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第二十六章 王の願い、語られる頃(3)

 バズを留置しているのは、第一連隊兵舎の一室だった。他の連隊も立ち入れない様にしている。


「ヴェルナー、他の皆は……?」

「他の留置所にいる。心配しなくても不当な扱いはされてない、安心しろ」


 バズの仲間連中は一般の留置所に連行されているが、あちらにも第一連隊の監視がついているはずだ。つまり、現段階でモーゼンテルの容疑者は第一連隊の手によって管理されている。それは軍外部への情報漏えいを防ぐだけでなく、内部からの干渉を妨げる意味合いが強い。その理由は、先に述べた通りである。『軍部が反政府組織を指揮していた可能性がある』この疑惑が消えない限り、彼らを迂闊に第三者の手に引き渡すわけにはいかない。そのリーダーがイシルの元議長の息子ならば尚更だ。


「隊長も俺もお前らを売り渡す気はさらさらない。俺たちはお前の事情も知っているし、情状酌量の余地があると思っている」

「でもそれは――」

「勿論お前らにも裁かれるべき点はあるが、今それを投げ出せばまともな扱いなどされない」


 それほどまでに事態は混迷している。バズにとっては歯がゆい事だろうが、今はじっとさせる事が最良の措置だ。


 隊舎から続きの留置所に足を踏み入れると、バズをその一角の部屋に通した。留置所と言っても兵卒の寄宿舎とそれほど変わらない作りの部屋に外側からのみ掛けられる鍵が取り付けられただけなので、牢獄という印象が薄い。廊下を看守役の兵が定時うろついているが威圧感も少ない。ここは元々、要人を匿うための施設なので囚人を苦しめる形式にはなっていないのだ。

 そうは言っても、バズにとっては独房と何ら変わりない。裁かれる事もされず、ただ事が収まるまで大人しくしていろというのは、彼にとっては何よりも苦痛だろう。罪の意識がある彼なら尚更だ。


 寝台にのろのろと座り込むバズを見て、ヴェルナーもどう声をかけていいか迷っていた。励ましても怒っても、今のバズには何の効果も無い気がする。今のヴェルナーは彼を拘束する側の人間だ。何と言葉をかけてやればいいか迷った時、ふとヴェルナーは上着のポケットにそのまま仕舞い込んでいた手紙を思い出した。


「……これは?」


 目の前に突き付けられた色あせた封筒を凝視して、バズは首を傾げる。


「先代バルド=グロックの手紙だ」

「先代……!じっちゃんの!?」


 バズは驚いたように目を丸くした。恐る恐る目の前にある封筒に触れる、脆く壊れやすい物をそっと憂うような手つきで封筒の表面を撫でた。


「バルドさんに託されたものだ。ここにお前の過去の事も書いてあった。俺が持ってるのも何だからお前に渡しておく」


 バズはコクリと頷くと、封筒の中に入っていた手紙を開いた。バズの顔が徐々に苦しく、辛いものに変わっていき、そして最後には糸が切れたようにがっくりとうなだれた。


「……俺、じっちゃんが俺の事を調べてたって聞いた時ショックだった。じっちゃんは優しかったけど、心の底では俺の事信用して無かったんじゃないかって思った」

「……」

「でも、違った。じっちゃんは俺やバルドの事最後まで考えてくれてたんだよな?」


 ヴェルナーは素直に首を縦に振った。先代の最後のメッセージ、それが何よりの証だろう。

 バズは俯いた。ちらりとしか一瞥出来なかったが、その瞳には涙が浮かんでいる。彼は少し躊躇うと、左目を覆っていた眼帯をそっと外した。

 バズの左目を見るのはこれで二度目だった。ぽっかりと虚空となった目、本来眼球があるはずの場所にそれが無い。底の無い沼の様な深い闇を覆う様に、バズはいつもその眼帯を付けていた。


「この眼帯、じっちゃんにもらったんだ。はじめは医療用の包帯とか巻いてたんだけど、それじゃカッコ悪いからって」


 バズは掌の眼帯を愛おしげに見つめた。派手な装飾の眼帯は、よく見るとところどころほつれていたり、注ぎ合わせたりした痕があり、それはきっとバズだけが付けたものではないのだろう。


「先代の形見か」


 形見、という響きにバズはまた眼帯を強く握りしめる。その両目から涙が零れおちる、眼球が無くても涙が出るという事をヴェルナーは初めて知った。


「……その目は、どうして無くなったんだ?」


 ヴェルナーは思い切って聞いてみた。今、聞かなければおそらくもう一生聞く機会は無い気がしたからだ。


「……」

「ここは第一連隊の人間しか入れない。自由に発言して大丈夫だ」


 バズも少し気まずそうな顔をしたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「……姉貴に抉られた」

「姉貴?姉さんか?」


 ヴェルナーは目を見開いた。バズに姉がいた事も初耳だが、その姉に目を抉られたというのはどういう事か。


「俺の親父がイシルの議会長だったって事はもう知ってるんだよな?」

「……ああ」

「親父はクーデタを起こしたグラニエって奴に嵌められて議会裁判に掛けられて殺された。俺は小さかったからよくわからなかったけど、親父はイシル内で起きた何かの暗殺事件の濡れ衣を着せられたらしい。後にはお袋と姉貴と俺が残されたけど、お袋は親父が殺されてすぐ俺たち家族にも何らかの制裁が回ってくる事を察してた。だからお袋は姉貴と俺の二人を屋敷から遠ざけた」

「それで、オルセンに来たのか?」

「ああ。家を出てから、俺は姉貴に連れられて人里離れた場所を転々としていた。あの後お袋がどうなったのかは俺は知らない。俺はその時まだ小さくて何もできなかったから、ひたすら姉貴に手を引かれて逃げた。でも、子供の力だけでは逃げるのも限界でとうとう追手に気づかれた。その時姉貴が言ったんだ、『生き延びるためにはこの国にはいられない。でもあんたのその目はオルセンで生きていくのは難しい』って、だから―――」


 そこでバズは言葉に詰まった。ヴェルナーは彼の無くなった左目を凝視する。その眼孔には、おそらく右目とは異なる色をした目があったはずだ。

 イシル族の大半はオッドアイである。かつてエルノー=ディシュマンはそう言っていた。オッドアイであれば、そいつは高確率でイシル族であると。

 だからバズの姉は、念を入れてバズの片目を抉った。イシル族だとばれないように、敵国でバズを生かすために、きっと苦肉の策だったに違いない。


「姉貴は俺の囮になった。たった一人になった俺は、ただひたすらに逃げて逃げて―――、どこまで行けばイシルから逃れられるのかわからなくて、どこまでも逃げた」


 そして辿りついたのがグリアモの『バルドグロック』だったというわけだ。


「家族皆犠牲にして、俺一人が生き残った。この目だって姉貴は俺を生かすためにやってくれた事だってわかった。俺なんかのために、皆犠牲になった。

 何度も死にたいと思った。イシルの事も復讐心よりも恐怖の方があって、もう二度と関わりたくないって思った。敵国のオルセンも俺にとっては何もかも恐ろしいものだった」


 でも、とバズは顔を上げてもう一度眼帯を見つめた。ヴェルナーはただ、見守る様に彼の独白を聞いていた。


「グリアモの皆は大好きになった。じっちゃんもバルドも、『バルドグロック』の皆も……。じっちゃんがこの眼帯をくれた時本当にうれしかった。じっちゃん言ってくれたんだ。『癒えない傷は誰にでもある。でも、それを受け入れて生きていく事がお前にはきっとできる。受け入れられるようになるまで、これを使え』って」


 先代にとって、その眼帯はバズへのお守りのつもりだったのかもしれない。事実、この眼帯がバズの隠せない傷を隠してくれていた。隠していたのはきっと目の傷だけではなかったはずだ。


「……先代もバルドもお前の事愛してるんだよ」


 ヴェルナーはそう思った。先代に会った事は無いが、手紙から確かにその愛が伝わってきた。家族の愛情が―――


「お前も応えてやれよ、一人で抱え込まないで、周りを頼れ」

「ヴェルナー……」

「俺も力になってやるから。俺たち親友だろ?」


 バズの目が大きく見開かれた。やっと言えた、再会した時からずっと言いたかった事を。感無量のヴェルナーよりも、総崩れになったのはバズの方だった。


「何泣いてんだよお前は」

「…っ、だって俺……、お前にひどいことたくさん言ったし…!もう絶交かと……!」


 バズは子供の様に泣いていた。ヴェルナーは知らない、彼がこの二年間ずっと迷っていた事を。無二の親友を忘れようとしてずっと切り捨てられなかった事を。

 ヴェルナーは少し呆れたように、でも少し嬉しそうに、バズの肩を叩いた。バズは小さな声で、ずっと「ごめん」と泣き続けていた。


 この時、二年の間止まっていた二人の時間はようやく動き出したのである。

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