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第二十二章 バルド=グロック(3)

 ◆

 バズが『バルドグロック』にやって来てから一年が過ぎようとしていた。あれから傷も癒え、すっかり明るくなったバズは今日も元気にグリアモの町を走り回っていた。その日々は目まぐるしく過ぎ、この町にも少しずつ変化が訪れた。

 バルドを軽視していた連中は黙りこみ、グリアモはあの頃が嘘のように平和になった。未だに自警団と駐屯兵団の軋轢は深いが、彼らと歩み寄るための体制は形式上確立され、あと数年もすればその効果も実証できるであろう所までやってきた。少しずつ変わる世界、変わる街並み。


 だが、バルドにとって最も大きな環境の変化は、数ヶ月前先代が倒れ寝たきり状態になった事だろう。


 突然のことだった。元々老体に鞭を打って無茶をしているとは感じていたが、どうも肺病を患っていたらしい。それも相当重度のものだ。

 バルド達には全くそのような気配を見せなかった。相変わらずの豪快さで振舞っていた先代は、ある日唐突に咳き込みだし肺を押さえて倒れた。

 すぐに医者を呼び診察を行ったが、もう治癒できぬほどの状態にまで進行していたらしい。

 どうしてすぐにバルドや近しい者に言ってくれなかったのか、そんなことは嫌というほどわかっていた。先代は強情で見えっ張りで誰よりも周りの人間に心配をかけまいと努めていたから。バルドはそれを寂しく思った。こんな時まで力になれないのは、娘として本当に不本意だった。




「バルド!見て見て!」


 詰所の屋上で休憩していたバルドの元にやってきたのは、嬉しそうに頬を染めるバズだった。何があったのだろうかと、その姿を振りかえると、その顔に見慣れないものがついていた。


「お前、どうしたんだ?その眼帯」

「じっちゃんにもらった!」


 バズの左目には、子供には大きくて厳つすぎる黒の眼帯が取り付けられていた。本来目を覆うはずのそれは、バズには大きすぎて顔の半分近くを覆っている。しかも黒の地に金の装飾が施されており、正直趣味がいいとは思わなかったが、バズは気に入っているらしく、何度もその眼帯に触れては、にこにこと頬を緩めていた。

 じっちゃんとは先代の事だ。あの御老体はバズを拾ってから彼を本当の孫の様に可愛がっていた。バズも最初は怖がっていたが、そのうちそれにも慣れ今ではすっかり仲良しになっている。


「そうか、爺さん元気だったか?」

「うん、今日はね、三十分くらいお話しできたよ」


 先代はここのところずっと自宅で過ごしている。一年前まで隠居者とは思えないほど元気に走り回っていたのに、今ではすっかり見る影も無かった。バルドも最近顔を見ていない。


「バルドはじっちゃんとこ行かないの?」

「ああ、……私はな、いいんだ。あの人はもうひっそりと余生を過ごした方がいいんだ」


 たくさん世話になった養父に少々薄情な気もしたが、バルドはそれでいいと思っている。本人も昔言っていた。「お前にバルド=グロックの名前を与える時は、俺という人間が死ぬという事だ」と。けれど、バズには理解できないだろう。不貞腐れた様な顔で、バズはバルドに言った。


「バルドはじっちゃんの事嫌い?喧嘩してるの?」


 その質問にドキリとした。バズにそんな風に言われるとは思わなかった。


「違うよ。じっちゃんの事は大好きだよ。……でも、あの人といると凄く自分がみじめになる」


 言葉の意味がわからなかったらしい。バズは不安そうにバルドを見上げた。


「あの人の栄光はでかすぎる。私はあの人に何一つ敵わない。そう思うと、自信が無くなってしまうんだ」


 バルドも、こんな事子供のバズに言ったって仕方無いと思っていたが、バズは真剣に話を聞いてくれた。


「喧嘩してるわけじゃないなら、会いに行きなよ。どうして会ってあげないの?」

「バズ……?」


 ふと、バズの方を見ると、バズは先ほどのはしゃぎっぷりからは想像もつかない程、思い詰めた顔でこちらを見ていた。


「じっちゃんもうすぐ死ぬかもしれないんでしょ?会える時に会わないと後悔するよ」

「お前……」

「会えなくなってからじゃ遅いんだよ!絶対後悔するんだよ!」


 バズの目には大粒の涙が浮かんでいた。バルドは彼の心理を推し量る事が出来なかった。でも、彼は今バルドと先代の為に泣いてくれている。それは酷く辛い事で同時に嬉しい事だった。

 バルドはバズの頭を引き寄せるとそっと胸に抱いた。今にも泣きそうなバズの顔を隠すように。そして小さな声でお礼を言った。


「バズ、じっちゃんのこと好きか?」

「……好きだよ。じっちゃんだけじゃない。バルドも、『バルドグロック』の皆も、この町の人たちも、皆好きだよ」


 その言葉に胸がいっぱいになって、バルドはバズの頭を撫でた。この子が来てから一年が経とうとしている。バズは未だに、自分の事を話さない。それはバズがバルドの事をまだ信用していないのだと、心のどこかで思っていた。

 でも違うのだ。バズはずっと、周りの人間を思ってくれていた。バルドや先代の事を気遣ってくれていた。

 バズがどこから来たのかなんてもうどうでもいい。この子が楽しそうに笑って、愛する人たちに囲まれてくれているのなら、今、この子が幸せだと感じてくれているのなら、それでいい。


 バルドは決心がついた。今まで一人で何とかしようとしていたが、もう少し周りを頼ってみよう。いつかこの子にこの町を任せられる日が迎えられるように、この子が大好きだと言ってくれた人たちがこの子を愛してくれるように、バルドは自身の全てをかけてこの子を守ると誓った。




 先代の屋敷を訪れたのは久しぶりだった。相変わらずの辛気臭い部屋に、すっかり変わり果てた先代の姿があった。


「そろそろ来るころだと思ってたぞ」


 先代はそう言って笑う。痩せこけた頬に青白い肌、かつての面影など見るべくもない姿だったが、その口調は昔のままだった。


「先代。今日はあなたに最期のお願いをしに参りました」

「ははっ、最期のお願いか……。俺はもう隠居した身だっつーのに。少しは親離れしろよ」


 先代はそれでも少し嬉しそうだった。やつれた笑顔でも、この人は変わらない。


「そうですね。あなたはもうバルド=グロックではないのですから。でも、やはりあなたにもけじめを付けておきたくて」

「そうか、で?」

「……バズを次期当主に推挙します。私の養子として迎え入れます。よろしいですね?」


 バルドの宣言に、先代は笑った。おそらく先代は予想していたのだろう。「やっぱりな」と小さく呟くと、


「勝手にしろ。今の当主はお前だ。……まったく、お前もようやっと当主の自覚が出てきたか」

「親父……」

「いいか、バルド。お前はお前で、俺は俺だ。俺の跡なんか追わなくていいんだよ。そんなことしなくても、お前はもう立派なバルド=グロックだ」


 素っ気なくも満面の笑みで答えてくれた。それはバルドを現当主として認めてくれている証だった。


 だが、次に先代はその顔を少し曇らせ、バルドにこう告げる。


「バルド。俺もバズになら『バルドグロック』を任せてもいいと思う。だがな、それは同時に賭けでもある」

「……?どういう事ですか?」


 意味深な発言にバルドは眉をひそめた。気がつくと先代の顔から笑顔が消え、いつかの鋭い眼光が戻っていた。


「バルド、はっきり言っておく。バズを養子にする事は、下手をするとお前が当主になった時よりも荒れるかもしれん。それは覚悟しておけ」

「荒れる……?一体どういう事ですか?」

「そのままの意味だ。……間違いなく、一波乱はあるぞ」


 言葉の意味が理解できず、バルドはただ困惑するばかりだった。それでも先代の意図を汲もうと必死に言葉を繋ぐ。


「もしかして、バズの出自について何かわかったのですか?」


 在りうる可能性を秘めた質問を投げかけると、先代は深刻な顔でゆっくりと頷いた。


「この一年、出来る限りあいつの事を調べてみたんだ。こんな体になってからも人を使って少しずつな」

「そんな事をなさっていたのですか!?」

「バズは勿論知らない。あいつは自分の事を必死に隠そうとしていたみたいだからな。だが、お前がこの先あいつを養子に迎えるというなら、知らないでは済まされない。だから、俺が生きているうちに、全てを明らかにしておこうと思ったんだ。お前に任せるのは少々酷だと思ったんでな」


 そして、先代はそれを調べ上げた。バルドが絶句する中、先代はバルドに一通の封筒を差し出した。


「ここに俺の調べた全てが書いてある。お前にはこれを知る義務がある」

「私は……!」

「勿論、お前があの子をグリアモのバズ=グロックとして育てようとしている事はわかっている。そして、今の当主は俺じゃなくお前なんだ。お前が必要ないと判断するなら、この封筒はすぐに処分して構わない」

「……」

「だが、忘れるな。お前は『バルドグロック』の長であり、次代当主を定め育てる者だ。この先永劫続く『バルドグロック』の歴史を継承する者だ。そのために何を知るべきか、よく考えろ」


 バルドは震える手で、その封筒を受け取った。先代の警告と共に、バルドはそれを胸にしまい込んだ。


「この先どんな事があっても、この町の平穏を優先しろ」

「それは……!」

「それでもあの子を迎えたいというのなら、お前が全力で守れ。どんな事があってもお前が守れ」


 酷な事を言ってすまん、と謝る先代は今まで見た事の無い様な優しい瞳で笑っていた。


 先代が息を引き取ったのはそれから一カ月後の事。先代の死を以て、バルドはバズに自分の養子となる事を告げた。


 ◆

「これがその封筒だ」


 ヴェルナーの前に差し出されたのは、色あせた茶封筒。先代のバルド=グロックが調べたというバズの出自について書かれた物。

 だが、その封は開けられた形跡が無かった。


「……あなたは読まなかったのですか?」


 これを開封していないという事は、バルドはバズの真実を知らないという事。バルドは見ているこちらが苦しくなるほど思い詰めた顔をしていた。


「読めなかった」

「読めなかった?」

「私にはこれを開ける勇気が無かった。先代に言われた時、私は『バルドグロック』の当主として、養子に迎えるあの子の事を知らなければならないと思った。私が養子を迎えるのは、ただ子を持つという事とは違う。この町の未来を定める重要な儀礼なのだから。

 だが、私にはあの子の正体を知る事がどうしてもできなかった。その封筒と捨てる事も出来なかった。私はただ、現実から目を背け、見て見ぬふりをして、ずっと逃げ続けていた」


 いつも悠然と構えるバルドが取り乱す姿をヴェルナーは初めて目の当たりにした。

 彼女はずっと一人で抱え込んでいたのだろう。『バルドグロック』の長としてのけじめと、養母としての慈愛の間で、愛する息子をどうするか、ずっと天秤にかけようともがいていたのだ。

 そして彼女は今もその板挟みの状態で苦しんでいる。二年前バズがこの町を出たあの日からずっと。


 だからこそ、ヴェルナーは決心した。


「バルドさん。俺がもう一度、必ずバズをここに連れてきます。あなたにはあいつと向き合う義務がある。あいつもあなたと話しあう義務がある。だから、俺があいつを連れてきます」


 力なくうなだれるバルドに、はっきりと宣言した。バルドは未だ顔をぐしゃぐしゃに歪めていたが、やがてぽつりと呟いた。


「……義務か」

「バルドさん?」

「……私は先代が苦手だった。愛されているとわかっているのに、どう接していいのかわからずずっと距離を置いていた。それを縮めてくれたのはあの子だ」


 顔を上げたバルドは、またいつものように王者たる面持ちで不敵に笑う。


「だから私はあの子の為なら何でもするよ。それだけは絶対に違えないと誓ったんだ。それだけは、絶対に……嫌だ」


 するとバルドは件の封筒をヴェルナーの方へと差し出した。その意図がわからず、ヴェルナーが呆けていると、


「この封筒、お前に預ける。好きに使ってくれ」

「……ですがこれは先代の」

「いいんだ。お前にも知る権利はある。親友としてバズを支えてくれていたお前になら」


 そしてバルドは立ち上がった。これ以上ないほど深く深く、ヴェルナーに頭を垂れた。それは美麗で洗礼された一礼、『バルドグロック』の当主、バルド=グロックの誠意。


「頼む、あの子が苦しんでいるというなら、どうか救ってやってほしい」


 彼女の姿に、ヴェルナーは顔も知らぬ母の面影を見た。その事実にヴェルナーの心は際限なく痛んだ。




 バルドは仕事があると言って戻っていった。ヴェルナーもここを退散しようと思ったが、建物を出てから数歩でその歩みが停まった。

 ヴェルナーは懐にしまい込んだ封筒に上着越しに触れる。何の変哲もない、質量も無い紙切れが何故かとても重い。


「……」


 しばらく迷ったあと、ヴェルナーは道の片隅によってその封筒を取り出し、その封を切った。

第二十二章 完。

という事で、バルドの過去編でした。

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