契約
リゼットに案内された屋敷は、本当に隣にあった。
文字通りの豪邸――いや、屋敷というより城に近い。
中へ通され、いくつかの廊下を抜けた先。案内されたのは、やけに落ち着いた雰囲気の応接室だった。
「やっぱり、エルナの淹れる紅茶は完璧な温度と味だね」
対面に座るリゼットが、満足げに呟く。
俺もカップに口をつけると、思わず顔が綻んだ。
確かに、ここまでの味が出せるのは、いい茶葉を使っているからというだけではないだろう。
「ふふ、ノア様にもお気に召していただけたようですね」
顔を上げると、エルナさんが柔らかな笑みを向けてきていた。
心を見透かされたような気がして落ち着かず、俺はぶっきらぼうに言う。
「それで、話があるなら早くしてくれないか?」
「まあまあ、そんなに焦らないでよ。まずは、わたしたちのことから話すね」
リゼットはそう言って、胸を張った。
「わたしたちは、ギフト犯罪を専門に扱う治安維持局の組織――ギフト犯罪対策課なの」
「ギフト犯罪専門?」
「そう。普通の捜査じゃ追いきれない相手がいるからね。ギフト犯罪者には、ギフトを持つ側で対抗するしかないの」
ギフトは未知の力だ。
俺自身そうだが、持ち主本人ですら全容を把握していないことも珍しくない。
そんなものを犯罪に使われれば、厄介どころの話じゃない。
「だからわたしは、ギフト持ちを集めて対抗する新しい部署を立ち上げたの!」
「それが、ギフト犯罪対策課ってわけか?」
「ご名答、さすが相棒! 目には目を、ギフト犯罪にはギフト捜査官だよ!」
勝手に相棒にするな。
内心ツッコミをいれたとき、ふとリゼットの言葉に引っかかるものがあった。
「もしかして、お前もギフト持ちなのか?」
「うん。わたしのギフトも、ノアに負けないくらいすごいんだよ。その時が来たら見せてあげるね」
リゼットは得意げに胸を張る。
そこまで興味があって聞いたわけじゃないので、正直ちょっとうざい。
すると、エルナさんが横から一枚の紙をローテーブルの上に置いた。
「こちらをご覧ください」
「これは?」
「契約書です。一度、目を通していただけますか?」
まだ受けるとも言っていないのに、と思ったが、ひとまず内容を確認する。
「これは……」
書かれていたのは、いわゆるスポット契約だった。
今回のヴェイル・アディス殺害事件の調査、および犯人確保までの期間限定で、ギフト犯罪対策課に籍を置いて協力するというものだ。
「説明だけでは実感しにくいでしょうから、一度経験していただくのがよろしいのでは、とお嬢様が」
王国の公的機関、それも犯罪を扱う治安維持局ともなれば、外部に漏らせない機密も多いはずだ。
辞める職員には記憶封印処置が施される――そんな噂すらある。
だが、この契約書にはその記述がない。
「報酬については、次の資料をご覧ください」
促されて別の書類に目を移す。
そこに記されていた金額を見た瞬間、思わず声が裏返った。
「は!? 前金が白金貨五枚、成功報酬が白金貨十枚!?」
破格どころじゃない。
白金貨一枚は金貨十枚に相当する。
Sランク冒険者だった頃でも、月に金貨五十枚稼げれば上出来だった。
それを、たった一件で前金込み白金貨十五枚。信じられない額だ。
「いいのか……こんな契約で?」
ようやく絞り出した声に、リゼットは満面の笑みで頷いた。
「いいよ! それだけノア――君のことが必要だって思ったの」
その言葉が、胸の奥にまっすぐ刺さった。
――この先の《黎明の剣》には必要ないわ。
脳裏に、レインの言葉が蘇る。
嫌な汗が滲んだ。
こんな破格の報酬で、今のところ目立ったデメリットもない。見逃す理由なんてないはずだ。
今回だけ契約して、やっぱり合わないと思えば、その時に離れればいい。選ぶのは向こうじゃない。こっちだ。
そう思っているのに、口も、手も動かなかった。
そこでようやく気づく。
森でスカウトを受けた時、俺がそれを拒もうとした本当の理由に。
――失望されるのが怖かったんだ。
高く評価されて、必要だと言われて。
それなのに期待されたほどの成果を出せなかったらどうする。
この契約が終わったあと、新しい契約を提示されなかったら。
仮に所属し続けられたとしても、また力を失ったら。ギフトが使えなくなって、不要だと判断されたら。
その時こそ、本当に自分には価値がないのだと突きつけられる気がした。
そんな恐怖が、胸の奥に根を張っていた。
「難しく考えなくていいんですよ、ノア様」
ふいにエルナさんがやさしく声をかけてきた。
その声に導かれるように、俺は顔を上げた。
「お嬢様は、あなたのギフトの力はもちろんですが、単純にあなた自身と一緒に働いて、仲良くなりたいのです」
「え?」
唐突な言葉に、リゼットが真っ赤になって立ち上がった。
「は!? ちょ、エルナ、何を言い出すの!」
エルナさんの肩をがくがく揺さぶって抗議し始める。
「あら、本当のことを言ったまでですよ。それとも昨日おっしゃっていたことは嘘だったのですか?」
「う、嘘じゃないけど……!」
一体どんな話をしていたんだ。
リゼットは頭から湯気でも出そうな勢いで、耳まで真っ赤になっている。
「と、とにかく! ノア! 君に言いたいことがあるの!」
「な、なんだよ?」
今度は俺の方を向いてきて、思わず身構える。
だが予想に反して、リゼットは深々と頭を下げた。
「昨日は急に襲いかかってごめんなさい。二度としないようにするね」
驚きのあまり、しばらく言葉が出なかった。
正直、こういう手合いは謝らないものだと思っていた。
それが自分から、こんなふうに頭を下げるなんて。
エルナさんの方を見ると、彼女は今日会ってから一番やさしい笑みで、リゼットを見つめていた。
「一つ聞きたい」
「何?」
顔を上げたリゼットが首を傾げる。
「スカウトを受けたら、建設中のあの豪邸や、他にも何かくれるんだろ? そこまでして迎えた俺のギフトが、もし使いものにならなかったら。あるいは今後、失われたらどうする?」
「うーん……それは考えてなかったね」
リゼットは腕を組み、少しだけ唸る。
そして、すぐにぱんと手を叩いて笑った。
「じゃあ、わたしの屋敷で執事、治安維持局では秘書として働いてもらおうかな?」
「それはいいですね。作法は私にお任せください」
二人とも、冗談を言っているようには見えなかった。
思わず、口元から笑みがこぼれる。
なんだ。そんな答えが返ってくるのか。
「書くもの貸してくれ」
「え? それって……」
期待に満ちた目で見つめてくるリゼットに、俺は頷いた。
「ひとまず、この事件を解決するまでの間でいいんだよな? それなら契約する」
「本当に? やったね! これからよろしくね、ノア!」
がばっと手を掴まれ、そのままぶんぶんと上下に振られる。
「痛いって! ひとまずこの事件の間だけだからな!」
「分かってるって!」
本当に分かっているのかは怪しい。
まあいい。
この事件を通して、しっかり見極めさせてもらうとしよう。
探偵リゼットが、どんな人間なのかを。




