第5話『天下への地図』(第一章)
いつも『本能寺で死んだ織田信長、魔力値3の落ちこぼれ貴族に転生する ~人を活かして異世界天下布武~』をお読みいただきありがとうございます。
前話「女神」では、本能寺で命を落とした織田信長が女神と出会い、新たな人生を歩み始めました。
そして今回から第一章「天下への地図」が始まります。
舞台は転生から五年後。
魔導大陸に生まれたオルタが、少しずつこの世界を知り、自らの未来を見据え始めます。
信長の記憶を持つ少年が何を見て、何を考えるのか。
お楽しみいただければ幸いです。
五年の歳月は、思っていたより早く過ぎた。
本能寺で死に、女神と出会い、オルタ・ノヴァ・ルミナスとして生まれ変わってから五年。
季節は巡り、泣くことしかできなかった身体も少しずつ成長した。
今では城の中を自由に歩き回り、図書室へ通い、自分の考えを言葉にできる。
もっとも。
前世が織田信長だからといって、最初から何でもできた訳ではない。
赤子の身体というものは実に不自由だった。
寝返り一つ打てず、腹が減れば泣くしかない。
眠気が来れば意識はあっさり奪われる。
戦国の乱世を駆け抜けた男が、布団の上で手足をばたつかせるしかなかったのだから、何とも情けない話である。
だが、是非もなし。
人は生まれた以上、歩き始めねばならぬ。
それは天下人であろうと赤子であろうと同じことだ。
そして、この五年で分かったこともある。
この世界には魔法というものが存在する。
二歳の頃だったか。
侍女が部屋を照らそうと指先を軽く振った瞬間、小さな炎が灯ったのだ。
俺は思わず目を見張った。
指先から火が生まれたのだ。
火打石もなければ油もない。
それなのに火だけがそこにあった。
陰陽師の類か……?
本気でそう思った。
「それ、何?」
思わず尋ねる。
侍女は少し目を丸くした後、優しく笑った。
「火魔法でございますよ」
「まほう?」
「はい。オルタ様は魔法を見るのは初めてでしたね」
そう言って侍女はもう一度指先へ小さな火を灯した。
揺れる炎を見つめながら、俺は言葉を失う。
驚いている俺をよそに、周囲は誰一人として気にしていなかった。
当たり前のように魔法を使い。
当たり前のように受け入れて。
その時ようやく悟った。
俺は本当に、常識の通じぬ世界へ来てしまったらしい。
火を灯す者。
水を汲む者。
風で洗濯物を乾かす者。
魔法は人々の暮らしに当たり前のように溶け込んでいた。
それも今では見慣れた光景だ。
人の慣れとは、なかなか侮れない。
そんなことを思いながら、俺は今日も図書室にいた。
ノヴァ公爵領の朝は早い。
窓の外では朝露に濡れた訓練場で兵士たちが剣を振っている。
掛け声が響く。
木剣がぶつかる乾いた音が風に乗って届いてきた。
城内では使用人たちが忙しなく行き交い、厨房からは焼きたてのパンと香草の香りが漂っている。
そんな賑わいも、図書室の重い扉を閉めれば遠ざかる。
高い天井まで届く本棚。
古い革表紙の書物。
紙の匂い。
窓から差し込む朝日。
それらが作り出す静かな空気が、俺は好きだった。
知識は力だ。
それも剣や魔法とは違う力。
目に見えず、誰にも奪えず、使い方次第で国すら動かす力である。
机の上には一枚の大きな地図が広げられていた。
俺は椅子に腰掛け、その地図へ視線を落とす。
この世界――魔導大陸。
中央にはルミナリア王国。
北には獣人国。
西には魔族領。
南には大小様々な諸侯国家が存在している。
そして王国西部に広がる巨大な領地。
ノヴァ公爵領。
俺が生まれた場所だ。
指先で地図をなぞる。
王都から伸びる街道。
物資を運ぶ河川。
壮大な山脈。
都市の位置。
どれもただの線や印ではない。
人が生きる道だ。
どこに富が集まるのか。
どこに民が増えるのか。
どこで争いが起きるのか。
その兆しは、すでに地図の上に表れている。
前世でもそうだった。
戦は突然始まるものではない。
始まる前から兆候がある。
気づける者が少ないだけだ。
「面白いな」
気づけば独り言が漏れていた。
すると背後から声がした。
「また地図でございますか」
振り返る。
老執事クラウスだった。
白髪を整えた老執事は、少し呆れたように笑っている。
「そんなに見ていましたか?」
「ここ数日、毎日見ておられますので」
確かにその通りだった。
俺は再び地図へ目を落とす。
「飽きぬのですか?」
クラウスが尋ねる。
「飽きるものですか?」
思わず聞き返した。
「普通の五歳児なら外で遊びますぞ」
窓の外を見る。
庭では使用人の子供たちが走り回っていた。
木の枝を剣に見立てて戦っている者もいる。
楽しそうだ。
だが。
「うーん。本の方が面白いんです」
「五歳児らしくありませんな」
それはそうだろう。
今さら泥だらけになって遊ぶ気にもなれなかった。
もっとも。
前世で考えれば、五十近い男が泥だらけになってはしゃいでいる姿も、それはそれでなかなかイタイ気がする…
「父上には内緒でお願いします」
「難しいお願いですな」
クラウスは肩をすくめた。
その時だった。
俺の指が地図の北で止まる。
獣人国。
寒冷な土地だ。
冬は長く、耕作地は少ない。
それでも近年、人口は増えている。
最初は偶然かと思った。
だが違う。
交易記録。
移住記録。
穀物輸入量。
図書室の書物を読みあさるうちに、一つの流れが見えてきた。
人口は増えている。
だが土地は増えない。
食料にも限界がある。
そうなれば何が起こるか。
答えは単純だ。
飢えだ。
そして飢えは戦を呼ぶ。
これは世界が変わっても変わらない。
民は飯がなければ生きられん。
飯がなければ土地を求める。
国とは、つまるところそういうものだ。
もし俺の考えが正しければ――。
「オルタ様」
クラウスが声を掛ける。
「旦那様がお呼びです」
思わず眉が動いた。
父上が?
珍しい。
父上は忙しい。
領地経営。
軍務。
貴族との折衝。
王都とのやり取り。
西方最大の公爵家を支える男だ。
五歳児に割く時間など、本来はない。
だが最近、妙なことがあった。
廊下ですれ違う度に、
「何を読んでいる」
と聞かれるのだ。
最初は偶然かと思った。
だが三度も続けば違う。
父上は俺を見ている。
おそらく今回の呼び出しも、その延長だろう。
「何かあったのでしょうか?」
「さて」
クラウスは微笑む。
「ですが、執務室へ来るようにとのことです」
何かある。
そう直感した。
嫌な予感ではない。
面白い予感だ。
俺は地図を畳み、本を閉じる。
そしてクラウスの後に続いた。
長い廊下を歩く。
窓の外では兵士たちの訓練が続いていた。
汗を流しながら剣を振る者。
怒鳴る教官。
転がされる新兵。
その光景を見ながら、俺は自然と兵士たちを観察していた。
身体の動き。
隊列。
士気。
兵を見る癖は前世から変わらない。
戦を知る者は、人を見る。
そんなことを考えているうちに、父上の執務室へ辿り着いた。
重厚な扉。
両脇には武装した衛兵。
五歳の子供が立つには似合わぬ場所かもしれない。
だが不思議と緊張はしなかった。
前世では何度も軍議の席に座った。
天下の行方を決める話し合いも経験した。
それに比べれば大した事ではない。
クラウスが扉を開く。
「オルタ様をお連れしました」
「入れ」
低い声が返ってきた。
部屋の奥には一人の男が座っていた。
バルド・ノヴァ・ルミナス。
ノヴァ公爵家当主。
そして今世の父だ。
父上は机の上に一枚の地図を広げた。
軍用地図だった。
砦の位置。
補給拠点。
街道。
河川。
軍を動かすための情報が細かく記されている。
「オルタ」
父上が口を開く。
「お前は最近、北方の書物ばかり読んでいるそうだな」
「はい」
「理由を聞こう」
試されている。
そう感じた。
俺は地図へ視線を落とした。
そして答える。
「獣人国が動く可能性があると思ったからです」
部屋の空気が変わった。
父上の眉が僅かに動く。
クラウスも驚いたように俺を見ていた。
「続けろ」
低く重い声だった。
だが、その一言で理解した。
これは親子の会話ではない。
軍議だ。
五歳児を見る目ではない。
公爵が一人の人間を値踏みする目だった。
俺は自然と口元が緩む。
面白い。
異世界に生まれ落ちて五年。
ようやく、この世界を動かす話ができる。
「では父上、お話しします」
俺は北方の地図を指した。
「なぜ獣人国が動くと思うのか」
父上の目が細まる。
その瞬間。
執務室の空気が変わった。
そして――。
ノヴァ公爵家で最初の戦略問答が始まった。
第五話「天下への地図」をお読みいただきありがとうございました。
今回から本格的に異世界編がスタートしました。
本能寺で散った織田信長は、オルタ・ノヴァ・ルミナスとして五歳になっています。
魔法が存在する世界。
公爵家という新たな立場。
そして図書室に籠もって地図ばかり眺める少し変わった少年。
しかし、前世で天下統一を目前まで進めた信長だからこそ見えるものがあります。
次回はいよいよ父バルドとの戦略問答です。
オルタがなぜ「獣人国が動く」と考えたのか。
そして父は何を見ているのか。
第一章の大きな転機となる話になります。
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今後とも『本能寺で死んだ織田信長、魔力値3の落ちこぼれ貴族に転生する ~人を活かして異世界天下布武~』をよろしくお願いいたします。




