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第二十四章 記述者の覚悟(7)

 ◆

 もう何にもなりたくない。人以外の異形のものになど、絶対になりたくない。

 何度も何度も願った時、再びその声が戻ってきた。


 ―――君は人間である事を望むのかい?


 その声は微かに震えていた。笑いをこらえているらしい。


 ―――君は十分『人間』じゃないか。人の心を持ち、人と同じ時を生きる。それだけで十分じゃないか、何を今更望む事がある?


 男は告げる。でもヴェルナーは未だ納得できぬまま、頭を振った。


記述者(テクスター)は人間じゃない。神じゃないかもしれないが、人間でもない」


 俺はそれが嫌だ。ヴェルナーははっきりと言った。身体の奥から響く声は、少し悲しそうにため息をつく。


 ―――僕が与えたその力、君にとっては邪魔だった?


 僕が与えた、と言った。ヴェルナーは何故自分が記述者の力を手に入れたのか本当のところよくわかっていなかったが、その男は間違い無く己が与えたと言った。


「邪魔だと思った事はない。……でも、重荷だと思った事は何度もある」

 ―――だったらなんで記述者の力を受け入れようと思ったの?


 それは、


「……仲間のためだ」


 以前、パヴコヴィックにも告げた理由をもう一度口にした。

 ヴェルナーがいなくなってから二年の時が過ぎ、その間にアイリとバズの取り巻く環境は大きく変わった。そして彼らは今、ひどく苦しんでいる。彼らの運命を狂わせた原因が自分にある。

 そして彼らが一番苦しい時に一緒にいてあげられなかった。彼らの苦しみをヴェルナーが一番理解してやれない。だからこそ、今度こそ彼らを支えたい。そのための力が欲しい、でも―――


「迷ってるんだ、まだ。二人の為を思うなら、俺はもう何もしない方がいいんじゃないかって。力を使いこなしたってそんなもの何の役にも立たないんじゃないかって」


 そして極め付けがドメルトが言った『人間じゃない』という言葉。力を使えば使うほど、ヴェルナーは人では無くなっていくのだとしたら、どうしていいのかわからなくなった。

 そんな迷いも悲しみもサイフォスは快く飲み込んだ、慈悲深い海の様に。


 ―――ヴェルナー、いい事を教えてあげる。確かに記述者は常人とは違う力を持っている、にもかかわらず神の様に万能じゃない。でもね、記述者だからこそ望んでいい事が一つだけある。


「望んでいい事……」


 ―――それはこの世界の人間を救う事だ。前にも言ったよね?僕らに出来るのは世界を創り、人を創り、彼らが生きる最低限の指針を創ることだけだって。争いは止められないし、誰かが不幸になる事を止められない。でも、……それでも僕らが彼らの幸せを願い形作る事は絶対的な権利だ。それは記述者にしか出来ない事であり、神でない僕らがたった一つ出来る事だ。


 ―――ヴェルナー、君の望みは間違ってなんかいない。君が誰かを守るために力を欲する事は間違ってない。そしてその望みを本当に叶えたいと願うなら、君は受け入れるべきだ。



 ―――君は神でも人でもない。記述者という存在だという事を。



 内なる声は笑う。ヴェルナーにゆっくりと語りかける。


 ―――さあ、今の君なら出来るはずだ。「記述」を御する方法を、君はもう見つけたはずだ。後は覚悟だ。記述者として生きていくその覚悟を、僕に見せてくれ。




 砲音が鳴った。莫大なエネルギーがヴェルナーの銃口から発射され、それはバズとその仲間たちの間の大地を抉った。地面にまき散らされた砲火が広がる。

 記述者が生み出した「記述」を込めた一撃。これこそがヴェルナーが記述者の力を発揮する「記述」の御し方。

 たった一発の小型拳銃から放たれた銃撃とは到底思えない威力だった。目の前に構えていたバズも、彼の仲間も茫然と立ち尽くしていた。そんな彼らにヴェルナーが宣言する。


「もう一度お前たちに宣告する!引け!さもなくば、帝国に仇成す逆賊として、お前たちを討つ!」


 脅しでも冗談でもない。たとえ何百人が束になろうと、ヴェルナーは容赦なく彼らを塵にすると、その一撃でそこにいた全ての者に思い知らせた。

 もう誰も動けなかった。武器を構える者もない。ただ眼前で見せつけられた強大な力に皆言葉を失くしていた。


 ヴェルナーは決意した。

 モーゼンテルの民を脅かすのならば、彼らを正す。

 人ではない、記述者として、オルセンの民を守る。


 ―――覚悟はできたね?


 その問いにヴェルナーは頷いた。

 どうしてサイフォスがヴェルナーにこの力が与えたのかは未だわからない。いつ、どこでそれを継承させたのかも実のところよく知らない。時折彼の声が聞こえ、彼の思考が読み取れるのも、きっとサイフォスの何らかの意図があるはずだが、彼はそれを話そうとはしない。彼には彼なりの思惑がある。

 でも、今はそんな事どうでもいい。今はこの力に感謝しよう。誰かを守れる事に、救える事に感謝しよう。


「な、何だよお前……、今のは、何だ……?」


 バズがヴェルナーから一歩遠ざかる。まるで化け物を見るかのように、畏怖の目でこちらを凝視していた。


「バズ、俺は記述者だ」

「記述者……?」


 聞き慣れない言葉にバズは眉をひそめる。


「この世界の「記述」の全てを掌握できる、この世界の創造主から貰った力がある。レインが「記述」に操られているというなら、俺が解放してやる。……バズ、選べ。ここであいつらと一緒に俺を倒し暴動を続けるか、降伏して俺にレインを委ねるか」

「ヴェルナー、お前は……」

「俺を倒すというなら、俺は容赦しない。モーゼンテルの民の為に、俺はお前たちを全力で排除する。降伏するというなら、お前たちにも情状酌量の余地を与える。レインの事も必ず解放する」

「……っ、俺は……!」

「俺はお前らもレインも助けたい。さあ選べ、どうするんだ?」

「……」

「バズ!」


 バズは苦しそうな顔で崩れ落ちた。ガラン、と大槍が地面に投げ出される。


 バズは、泣いていた。

 彼の中で今まで張りつめていた糸がぷつりと切れて、限界ぎりぎりまで保っていた気力や何もかもが、今まさに崩れ落ちようとしていた。彼だって全てを犠牲にしてここまで来たはずだ。望んだ物を全て捨てる覚悟を持ってこの道を選んだ。それを今更新しい道を示されたって、それはもう救いではなく拷問だ。

 辛い。それを示しているのはヴェルナーなのに、今バズがこんなにも絶望に打ちひしがれている事が辛い。どうしてもっと早く、こいつの支えになってやれなかったのか、それだけが悔しくて仕方ない。


 バズの仲間も、誰も口を挟まなかった。沈黙の中、モーゼンテルから悲しい悲鳴や爆発音が聞こえる。煙は濛々と上がり、昼間だというのに辺りは薄暗く、不吉な風が辺りを包む。


「『お前らもレインも助けたい』か……。甘っちょろい記述者様だな」


 不穏な空気に乗せて、刺々しい声が響いた。そこにいた誰もが一斉に声の方向を向いた。

 男たちの間をかき分け、一人の男がヴェルナーの前に姿を現した。その憎悪に彩られた獰猛な顔つきを見た瞬間、ヴェルナーは今回の騒動の元凶が何であるか、バズを唆したのが何者だったのか、その全てを悟った。


「イザイアから聞いてたが、まさか本当にお前が記述者だったとはな。―――で、お前に救えるのかよ?こいつらを」

「やれるさ。お前らを倒して終わるってんならな」


 その答えにランドルフは満足げに顔を歪め、笑った。

第二十四章 完。

第二部もいよいよ佳境です。

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