層の人間が参列する。たとえ下級・中流の者であっても、上手く取りいって上流階級の人間に見染められれば、それだけで地位の向上に繋がるというのだ。
必然的に貴族たちの目は仲を深めるべき相手を探し、猛獣の様に猛る。何気なく廊下で階段ですれ違う度、そんな視線を送られるものだからヴェルナーもたまったものではなかった。豪華絢爛で華やかな世界、その正体は己の果てとない欲望と策略がドロドロと煮えたぎり濁り混ざり合う世界。
それが、貴族が生きる世界なのだ。
自分にはやはり理解できない。それが彼らにとって普通の世界であっても、ただ己が生きる事がどんなに困難な事かを知っているヴェルナーにとっては異常な世界だ。
「渋い顔をしていると余計悪目立ちするぞ」
すれ違い際に参列客から幾度か声を掛けられていたドメルトが合間を縫ってさらりと耳打ちした。
「演技をしろ。お前は若くして名誉ある地位を勝ち取った、期待と希望に満ち溢れた若き将校。これから皇帝と会うんだ、そんな腐った顔で陛下の御前に立ったら俺が叩き斬る」
「―――はい」
そうだ、これは仕事。たとえ理解が出来ずとも、それが任務ならば文句など言っていいわけが無い。ドメルトに咎められると、ヴェルナーは両頬を掌で叩いた。
気合を入れ直したヴェルナーは、先ほどとは打って変わって鋭い顔つきになり、上官の後をついて、ダンスホールへと足を踏み入れた。さながら前線に赴く兵士の如く、一歩一歩軍靴を踏みならしながら。
「―――つ、疲れた」
気合を入れ直したものの一時間ほどで、ヴェルナーはホールの片隅で目立たぬように壁に寄りかかっていた。先ほどの意気込みなどどこへやら、ここへ来た時とは別の意味で疲労困憊となり、深く息を吐いた。
会場に入ってから、ドメルトは数人の貴族と会話を弾ませていた。ドメルトは上流の軍人貴族、加えて連隊の隊長とくれば当然顔も広く、馴染みの者も多くいるし、彼に近づこうとする初対面の者も多くいる。彼らをほどほどにあしらうドメルトの隣で、ヴェルナーはひたすらに彼を慕う若き好青年将校の姿を演じ続けていた。時にヴェルナーの方にも話を振られ、当たり障りのない会話をする。爵位の無い若い将校という事で、多くの貴族は一瞬怪訝そうな顔をしつつも、その姿に興味を抱いた。以前ヴァイパー号で彼らの注目の的になっていた時と一緒だ。上っ面の賛辞に品定めするような視線、それを何とか耐え忍べば任務完了、後はドメルトと適当に言葉を交わして去っていく。この繰り返しだ。
だが、それだけならまだよかった。
その間を縫って、ヴェローニカがヴェルナーを連れ回す。彼女のお目当ては年頃の娘のいる知り合い。縁談に持ち込めそうな条件の娘を発見すると、ドメルトのお付きで息切れしているヴェルナーをすぐさま連行し対面させる。
貴族たちの反応は前述と同じ、しかし、時には向こう側が乗り気になって食い気味に話を進めようとするので、それをあしらう方が邪見にされるよりよっぽど辛かった。
不幸中の幸いは、ヴェローニカがそれほど執着心の無い人間だった事だろうか。ヴェルナーが少したじろいだ雰囲気を見せたり、あまり相性が良くないとヴェローニカ自身が判断したりすると、すぐさま標的を切り変え次の相手を探しに行く。その隙にヴェルナーはヴェローニカの呪縛から逃れ、距離を取る。この繰り返しだ。
ドメルト夫妻による精神削痩コンボに、さすがのヴェルナーも精根尽き果て、そして今に至るのであった。
(…さすがに、きつい)
ヴェルナーにしてみれば、苦手意識を持っていた貴族とこんなに触れ合うのは初めてだし、連隊長補佐官と縁談としての相手、その二方向から奇異の視線を向けられ、その全てを回避しようとするのも至難の技だった。正直、自分でも一時間もよくもったと思う。
そういうわけで今は上官に断りを入れ、少し一人の時間を貰った。相変わらずこちらをちらちらと見る視線が痛いが、こちらが関わらなければ近づいてはこない。それだけでも非常に助かった。
やっぱり来なければよかったかもしれない。心の中で念仏の様に唱えつつ、正装の詰襟を緩めて中のシャツのボタンを一つ外した。正装はいつもの作業衣と違いあちこちが窮屈で仕方ない、しかもここは人口密度が高いせいか湿度も異様に高く息苦しいのだ。
外の空気でも吸いに行こうか。ホールには屋敷の表に面したバルコニーが付いている。ここより人も少ないだろうし幾分ましだろう。そうと決まれば、ヴェルナーは重い腰を上げてバルコニーに向かった。




