世界はもう一度動き出す
その男が瞼を開くと、漆黒の闇が広がっていた。
辺りを探ろうとするも、狭い箱のような物の中に入れられ自由が利かなかった。仰向けになった身体をあちこちに押し当てると、目の前を塞いでいる蓋をずらすことが出来た。
男は開いた僅かな隙間に身体をねじ込み、何とか外へと這い出した。
(此処は、何処なんだ?)
記憶が曖昧であった。
男は高級な生地で仕立てられた洋服をはたいて埃を落とすと、辺りをうろうろと歩き回った。
視界は相変わらず闇に包まれていて見通しがきかなかったが、少し目が慣れてくると、そこが広い空間であることがわかった。しかし、その光景に既視感はなかった。
「おぅい、誰かいないのか? 誰か、返事をしろぉっ!」
不安げな男の声と乱れた呼吸音だけが、辺りに響き渡った。
男は徐々に思い出してきた――逃げようとしていたのだ。ぼろ切れを纏い、怯えながら、無責任にも多くの命を置き去りにした儘で。
背後で魔獣がギイギイと声を上げると、びくりと身体が反応した。
(此処は一体、何処なのだ?)
疑問を抱きながら最初の場所に戻ると、そこには棺桶が置かれていた。男はその時初めて、自分が閉じ込められていた物が何であったかを認識した。
「いい加減にしろ! 悪趣味が過ぎるぞ!! 私を誰だと思ってるんだ」
何も返事はなかった。途端に、恐怖が込み上げてきた。男は暗闇の中を走りだした。
「うおおおおおっ!」
すると突然、何かにぶつかり男は尻もちをついた。見上げると、真っ黒な影が立ち塞いでいた。フードから覗く冷たい視線に震え上がった。
「ひい!」
しかし、男は人一倍プライドが高かった。虚勢を張って大声で叫んだ。
「お前の仕業か? こんなことをして、ただで済むと思うなよ! 我は、護北鎮山候、オルレリア・ラファウシュタインなるぞ!!」
「……知っているさ。寧ろ、知り過ぎるくらいにな」
影は両手でフードをめくった。
「お、ま、え……まさか!?」
驚く男の背後から、食屍鬼の少女が顔を覗かせた。
「こいつをぐちゃぐちゃにすればいいの?」
「リディア!? お前、何で生きて……」
「リディア? 僕、パンネッタだよ?」
うろたえる男を横目に黒い影はいった。
「簡単に殺すな。こいつには、苦しんで苦しんで、苦しみ抜いて貰わなければ、ならないからな」
「お前、こんなことをして何の意味があるというのだ!」
「意味? 意味だとぅ? フハハハハッ! 意味など無い。あってたまるか!!」
笑い続ける相手を見て、男の顔は恐怖に歪んだ。
「最早、魔導王国もその身を喰らう蛇も関係無い。これは復讐劇だ! 貴様を処刑することで開演する、虚ろな物語だ。そして、灰色の世界は色を取り戻して……」
悲しみに包まれた表情で、それは叫んだ――
「もう一度、動き出すんだ」




