第6話『父との戦略問答』
いつもお読みいただきありがとうございます。
第六話は、オルタと父バルドによる初めての本格的な戦略問答です。
地図から未来を読むオルタ。
そんなオルタに対し、父はある大切なことを教えます。
本作のテーマにも繋がるお話です。
ぜひお楽しみください。
「まず土地です」
俺は北方の地図を指差した。
執務室には静かな空気が流れている。
窓の外からは兵士たちの訓練の声が聞こえてくるが、この部屋だけは別世界のようだった。
父上は椅子にもたれながら腕を組む。
父上の視線が俺に向けられた。
歴戦の将が戦場を見定める目だ。
普通の五歳児なら萎縮していただろう。
だが、不思議と緊張はしなかった。
かつて俺自身も同じような目で家臣たちを見ていたからだ。
「ガルド獣人国は寒冷地帯です」
俺は地図の北部をなぞる。
「耕作地が少ない上に冬も長く、多くの人口を養うには向いていません」
父上は黙って聞いている。
俺は続けた。
「ですが、この十年で人口は増えています」
父上の眉がわずかに動いた。
「根拠は」
「交易記録です」
机の上の資料へ視線を向ける。
「毛皮の取引量も食料輸入量も増えていますし、移住記録も同じ傾向です」
「つまり、ガルドの戦力は今も大きくなっているんだと思います」
「なるほどな」
「では聞こう」
「その先はどうなる」
試すような声だった。
俺は北方の地図を指で叩く。
「問題は冬です」
静かな声で続ける。
「凶作が一度起きれば食料不足になります」
「二度続けば飢饉になります」
「三度続けば――」
そこで言葉を止めた。
父上が続きを口にする。
「戦争か」
「はい」
短く答える。
執務室は静寂に包まれた。
俺はさらに続ける。
「人は飢えれば理性を失います」
「どれほど優れた王でも、それを完全には止められません」
「民を生かすには食料が必要ですし、食料を得るには土地が必要です」
「土地を得るには――」
「奪うしかない」
父上が呟いた。
戦を知らぬ貴族の言葉ではない。
この人は知っている。
戦争が武勇や名誉だけで始まるものではないことを。
飢えがどれほど人を狂わせるかを。
だからこそ父上は話が通じる。
「おそらく、ガルドは南に侵攻してくると思います」
俺は王国北部を指差した。
「なぜそう思う」
「南には穀倉地帯がありますし、街道や河川も整っています」
「土地を求めるなら、一番価値が高い場所です」
父上は腕を組んだまま言った。
「ではもうひとつ聞こう」
「はい」
「ガルドが冬を越せるだけの備蓄を確保した場合はどうなる」
「えっ!」
思わず言葉が止まった。
考えていなかった。
父上は続ける。
「飢えがなければ戦は起きぬ」
「……」
「お前は戦になる前提で話を進めている。」
低い声が響く。
「だが、その他の可能性を考慮していない。」
俺は思わず黙り込んだ。
確かにそうだ。
戦になる可能性ばかりを追っていた。
だが国が動く理由は一つではない。
俺は少しだけ悔しさを覚えた。
前世では何度も軍議を経験した。
それでも見落としはある。
父上はさらに続ける。
「西にはヴァルグ魔族領があると言ったな」
「はい」
「なぜガルドがヴァルグと争わぬと断言できる」
「それは……」
言葉に詰まる。
父上は淡々と言った。
「国は地図通りには動かん」
「王が変われば方針も変わる」
「将が変われば戦い方も変わる」
「昨日まで敵だった者が、明日には味方になるやもしれん。」
机の上の地図を見る。
確かに地図は多くを教えてくれる。
だが地図だけでは見えないものもある。
父上は俺を見た。
「お前はガルドを見ている」
「だがガルドの民を見ておらん」
その言葉が胸に刺さった。
ガルド。
ヴァルグ。
王国。
俺は国として見ていた。
数字として見ていた。
だが、その中で生きる人々を見ていただろうか。
「誰が王なのか」
「どんな将がいるのか」
「民が何を望んでいるのか」
「そこを見なければ戦は読めん」
俺は黙って聞いていた。
父上は窓際へ歩く。
訓練場では兵士たちが剣を振っていた。
汗を流し。
泥にまみれ。
必死に鍛錬している。
父上はその光景を見ながら言った。
「オルタ」
「はい」
「お前は賢い」
その言葉は意外だった。
父上は滅多に人を褒めない。
だが次の言葉はもっと意外だった。
「お前は国を見る目を持っている」
父上は静かに言った。
「だが、人を見る目はまだ未熟だ」
そしてゆっくりと振り返った。
「国を動かすのは人だ」
兵士たちの掛け声が聞こえる。
汗が飛ぶ。
泥が跳ねる。
「地図は飯を食わん」
「数字は泣かん」
「国も笑わん」
父上は続ける。
「兵を見ろ」
「領民を見ろ」
「家臣を見ろ」
「友を見ろ」
そして最後に告げた。
「国とは人だ」
その言葉を聞いた瞬間。
前世の記憶が蘇る。
――人は城、人は石垣、人は堀。
武田信玄。
生涯ついに刃を交えることはなかったが、天下を争った好敵手だ。
若い頃の俺は、その言葉を半ば理想論だと思っていた。
だが今なら分かる気がする。
蘭丸。
勝家。
秀吉。
利家。
あいつらがいたから、俺は天下へ手を伸ばせた。
城ではない。
金でもない。
国を支えるのは人なのだ。
父上は机へ戻る。
そして最後に言った。
「それと」
「はい」
「剣と魔法の稽古も怠るな」
思わず苦笑した。
そう来たか。
最近図書室に入り浸っているせいで、何度も言われている。
「知識だけでは国は守れん」
「力だけでも国は守れん」
父上は真っ直ぐ俺を見る。
「両方を磨け」
その言葉は重かった。
俺は深く頷く。
「分かりました」
父上は小さく笑った。
本当にわずかだった。
だが俺は見逃さなかった。
今日初めて。
父上は俺を一人の人間として見てくれた気がした。
執務室を出た後も、その言葉は頭から離れなかった。
――国とは人だ。
地図だけでは見えないものがある。
数字だけでは分からないものがある。
本能寺で届かなかった願いも、そこに答えがあるのかもしれない。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、不意に窓の外から子供たちの笑い声が聞こえてきた。
庭では使用人の子供たちが走り回っている。
木の枝を振り回しながら、何やら戦ごっこをしているらしい。
俺は足を止めた。
――人を見ろ。
父上の言葉が蘇る。
その時だった。
「あっ!」
元気な声が響く。
「オルタ様だ!」
次の瞬間。
数人の子供たちが一斉にこちらへ駆け出してきた。
この時の俺はまだ知らない。
この出会いが、後に人生を大きく変えることになるなど。
第六話をお読みいただきありがとうございました。
今回はオルタの知識や分析力だけでなく、その未熟さも描いてみました。
前世で織田信長だったからといって、最初から完璧ではありません。
地図や数字から国を見ることはできても、人を見ることはまだ得意ではない。
そんなオルタに父バルドが伝えた言葉――
「国とは人だ」
この言葉は今後の物語でも大きな意味を持っていきます。
次回からは、オルタが初めて同年代の子供たちと関わっていきます。
彼らとの出会いが、後の天下布武へと繋がる最初の一歩になるかもしれません。
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