第二十六章 王の願い、語られる頃(4)
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「バズ=グロックの様子はどうだった?」
「落ち着いてきましたよ。心配ありません、あいつは強い奴ですから」
執務室に戻ったヴェルナーは、作業に戻っていたドメルトにそう答えた。
「そうか……、彼には無理を強いると思うがしばらく耐えてもらうしかあるまい」
「そう、ですね」
この先の事、不安にならないと思えば嘘になるが、今はただ状況に身を任せるしかない。そしてヴェルナーにできる事は親友として彼を支える、それだけだ。
「お前もだぞ、大尉。しばらく抗議の声が鳴りやまないだろうから、重々気を付けてくれたまえ」
ドメルトはヴェルナーにも労いの言葉をかけた。その言葉に、ヴェルナーはひどく申し訳なくなる。
「……あの、ありがとうございます」
ヴェルナーは迷わず頭を下げた。
「何だ急に」
ドメルトは何の事かわからんと苦笑したが、おそらく心中では察しているに違いなかった。
バズを公表しないのは、軍の上層部関連もあるだろうが、何よりヴェルナーが一任してくれと言った事を律義に守っているからだと思う。それで矢面に立たされるのはドメルトなのに、彼はそれでも部下の約束を反故にしようとしない。
彼には本当に頭が上がらなかった。補佐官になる事に最初は不安もあったが、彼について行って本当に良かったと、心の底から思った。―――この時までは。
「気にするな、俺も俺でお前を盛大に利用するつもりだからな」
ドメルトはふと、意地悪い笑いを浮かべた。それは感謝の意を述べられての照れ隠しとも取れたが、ヴェルナーは何故か一瞬にして背筋に悪寒が走る。
「―――と、言うわけで早速だが、お前にやってほしい事がある」
「……はい?」
嫌な予感がしてヴェルナーは萎縮した。今度は何を頼まれるのかと思いきや、次にドメルトから発せられた任務は予想だにしないものだった。
◆
「皇族主催の舞踏会に参加?お前が?」
ヴェルナーから話を聞いたソフィアの第一声は、あからさまに笑いをこらえている様だった。怒り以上に絶望が湧いて来る。
久々にシュワルク区のアパートに顔を出すと、ヴェルナーの部屋にはソフィアが居座っていた。今は大家の仕事を手伝いアパートの管理をしながら生計を立てているらしい。ここの生活にもすっかり慣れた様だった。
「くそ……、何で断れなかったんだ、俺……」
「そりゃあ上官の命令なら断れるわけ無いだろう。自分で何を言ってるんだお前は」
「わかってるよ。いちいち言うなよそんな事……」
ドメルトから告げられた任務、それは今週末、王宮で開催される皇族主催の舞踏会に参加しろというものだった。それを聞いた瞬間、ヴェルナーの目は比喩で無く点になった。
「あの…、なんで自分が晩餐会なんかに…?」
「実は元々俺が招待されていた晩餐会でな。毎年定期的に行われる会で、幅広い層の人間、と言っても大体貴族だが、大勢参加するんだ。で、いつもは面倒だから俺は断っていたんだが、今回ばかりは出席せざる負えない。陛下に謁見を申し入れたいからだ、理由はわかるな?」
「黙秘を続けている皇帝陛下から真意を聞くため、ですか?」
「そうだ。モーゼンテルの一件で、バティスト総帥も帝国議会長も各地の統括議長も、遺憾の意を示しその改善を表明した。只一人何の意思表示を示していないのは皇帝だけだ。俺はこれに何かの画策があるのか、単に明確な意思表明を避けているだけなのか区別がつかなかった。だが、この時期に皇族の名で人を集めると言う事は、陛下は何らかの意思を以てこれを黙秘している。俺はその真意を聞いてみたい」
「その手伝いをしろ、そういう事ですか?」
「手伝いと言ってもお前に陛下謁見のお膳立てをしろなどとは言わん。まあ、俺の付き人位の位置にいてくれりゃ十分だ」
「皇帝って……俺会った事ないんですけど、どんなお方なんでしょうか?」
「俺も式典で遠目で見た程度だからな。あの方が即位された数年後にイシルとの戦争が始まって、幾度となく停戦と再戦を繰り返した。穏やかで堅実な面を持つ傍ら、強気な外交政策と内政整備には余念がない」
「……その、俺みたいな平民が勝手に行っていいんですか?」
「お前だって十分地位のある軍人だろうが?参加者が増える分には主催側に問題ないから安心しろ。……勿論、お前の貴族嫌いは重々承知している、だからこそというのもあるんだがな―――」
「―――で、仕事ついでに嫁候補探しか……、ご愁傷様だな」
カップに注がれたお茶を飲みながらソフィアは全く気の毒そうな顔もせず呟いた。
「……俺はまだ結婚する気は無いってのに……!しかも貴族となんて死んでもごめんだ……あのおっさん!」
もはや先ほどの尊敬と恩情の念などすっかり忘れて、ヴェルナーは上官の忌々しい顔を思い出しながら悪態をついた。
ドメルトに言い渡された任務、それは明日の晩に開かれる晩餐会への参列。一番の目標は皇帝陛下に謁見し、モーゼンテル事件に対する意見を聞く事。そしてもう一つの目標は、(ヴェルナー本人が納得していないにも関わらず)ヴェルナーの縁談相手を探す事だった。
「いい上官じゃないか。お前の将来の事を心配してそういう場を設けてくれてるって事だろう?」
「よくない、俺はそんな事望んじゃいない」
「でもお前だっていつまでも独り身ってわけにもいかないだろう?軍人なら尚更、コネとか縁戚関係とか大事になってくるんじゃないのか?」
ソフィアの言い分は正論だった。ヴェルナーはドメルトに忠告された事を思いだす。
『この先情勢もどうなるかわからない。今回の一件で軍の立場も大きく変わるかもしれない。俺はもう行き着くところまで行きついちまったから別になんて事もないがお前には未来がある。何かあった時の為に味方は多い方がいい』
縁談云々は関係なく、とドメルトは言った。ヴェルナーには身内がいない、もし今軍を放り出されたらヴェルナーは本当の意味で頼れる人間が一人もいない事になる。
『別に無理に貴族と結婚しろとは言わないが、今後の為に利用できるものはなんでも利用するべきだ、よく考えておけよ』
以前ドメルトがモーゼンテルで言っていた、将来設計は若いうちにしておくべきだと。あれは半分冗談みたいなものだろうが、縁談相手を探せというのは間違いなく真剣だろう。結局のところ、ドメルトはヴェルナーの事を思って提案してくれている、それがわかっているだけに気が重い。またヴァイパー号の時の様に貴族に奇異の目で見られ興味本位で話しかけられると思うと気が滅入るし、今度はそれを自分から切り出さなければいけないというのがヴェルナーにとっては拷問その物だ。
ソフィアは面白がったのは最初だけで、後は特に無関心だった。せいぜいがんばれ、と言った体でヴェルナーを励ますと、今度はソフィアから話を切り出す。
「で、今日ここに来たのはそんな愚痴を言うためじゃないだろう?」
ソフィアの顔つきが変わった。無関心で平坦な顔から深刻な顔へ。そう、今日ここに来たのはこんな話をしにきたのではない。モーゼンテルの騒動が終わってからお互い忙しくて話せなかった事、それは二人が共通して探してきた人物、サイフォスの事だ。
意気消沈していたヴェルナーは気持ちを切り替え居住まいを正す。ヴェルナーはモーゼンテルでランドルフやリーシャに告げられた事をソフィアに話して聞かせた。
サイフォスを悪魔だと罵られた事、先に手を出したのはお前らだという言葉。
ソフィアは絶句したが、不思議とショックは大きくなかったようだ。
「……私もリーシャに言われたんだ。知らないのは幸せだって、外の世界でサイフォスが何をやったかも知らず、のうのうと生きているなんてって……」
「それって、やっぱりサイフォスは何かとんでもない事をやらかしたって事なんじゃないか?」
「わからない……、あいつらの言葉を鵜呑みにする気はないし…、それでも―――」
そう言ったまま、ソフィアは頭を抱えてしまった。ソフィアも混乱しているらしい。
恋人の行方を捜しにきた。けれど、その恋人が最後に何をしたのかわからない。ソフィアの中で知るべきか知らざるべきかという葛藤が生まれていた。
一方ヴェルナーは同じように衝撃的ではあったが、ソフィアほど動揺してはいなかった。それと言うのも、ヴェルナーは少なくともサイフォスの感情だけは知る事が出来るからだ。
いい加減切り出さなくてはいけない。サイフォスの思考が何故か自分の中にある事を。それをソフィアに伝えないのは、不公平だ。
「なあソフィア、サイフォスなんだけど、実は俺の―――」
その時、不自然に息が詰まった。ヴェルナーは思わずえづく。喉の声帯が封鎖されたかのように、声が出なくなった。
「……どうした?ヴェルナー?」
異変に気付いたソフィアも顔を上げる。だが、ヴェルナーはソフィアに構う余裕などなく、声を上げようとしても失敗に終わった。
息が出来ないわけではない。だが、まるで誰かが、ヴェルナーを喋らせまいとしているようだ。喉を押さえたまま驚愕しているヴェルナーの奥底でヴェルナーでない声が響く。
―――頼む、まだ言わないでくれ
久しぶりに聞いたサイフォスの声だった。モーゼンテルでランドルフに邂逅して以来、ずっとだんまりだったサイフォスは、ひどくやつれた様な声でヴェルナーに懇願した。
―――ソフィアには、心配かけたくない
(……どうしてだ?ソフィアはあんたをずっと待ってたんだぞ?)
―――すまない、まだ、会えない
その言葉を最後に、すっと喉の圧迫感が引いた。突然声が発せられるようになってヴェルナーは思わずせき込む。
「大丈夫か、お前?」
怪訝そうに覗きこんでくるソフィアを直視する事が出来ず、ヴェルナーは目を反らした。
「なんでもない、ちょっとむせただけだ」
わざとらしく咳払いをしてヴェルナーは誤魔化した。ソフィアも追及を止めたが、その顔には一抹の不信が残っている。
「で、サイフォスが何だって?」
「え?」
「なんか言いかけてただろ?サイフォスの事」
「―――いや、なんでもない。ただの思い違いだ」
上手い言い訳が思いつかず、ヴェルナーは口ごもった。ソフィアの不信は一層濃くなり、彼女の眉間に深い皺が刻まれた。
「お前、やっぱり何か隠してないか?」
「隠してなんかねえよ、俺は―――」
だが、詰め寄ったソフィアの剣幕にそれ以上先の言葉が出ない。椅子から立ち上がったソフィアはこれ以上ない不服の顔で、ヴェルナーを見下ろしている。その時、
「ソフィアさん。今手空いてるかいー?」
階下で大家の声がした。ソフィアを呼んでいる。二人の間に流れる沈黙が僅かにぶれると、やがてソフィアが大きく息を吐き出して、威圧を解いた。
「……いずれ必ず話してもらうからな」
「……」
捨て台詞だけ残して、ソフィアは大家の元へと行ってしまった。部屋に一人残されたヴェルナーは、息をしていなかった事に気づいて思わず大きく深呼吸してしまった。
―――ありがとう
ヴェルナーが呼吸を整えていると、幽かにサイフォスの声がした。本当に心の底から感謝しているその声に、ヴェルナーは何故か心が痛む。
サイフォスは確かにここにいる。それなのに、彼に何一つ聞く事が出来ない。ソフィアに告げる事も許されない。
(サイフォス、あんたは一体何をしようとしてるんだ?)
心の中に問いかけても、もう声は応えてはくれなかった。




