第二十五章 無駄なんかじゃない(4)
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アイリの予知夢からモーゼンテルで暴動が起きる事を察知したソフィアは、家族がいるというパヴコヴィックと共に、モーゼンテルの町を訪れた。暴動勃発は花月二十六日の正午前、アーベントが殺害されるのが正午きっかり。おそらくこの暴動の鍵となるのは、このアーベントの生死。それさえ阻止すれば、この暴動は失敗に終わる。
軍に通告する事も考えたが、情報の出所が問題だった。それが一人の女性の予知夢などと言っても、軍は動いてくれないだろう。だからソフィアとパヴコヴィックが直々にこの町に来た。最低でも、アーベントの殺害だけは阻止できるようにと。
そして件の日の正午前。貴族街で火の手が上がった。暴動の始まり、軍部が一斉に貴族街に動く中でソフィアとパヴコヴィックは時計塔へと走る。そして、―――
「暴動の事を予期されていたのか、あなたは?」
「予期したのは私ではないがね。ともかくも、その男に死なれては困るのだろう?さっさと安全な所へ連れて行った方がいい」
パヴコヴィックとドメルトとかいう軍人が話すのを聞き流しつつ、ソフィアは放心状態のアーベントを見下ろした。
見るからに傲慢そうで貴族然とした男だと思った。多分、予知夢の件が無ければソフィアは確実に助けようとしなかっただろう人物。高さ百メートルはあろう時計塔から落下しつつも、ソフィアの記述術で一命を取り留めた彼は、しきりにぶつぶつと呟いていた。ソフィアは眉を寄せつつ、男の独り言に耳を傾ける。
「……で、――れが、――――?」
「……?」
「どうして……こんな目に……!」
声が明瞭になるとともに、徐々にアーベントの目が据わり始めた。その顔が怒りで真っ赤に染まると、途端にアーベントは耳障りな声でわめき散らした。
「どうして俺が殺されなければならないんだ!?」
ソフィアは思わずアーベントから距離を取る。近くで話していたドメルトとパヴコヴィックも何事かとぎょっとした。アーベントは先ほどの虚ろな眼差しが嘘のように、怒り狂った様子で、ドメルトに掴みかかる。
「俺は帝国議員だぞ!この国を支える人間だぞ!?それがどうして責められなければならないんだ!」
「落ち着いてください、アーベント卿。あなたは―――」
「うるさい!軍部の犬が!そもそもお前らがいながらなんだよこの惨状は!?どう落とし前つけてくれるんだ!?」
「アーベント卿!」
「貧困者の気持ちが何だ!?そんなのわかるわけねぇだろうが!理解できない俺が悪いのかよ!?ああ!?」
アーベントが喚くのを傍目で見ながら、ソフィアは呆れ返っていた。ソフィアはこの世界の貴族思考など知らない、彼らがこの国でどんな役割を担っているかも本を読んだ程度しか知らない。それでも、この男の言っていることは支離滅裂で破綻していることぐらい容易に理解できた。命を狙われて動転しているとしても度が過ぎる。
ソフィアはなおもドメルトを責め続けるアーベントの傍らに立つと、近くに落ちていた木材を「記述」で操り、その横面を躊躇なく殴りつけた。
奇声を上げてアーベントが横に吹っ飛んだ。一応手加減したつもりだが、アーベントの鼻は奇怪に折れ曲がれ、血をぼたぼたと垂らしている。
「……ソフィア君、気持ちはわかるが、彼一応帝国の重鎮なんだ……」
「知りません、私はこの国の人間じゃないので」
呆れて眉間を抑えるパヴコヴィックを置いて、ずかずかとアーベントに詰め寄った。何が起こったかわかっていないアーベントは、ソフィアの険しい顔を見て小さく悲鳴を上げ後ずさった。
「なっ……、なんだよ、女」
「人に傅かれて当然と思っているようだが、お前はどれだけの人間に生かされているのか考えたことがあるか、その地位が誰の血と汗の元に作り上げられているのか知らないのか?」
「―――!」
「勘違いしているようなら覚えておけ。この世界を動かしているのはお前ひとりの意志と権力じゃない。議会でも皇帝でもない。記述世界を動かすのは、記述世界に生きる全ての人間だ。お前はその中のたった一人にすぎない、うぬぼれるのも大概にしろ」
そんなこともわからないのか、とソフィアは吐き捨てた。一方これ以上ない侮辱にアーベントは歪んだ顔でソフィアを睨み付けた。負けじとソフィアも軽蔑の眼差しで応戦した。だが、視界の端にまばゆい光が走ってソフィアはふと眉を寄せた。
キュィン
一瞬だった。ソフィアの視覚では追い付けない速さの何かがアーベントの喉元をかすめ、次の瞬間アーベントの頭部と胴体が分裂した。一拍遅れて血しぶきが舞う。アーベントが絶命したと認識したのは、ソフィアがその返り血を浴びた時だった。
後方の二人すら呆気にとられ、目の前の惨状を理解するのに頭が追い付かない。頭部をなくしたアーベントの体が糸が切れたように倒れ伏した時、そこに一人の少女が舞い降りた。
「うぬぼれるな、……ねぇ。でもそんな屑を創造したのはどこの誰なのかしら?あなたわかってる?」
ソフィアはゆっくりと顔を上げた。眼前に浮かぶ舌っ足らずな幼い少女、その見覚えのある姿にソフィアは息を呑んだ。少女の指には細い鉄線の様なものが蠢いている。その細い線が血に濡れているのを確認し、ソフィアは戦慄した。
「―――!?ソフィア君!離れなさい!」
パヴコヴィックの怒号が聞こえた次の瞬間、強力な水圧がソフィアを飛び越えて、少女を襲った。余波に巻き込まれぬよう、ソフィアは慌てて距離を取る。だが、予想していたそれは起こらず、水流は少女の元へ届く前に魔法のように掻き消えた。
ばちん、と弾ける音が鳴り、パヴコヴィック渾身の一撃が消滅した。そこにいた一同は息を呑んだが、ソフィアは知っていた。この少女が何者であるかを。
「リーシャ=アルドネート……、何故、ここに?」
ソフィアの世代唯一の消去者、シャスティの従者である少女は、ソフィアの驚愕した顔がさもおかしいとばかりに無垢な笑いを向けた。
「何故って、後始末よ?最低でもこのおっさん殺しとかないと計画が台無しだもの」
「計画……?まさか暴動も全てお前たちがしくんだことか?」
「あら、博士。お久しぶり。随分小さくなっちゃって、あはは」
小馬鹿にした笑いにパヴコヴィックも渋面を浮かべる、その顔には彼には珍しく焦りがあった。あれほど警戒していたはずなのに、目の前でいとも簡単にアーベントを殺され、その上己の記述術を封じられたのだ。余裕など何もかも吹っ飛んでいた。
一方のソフィアも突然現れた予期せぬ人物に動揺を隠せない。それでも必死で、なぜ彼女がここに顔を出したのか、その意味を考えた。
「リーシャ=アルドネート、なぜあなたはこの世界に干渉する?シャスティの指示か?サイフォスとの間に何があったんだ!?」
ソフィアの問いに、リーシャはあからさまに不機嫌になる。
「それはこちらのセリフだわ。ソフィア=ワーグマン、あなたこそ何故こんなところにいるの?あのまま大人しく書架に籠っていればいいものを。今更ここで何をしようというの?シャスティ様が作り上げた世界の平穏を壊す元凶となったあなたが」
肩をすくめるリーシャにソフィアも混乱した。何を言っているのかわからない。顔に出ていたか、リーシャの顔がこれ以上ないほど失望の色に染まった。
「……あなた本当に何も知らないのね。まぁ、サイフォスに隔離されてたんだもの仕方ないか。」
「何……?」
「知らないって幸せね。外の世界であなたの恋人がどんなことをしてたか知らずに、のうのうと生きてたなんて。私なら恥辱で生きていけないかも、ああ、でもあんな悪魔に心を奪われた女だもの、まともな神経している訳ないわよね」
侮辱されているという事はわかる。しかし怒り以上に、ソフィアの脳裏には疑問と焦燥ばかり溢れてくる。
(どういうことだ、サイフォスはいったい何をしたんだ?)
最後に見たサイフォスの顔、必ず迎えに来ると言って消えた時の彼の顔。あの時、彼は何を考えていた?何をしようとしていた―――?
わからない、ソフィアには何一つわからない。
「……これ以上話すのは無駄ね。まぁいいわ。今日の目的はその男の殺害だから、もう行くわ。せいぜい頑張って恋人を追うことね」
リーシャの体がさらに上空を舞う。そのまま遠ざかろうとしたその時、何処からか強力な閃光がリーシャの体を貫こうとした。
「―――!」
リーシャはそれを先ほどの水流と同様に消滅させ、難なく止める。そして、うっとおしそうにその閃光の発射元に目をやった。
「……しつこい男、見逃してやるって言ってるのに。本当に男って馬鹿ばっかり」
心底うんざりするリーシャの視線の先には、銃を構えた銀髪の青年がいた。彼の姿を発見したソフィアは虚を突かれたが何をすることも出来ず、やがて何事もなかったかのようにリーシャは空へと消えて行った。




