ヴェイル・アディスの記憶②(リゼットの推理)
「なぜノア様を襲ったのかしら?」
冷たい声が、路地裏に響いた。
月明かりもほとんど届かない、王都の裏路地。
逃げ場のない袋小路に、あたしは追い込まれていた。
目の前に立つのは、メイド姿の女。
エルナ・ヴェルン。
治安維持局の職員だといったリゼットと名乗る少女の屋敷に仕える、ただの使用人――のはずだった。
なのに、強い。ありえないくらいに、強い。
なんで、今こんな状況になっているか、
それは、ノア・フェルド。かつて王都最強の魔法士として知られた、元Sランク冒険者。
なぜかは知らないけれど、彼はパーティーを追放され、今は治安維持局に所属しているらしい。
そして、あたし――ヴェイル・アディスが殺された事件を追っている。
彼のことは、同じギフト持ちとして知っていた。
馴染みの大商人から聞いたことがある。
ノア・フェルドには、触れた対象の過去を読み取るギフトがあるのだと。
あの男に触れられ、過去を見られたら終わりだ。
ヴェイル・アディスの死の真相。
そして、これから果たすはずだった復讐まで、すべて暴かれてしまう。
だから、襲った。
足の腱でも切って、しばらく動けないようにしてやるだけでよかった。
それで時間を稼ぎ、ジェイクとエリシアを殺す。
そのはずだったけど、結果は失敗。
逆に誘き寄せられ、あたしはこうして追い詰められている。
ていうか。
メイドがこんなに強いなんて、聞いてないんだけど。
「まあいいわ……とりあえず拘束させてもらうわね」
あたしが答えずにいると、エルナは痺れを切らしたように踏み込んできた。
速い。そう思った時には、もう剣閃が走っていた。
右腕。
左腕。
右足。
左足。
次々と刃が走り、肉を裂いていく。
この体――リュカだって、Aランク上位の冒険者だったはずだ。
なのに、まるで歯が立たない。
あたしはなすすべなく、石畳の上に倒れ込んだ。
「さて、念のため手足を縛るわね」
エルナが、あたしへ手を伸ばす。
くそ。
《傷の請負》さえあれば。
何も知らない相手が触れた瞬間、この傷を移して形勢逆転できるのに。
だけど、それはヴェイル・アディスのギフトだ。
今のあたしは、リュカ・ハインツの体にいる。
記憶も、人格も、意思もあたしのものだとしても、肉体はリュカだ。
なら、ギフトまで使えるはずがない。
復讐を果たすこともできず、ここで終わるのか。
そう思った瞬間だった。
「なっ……!?」
エルナがあたしに触れた、その瞬間、あたしの手足の傷口から、赤黒い靄が噴き出した。
それはエルナの手に絡みつき、脈打つように広がっていく。
「くっ!」
エルナは慌てて手を離した。
けれど、赤黒い靄は消えない。
彼女の腕へ、足へ、まるで生き物のように這い回り――次の瞬間、肉を裂いた。
「な、何これ……!」
エルナが武器を落とし、その場に膝をつく。
彼女の両腕と両足には、さっきまであたしに刻まれていたはずの剣傷があった。
逆に、あたしの手足からは痛みが消えている。
傷もなく血も流れていない。
治ったのではない移ったのだ。
その瞬間理解した、《傷の請負》が、発動した。
ヴェイル・アディスのギフトが、リュカ・ハインツの体で。
「こ、これはまさか……あなたは!」
エルナが、何かに気づいたように顔を上げる。
まずい――そう思うより早く、あたしは地面を蹴った。
短剣を握り、エルナの懐へ飛び込む。
「ッ!」
四肢が使えず、座り込むしかできないはずのエルナが、咄嗟に剣を口で咥えた。
そのまま首を振り、横薙ぎに刃を走らせる。
ありえないでしょ、あたしは紙一重でそれを受け流した。
なんてメイドだよ。化け物じゃん。
けれど、さすがにその体勢では無理があった。
エルナの体が大きく傾いで、その隙をあたしは見逃さなかった。
短剣を振るい刃が、エルナの喉を切り裂いた。
鮮血が跳ねるその瞬間、あたしは迷わなかった。
エルナの体に触れ、そして再びギフトを発動した。
《傷の請負》。
咄嗟の判断だったけれど、ただの思いつきじゃない。
リュカにギフトを発動させた時、彼女の意識はもうほとんど残っていなかった。
少なくとも、この体を動かせるほどの人格は残っていなかった。
なぜそんなことが分かるのか、自分でも分からない。
けれど、あたしには確信があった。
リュカはもう、この体にはいなかった。
なら、そうなる前にギフトを使ったらどうなる?
肉体が完全に死ぬ前に、傷を請け負えば。
記憶と人格が流れ込んだ先に、まだ本人の意識が残っていたら。
その答えは、すぐに出た。
視界が歪む。
喉を裂かれた痛みが、あたしから遠ざかっていく。
同時に、あたしという存在がリュカの体から引き剥がされるような感覚があった。
落ち、流れ、溶け込む。
次に息をした時、あたしは別の体の中にいた。
細く、けれど鍛え抜かれた手足。
リュカとは違う重心に血の味がしない喉。
そして、頭の奥に流れ込んでくる記憶。
エルナ・ヴェルン――
彼女の記憶が分かる。
彼女の技が分かる。
彼女があの少女リゼットをどれほど大切に思っているかも、分かる。
そして、頭の奥深くに、彼女自身の意識が残っているのも感じた。
眠っているようで消えていないし、死んでもいない。
ただ、体の主導権だけが、あたしにある。
「……うまく、いった」
彼女の人格を殺さなくて済んだそう思って、あたしは安堵してしまった。
無関係な彼女の体を奪ったことには、目を逸らしたまま。
「ぐ……が、が……!」
その時、背後から苦痛に塗れた声が聞こえた。
振り返るとそこには、リュカがいた。
あたしが今まで使っていた、リュカ・ハインツの体が喉を押さえ、
石畳の上をのたうち回っていた。
喉から血が溢れ、息ができないのだろう。
指の隙間から赤い泡がこぼれ、リュカの顔が苦痛に歪む。
あたしは、その光景をただ見つめていた。
やがて、彼女の手足から力が抜け、だらんと四肢が投げ出され、見開かれた瞳から光が消える。
生気を失った瞳は、くすんだ小さなガラス玉みたいだった。
誰が死んだのだろう。今、目の前で死んだのは、誰だったのだろう。
リュカか――それとも、さっきまでそこにいたあたしか。
考えようとして、やめた。
考えたら、戻れなくなる気がした。
そこで、あたしははっとする。
リュカの両腕と両足に、エルナにつけられたはずの剣傷があった。
一度はエルナの体に移したはずの傷が、喉の致命傷と一緒にリュカの体に戻っている。
「そうか……」
ようやく理解した。
傷が戻っている? エルナに移したはずの傷が、リュカの体に戻っていた。
喉の傷と一緒に。あたしが移った、その流れに引きずられるように。
……そういうことか。
傷は、あたしの器を選ぶ。あたしもまた、傷に引きずられて移る。
傷は、体から、次の体へ移る。
そして、あたしの記憶と意思もまた、傷の流れに引きずられる。
それが、このギフトの本当の形だった。
まずい――そう思った。
このままだと、エルナの剣でつけられた傷がリュカの遺体に残る。
エルナの記憶によれば、治安維持局には、傷口から武器を特定するギフト持ちがいるらしい。
そこから、エルナがリュカの死に関わっていると判明すれば、この体はすぐに疑われる。
そうなれば、復讐は果たせない。ジェイクも、エリシアも、殺せない。
あたしは、リュカの短剣を握り直した。
そして、かなりの時間を費やして、リュカの四肢を切断した。
腕を。足を。剣傷が残った部分を、すべて。
石畳に血が広がっていく。
かつて仲間だった少女の体を切り刻んでいる。
何の罪もないメイドの体を、復讐の器として使っている。
その事実に気づいても、不思議と手は止まらず、吐き気すらしなかった。
ただ、早く証拠を消して、復讐を続けなければ。
そのことだけが、頭の中を埋め尽くしていた。
ああ。あたしも、この時にもうとっくに壊れていたのかもしれないと後になって思った。




