第二十三章 そして世界は流転する(4)
ちょうどお昼時だったので、昼食を御馳走になった。華美な食堂で昼食の規模とは思えない豪勢な食事を頂きながら、ソフィアたちは様々な事を話した。特にパヴコヴィックはアイリと二年前から浅からぬ縁があるらしい。
食事の席でも話しているのはほとんどその二人だった。ソフィアは彼らの話を興味深く聞きながら、目の前の御馳走に舌鼓を打っていた。
食事が終わって再び客間に通されたソフィアは、満腹になってソファに身を投げると、程なくして使用人の女性が紅茶を運んできた。
「いやぁ、何から何まで、至れり尽くせりだ。実に快適」
「博士はもう少し遠慮というものを覚えになった方がよろしいかと。コース料理でお代わりを要求するその精神の太さはある意味賞賛しますが」
「い、いいですよ。喜んでくれたのなら……」
三人の会話を聞きながら、ソフィアはお茶を口に運ぶ。大きく深呼吸すると、ソフィアは話を切り出した。
「あの、博士。一息ついた事ですし、そろそろ本題に入りませんか?」
すると三人が一斉にこちらを向いた。「本題?」とアイリはきょとんとしたが、パヴコヴィックとイルムヒルデには伝わったらしく、先ほどの冗談を言い合っていた顔から一変して真剣な表情に切り替わる。
「そうだな。イルディ、頼めるか?」
「わかりました」
イルムヒルデは立ち上がると、持ち込んだ道具鞄を開いた。そこには通常の医者が所持している様な一通りの診察道具、そして記述術に必要な「記述」が何束が収められていた。
「あの、……一体何を?」
事情を知らないアイリはぽかんとして、イルムヒルデが診察の準備を整えるのを眺めていた。パヴコヴィックは彼女に告げる。
「今日私たちがここへ来たのはな、単にお嬢さんの様子を見に来ただけじゃない」
「と言いますと?」
「お嬢さん。最近君の身体に何か異変が起こっているんじゃないかね?」
その瞬間、アイリは顔を青ざめさせた。間違いなく、心当たりがあるという顔だった。
「……どうしてそれを?この発作の事はこの屋敷の人間にしか話していないのですが」
「発作が起きるのか?失礼、私は青年から、君の顔色が悪くしかも変な夢を見るらしいと聞いたので、記述術の医師であるイルディに診せてやろうと思っただけなのでな。君の詳しい症状については知らなかった」
パヴコヴィックの言葉に、アイリは目を見開いた。彼女の顔は見る見る悲しげに染まり、膝に乗せていた手をぐっと握った。
「ヴェルナーが、博士に伝えたのですか…?」
「ああ、少し前に青年に依頼された。本当は彼にも共に来るよう声をかけたんだがな。仕事だと言って断られた」
「そう、ですか」
つっかえたようにかすれた声で頷いたアイリをソフィアはただ黙って見守っていた。その姿は近頃のヴェルナーの思い詰めた姿そっくりで、ソフィアはその理由を無意識に探っていた。
何故アイリはヴェルナーの事を伝えられただけでこんなに苦しそうな顔をするのだろうか?アイリの体調が芳しくない事に気づき博士にまで頼んでおいて、ヴェルナー自身が会いに来ないのはどうしてなのか?
ソフィアは出会ったばかりで二人の関係を知らない。過去に何があって、何が彼らをは追い込んでいるのか知らない。
だが、彼女の瞳の裏で感情が揺れ動いているのを見つめながらソフィアは思う。ここ最近のヴェルナーの姿、今目の前にいるアイリの姿。それらを客観的に眺めながら、ソフィアは一つの仮説を立てる。
そうか、この二人は―――
ソフィアはその先を嚥下した。それは多分考えてはいけない事だと思った。まして口にすることなどできない。やはりソフィアはただ黙って見守るしかなかった。
「準備が整いました。ジュンアさん、診察の方行ってもよろしいですか?」
「あの、診察って何をなさるんですか?」
「普通の医師とさほど変わりませんよ、御安心ください」
イルムヒルデが患者を安心させるために優しい声で言った。アイリも頷くとドレスのショールを脱いで衣服を寛げる。するとイルムヒルデがじろりとパヴコヴィックを睨んだ。
「博士、少し出てもらえますか?」
「何故だ?私は客人だぞ」
「御・婦・人の診察ですので、殿方はお控えください」
口調は丁寧だったが、言葉の節々に怒りマークがちらついた。そんなイルムヒルデに対し飄々と博士は笑う。
「心配するな。見た目こそ思春期の子供だが、中身は爺だ。私は気にせん」
「ジュンアさんが気になさるでしょうが!あと、中身が子供より爺の方が信用できません!」
「あ、あの……私は別にかまいませんよ?」
怒り狂うイルムヒルデをアイリ当人が宥めると、イルムヒルデは渋々ため息をついて診察を開始する。
ソフィアはイルムヒルデの手際を黙って見つめていた。脈拍の測定や眼球運動の検査、口内の検査など、おおよそ普通の医者の範疇に治まる治療法を行っていたが、最後の最後に、イルムヒルデは医者には持ち合わせていないものを取り出した。
「少しじっとしていて下さい」
イルムヒルデが取り出したものは「記述」だった。おそらく患者のアイリには見えていないであろうそれを、アイリの鎖骨部分に優しく押し当てる。すると、その鎖骨部分からぼうっと光が灯り、それはアイリの肌の上を放射状に駆け巡った。
「……!?」
「見えましたか?」
言葉を失っているソフィアに、イルムヒルデの視線が投げかけられる。
「これが、人間の体内にある記述腺です。人体の構成と調整を担う重要な器官、血液やリンパと同等の物。通常の医師はこの記述腺を無視……というより見えないので扱いませんが、私たち記述師派生の医師は、主にここを見て病状を判断します」
「そうなんですね……。アイリ、大丈夫?」
気づくとアイリの皮膚の全体に記述腺の光が走っており、目視できるようになっている。顔や首、手などの露出した部分は勿論、服に隠れた部分にもおそらくそれはある。
「うん?大丈夫よ?全然痛くないし」
どうやら「記述」の見えないアイリは自分の身体がどうなっているかわからないらしい。きょとんとしながら、イルムヒルデの成すがままにされていた。
「記述腺に異常は見られないみたいですね。正常に「記述」が通っている」
「破裂箇所や動脈硬化の兆候は?発作なら「記述」の循環不順が原因かもしれん」
「ありません。適量の「記述」が正常速度で巡回しています」
アイリの表皮に触れながら一か所ずつ確認する。どうやら取り立てて異常な個所が見当たらない様だ。が、鳩尾の部分に触れた時イルムヒルデの目が細められた。
「……変ですね」
「変?何が変なんですか?」
「記述腺が二重になっています。……少し待って下さい」
イルムヒルデは焦ることなく、もう一つの「記述」を取り出した。それを先ほどと同じように反対の鎖骨部分に軽く当てる。すると、またしても「記述」から光が発せられ、また同じようにアイリの肌の上を光の筋が滑った。既存の光の筋を辿る様に、ただし今度は異なる色の光で。
「やはり……、記述腺が重複しています」
「記述腺の重複って、何かよくないんですか?」
ソフィアが尋ねると、パヴコヴィックが難しい顔をして膝の上で頬づえを突いた。
「具体的に何かがよくないわけじゃない。が、本来人間の身体には一本の記述腺しかないはずだから重複しているのはおかしいな。単に重なって見えているだけか、それとも……」
「体内に別の「記述」が混入している可能性もありますね」
「混、入……?」
存外おっかない単語にソフィアとアイリは互いに目を合わせ身を震わせた。自分体内に本来無いはずの物が混入しているなど考えただけでもおぞましい。
アイリは誰が見ても明らかなほど顔色を悪くし、イルムヒルデにすがりついた。
「あの、それって取り除けないんですか?」
「取り除く、ですか。「記述」は消す事ができませんから難しいかもしれません。記述腺として浮かび上がるという事は、あなたの体内に固着化してしまっているという事ですし。例えば外科手術で記述腺に当たる個所を摘出すれば可能かもしれませんが、記述腺が全身にいきわたっている以上それも難しいでしょう。その上、この記述腺はあなたが本来備えている記述腺と隣接しています。不用意に手術を行って、本来の記述腺を傷つければあなたの身体にも損傷が出ます」
丁寧な解説だったが、最後まで聞いても望みは薄かった。アイリはがっくりとうなだれ、己の身をきつく抱きしめる。ソフィアもどうしていいかわからず、ぎゅっと唇を噛んだ。
「ですが記述腺とジュンアさんの経験する予知夢と発作の因果関係は分かりませんね。少し経過を観察してみる必要があります」
「では、お嬢さんが見るというその予知夢の方はどんなものなのだ?詳しく話してくれ」
パヴコヴィックに促され、我に返ったアイリは自分が見た夢の事を話しだす。不安に苛まれながら、ソフィアはその話を真剣に聞いた。




