モルファスの死神
シルフィアとアドワースは、崖の上から古城を見下ろしていた。
生い茂る植物に飲み込まれながらも、かつての猛き姿を保っている巨大な城に明かりが灯っていた。
「こいつぁ、何処から入ったらいいんですかね?」
アドワースが、汗を拭きながら尋ねた。
城は三方を崖に囲まれた天然の要塞だった。唯一残された城壁の南面は、ごつごつとした岩が突き出る雄大な湖が広がっていた。
「かつての兵士たちが行き来した経路がある筈だ。それを探す」
シルフィアは、地竜の背中を撫でながら答えた。
「まさか、この勾配を下っていくんじゃないでしょうね? 俺ぁ嫌ですよ、こんなとこ」
「そのまさか、かもな。だが、ソフィアちゃんをさらった奴らは、城に来いといってるんだ。行くしかないだろう?」
「わかりやした! 覚悟を決めます。だけど、下りてる途中で弓矢とか、打ってきませんよね?」
「そんなことは、すまいよ」
城の最上階に揺らめく明かりを眺めながら、シルフィアは答えた。
空は、まだ星々が顔を覗かせていた。夜が明けるまでには、少し時間があった。モルファスの城の暗闇の中で、燭台の火が風に揺れていた。
恐らくその部屋は、城の当主が使っていたものであったのであろう。壁は剝がれ落ち、床には木屑や瓦礫が散乱して見る影もなかったが、豪奢な調度品が僅かに残されていた。
椅子に座ったソフィアの目の前には薄汚れてはいたが、丁寧な細工が施された丸いテーブルが置かれていた。
テーブルの上には、カップが二つ。その脇には、ささやかながらパンがのった皿もあった。
「有り合わせで、こんなものしか無いがな……」
湯気の立つカップをソフィアの前に差し出し、向かいの椅子に腰を下ろしながら彼女はいった。
「温かいうちに飲みなさい。薬草のお茶だ。大丈夫、毒など入ってない」
上目づかいで尚も警戒するソフィアに、彼女はくすりと笑った。
「お茶を飲みながら誰かと一緒に過ごす、このひとときは何物にも代えがたいものだ。たとえ、君が私のことを忘れ去ったとしても、このお茶の味だけは脳裏に刻まれるだろう」
恐る恐る、お茶をすするソフィアを眺めながら微笑んで語った。
「私にもそんな事があった。あの時のお茶は、格別だった……」
「オネーさんは、なんでわたしをココにつれてきたの?」
物怖じせずに尋ねるソフィアに、彼女はやや表情を硬くして答えた。
「……世界を終わりにするためさ」
「セカイを……おわりに?」
「そう、全てを白紙にするのさ。何もかもだ。その後にできる世界は、間違いなく今よりもいいものになる筈だ」
「それは、どんなセカイなの?」
「どんな世界にするのかは、君たち自身が決めるんだ。私は、この世界の仕組みに終わりをもたらすだけだ。ただ、幕引きをするだけ……そう、たとえ魔女の力を使ってでもな」
「オネーさん?」
「何だ?」
「なんで、ないてるの?」
「!?」
長期の看護の果てに最愛の者を失った――あの呪われた日から、涙を流す事などないと思っていた。そう思って信念を貫いてきた。それなのに……最後になって、彼女は自分の中にまだあたかいものが残されていることを知った。
「そろそろ私は行く。いいかい? お嬢さん、下が静かになるまで、此処にいるんだよ? 危ないからね」
立ち上がり部屋を出ていこうとする背中に、ソフィアは呼びかけた。
「オネーさんは、だれなの?」
振り向きながら、彼女は笑顔で答えた。
「私かい? 私は死神さ。この城に住まう、悪い死神さ」
かつり、かつりと規則的な足音を響かせて、モルファスの死神は遠ざかっていった。




