ヴェイル・アディスの記憶①(リゼットの推理)
「お前のせいだ!」
リュカの絶叫が、夜の澄んだ空気を震わせた。
「ごめん……」
あたし――ヴェイル・アディスにできることは、それだけだった。
「あたしが躊躇したせいで、ガルドを……あんたの恋人を、見殺しにしてしまった」
心からの謝罪だった。
誠心誠意、頭を下げることしかできなかった。
けれど、返ってきたのは予想もしない言葉だった。
「しらばっくれてもだめよ。ヴェイちゃんが、崩落の原因になった魔道具を仕掛けて、私を殺そうとしたのは分かってるんだから」
「なっ……そんなの、あたしは知らない! 誰がそんなことを――」
リュカの言っている意味が、まるで分からなかった。
だけど、次に発せられた言葉で、あたしは息を呑む。
「エリシアとジェイクが言ってたよ。私が邪魔だったから、ヴェイちゃんが私を殺そうとしたんだって」
リュカの言葉に絶句する。
「それを信じたわけ? そもそも、どうしてあたしがそんなことを思うのさ」
そんなことは一度も思ったことがない。
リュカを邪魔だなんて、殺したいだなんて、思ったことは一度だってなかった。
魔道具のことだって、まったく身に覚えがない。
「ヴェイちゃん、ガルドさんのことが好きだったんでしょ?」
その言葉に、あたしは詰まった。
それは、事実で、あたしはガルドが好きだった。
仲間としてだけじゃない。ひとりの男として、彼を想っていた。
けれど、だからといってリュカを憎んだことなんてない。
彼が選んだ恋人を、仲間の彼女を邪魔だと思ったことなんて一度もなかった。
「ほら、やっぱり」
リュカの瞳に、暗い光が宿る。
「だから私が目障りだったんでしょ!」
「違う! あたしは――」
言葉を探すより先に、刃が月明かりを反射させながらリュカが短剣を構えて飛び込んできた。
「どうして……」
リュカの声は、怒りではなく、ほとんど泣き声だった。
「ヴェイちゃんもガルドさんのこと好きなら……どうして見殺しにしたの……?」
あたしは、何も言えなかった。
ガルドの最期が、脳裏によみがえる。
――やめろ。
――こんな傷を請け負えば、お前もただじゃ済まない。
――みんなを頼む。
最後の最後まで、仲間を想っていた。
最愛の恋人を、リュカを想っていた。
あたしが愛したのは、そういう男だった。
けれど、目の前にいるリュカは、もうその彼が愛したリュカではなかった。
血走った目、痩せこけた頬、体中に残る爪でかきむしったような傷跡。
ガルドを失った痛みと、誰かに吹き込まれた嘘が、彼女の心を壊してしまっていた。
「ねぇ、リュカ。落ち着いて聞いて。ジェイクとエリシアの方が怪しいでしょ? 一度ちゃんと――」
「ヴェイちゃんがガルドさんを見殺しにしたのは変わらないよ」
あたしの言葉を遮り、リュカはぽつりと呟いた。
そして、短剣を握る手に力を込める。
「それに、ジェイクとエリシアも殺すから」
「リュカ……?」
「みんな仲良く、ガルドさんのところに行こうよ!」
次の瞬間、リュカが再び切り掛かってきた。
ああ――リュカはもう、とっくに壊れてしまっていたんだ。
そう思った時には、あたしの体はほとんど無意識に動いていた。
大剣を振るうと手応えがあった。
刃が肉を裂き、骨を断つ感触が、腕に残った。
◇◇◇
次に意識がはっきりした時、あたしはただ困惑していた。
「いったい……どうなってんのさ」
目の前に、あたしがいた。
胸を大剣で斬り裂かれ、血の海に沈んでいる女。
その顔に見覚えがある。
いや、見覚えがある、なんてものじゃない。
それは、あたし自身だった。
ヴェイル・アディスの体が、もう動かないものとして地面に転がっていた。
「え……?」
声が漏れたその瞬間、あたしは違和感に気づいた。
あたしの声じゃない、だけど聞き覚えのある声。
震える手で、自分の喉に触れると指先が、見慣れない肌に触れた。
手も違う。
腕も違う。
服も違う。
握られていた短剣の刃に、月明かりが反射していた。
その刃に映った顔を見て、あたしは息を呑む。
そこに映っていたのは、リュカの顔だった。
「なんで……なんで、あたしが……」
リュカの体で、あたしは声を震わせていた。
朧げだった思考が、少しずつ輪郭を取り戻していく。
そうだ、あたしは襲いかかってきたリュカに、大剣を振るった。
リュカは倒れ、瀕死の重傷を負った。
その姿を見て、あたしはすべてがどうでもよくなった。
ガルドを救えず、リュカをこの手にかけ。
仲間を信じさせることも、守ることもできなかった。
だから、あたしは彼女に触れ、そして自分のギフトを発動した。
《傷の請負》。
リュカの傷を、あたしが引き受ける。
そして、そのまま死んで全てを、終わりにするつもりだった。
けれど、あたしのギフトは、ただ傷を肩代わりするだけの力じゃない。
請け負った傷が深ければ深いほど、あたしの記憶は相手へ流れ込む。
その代わり、あたし自身からは記憶が欠け落ちていく。
なら。
致命傷を丸ごと請け負ったら?
命に届くほどの傷を、すべて引き受けてしまったら?
「まさか……」
答えなんて、分からない。
正確に何が起きたのかなんて、あたし自身にも理解できなかった。
けれど、ひとつだけ確かなことがある。
ヴェイル・アディスの体は死んだ。
そして、リュカ・ハインツの体は生きている。
その体を動かしているのは――リュカではない。
あたしだ。
ヴェイル・アディスの記憶と意思が、リュカの体を動かしている。
その事実を理解した瞬間、頭の奥がひどく軋んだ。
知らないはずの記憶が、流れ込んでくる。それはリュカの記憶だった。
断片的な映像。
途切れ途切れの声。
震える呼吸。
泣き腫らした目で見上げた、エリシアの顔。
――ヴェイルは助けられたのに、助けなかったの。
違う。
――ガルドが助けを求めたのに、あの子は拒んだ。
違う。
――あなたが邪魔だったからよ。
違う。
――ガルドを独り占めしたかったんでしょうね。
違う、違う、違う。
それは事実じゃない。
あたしはそんなことをしていない。
だけど、リュカは信じてしまった。
いや、信じるしかなかったんだ。
ガルドを失った悲しみを、誰かへの憎しみに変えなければ、立っていられなかったから。
そして、その憎しみの矛先として、あたしはちょうどよすぎた。
「エリシア……ジェイク……」
リュカの喉で、あたしは二人の名を呟いた。
胸の奥に、どす黒い感情が沈んでいく。
あたしは殺されたんじゃない。リュカも、ただ狂ったわけじゃない。
あたしたちは、壊されたのだ。
ガルドを殺し、リュカを壊し、あたしに罪を着せた連中がいる。
そいつらは今ものうのうと生きている。
なら。
この体がまだ動くのなら。
あたしの意思が、まだここに残っているのなら。
「許さない」
短剣を握る手に、力がこもる。
刃に映るリュカの顔が、月明かりの中で歪んでいた。




