おかえり
剣先を横たわるジェイクとエリシアに向けて、ヴェイルは叫ぶ。
「分かるよ」
リゼットは即答した。
「あなたが憎む理由は分かる。殺したいほど許せない気持ちも分かる。わたしだって、エルナをこんな目に遭わせたあなたを、許せるわけじゃない」
「なら!」
「でも、だからこそ止める」
リゼットの声が、洞窟内の冷たい空気を裂いた。
「復讐の先には、何もない。少なくとも、あなたが取り戻したいものは何ひとつない」
ヴェイルの目が揺れる。
「ガルドは戻らない。リュカも戻らない。あなたの体も、あなたが失った時間も戻らない。人を殺しても、あなたは救われない」
「……っ」
「こんなクズどものために、あなたをこれ以上壊したくないよ」
その言葉に、ヴェイルの顔から怒りが抜けた。
代わりに浮かんだのは、ひどく幼い、迷子のような表情だった。
「なんで……」
ヴェイルは、かすれた声で呟いた。
「なんで、あたしなんかにそんなこと言うのさ」
「あなたが、まだ人の心を残しているからだよ」
リゼットは言った。
「わたしは、あなたを許しているわけじゃない。あなたがしたことをなかったことにするつもりもない」
それでも、とリゼットは続ける。
「それでもあなたに、これ以上、自分を人殺しだと刻みつけてほしくない」
ヴェイルの剣先が、わずかに下がった――その一瞬。
「ノア!」
「――っ!」
リゼットの声が飛ぶ。
俺は、すでに魔力を練り上げていた。
地面の下を這うように伸ばしていた魔力が、ヴェイルの足元で弾ける。
「《アースバインド》!」
土の鎖が伸び、ヴェイルの足首を絡め取る。
続けて、腕、腰、肩。
エルナさんの体を傷つけないよう、力任せではなく、関節の動きだけを封じるように土の拘束を這わせた。
「なっ……!」
ヴェイルがもがこうとする。
だが、一瞬遅い。
土の枷が彼女の体を固定し、剣を握る手が止まった。
「くそ……やってくれるじゃないか」
ヴェイルは俺を見た。
「最初から……このつもりだったのかい?」
「うん」
リゼットは細剣を下ろした。
「あなたを斬らずに止めるには、これしかなかった」
「……ほんと、嫌な子たちだね」
ヴェイルは小さく笑った。
それは、これまでの皮肉めいた笑みとは違っていた。
疲れ切って、泣くこともできなくなった人間が、ようやく息を吐いたような笑みだった。
「なあ、ヴェイル。お前、実は止めてほしかったんじゃないか?」
「何がだい?」
俺の言葉に、ヴェイルは目を合わせずに呟く。
「エルナさんの実力も、リゼットの力も分かってただろ。なら、真相に辿り着いたリゼットには敵わないってことも分かってたはずだ」
ヴェイルは黙ったままだった。
「それでも無謀に攻撃を仕掛けたのは――」
「あんたさ」
俺の言葉を遮り、ヴェイルがリゼットを見つめる。
「結局のところ、どうしてそこまでするのさ? 色々理由言ってたけど本当はなに?」
先程とは違う、リゼットの本心を確かめる問い。
「それはね……わたしが探偵だからだよ」
リゼットは迷うことなく答えた。
「はん、理由になってないよ」
怒っているようにも、悔しがっているようにも見えた。けれど、その表情はどこか、憑き物が落ちたような穏やかなものだった。
「最後に一つだけ、頼みを聞いてくれないかい?」
ヴェイルは、今度は俺に対して語りかけてきた。
「頼み?」
「あんたの魔法で、このお姉さんの体を貫いてよ」
ヴェイルは、冗談を言っている顔ではなかった。
「即死は避けて。けれど、致命傷に近い重傷を負わせるくらいに」
「なっ……そんなことしたら、エルナさんはどうなる!」
思わず声を荒げる。
だけど、リゼットはそんな俺を諭すように言葉を掛けてきた。
「ノア、大丈夫」
「大丈夫って……!」
「やってあげて」
リゼットの目を見る。
そこには迷いがなく、冷酷な判断ではない。
ヴェイルの言葉の意味を、そしてギフトの本質を理解した者だけが持つ、確信めいた光があった。
俺は奥歯を噛みしめる。
怖かった。
俺の魔法で、エルナさんの体を傷つける。
それは、どんな理由があっても、簡単に受け入れられることではなかった。
けれど。ヴェイルはもう、暴れることも逃げることもしなかった。
ただ、静かに俺を見ていた。
その目は、初めて会った時のエルナさんのものとも、復讐に燃えていたヴェイルのものとも違っていた。
すべてを終わらせようとしている人間の目だった。
「……分かった」
俺は息を吐き、魔道書を構えと魔力を練り上げていく。
エルナさんの命を奪わないように。
それでも、ヴェイルの望むだけの傷を刻めるように。
震える指先を押さえつけ、狙いを定める。
「《ロックニードル》」
地面から岩の棘がせり出した。
鋭い岩の先端が、ヴェイルの腹部を貫く。
目を背けたくなる光景だったけれど、俺は目を逸らさなかった。
これは俺がやったことだ。俺が、選んだことだ。
腹を貫かれたにもかかわらず、ヴェイルは苦しげな声ひとつ上げなかった。
ただ、ふっと笑った。
「ありがとう……ノアくん」
その瞬間、傷口から赤黒いモヤが湧き出した。
血ではなかった。肉体の奥ではなく、もっと深い場所。
記憶や、人格や、魂と呼ぶべきものに触れている何か。
俺には、そう見えた。
ヴェイルのギフトは、傷を請け負う力。
傷に紐づいて、記憶と人格を移す力。
なら、今起きているこれは、きっとその逆だ。
エルナさんの中に残ったヴェイルの意思が、新しく刻まれた傷を道にして、外へ出ていく。
いや。
ヴェイルが、自分自身を傷に乗せて、エルナさんの体から持ち出しているのだ。
この体を返すために。
赤黒いモヤは天井へと昇っていく。ほどけるように揺らめき、薄くなり、やがて空中で霧散した。
岩の棘が崩れ、土の拘束も、静かにほどけていく。
俺は慌てて駆け寄った。そこには、傷ひとつないエルナさんが横たわっていた。
腹部を貫かれたはずなのに、服にも体にも、傷跡は残っていない。
眠っているように安らかな表情で、胸が小さく上下している。
確かに、生きていた。
「エルナさん……」
俺が呼びかけると、リゼットが隣に膝をついた。
彼女は震える手を伸ばし、エルナさんの頬に触れる。
そして、ほんのわずかに目を伏せた。
「……おかえり、エルナ」
その声は、とても小さかった。
けれど、洞窟の中で、何よりもはっきり聞こえた。




