第二十四章 記述者の覚悟(5)
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その時アーベントは議会に出席するため、付き人を連れて帝都へと向かう馬車に乗り込んでいた。モーゼンテルの中央通りを揺れる馬車の中から眺めつつ、憂鬱な気分に浸っている。このところ予算の改訂に加え、労働者法の成立を求める機運が高まり、貴族院ではそれらの嘆願の声を処理する事に追われていた。
労働者法は、労働者の雇用改善に加え最低限の保障制度を担う法律。制定されればその国庫支出は現時点での三倍近くに膨れ上がる。近年のイシル独立戦争で国庫支出は赤字状態、そんな時に余計に予算のかかる労働者法を成立させれば、文字通りこの国は倒れる。
「くそっ、なんで俺が……」
一年ほど前にこれらの改善対策を押し付けられたアーベントは、モーゼンテルと帝都を行き来しながら、日々その対策に明け暮れていた。厄介な役回りについてしまったものだと嘆くのはこれで何度目か。下民の労働者の事など歯牙にもかけないアーベントにとって、これほど面倒な仕事は無い。
苛々する、狭い馬車の中で貧乏ゆすりをしながら、通りを渡る市民たちを見下ろす。下賤な輩だ、アーベントはいつもそう思いながらこの通りを馬車で往来してる。
「アーベント卿、帝都についてからの御予定ですが―――」
「ああ?どうでもいい、そんなもの。どうせいつも通りだ、決まっている」
付き人の言葉を遮り、投げやりに吐き捨てた。どうせ帝都につくのが夕刻、別邸で貴族や議員たちを召集して夜会を開き、帝都の事情を聴く。議会に出席するのは翌日だ。頭の固い御偉方が集まって、当たり障りのない意見を述べ帰っていく。議会などとは名ばかりの、ただの無駄話。ここ数カ月議論が進捗した事などない。
「俺が一々議会に出席して何になる?どうせ何一つ進まない、ただの貴族の戯れだ」
「まあそうおっしゃらずに」
「しかも議題が市民どもへの配慮だと?ふざけてやがる。なんでそんな事を俺が一々糞真面目に話しあわなければならん」
吐き捨てるアーベントに対し、付き人は機械的な相槌を打っていたが、ふと、その動作が不自然に固まった。その事にアーベントは気づいていない、相変わらず不機嫌そうな顔で馬車の外を覗いている。その横顔に付き人が静かに告げた。
「……あなたは今何人の貧困者が困窮に喘いでいるか御存じですか?」
虚をつかれたアーベントが付き人の方を向いた。暗がりの馬車の中では付き人の表情がよく見えない。
「今年に入って何人の失業者が増えたか御存じでしょうか?」
「あ?そんなの俺が知るわけ――」
「約五十万人です。昨年度から継続して仕事を失った者を含めて二百万人、それだけの者が仕事を失くし、時には家を失くし、食べる物も衣服も与えられず、ただ失意の中で日々を過ごしています」
その声は淡々と国の事情を語る。だが、その淡白な声音は何故だか不気味さを醸し出しており、アーベントは我知らず気圧された。
「そういった者たちは、日々思っています。何故俺たちがこんな目に遭わなければならないのか?何故上の人間は自分たちを救ってくれないのか?貴族たちは日夜豪遊に身をゆだねているのに、どうして自分たちばかりがそのつけを被っているのか?」
「お前……、一体何が言いたい……?」
「私の兄も仕事を失くし、妻と子供を養う事が出来ず、先日失意のうちに亡くなりました。……あなたにはお分かりにならないでしょうね。残された家族の絶望と屈辱が」
その時、馬車の小窓から日に光がさし、付き人の顔を照らした。その顔にアーベントは思わず喉を引きつらせた。光を浴びているにもかかわらず、光を灯さない虚ろな瞳、この世の全てを憎みきったような憎悪の瞳、その眼差しが、アーベントの身体を突き刺した。己の部下の蔑んだ目にアーベントは凍りつく。この男は長年アーベントの右腕として自分を補佐してきた人間だ。平民の出だが気立てがよく優秀であったので、アーベントは常に彼に仕事の補佐を任せていた。彼の事は自分が一番熟知している。それなのに何故だ、彼が今、何故自分を冷たい目で見ているのかがわからない。
アーベントの身体は凍りついたまま動かなかった。が、突如その緊張が強制的に崩れた。
ドォオオオン
轟音と共に馬車が揺れたのだ。我に返ったアーベントは音のした馬車の外を見た。そこに信じられないものが映っていた。
「なっ!?なんだ!?」
彼の目に映ったのは、自分が先ほど出発した貴族街の方から立ち上る黒煙。貴族街の上部にある丘の上に佇む邸宅からそれは伸びている。その邸宅が誰のものであるか、アーベントはすぐに理解し、そして戦慄した。―――あれは、先刻まで自分がいたアーベントの屋敷だ。
「俺の屋敷が!?―――おい!すぐに馬車を戻せ!早―――
「残念ですがもう戻れません」
パニックになったアーベントの事など露知らず、付き人は機械的に告げた。その冷静さに、アーベントは悪寒を覚える。
「な、おま、えは……」
「先ほど爆発したのは使用人たちが密かに運び込んだ爆薬です。あなたはあなたのすぐ傍で進められていた計画にお気づきにならなかった。それは彼らを人間として扱わず、歯牙にもかけなかったあなたの慢心が招いた結果です」
「何だと……!」
アーベントは怒りと恐怖で顔を真っ赤にし、肩を震わせた。彼を射すくめる付き人の冷酷な瞳がさらにアーベントから正気を失わせていく。
「ふざけるな!命令だ!早く馬車を戻せ!」
「お断りします。あなたはもう戻れない。何故だかわかりますか?」
その問いにアーベントはさらに血を上らせたが、ふと、馬車の揺れが治まっている事に気づいてはっとした。冷や汗を掻きながら、ゆっくりと馬車の外を覗き見る。その目に見えたのは、人通りの少ない路地裏そしてアーベントの馬車を囲む黒い異形の集団―――。
「―――!!」
アーベントはようやく悟った。自分は嵌められた。この馬車に乗り込んだ時すでに、彼の運命は奴らによって握られてしまったのだ。そう、奴らに、そして、目の前のこの男も――
「教えて差し上げます。あなたは今日、ここで我々の手によって命を落とすからです」
付き人がその懐から何かを取り出した。僅かな外光に照らされ、その銃身が鈍く輝く、
「あなたが今まで虐げてきた者たちの手で、あなたは無残な死体となって晒しものにされるのです」
「―――!!」
その言葉を聞いた瞬間、アーベントが馬車の扉を開け外に出たのは無意識だった。冷静な判断が出来なくなっていたアーベントは後先考えず、付き人から離れようと馬車を飛び降りる。
付き人は驚きもせず銃を構えた、そして外に待ちかまえていた黒服の集団も、その手に持っていた銃口をアーベントに向ける。
おそらく、何事も起こらなければアーベントはそのままハチの巣になって死んでいただろう。だが彼にとって幸運だった事は、ちょうどその時巡回の兵が偶然にもアーベントのいた路地裏を通りがかった事だった。
「―――!?お前たち、何をしている!?」
兵の声が路地裏に轟いたその一瞬、そこにいた付き人含め黒服の連中の動きが止まった。アーベントはその瞬間をつき、集団の隙間へと飛び込み逃げ出した。その動きはアーベント自身ですら驚くほど機敏で、怠惰な男からは想像できない光景だった。
「―――!?追え!」
我に返った付き人が、黒服の連中に命を下したのを背後に聞きながら、必死に路地から伸びる細道をかける。
立て続けに響く爆発音と、背後から聴こえる怒号を聞きながら、自分がどこに向かおうとしているのかわからぬまま、アーベントはただひたすら走り続けた。
◆
町じゅうに響き渡る断続的な爆発音に、通りにいた人々は、ある者は茫然と空に広がる黒煙を見上げ、ある者は耳をふさいで蹲り、そしてある者は悲鳴を上げて逃げ惑った。
そんな中でヴェルナーは、黒煙の立ち上る貴族街の方を茫然と眺める。貴族街の最も高い丘に位置する一際大きな屋敷、それは先日ヴェルナーが訪れたアーベントの屋敷に間違い無かった。屋敷が燃えていく様が、下方の町からもよく見える。さらに、立て続けに爆発音が轟き、あちらこちらから煙が上がる。その全てが貴族街の邸宅からのものだった。
「くそっ!何故だ!何故貴族街から―――」
「使用人です」
悔しそうに傍の壁を殴ったドメルトの言葉をヴェルナーが遮った。ドメルトは驚いたようにヴェルナーを見据える。
「街で反政府組織の連中と接触する事が容易で、尚且つ貴族街に出入りしても疑いの目をかけられない。彼らが連携して爆薬を持ち込み反旗の機を伺っていたのなら説明がつきます」
おそらくアーベントの屋敷だけではない。他の邸宅でもあちこち火の手が同時に上がり始めた事を鑑みるに、使用人同士のネットワークの中で示し合わされた事だったに違いない。主人に見つからぬよう、密かに計画を推し進めていたのだとしたら、―――
「大尉、すぐに兵舎に戻って待機兵を連れてこい!町を巡回している兵たちにも呼びかけろ!」
「はっ!」
ヴェルナーは兵舎へ戻るべく駆けだした。その間にも貴族の邸宅を爆破しているのであろう轟音が響き渡り、焦りに駆られる。
大急ぎで兵舎に戻ると、兵たちは突然の爆発音に騒然となりながらも、出動準備を怠ってはいなかった。兵たちはヴェルナーの姿を確認すると一目散に現状を問うてくる。
「貴族街の方で断続的な爆発を確認しました。今、ドメルト隊長が貴族街の門前で待機しています。すぐに隊長のもとに向かって下さい」
「了解した。全兵出撃準備!」
慌ただしく飛び出していく兵たちを見送りつつ、ヴェルナーも兵舎を飛び出す。続いて中心街で巡回を行っている兵に現状を報告し、厳重警備を取らせた。兵たちは町じゅうに散らばっているが、これだけ町じゅう騒ぎになっているのなら、彼らも彼らなりに動くだろう。
緊迫に染まるモーゼンテルの町を見据え、ヴェルナーは大至急ドメルトの所へ戻ろうとした時、その声が再び聞こえた。
―――ヴェルナー、外だ。
喧騒が響き渡る町の中で、その一瞬だけ音が遮断され声が鮮明に聞こえた。一昨日聞いたサイフォスの声。
何の事かと問いかけても、もう応答は無かった。だが、その言葉の通りに町の外に意識を向けると、微かな、それでいて莫大な蠢きを感じる。
何かが来る。この町に、近づいて来る。
ヴェルナーは僅かの間躊躇う。だが、決意した瞬間、迷わず町の入口へとたった一人で駆けだした。




