第二十四章 記述者の覚悟(1)
ヴェルナーがモーゼンテルを訪れたのはこれが初めての事だ。ヴェルナーにとっては馴染みの無い町。山岳を切り開いて街を敷き、主に山の幸や森林で採集した材木やその木で作った民芸品を生産して生計を立てている商業都市だ。素朴な街並みとは裏腹に町の中心にそびえ立つのは、荘厳な時計塔。中世期にこの国で初めて建造された時計塔は、五百年という長い時を経た今でも、その針を動かし人々に時の音を告げている。帝都からもほど近く、観光地や休暇地としても人気の高いモーゼンテルの町。
だが、ヴェルナーはそんな趣あふれるこの町と今日の今日まで関わりを持たなかった事に心底感謝した。
なぜなら今ヴェルナーの目の前にいるこの男、モーゼンテル有数の貴族であり議会権力者であるこの男は、ヴェルナーがこの世で最も厭忌すべき部類の人間だったからだ。
「で、お前らがこの町の警護に当たってくれると?」
「はい、こちらの駐屯兵団と協力し、近々起こるであろう暴動に備えます。つきましては―――」
「隊長さん、ここで暴動が起きるなんて確証はあるのか?」
肥えた男は、不快なものを見る様な目つきで、目の前のドメルトを嘲った。趣味の悪い装飾品で飾り立てた太い指が、苛立った様に机上をコツコツと叩く。
「アーベント卿、この町に流れ込んでいると思われる武器について、あなたにもお知らせしたはずですが?」
「知らせ?はっ、軍部の報告なんざ俺が一々確認するわけ無いだろ?」
ヴェルナーは己には関係ない、とふてぶてしく笑うアーベントから目を反らした。こいつを見ていると不快になって顔が歪む。付き添いの補佐官である自分があまり露骨に不快感を晒しては隣で淡々と義務をこなす上官に迷惑がかかる。ヴェルナーは平常心、平常心と唱えながら、目を閉じた。
「ならば早急に確認を。そして一刻も早い対策をお願いします。何かあってからでは遅すぎます」
「だーかーらー、なんでそんなものの為に俺が時間を割かなくちゃいけないんだ」
「なんですって……?」
ドメルトの眉がピクリとつり上がった。
「街の治安維持はお前ら軍人の管轄だろ。だったらお前らでやれよ。それがお前らの仕事だろうがよ」
「……ご意見はごもっともです。ですが、これはこのモーゼンテルの民全員に関わる事です。我々部外者だけでは対処できません。この町の権力者である、あなたが動いて下さらなければ最悪の事態が起こりかねませんよ」
半ば脅すようにドメルトは威嚇するが、アーベントは全く動じなかった。
(何故だ。こいつはこの町を代表する人間なのに、どうしてここまで町の事に無関心でいられる?)
アーベントに気取られぬよう、ヴェルナーは強く拳を握った。強く抑え込まなければ、ヴェルナーはその醜い顔面に思い切り拳を叩き込みそうだった。
「そもそも、暴動が何だって言うんだ?たかが労働者の屑が集まって喚いて、それで何が変わるって言うんだ?」
「あなたは暴動の恐ろしさを御存じありませんか?どんな社会的弱者であっても、数の暴力は恐ろしいものです。彼らが団結すれば、この町一つ落とす事などたやすい。あなたも危険に晒されるかもしれませんよ」
「だったらお前らが俺を守れよ。当然だろ?俺はこの国を動かす帝国議会の人間だぞ。暴動を止める事よりよっぽど国の為になると思うがな。……ああ、個別に金が欲しいってんなら払ってやってもいいぞ。いくら欲しい?」
「―――っ!」
その発言に、耐えきれなくなったヴェルナーはドメルトの前に躍り出ようとした。寸でのところでドメルトに阻まれる。ドメルトはヴェルナーを睨むと小さく首を横に振った。
「なんだよ、そっちの若いの」
「いえ、なんでもありませんよ、アーベント卿。ですが、今の発言は、賄賂を提供する、という意味にもとられかねません。お気を付け下さい」
「真面目だねぇ。素直に従っていればいい思いが出来るっていうのに。これだから軍人ってのは嫌になる。口を開けば使命だの大義だの、媚び諂って生きる事しか能がねぇくせに正義感だけは一人前だ」
そう言って、アーベントは下品な笑いを浮かべた。ヴェルナーはドメルトに抑え込まれながら、その憎らしい顔を憎悪の目で睨みつける。一方のドメルトはあくまで冷静だ。だが、その瞳の奥にヴェルナー以上の憎悪の炎が宿っていた事に、ヴェルナーは気付けなかった。
「……お言葉ですがアーベント卿。その正義というのも決して全ての人間に振りかざすわけではございません」
「は?」
ドメルトの怒りを宿す静かな声色に、アーベントも笑うのをやめ真顔になる。
「私はいつも自分にこう言い聞かせております。清く誇り高き軍人であれ、そして同じ志を持つ同士を守り育み、王に集う民を守れ、と」
「……?」
「つまり我々が守るのは、この国の平和と繁栄を切に願う潔く誉れ高い民たちです。それ以外の……、そう、例えば自身の私欲の為に民を犠牲にし、低俗な者を嘲けり、あまつさえそんな低俗の人間に守ってもらおうなどと高をくくっている愚劣な人間は対象外。守る価値の無いがらくた以下の存在だ」
その言葉の意味を理解した瞬間、アーベントは鬼の形相となり、手元にあった水さしを勢いよくドメルトに投げつけた。
幸い大事は無かったが、ドメルトは中の水をもろにかぶって首から上がびしょぬれになった。
「―――隊長!?」
ヴェルナーは思わず声を荒げた。だが、ドメルトは何事も無かったかの様に平然とした顔で、怒り狂うアーベントを見据えている。
「貴様……!よくも俺の前でそんなことが言えたな!軍部の犬が!」
「何を怒ってらっしゃるのですか?私は自分の正義について述べただけで、あなたの事など一言も申しておりませんが?」
ドメルトが屁理屈を言っている事など、ヴェルナーでもわかったが、アーベントはこれ以上反論できなかった。反論すれば、アーベント自身が自らを『守る価値の無いがらくた以下』だと認める事になる。アーベントは顔を赤らめながら青ざめさせるという、器用なまねをしてドメルトに怒鳴りつけた。
「―――出て行け!二度と俺の前に姿を見せるな!」
「そうですか、では失礼いたします」
顔を拭う事もせず、ドメルト立ち上がるとさっさと部屋を後にした。ヴェルナーも慌ててそれについて行く。
アーベントの屋敷を出てから、ヴェルナーはドメルトに大丈夫かと尋ねた。ようやく持っていたハンカチで顔を拭い始めたドメルトは、ため息交じりにこちらを向いた。
「すまんかったな、無駄足を踏ませて」
「いえ、そんな。隊長が謝る事では……」
「ふぅ、しかし、独善的な議会主義者だと聞いていたがまさかこれほどとは……」
モーゼンテルの中心街を歩きながら、ドメルトが吐き捨てる。
今日、ヴェルナーがドメルトと共にこの町の権力者であるアーベント卿の元を訪れたのは、近々起こるかもしれない暴動の為に、市民への呼びかけや避難誘導、反政府組織が潜伏しそうな場所や襲撃しそうな場所をピックアップし、その警備強化に協力してもらうなど、軍部だけでなく町の組織で対応をしてもらおうと請願するためであった。
そして請願しに行った結果が、先ほどの顛末である。元々、軍部への協力には懐疑的だという噂を聞いていたので、一筋縄ではいかないだろうとドメルトは言っていたが、まさかこれほどとはヴェルナーも思わなかった。
「なんであんな奴がこの町の代表者なんですか……!」
「金だろ。あらゆる方面の資金団体を買収してるんだ。ああ、あとはモーゼンテルの有力な地主の家系だから元々支持母体も多いんだろう」
結局は金と家柄。そんなもので町を牛耳る人間が決まる。さらにはこの国を動かすことすらやってのける。ヴェルナーはその理不尽さに腹が立った。あいつが私腹を肥やしている今も、街中には貧困に喘ぐ人々がごまんといる。あの男はそれを助けようとしない、いや、存在すら認識しようとしない。だから、暴動が起きると告げられても我関せずと突っぱねる。自分の今の生活と地位が守られれば、下々の人間が危険にさらされようが野たれ死のうが関係ないのだ。
「だが、どんなに外道な奴だとしても帝国議員の肩書は強力だ。もし奴に何かあれば、間違いなく世間に波紋を呼ぶ。そういう意味では奴を徹底的に守った方が平穏を守れるという提案は一理ある」
「そんなの納得できません」
「納得できなくても事実なんだよ。それがこの国の仕組みだ」
ドメルトは諦観している。だが、ヴェルナーは彼の様にそれを良しとする事が出来ない。今だ納得がいかず黙り込んでいると、ドメルトもため息をついた。
「仕方ない。俺たち第一連隊と駐屯兵団だけで事に当たるか。まあ、最初からあの男の援助はあてにしてない。人手なら十分あるしよほどの事が無い限り大丈夫だろう。―――聞いてるか、大尉?」
「あ、はい!」
「ぼさっとするなよ。これから仕事は山積みだからな」
そしてまたドメルトは黙ったまま歩き出す。ドメルトの後ろでヴェルナーは思い詰めた顔をして彼の後をついて行く。




