権力
目的の場所に到着し、馬車を降りる。
近くで見ると、その巨大さに思わず息を呑んだ。
だけど――ふと違和感を覚える。
「これ……布なのか?」
黒い外壁に見えたそれは、よく見れば硬質な建材ではない。布特有の質感があった。
「そう正解! 黒い布を張ってそれに硬化魔法をかけて、箱状にして囲ってるんだよ」
いつの間にか復活していたリゼットが、得意げに答える。
……復活、早いな。
「なんでそんなことをしてるんだ? 囲ってるってことは、中に何かあるのか?」
「いいから、あそこから早く入ってよ」
リゼットが指差した先を見ると、黒い壁の側面にぽつんと扉が一つだけ取り付けられている。
その横で、エルナさんがこちらに手招きをしていた。
リゼットに背中を押されるようにしてその前に立つと、エルナさんが静かに扉を開く。
一歩、足を踏み入れた瞬間――世界が切り替わったかのようで、思わず息を呑んだ。
そこには、建設途中とは思えない規模の“屋敷”が、骨組みをむき出しにしたままそびえ立っていた。
幾重にも組まれた足場。
組み上がる梁。
整然と積まれた石材と木材。
そして――人、人、人。
視界の端から端まで、無数の職人たちが動いている。
木を削る音。
石を削る音。
鉄を打つ音。
……それらが、確かに鳴り響いているはずなのに。
「驚いた……外では、まったく気配がなかったのに」
思わず漏れた呟きに、隣のリゼットが胸を張る。
「防音術式だよ。内部で発生する音を全部干渉させて相殺してるの。だから外には一切漏れないんだよ」
視線を上げる。
天井もまた、黒い布で覆われていた。
その内側には、淡い光が規則正しく灯っている。
「この明かりも術式か?」
「うん。光属性と火属性の複合。夜でも昼と同じ環境で作業できるようにしてるの」
さらりと言うが、規模が異常だ。
この空間すべてを維持する魔力を想像して、言葉を失う。
さらに目を凝らすと、職人たちの動きに規則性があることに気づく。
疲労の見える者が下がり、代わりに新たな者が入る。
「……交代制か」
「三交代制。二十四時間、フル稼働だよ」
当然のように告げられる言葉。
「夜も止めない。一日でも、一秒でも早く完成させるためにね」
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
ここにいる全員が、同じ目的に縛られている。
――この屋敷を、完成させるためだけに。
それ以外の価値が、この空間から切り捨てられているかのように。
「……これ、誰のための屋敷なんだ?」
半ば答えを予想しながらも、聞かずにはいられなかった。
その問いに、リゼットはにこりと笑う。
ほんの少し首を傾げ、楽しげに。
――まるで、当然のことを確認するかのように。
「決まってるでしょ?」
軽く、俺の背中を叩く。
「ノアのためだよ。君を迎え入れるための“プレゼント”。昨日、職業斡旋所から報告を受けてすぐ、王都中の職人を集めて始めたんだ」
――やっぱりか!
いや、待て。今、なんて言った?
王都中の職人を? 昨日から? それで、もうここまで――?
改めて周囲を見渡す。
無数の職人。
異常な術式。
昼夜を問わない工事。
そのすべてが――俺一人のために用意されている。
冗談だろ。
たった一人を迎えるために、ここまでするのか。
……だめだ。こいつは、本当にまともじゃない。
いったい何者なんだこいつ?
「ノア! どう? わたしの本気度、伝わった?」
リゼットが俺の顔を覗き込んでくる。
「スカウト受けてくれたら、この屋敷の他にもいろいろ用意してるんだよ。たとえば――」
「い、いや、もう十分だ!」
思わず声を上げて遮る。
これ以上聞いたらまずい。思考が追いつかなくなる。
このままだと、気づいたときには頷いていそうで怖い。
「お前がどれだけ俺を評価してるかは……よく分かった」
「そう? なら――隣がわたしの屋敷だから、そこでゆっくり話そうか」
リゼットは先に歩き出す。
……はぁ。なんかどっと疲れたし、もう帰りたい。
「何してるの! 早く行くよ!」
振り返ったリゼットが、満面の笑みを向けてくる。
開け放たれた扉から差し込む朝日を背にして――
その笑顔は、どこまでも無邪気だった。




