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第二十六章 王の願い、語られる頃(5)

 ◆

 広いダイニングで夕食を取るのは久しぶりだった。ここ最近はクラーラに部屋に運んでもらっていた。そうしていた理由は、単純に一人で食事をしたかったから。婚約者や義理の両親の顔を見ながら共に食事をするなんて、アイリにとってはただの拷問だからだ。

 ところがその日、仕事から帰ってきたライムがわざわざアイリの部屋に出向き、例の命令口調でこう言った。


「今日は一階に下りて食事を取れ」


 ライムがアイリを呼びつけたのに察しはついている。先日黙って街に出て反政府組織の襲撃に巻き込まれた事、その後この屋敷にアイリの友人としてソフィアたちを招いた事。その辺りでぐちぐちと文句を言われるに決まっている。前者の件は直後に散々嫌味を言われ、その上数日の間自宅謹慎を食らったのに、まだ言い足りない事があるらしい。

 ライムもそうだが、なにより厄介なのが彼の両親だ。彼らにとって落ち目となったジュンア家を迎え入れる利点はもう無い。それでも昔からの付き合いと体裁で『嫁に迎えてやっている』のだという。アイリに対する風当たりもきつく、顔を合わせればいつも小言を言われる。だからアイリは屋敷にいる間はいつも彼らに会わぬように努めていた。それでも同じ屋根の下で暮らしている以上、避けられない事情もある。それが、今だ。


「アイリさん、あなた先日友人をこの屋敷に招いたそうだけど、一体どのようなお方だったのかしら?」


 義理の母となる女性が向かいの席から問いかけてきた。どぎつい香水の匂いが料理の香りに混ざって不快な事この上ない。その高飛車な姿をなるべく視界に収めぬよう料理に視線を落としていたアイリの手が止まる。


「先ほど使用人に尋ねたのだけれど、随分みすぼらしい格好の方たちだったと聞きましたわよ。……アイリさん、あなたの交友関係にとやかく言う筋合いはありませんけど、これからライム家の人間として生きていくのですから、外の者に恥じぬ言動を心がけてほしいものですわね」


 何がとやかく言う筋合いはないだ、はっきりと申し立てているではないか。と、アイリは心の底で毒づきながら、それを表に出さぬよう冷静に答える。


「彼らは私の信頼に足る友人たちです。御心配に及ばずとも、ライム家の名を汚すような事はありません」

「……本当かしらね。先日の騒動の件と言い、あなたは少し貴族としての自覚が足りないのではなくて?」


 分厚い唇を歪めて、義母は笑う。幼い頃から彼女とは幾度も顔を合わせていたが、アイリはこの女性に好意的な印象を持てない。おそらくこの先どんな事があっても一生このままだろう。


 そもそも貴族としての自覚とはなんだ?王権最盛期の時代ではあるまいし、今時貴族がこの帝国全ての権力を掌握している等という夢物語を今だに信じているのだろうか?産業革命が起こりブルジョワジーが台頭し、軍部が幅を利かせ始めている昨今で、貴族の威厳などもはや過去のものになりつつあるのに、昔の栄光にすがって何を大きな顔をしているのか?


 アイリには理解できない。だが反論する事も出来ない。思考を目の前の料理に集中させながら押し黙っていると、二人の会話に割って入ったのは、アイリの斜め向かいに座っていた恰幅の良い中年の男だ。


「まあいいじゃないか。彼女も彼女なりの意思がある。私たちが抑えつけてどうこう言う事ではない」


 年老いてはいるが厳格な瞳に揺らぎはない。ライムの父親、アイリの義父に当たるこの男は軍の中枢を担う現役の中将でもある。広い視野を持ち、妻よりも寛容ではあるが、どうあろうとライムの父親だ。


「それに、彼女が貴族らしくないのは彼女のせいだけではない。ジュンア准将は私の目から見ても破天荒で粗暴な男だった。彼の教育に問題があった事も否めない」

「なっ……、父を悪く言わないでください!!」


 アイリは思わず立ち上がった。その猛々しい雰囲気にライム夫人は醜い物を見るように露骨に顔をしかめた。

 アイリは我慢できなくなり、料理がほとんど残っている状態でテーブルを離れる。その手を掴んだのは、今まで黙秘を決め込んでいたライムだった。


「どこへ行く?食事はまだ終わっていないだろう?」

「食欲が無いのでもう結構です。部屋に戻ります」


 アイリはライムの手を乱暴に振りほどくと、振り返る事もせず食堂を後にした。怒りに身を震わせ廊下をずかずかと進んでいく。


 やはり彼らとはウマが合わない。ひたすらに貴族である事を誇示しアイリをこき下ろすライム夫人。かつての戦友でありながら死んだ父を蔑むライム中将。そしてアイリが二人の攻撃にあっている間にも一切助け船を出そうとせず傍観を決め込むライム。今の様な口論も今日が初めてではない。顔を合わせれば常にそうだ、アイリがこの屋敷にやって来てから不毛な争いはずっと続いている。

 結婚を間近に控えているにも関わらず、アイリはもうすでにこの家に辟易していた。正式に結婚すれば、これよりももっとひどい仕打ちが待っているというのか。


 考えているうちに滾るような怒りは急激に冷え、あとには絶望が残った。


(私はこれから後何回こんな事に耐えなければいけないのだろう?)


 想像するだけで気が狂いそうになる。もう逃げたい、こんな所から。元いたジュンアの屋敷に帰りたい。ここには味方がいない。

 でも帰れない。婚約が破談になれば、カテラたちが路頭に迷う。これは自分のせいだ、だからアイリが何とかしなければならないのだ。カテラが今までと変わらず、あのジュンアの屋敷で暮らしていくためにはこうするしか道は無い。


 気づけばアイリの身体は芯まで震えていた。足も止まり廊下の片隅に力なく蹲る。もう春なのに寒い。ここは凍えそうなほど冷えている。

 自分で自分の身体を抱きしめても凍えは収まらなかった。

 寒い、寒い。


「こんな所で何をしている?」


 ふと来た道からライムの冷たい声がした。ご苦労にも連れ戻しにきたのか、不機嫌そうなライムの表情からは相変わらず婚約者への情などない。


「まだ話は終わっていないんだがな?」

「あんな愚痴を延々と聞かされろとでも言うの?悪いけど私はごめんだわ、話す事もない」


 荒々しく突っぱねようとしたが、手首を掴まれアイリはびくりと身を震わせた。もし無理やりにでも食堂に連れ戻されそうになったら、相手が婚約者だろうか無作法だと言われようが、目の前の男を蹴り飛ばして逃げてやろう。そう思って身構えた瞬間、アイリの眼前に突き付けられたのは、綺麗な装飾が施された一通の封筒だった。


「明日の晩、皇族主催の晩餐会が催される。おまえも来い」


 どうやらわざわざ食事の席にまで引きずりだして伝えたかった事はこれらしい。皇族主催の晩餐会、全国有数の貴族が出席する大規模なパーティ、ここ最近は貴族だけでなく有力な権力者も多く参加している。恒例の夜会だった。アイリは一度も参加した事が無かったが、父が生きていた頃には、両親が出席していた記憶があった。豪勢な会で貴族たちはこぞって参加するのだが、アイリは正直興味が湧かなかった。


「どうして私が出席しなければならないの?」

「俺が招待されたんだ。俺の婚約者として参列するのは当たり前だろうが」


 何をとぼけた事を、とライムは鼻で笑った。


「お断りします。婚約者だからって私が行く義理は無い。他に付き添ってくれる女性は山ほどいるでしょう?その方たちに頼んで下さい」


 きっぱりと断ったが、ライムはアイリの手首を握ったまま一向に放さなかった。それどころかますます力を入れてアイリを締め上げてくる。


「……ッ!痛い、放して!」


 耐えきれず振りほどこうとするが、逆に勢いを付けて壁に押しつけられた。アイリも元軍人、腕力なら他のお嬢様には劣らないだろうが、相手は現役の男性軍人、敵うはずもなかった。


「……一ついい事を教えてやる。これを聞けばきっとお前も参加したいと思うだろう」


 ライムはアイリを壁に縫い止めたまま、苦々しい顔つきで吐き捨てた。


「明日の晩餐会。どうやら皇帝陛下も顔を見せるらしい。モーゼンテルの一件から一切顔を見せなかった皇帝陛下がな」

「……だったら、何だって言うのよ?」


 負けじとライムを睨みつけると、ライムはまた可笑しそうに喉を鳴らした。


「国の一大事件に関して表明を寄越さなかった皇帝陛下だぞ?議会や報道者がこぞって陛下に謁見を申し入れるに決まってるだろう、……勿論軍部もな」

「だから、それがなんだと―――」

「反政府組織に関する事件の担当は第一連隊だ。つまり第一連隊の隊長は間違い無く顔を出す。隊長が顔を出すという事は、……どういう事かわかるな?」


 ライムが何を言わんとしているか理解した瞬間、アイリの凍えた身体がますます総毛立った。ライムは笑っている、ただひたすらに。だが、その笑みがただ面白がって笑っているのではないという事に気づいて壁際に追い詰められながらも必死で彼から距離を取ろうとした。


「俺の予想が正しければ、明日の晩餐会にはヴェルナー=ライトロウも参列する。本人が嫌がっても、上官が必ず連れてくる。……どうだ?少しは来たくなったか?」

「会いたくなんかない!」


 反射的にアイリは叫んだ。同時に目の前にいる婚約者の思惑が掴めず、ひたすらに困惑した。


「どうしてあなたがそんな事を言うのよ!?私はもうあなたと結婚すると決めたのよ!?それなのにあなたがそんな事を言うなんて!」

「婚約者だからだ。最近のお前は自覚が足りなさすぎる」

「自覚!?これ以上何を自覚しろというのよ!」


 たった数時間の外出も許されず友と会うことすら愚痴を言われて、この屋敷でアイリは人形のように過ごせとでも言うのだろうか。ジュンア家を守る道具になると決めたアイリにだって、そんな風に束縛されるいわれはない。

 だが、目の前の婚約者は尚も冷たく笑った。


「お前、帝都での騒動の時あの男にあっただろう?」

「―――!?」


 アイリが兵器収容所の医務室で目覚めた後、身柄を引き取りにきたのは他でもないライムだった。その時すでにヴェルナーの姿はそこに無く、一人でベッドに放心しているアイリをライムは有無を言わさず連れて帰った。けれどライムにはわかっていたのだろう。あの時のアイリの目が赤く腫れあがっていた事と、騒動の怪我人搬送に尽力していたのが誰であるかという事を考慮すれば、アイリに何があったのかすぐにわかったはずだ。


 これはライムの嫌がらせなのだ。未だ過去に縋りつこうとしているアイリを戒めるために、ヴェルナーというアイリが最も覚悟を揺らがせる要素をちらつかせ、その出方を楽しんでいる。何よりも悪質で効果的な方法だ。

 アイリは悔しさのあまり強く唇をかんだ。所詮自分はこの男の掌の上の存在だ。言い返す事も出来ず、唯うなだれる事しか出来なかった。


「明日は必ず出席しろ」

「……嫌よ」

「お前に拒否権は無い、ライム家の人間になるというのなら受け入れろ」

「……嫌……」


 悔しい、こんな男のいいなりになるのが悔しい。

 けれども、何より悔しかったのは、ヴェルナーに会えるかもしれないと言われて、心の片隅で喜んでいる自分がいる事だ。そんな所まで見透かされているのが何よりも屈辱で、そして自分の浅ましさに何よりも憎悪した。


 ヴェルナーに会いたい。会ってもう一度話したい。

 でも会いたくない、ライムの思惑通りになりたくない。


「……どうしたらいいの……、母さん……!」


 ライムが去った冷え切った廊下の片隅で、アイリはここにいない母に助けを求めていた。

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