クレアミス
鐘が鳴り響いていた。空を見上げると、石の様な物体が浮き沈みしている。
或るものは、自然界にあるような粗野な流線を形作っており、また或るものは、構造物とはいわないまでも整然としたその姿を晒していた。
遥か彼方には、山脈の様に途方もない大きさの歯車が鎮座しており、上空のそのまた更に向こうで、灼熱の炎とそれに引かれる車駕が紅い線を描きながら進み、時折降下してきた。
混沌の中に世界が成立していた。その全てが出鱈目だった。石が敷き詰められた足元でさえ、それが踏みしめるべき大地だと確信が持てなかった。
レイナードは、当てど無く、その場所を彷徨っていた。果てを目指して歩いてみたが、それがない事に気が付いて歩みを止めた。
すると、奇妙な事が気になりだした。自身がすっぽりと巨大な影に覆われていた。しかし、その影は空に浮かんでいる物体のそれではなかった。
不思議に思い、辺りを見回すと無防備な心の内に念話が響いてきた。
『時の管理人、トーマス・ラズウェルの息子よ』
父の名前に驚いて、レイナードは辺りを見まわした。
『時の管理人の息子よ、我が名はクレアミス』
その時、レイナードは初めて理解した。自分を覆っていた影の主が目の前に存在しているという事実を。
『今、お前がどうして、此処に存在しているのかがわかるか?』
燦然たる眩しさに目を細めるレイナードに時の支配者は告げた――
『レイナード・ラズウェルという人間は、今まさに死を迎い入れようとしている。しかし、我がこの場所に呼び寄せた。その卑小な魂だけが肉体から離れて存在をしているのだ』
「此処はどこなのですか?」
『クレア山脈の頂の遥か上空……人の子らが時の神殿と呼ぶ場所だ』
「僕は死んでしまったのでしょうか?」
『今まさに冥府の門を潜ろうとしている。その前にお前に問いたい』
ふと、足元を見ると少女が裾を引っ張っていた。
『ねえ、お兄ちゃんは何をそんなにも恐れているの?』
「僕が恐れている?」
『左様、主は恐れているんじゃ。父親と同様に時に愛される事を。時の祝福を受けることを』
背後で老婆が囁いた。
「そんなこと、な……」
『いいえ、覚えがあるでしょう? 貴方はそんな時、いつも後ろを振り返る』
目の前で司書の様な女性がいった。
『貴方は、時を拒んでいる。その結果――今、死を迎えようとしている。私は貴方に問います』
真っ直ぐな瞳が僕を見つめていた。
『生きることを望みますか? それとも、全てを諦めますか?』
(愛するものを護るために、僕は騎士になった。けれど、僕は何も成し得ていない。僕は……)
『僕は生きたい……生きていたいんだ! 愛する人に、その全てを捧げるために!!』
風がレイナードの頬を撫でた。司書の様な女性は、長い髪を揺らしながら微笑んだ。
『よかろう。ならば、後ろを見よ』
振り返ると、僕がいた。いや、僕ではない僕だ。彼は、驚く僕を両手で抱きしめた。
『それがお前が恐れていたものの正体。お前が置き去りにしてきた自身の本質。全てを受け入れたお前は、その死を覆すことすら出来るだろう。忘れるな。時は、お前と共に在る』
鐘が鳴り響いた。
吹き付ける暴風に閉じた目を再び開けると、僕はあの瞬間に存在していた。




